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Caramel 24 Carat

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クリムトの≪黄金のアデーレ≫とベルヴェデーレ宮殿とノイエ・ギャラリーとローダー家




今日は土曜日だというのに雨空~☂
昨日は温かいとてもいい日でしたが

そんなわけで
PC立ち上げると
Windows10の更新メッセージが表示されていたので
OKすると、なんと2時間もかかってしまったわ
(こまめに更新しなかったからかしら)



ところで
先日、NYのクリスティーズで
まさかのレオナルド・ダ・ヴィンチの作品
サルバトール・ムンディ=Salvator Mundi (救世主)≫が

500億で落札された、という

一体誰が落札したのか気になるところですが
ダ・ヴィンチの作品があったなんて驚きですね!




ダ・ヴィンチと言えばルーブルにある≪モナリザ≫ですが

オーストリア、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿にも

かつて
オーストリアのモナリザと称された
名画が飾られていた、という

そのベルヴェデーレ宮殿へは
もう4年前に訪れたことがありました

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なだらかな丘陵地に建っていました

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広大な庭園に置かれた真っ白な彫像が美しかった

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ウィーン、ベルヴェデーレ宮殿
2013、2


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(このベルヴェデーレ宮殿はブログ初めて)


かつてオーストリアのモナリザと称された名画が
クリムトの≪黄金のアデーレ≫と呼ばれる
≪アデーレ・プロッホ=バウアーの肖像≫


クリムトの黄金時代の傑作、1907年

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私が訪れた時は
同作家クリムトの傑作≪接吻≫が展示されていました
(中は撮影禁止でした)

免税店で買ったクリムト≪接吻≫のお酒のパッケージ


ウィーン世紀末芸術の分離派と呼ばれる
退廃的な絵画
ギュスターブ・クリムト制作(1907年)
≪黄金のアデーレ・プロッホ=バウアーの肖像≫
≪接吻≫以前には
ベルヴェデーレ宮殿に飾られていたわけですが

オーストリア政府が”オーストリアのモナリザ”と称えてきた

このギュスターブ・クリムトの名画は

注文者のアデーレの夫で
製糖会社で財を成したフェルディナンド・フロッホ氏の
ウィーン、エリザベート通りにあった豪華な屋敷から

ドイツ・ナチが侵攻してきて
オーストリアを併合した時
フロッポ氏等ユダヤ人から
何もかも没収してしまったという


おもしろいことに
ウィーンで受験に失敗したヒトラーは
この絵は退廃的で要らないといったとか
(ひょっとして苦い思い出があったからかしら?)

アデーレが付けている
首の豪華なネックレスは
ヒトラーの部下のゲーリングの妻のものになったという

エリザーベト通りからすぐのとこにある
ウィーン美術アカデミー

(ヒトラーが失敗したところ)
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この学校の前には公園があって
シラーの銅像がたっていた

銅像の前方がエリザベート通りだから
アデーレの住んでいた宮殿のような屋敷もその近辺にあったということかな




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この時ナチから逃れたユダヤ人は
アメリカへ多く渡ったらしい

遅れましたが
この名画≪黄金のアデーレ≫の映画をつい最近
アマゾンプライムで観ましての記事です

フィクションじゃない実話なので面白いです


富裕層に属したアデーレはウィーン社交界の主要人物であり
クリムトらのパトロンだった

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冒頭のクリムト制作シーン

金箔を筆で
貼り付けていましたが
興味深かったわ~







2006年1月に
ロサンゼルスに住んでいたマリア・アルトマンは
(1916~2011)
(ウィーンで結婚後、ナチから逃れ夫とともに移住)

GAGAより借用

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肖像画のアデーレの姪にあたる親族であった
マリア・アルトマンという高齢の女性が
遺言と法に従ってアメリカで訴訟を起こし

奇跡的に

オーストリア政府から
本来の持ち主に返還される裁判に勝訴し

この時のマリアと組んだ青年弁護士は
やはりウィーン出身のユダヤ人で
作曲家のシェーブルクの孫でした
(彼の執念の裁判の勝訴には155億の40%の報酬が支払われたらしい)

その他の作品とともに
マリア・アルトマンに返還されたという



そして
高齢だったマリアは2006年の返還後
その年の6月には売却している

その額155億円

もともとオーストリア政府がマリアへの返還の条件として
多くの人々に鑑賞させることが条件だったため

その155億円で購入したロナルド・ローダー氏

NY,五番街にノイエ・ギャラリーを開設し展示
現在も多くの来場者が訪れているらしい





ちょうど、2月に五番街を歩き前を通ったんですが
(メトロポリタンの近所)
よく知らなかったので、残念だったわ

この≪黄金のアデーレ≫を155億円で買い取った
ロナルド・ローダー氏はあの化粧品や香水でお馴染みの
エスティー・ローダー社の社長だった!

なるほどね!

ロナルド・ローダー(Ronald Lauder)はエスティの息子で
駐オーストリア大使だったらしい

そういうワケだったのね

父親のレナード・エスティ氏
ホワイトハウスの顧問、議長でもあったらしい

何々!?

マリアとオーストリア政府の返還条件でもあった

美術館で公開するため開設された

NY.五番街にあるノイエ・ギャラリーですが

なんと
以前にも記事にしたことがありましたが



ジャクリーヌ・オナシス・ケネディ夫人と
ベルギー出身のダイヤモンド商モーリス・テンペルスマンが
晩年住んでいた豪華アパートのすぐ隣みたいなんです


セントラルパークを見下ろす抜群の場所でしたが
メトロポリタンのテンドール神殿からもアパートのビルが見えましたが
豪華アパートの隣なんですね

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ちなみにノイエ・ギャラリーの「ノイエ」は「新」でドイツ語ですか
そう言えば、ベルギーにノイエというチョコありましたけど


NY、五番街のノイエ・ギャラリーには
カフェやレストランもあって

Café Sabarskyでは
ウィーンの名菓ザッハトルテも食べれるらしい



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ウィーンのザッハトルテ
(かなり甘かった記憶)











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# by caramel24carat | 2017-11-18 16:33 | 旅行・建築・アート

バーガンディアイスバーグと韓国ドラマから知った怖い話




今日は穏やかないい日~☀



なので
レースのカーテンを洗い
脱水かけて再びレールに掛けて干しました~


前回
秀吉の黄金の茶室について書いてました時
猩々緋色について知り記事
にした後


たまたま用事があって
ホームセンターに行った際

なんとその店先で
ボルドー色のような
ビロードの花びらが美しい香りのいいバラ
に出会ってしまって

長くしなやかに伸びた枝に咲いている姿は
特に好き

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深いワイン色のフリルのような花びらも好み

タグを見ますと

≪バーガンディ・アイスバーグ≫

なるほど
初心者にも易しい白のアイスバーグなら
前に植えてたことがありましたが

バーガンディ色のアイスバーグがあったのですね!




バラはもうやめてアジサイで行こう~と
決めていましたが

ヤッパリ諦めきれなくて
次の日
買いに走りました

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それにしても
一瞬にして魅了されてしまった


バーガンディ色のアイスバーグ

バーガンディー(英: burgundy)というのは
フランスのブルゴーニュ(Bourgogne)の
英語名らしい

かつてのブルゴーニュ公国の首都ディジョンには
ナンシーのあと行ったことがあったので
なおさら愛着がわきました



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ちなみに
ディジョンはパリのエッフェル塔をつくった
エッフェルの出身地でした



🍷

ブルゴーニュ地方はワインの産地として大変有名ですが
そのワイン色のことヴァーガンディという、らしい

フランスのボルドーもワインの産地として有名ですが
そのワイン色はボルドー色、と云うらしい

2つの色は
微妙に違いがある!のですね

ボルドー色の方が若干明るいらしい





とこで
バラの名前の
「アイスバーグ」は「氷山」のことですが
「冷酷な奴」というような意味もあるんだとか


美しいバラの話からついでに
アイスバーグ絡みで

コワい話をちょっと

アイスバーグは氷山ですが

獲ったお魚は氷の箱に並んでますが
さらに
採れたての新鮮なお魚の鮮度を保つために
血抜きして氷締めにする
という方法があります

いきなりで怖いですけど



先月発覚した
座間で女子高生たちら9人の命を奪った冷酷非道な奴の
事件がありましたが

最初、奴は「内臓は捨てた」と話していたのが
非常に印象的だったのですが

このセリフでふと思い出したのが
韓国ドラマ

以前、韓国ドラマで
まず氷水で血抜きをして〇×という
残酷な臓器売買のマフィアの話があって

コワいもの見たさで
その手口を仰天しながら見たことがあったのですが

何が言いたいかと言えば
韓国ドラマも知らない世界の勉強になる

つまり

座間の事件は臓器売買の裏社会に脅迫されていて
嵌められたか
あるいは共犯者だったか。。

要は
オソロシイ臓器売買のマフィアの絡んだ事件じゃないか

と言いたかったのです、たぶん
9人とは異常!

ほんと気を付けたいです














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# by caramel24carat | 2017-11-15 15:17 | 植物といきもの

豊臣秀頼の書と黄金の茶室と赤い羅紗@MOA



薄曇りから日が差してきました~⛅~☀



この時期はやっぱり
赤い色が相応しいワ

お花も赤いポインセチアやシクラメンが華やか

先日訪れた熱海のMOAにある
秀吉の自慢の
黄金の茶室(復元)は

ゴールドと真っ赤の粋で豪華な設え
緋もうせんのような畳表と
障子の張地の布は羅紗を漉き込んだ手の込んだもの

黄金の茶室
MOAにて 2017.11

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今でこそ夜には電燈が灯りますが

透けた障子から射し込んだ光が
惜しげもなく使われた茶室内の黄金に反射し
妖しく光り輝く極上の空間は

黄金と緋色を見事にバランスよく計算された
コンパクトな空間(約3畳)だが

極楽浄土の世界へ誘う

秀吉ならではの傑作かしら


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天下を取った派手好きの
秀吉の意気込みと財力を顕示した
黄金の茶室ですが

黄金の茶道具一式と全体で金60㎏を使用しているという

しかも折り畳みができる
プレハブ式で

京都御所や名護屋城へも持ち運ばれたというから

秀吉の豪快かつ豪華なおもてなし術には
感服でござる!


黄金の天目茶碗と棗
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やっぱり千利休が制作に関わったのかしら
でもワビの利休とは対極のキンキラだけど?



この復元されたMOAの黄金の茶室は
現代でも
夏には掛川の二の丸美術館へ貸し出されたりしているんですね


ところが残念なことに

実物は
大坂夏の陣の際に消失してしまった、という
(金60kgは残った?)

金(ゴールド)好きな秀吉ですが
実際、金がたくさん採れてたんでしょうね

以前の記事ですがスペインのZARAの創業者にも負けない
当時の世界ナンバーワンの
富豪だったのかも知れない


秀吉の黄金の茶室が
大坂城の夏の陣で焼失した
その戦いでは

秀吉と茶々(淀殿)の息子
豊臣秀頼

徳川家康に攻められて自害した、という

MOAの黄金の茶室には
なんと
その秀頼の毛筆の真書
掛けられていて
驚きました!

秀頼 8歳の書


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どこかのお寺かが所蔵していたらしいですが

MOAでは秀吉の茶室に
息子の秀頼の書を展示してました

「豊国大明神」

実に大らかで達者
とても8歳の子どもの書とは思えません!

腕を大きく構え
筆を持った手がしなやかな感じ

成人した秀頼は巨漢で
196㎝、160㎏
と言われていますが

ひょっとして日本人じゃないDNAが入っているんのかしら?

(例えば、ロシア人のピョートル1世が2m、リンカーンも193cm)

書を書いた8歳でもうすでに大きい子供だったのかしら

家康は秀頼に二条城で初めて会った時
非凡なサマの秀頼がコワくなったという

家康は心中穏やかではなかった、とか
(これはマズいマゴマゴしてはいられない)

秀頼は帝王学をシッカリと学んでいたようです

そのダイジェスト版の教科書のようなものが
狩野派の絵師の美しい挿絵入りで作成されていた


秀頼版≪帝監図説≫慶長11年(1606年)

後に家康も作っているんですね




ところで

当時の南蛮屏風にも風俗が描かれていますが

とってもオシャレな衣装を纏っていて
感心するのですが
(ポルトガル=スペイン・ハプスブルク家伝来か)

黄金の茶室の
赤とゴールドの障子の
赤の部分は
羅紗が漉き込まれている手の込んだものでしたが

羅紗というのは高級品で

安土桃山時代に南蛮貿易で入ってきた
舶来の毛織物の中でも高級品の羅紗はぜいたく品

信長や秀吉などの最高権力者が
陣羽織等として愛用していた
というから驚きです!

猩猩緋羅紗地葵紋付陣羽織(東京国立博物館蔵)
Wikiより

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ビロードのような赤いボルドー色の羅紗で作られ
シルバーの葵のご紋が背中に刺繍され
さらには袖口には毛皮がトリミングされている
とっても素敵な陣羽織!

こんなのあったら欲しいです
(自分ちの家紋入りで)

けっこう欲しい人沢山いるんじゃないかしら!?

この陣羽織の赤味の強い赤紫色は
(ボルドー色のような)
猩々緋色(しょうじょうひいろ)
と呼ばれ
いわゆるエンジ色と区別される

猩々緋色は要するに
ポルトガルやスペインから入ってきた
舶来色
なんですね

なるほどね!










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# by caramel24carat | 2017-11-13 13:06 | 旅行・建築・アート

意外に深いコルジリネの根と霧島の恵など





今日は風はあるものの晴れ渡り気持ちのいい日~☀


ほんとガーデン日和でした


ガーデンセンターへ行き
パンジーやアジサイの苗を買って来て植えました

お店でちょっと気になった~赤い鉢のベゴニア

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写真はないのですが
買ったアジサイの苗は

≪霧島の恵≫といい四季咲き

アジサイに四季咲きってあるのですね!
「寒くなるまで咲き続けるエンドレスブーケ」
ですって!

🌼

あと
サヤエンドウの種をまき
ブロッコリーの苗も買ってみました

野菜はうまくいくかな?




それと
赤い剣のような葉っぱのコルジリネですが
大きく育って3メートルのオバケコルジリネになってしまい
剣のような大きな葉が
ドサッ~ドサッ~と落ちてくるので
夏に思いっきり切ってしまったのですが


そのバッサリ切ってたコルジリネの切り株から
わき芽が出ていたので
移植しようと掘り出しましたら

なんとなんと
根が深くて大きくてお手上げ!

白い巨大な大根のような
見たこともない根

ナンテコッタ!


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手ごわいコルジリネについて調べてみますと

なんと

ギリシャ語で「 こん棒」

という意味があるらしい
うまいネーミングで納得!

名付けた人ってスゴイわ!?
植物の名前の由来って
ギリシャ語が多いけれど
なぜなんでしょうか❓

そう言えば
お店にテラコッタがたくさん並んでたわ

ギリシャ クレタ島産
世界最強

ですって!?

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# by caramel24carat | 2017-11-11 18:33 | 植物といきもの

てるみくらぶ雑感





昨夜の雨も上がりお日さまがあったかい~☀




熱海のMOA美術館は
非常に高い山に建っていて
熱海駅からはバス(8番)で中腹まで登り

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そこから口を開けたようなエントランスから


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さらにエスカレーター(高低差60m、総延長200mに7基)を
乗り継いで
登っていきますが

途中円形の踊り場があって
見上げると天井には
幻惑されそうな同心円状の万華鏡の映像が映し出されている



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さすが高台にあって
眺望は抜群なのですが



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ここへ至るまでの

上り路のバスに関して言えば


🚌

急な曲がりくねった坂道を上る乗り合いバスが

ホントにこわくて、ブレーキのタイミングがズレれば
バスもろとも落っこちてしまうんじゃないかと
ハラハラドキドキしながら
あ~勘弁して~

内心絶叫しながら

あ~神さま!
どうか無事に着きますようにと
苦しい時の神頼みじゃありませんが

ガラにもなくついそんな風に思ってしまいます

ふふ



ところで

MOAは世界救世教という
岡田茂吉教祖さまが建てた美術館だけど

宗教って一体何なんでしょうね?

昨日は

ホントひどい話だけど
旅行代理店のてるみくらぶの女社長が逮捕されました

相当のアクドイ詐欺師のようで
大手の三井住友も騙され多額の融資をしたらしい

ネット情報によれば
八王子にある大星教会という新興宗教に嵌っていたようです

「てるみくらぶ」というのは
「Tell me Club」のことかな?

旅行者にとって
知らない世界に行った際
よくわからない困ったときには
「教えて~」と尋ねますもんね

そう言えば
「法華クラブ」というのを聞いたことがあったけど
なんだか「てるみくらぶ」を連想するわね?

法華クラブがお手本なのかしら?

そうかも知れない
なんだか臭ってきました~

ちょっと
Wikiの「法華クラブ」見てみますと

”熱心な法華経信者であった小島愛之助により、
京都への参拝者などを対象に
1920年(大正9年)9月12日に京都駅前で創業。”

ちなみに、法華倶楽部は
日本初のビジネスホテルで個室を提供したらしい

なるほどね~!?

てるみくらぶの社長は会社倒産まえには
会長室だかで謎の儀式を行っているのを目撃されている!

お線香をモクモク焚いて
お湯もあっちこっちのポットで
大量に沸かして

「南無妙法蓮華経~~」と唱え
謎の儀式をやっていた、と

ということは「法華経」かしら?

そんなわけで
当時の社員らも
訝しがっていたらしい





宗教にお布施は
もれなくついてくるように思いますが

ひょっとして
てるみくらぶの女社長は
その宗教団体に半ば参加していたのでしょうか

人間の弱みにつけ込んだ
正義ぶったイカガワシイ宗教法人って
ほんとコワいね

洗脳された人間って
世間の常識を逸脱していても
その善悪の判断が麻痺していて
鈍ってくるのかもしれない



宗教って
ほんとうにワケわかんないわ







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# by caramel24carat | 2017-11-09 14:05 | ニュース・レキシ

眺めのいいMOA美術館とヘンリー・ムーアの≪王と王妃≫




今日もあったかいいい日~☀



東京からの帰り道
熱海で途中下車

最近リニューアルした
MOA美術館に寄ってきました

お天気もよかったので高台からの眺めが素晴らしい


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前方には相模湾
右手には伊豆半島のシルエット

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高台の広場には

ヘンリー・ムーアの≪王と王妃≫のブロンズ像



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キングとクィーンが仲良く並んで
ベンチに座り相模湾を眺めている

そう言えば

東京にはトランプ大統領夫妻が
来日中ですが

昨夜11月5日のディナーは
銀座の「うかい亭」で
なんと
ドクターXのロケに使われていた
高級鉄板焼きのお店だったんですね

(前に聖ローレンツのシンボル鉄板について書きましたが)
トランプは兵器も買ってちょうだい
と言ったようです







数年前に来たときは
ルーシー・リーの≪器≫展やってました

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MOA美術館は
MOA=Museum of Art(旧:熱海美術館)らしいですが

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ここの創立者は岡田茂吉で
世界救世教の教祖さま!

世界救世教って?


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ここの素晴らしい眺めを見たくて
また来たいと思います


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# by caramel24carat | 2017-11-06 17:28 | 旅行・建築・アート

お天気だった東京と帝国ホテル




今日もお天気~☀



11月3日(金)の文化の日をはさんで
東京へ行ってまいりました~


とっても晴れた温かい日で休日でもあったせいか
東京はどこも賑わっていました


ファーストドーターのイヴァンカさんも
ちょうど2日夕方来日し

宿泊先がまさかの帝国ホテル

3日には
同じ帝国ホテルでちょっと用事もありましたので
(宿泊は別のホテルでしたが)
ビックリ~


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ホテルのロビーには
embassy」の腕章をつけたカメラマンの姿もみえ
その他のお客様も一杯でごった返してました

11月3日朝のテレビでは
イヴァンカさん報道一色でした

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この日はWAWに出席され

可愛いピンクのスーツ姿でしたが
まさかのミニスカートにちょっとビックリ

(3日午前、海外の女性指導者らを東京に招いて
女性政策を議論する国際シンポジウムでは
(女性版ダボス会議)
日本政府はイヴァンカ氏基金に57億円を拠出)




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東京滞在中はピカーンと晴れ渡り
とても気持ちのいい日でした


日比谷通りから 皇居方面をみる

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同3日
国会議事堂前を車で走りましたが
たくさんのデモ隊の人垣に
驚きました

(5日トランプ大統領来日ですからかね)








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# by caramel24carat | 2017-11-05 14:53 | 街と風景

大砲王クルップと馬車でシベリア大陸横断した榎本武揚



今日はホッカホカのいい日でした~☀

ところで

驚きだけど

!!!

榎本武揚という人物は
なんと
ロシアのサンクトペテルブルクへ
三年間、駐露特命全権公使として赴任していたんですね

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血の上救世主教会 2014,8


1874年、3月10日に横浜を出発
パリ・オランダ・ベルリンを経て、6月、サンクトペテルブルグに
着任

そして

着任早々の6月18日
なんと
ロシア皇帝アレクサンドル2世に謁見している
また、20日には一緒にクロンシュタット軍港を視察した、という

しかし

7年後の1881年3月13日(3月1日、ユリウス暦)

ロシア皇帝アレキサンドル2世(Александр II)

社会主義を実現しようとする「人民の中へ」をスローガンに唱える
ナロードニキによって暗殺されてしまったが

テロの現場に建てられた
血の上救世主教会の過去記事

2014.8 サンクとペテルブルクにて


榎本武揚は

翌年
1875年(明治8年)5月7日

駐露特命全権公使として
ロシアの外務大臣アレクサンドル・ゴルチャコフ
樺太・千島交換条約を締結した



月日は流れて
赴任の3年間が終わると

なんと

約12000キロの距離を

鉄道と馬車を乗り継いで

シベリア大陸を横断したという

(66日間の行程だった)

1878年、7月26日、出発~
サンクトペテルブルグからモスクワまでは汽車に乗り
鉄道の旅でしたが

その後は
2頭立ての馬車を2台チャーターし
(武揚、助手、通訳、御者の4人いた)
シベリア大陸を馬車で横断したという!

2ヵ月後
9月29日、ウラジオストック到着

そこで黒田清隆が手配していた汽船・函館丸に乗船し
10月4日小樽に帰着
札幌滞在の後、10月21日に帰京した

ほんとアンビリーバブルな方ですね!

榎本武揚のお父様は日本地図を測量作図した
伊能忠敬の内弟子だったらしい

その父親譲りの何でも見てやろう的な
好奇心旺盛な精神をもつ冒険家でもあったのでしょうか

シベリア鉄道が開通するのはまだ先の
1904年なんですね


まあ、しかし

馬車で寝たりもしたそうですが
約10,000キロ

もう一度言いますが
シベリア大陸を馬車で横断
とはなんという豪傑だったのでしょうか!

ロシア帽を被った榎本武揚
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榎本武揚という人物は
旧幕府軍のリーダーで五稜郭で
討ち死にされたのかと思ってましたが

そんなわけで

強靭に生きてらしたのですね
(歴史疎いものですからほんとごめんなさい)

しかも驚くことに
ロシアからの帰国後は

明治新政府の大臣を歴任しているのに驚きます



第1次松方正義内閣では外務大臣
(1891年5月29日 - 1892年8月8日)

第2次松方正義内閣と第2次伊藤博文内閣では農商務大臣
(1894年1月22日 - 1897年3月22日)

と、大変な有能な人物だったのですね

維新前の幕末の

青年のころには

幕府がオランダに発注(1862年3月)した
蒸気軍艦≪開陽丸≫がらみで
オランダへ5年間留学もしている

1862年6月18日品川を咸臨丸で出発~
8月23日長崎到着後、9月11日、オランダ船カリップス号に
乗り換えて長崎を出発~

途中、ナポレオンの住まいのあったセントヘレナ島を見学し

1863年4月18日、オランダのロッテルダムに到着した

オランダではハーグに下宿し
船舶運用術、砲術、蒸気機関学、化学、国際法を学んだ、という

🚢

ここでふと妄想するのですが

オランダに留学したあと
サンクトペテルブルクを建都したピョートル大帝と
かぶりました~

🚢


榎本武揚はオランダで開陽丸の出来上がる5年の間に
精力的に先進国を訪問している
イギリスでは旅行、造船所や機械工場、鉱山などを視察
フランスのパリへも行き、幕府が軍艦建造・購入の
提案を受けたことで
フランス海軍と交渉したりもした

またプロシア・オーストリア戦争の
戦線見学でデンマークも訪れた

そして

ドイツのエッセンにあるクルップの本社も見学し
アーノルド・クルップと面会したという


クルップは車輪と鉄道のレールで急成長し
やがてスチールも開発

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ニュルンベルクの鉄道博物館にて

クルップ社は
戦争時には大砲や兵器や戦車をも造ったので


アーノルド・クルップは「大砲王」や
また「死の商人」と呼ばれたという

(炭鉱町エッセンにあるクルップ社は
ドイツ最大の鉄鋼・兵器製造企業
新興軍事国家のプロイセンに高性能の大砲を供給していた)


以上
ザーッと榎本武揚という
大変な人物の経歴を眺めましたが


サンクトペテルブルグを建都した
ピョートル1世と似ているように思う


すべて
徳川幕府から明治新政府への
江戸城無血開城は周到に計画されていて

旧幕府軍の反分子を
江戸から一番遠い蝦夷地に
遠ざけた


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榎本武揚はその特命を受けていた
大立役者だった

のではないかしら





バームクーヘンも大好き
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# by caramel24carat | 2017-11-01 21:40

思い出のラントマンのモンブランと≪煉獄≫と≪ストーンウォール≫と≪東艦≫



昨日の午後から雨空です~☔


せっかくのお休みなのに
庭仕事を思いっきりしたかったのですが~




ところで前回、モネの≪積みわら≫眺めながら
モンブランを連想しましたが

モンブランといえば
ウィーンのラントマンで食べたモンブランが
サッパリした甘さで美味しかったこと思い出しました


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ウィーン、ラントマンにて

写真は2013.2のもので
最近は過去モノの使いまわし~
ウフフ

ウィーンのラントマンって
海外一号店が表参道にもあるんですね、驚きだけど




🍰


ところで

ワラといえば「わらしべ長者」なんて言葉がありますが

このラントマンでみた新聞にロスチャイルドの息子の記事があって
そのことについて後にちょっと書いてました


このロスチャイルドの記事の中に
オークラが出てきたりするのですが

創業者大倉喜八郎のつくり上げた大倉財閥は
そもそも鉄砲で儲けた死の商人でもありました

あえて言うならわらしべ長者!?


カツオ節からスタートし
鉄砲~ガス灯~建設業と留まるところを知らない
モンスターのような商人だったようです



両親を亡くした後、姉からもらった餞別金を懐に
16歳で
新潟新発田から江戸に上京し

鰹節ヤの丁稚奉公から
やがて徳川幕府から明治政府への大転換期に独立し大倉商会をつくり

横浜に荷揚げされた鉄砲を
現金商売で旧幕府軍や明治新政府に
敵味方かまわず売りさばいた
商売のモンスターのような人物じゃないかと思うのですが

戊辰戦争も終盤の時

大倉喜八郎は
横浜の鉄砲を扱う商社から
2500丁の鉄砲をドイツ人の船長の船(ドイツ船?)に乗せて

榎本武揚らが追い詰められて蝦夷地の五稜郭に立て籠もっていた
箱館(函館)までどうにか運んだという

リスクなくして巨利は得ずではありますが

どうもここでドイツ人が片棒担いでいることにビックリ!

やっぱり巧妙なドイツ人に乗せられていたのでしょうか

旧幕府軍の写真もちゃんと残っているのに驚きます

誰が撮ったのでしょうか?

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Wikiより引用

以前、映画≪るろうに剣心≫を観たことがあったのですが


後編で
鳥羽・伏見の戦いで焼かれ全身大やけどになりながらも生き延びた
包帯でグルグル巻きの志々雄真実の船
大型甲鉄艦≪煉獄≫には

ロココ調のソファが置かれていて
意外だったのですが

この甲鉄船はフランスのボルドー産を
やっぱり想定していたのかしら?

🍷

戊辰戦争時

新明治政府軍が旧幕府軍に対抗して
大金をはたいて買った軍艦が

通称≪甲鉄≫といい≪東艦≫ともいうらしいですが

この甲鉄艦は
もともとアメリカ名の≪ストーンウォール≫号といい
南北戦争時の南部連合が同盟国であったフランスへ発注され

フランスのボルドーのアルマン・ブラザース社造船所で建造されている

この名前を≪ストーンウォール≫号からやがて帝国海軍の≪東艦≫と変えた甲鉄艦ですが

建造された竣工後

出来上がった船が届けられる内に南軍が負けてしまったという
艦にとっては残念な結果でした

(戦時中、南軍は密かに甲鉄艦を発注していた)

時のナポレオン3世はアメリカへの輸出を禁じていた
当時の国際慣習では
“交戦国へ中立国は武器を輸出しない”となっていたので

アメリカ北軍からもクレームがあり
甲鉄艦≪スフィンクス≫は
スウェーデン経由で一旦デンマークへ売却され
≪ステークオザー(Staerkodder)≫となり

1864年12月
コペンハーゲンでアメリカ南軍に引き渡すため
≪ストーンウォール≫と命名され
アメリカへ回航~

🚢

キューバのハバナへ到着したころ南北戦争は終結
艦の所有はキュ-バ政府となり
のちに北軍(アメリカ合衆国)へ引き渡され繋留されていたところを

幕臣・小野友五郎によって買い付けられた

という、国を転々としその度毎に名前を変えながら
売られてきた
波乱万丈の船だったらしい

 慶応三年(1867)
この艦はニューヨークで幕府に引き渡され
ジョージ・ブラウン中佐以下アメリカ海軍軍人を傭人として雇い
日章旗を掲げて日本へて回航
慶応四年(1868)4月23日横浜へ入港した


この日本にやって来た
≪ストーンウォール≫こと≪東艦≫は


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1861年、アメリカの南軍連合が発注し
フランスのボルドーのアルマン・ブラザース社造船所で
フランス名で≪スフィンクス≫と呼ばれ
秘密裏に建造が進められていたが

同時に
もう一隻≪キーオプス≫号という
姉妹船が建造されていた、という

この姉妹船≪キーオプス≫号はプロイセン(ドイツ)に売却され
プリンツ・アダルベルトPrinz Adalbert)≫と改名され
プロイセン海軍の戦艦第一号として就役した

🚢

ちなみに映画≪るろうに剣心≫登場の
志々雄真実の甲鉄艦≪煉獄≫を
検索してみました


ネットより拝借
元は漫画のお話で映画化されたのかな

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まあ、一目瞭然!

フランス、ボルドー産の≪スフィンクス≫こと
≪ストーンウォール≫=≪東艦≫
とそっくりだわ~アハハ

映画で気になった
ロココ調のソファの画も発見



なんと
このボルドー色のソファですが
(エンディングロールでソファ制作とでてましたが)

今知ったのですが

映画公開当時
新宿ピカデリーにて実物があったみたいです!
なるほどね~

包帯姿の志々雄真実のお人形と記念写真が撮れたらしい
あはは~


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画像は公式サイトより




ところで
ここで驚くべき≪東艦≫の末路がありました

なんと

1895年12月のこと
海軍から払い下げられていた≪東艦≫は
屑鉄業者に払い下げられた後、解体され

明治28年(1895年)12月に開設された
東京電燈会社(東京電力前身)の浅草発電所の
発電機の部品トランスの鉄芯に使われたという

甲鉄艦の胴回りには
純度の高い良質の鉄板が使われていたという

東京電燈といえば
1882年、
大倉喜八郎の銀座大倉組の前の銀座通りで
初めて点灯されたのでしたわ



ドイツ、ハノーファー出身のクリストファー・ノーランの記事も
なんとなく繋がりました~
















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# by caramel24carat | 2017-10-29 12:13 | 建物・アート

モネの≪積みわら≫と雑感




青空が広がり陽だまりがあったかい~☀



なんとも心地いい日ですが

2月のメトロポリタンで観ました
モネの積みわら

≪Haystacks (Effect of Snow and Sun)≫1891


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メトロポリタン美術館、2017.2


モネは
ジベルニーの家の近所の野原で刈り取り積まれた干し草を
朝、昼、日没時と何点も描いてますが



この作品は
雪の朝、お日様が干し草を照らしながら
移ろいく光と影の様子を追いながら
描いたようです

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お日様に照らされた雪化粧の積みわらの色合いとフォルムが
アイスクリームかモンブランのようで
なんだか美味しそう~

そういえばモンブラン食べたいわ



ちょっと愚痴ってみる

日頃、ネットでお買い物&決済に慣れているので

ちょっと用事あって役所や銀行でのリアルな業務対応が
なんとも時間がかかってカッタルクテ若干怒れてきます


役所でも銀行でもリアルな人間のやることって
結構ストレス感じました


あの
話は飛びすぎて恐縮ですが
トヨタまゆこ議員さんの秘書さんて
どんだけな事務処理能力があったのかしら?

昼下がりの雑感でした~













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# by caramel24carat | 2017-10-27 15:28 | 旅行・建築・アート

ある妄想と鉄砲とアマルダの海戦とチェコのショコダ財閥




くもり空が広がっている~⛅


昨日、朝、散歩してましたら
可愛いドングリが転がってました

ところで
〇池さんてパリに行って元駐日大使のキャロラインさんと
会談しているニュースがあって驚きました~

その頃、ケネディ暗殺事件の資料公開という
ニュースもあったりして


一方
勝利したお祝いなのか
自民党の首脳陣は銀座のステーキ屋かわむら(映像に看板が)に
行かれて祝杯をあげられたというニュースもありました

好奇心もありチョッとググってみますと
7万円のコースとは驚きました

なんかドクターXのシーンを思い浮かべましたわ
あはは
しかしみんなお肉が好きなんですね

ちょうど
殉教者聖ローレンツが鉄板で焼かれた記事書いてましたので
なんとも印象的なニュースでした

変わったニュースもありました
エルサレムのオークションで
95年前に帝国ホテルに滞在していた
来日中のアインシュタインの手書きメモが1.8億円ほどで落札されたというもの

内容はドイツ語で
「静かで質素な生活は、絶え間ない不安に縛られた成功の追求よりも多くの喜びをもたらす」
もう1枚あって
「意志のあるところに道あり」

日本人の配達人にチップ代わりにその場で渡したものらしいですが
配達人の親戚のかたはドイツ在住なんですね

ドイツ・ハンブルク(Hamburg)在住で配達人の親戚である匿名希望の出品者によると、「もしあなたが幸運なら、このメモ書きは普通のチップよりもずっと価値が高くなるでしょう」とアインシュタインは配達人



マルティン・ルターの銅像
ドレスデンにて

ローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した
きっかけをつくった人物


2015.7
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ところで

聖ローレンツのシンボルだった鉄板から
に関しての
ある妄想ですが



滋賀県の鉄砲の産地だった長浜は
織田信長の長をとって「今浜」が「長浜」と名付けられた街らしい
と依然知ったことがありました

そのころ
南蛮貿易をしていた信長は
長浜で鉄砲を作らせ交易品として
売りさばいていたんじゃないかという
いきなりの妄想なんですが


その頃布教にやって来ていた
イエズス会の宣教師たちは言ってみれば
精鋭のエリートだったらしい

カトリックにはいろいろ宗派があるらしいけれど
イエズス会に対して清貧をモットーとする
フランシスコ会などもある

1582年、天正遣欧少年使節団を発案した
イエズス会のヴァリアーノは

織田信長と会ってスペインの内情を話して
来るべき戦争用に日本製の鉄砲を大量に依頼してたのかも知れない

そのころスペインの領土だった
ネーデルランドの新教徒(プロテスタント)によって
スペインのフェリペ2世がカトリックを強要したため
反乱を起こし独立運動が起こっていた

後にこれをきっかけにオランダが独立する

ちょうど日本では信長から秀吉そして家康と
オランダ東インド会社へと交易相手が変わりました

1568年から1648年にかけての80年戦争
(1609年から1621年までの12年間の休戦を挟む)

ネーデルランドに肩入れしていたイングランドは
エリザベス1世が統治していたが
女王公認の海賊船がスペイン船の積み荷を略奪していたという
大変困った国の存亡にも関わる由々しき問題もあった

また
陽の沈まぬ大国スペインと新興国でヤクザ?なイングランドとの間の
王位継承権をめぐる陰謀絡みの
メアリー・スチュアートの処刑があった

フランス王フランソワ2世と結婚し王妃でもあった
メアリー・スチュアートは
(1560年、フランソワ2世は16歳で病死したため
翌年1561年8月20日スコットランドに戻る)

フェリペ2世の3番目の妃エリザベート・ド・ヴァロワとは
フランスのルーブル宮で一緒に育った仲良しだった


女王エリザベス1世は
イングランドの王位継承権を持っていた
メアリー・スチュアートを警戒し処刑してしまった
(生前メアリーはフェリペ2世に
イングランド王位継承権について相談し委託していた)

メアリー・ステュアートMary Stuart, 1542年12月8日 - 1587年2月8日(グレゴリオ暦2月18日))は、スコットランド女王(メアリー1世、在位:1542年12月14日 - 1567年7月24日)。スコットランド王ジェームズ5世フランス貴族ギーズ公家出身の王妃メアリー・オブ・ギーズの長女。

ここでビックリ仰天しましたのが

なんと44歳で亡くなった
(1587年2月8日)
メアリー・スチュアートのデスマスクがあったのです
(ちょっと画像を載せるのは躊躇しました)

織田信長のデスマスクは
やはりスペインと関係があったのでしょうか

ここで話は
織田信長に戻って


イエズス会のヴァリアーノから
スペインへの鉄砲を供給して欲しいという依頼を受け
ヴァリアーノ計画に乗った

その鉄砲を運ぶ建前の船団が
天正遣欧少年使節団だったのではないかと妄想

そもそも少年4人をローマ教皇に会すという話そのものが
イマイチ説得力がないように思えてる

カトリックの国スペインのために
イエズス会の宣教師たちが
計画したのが本能寺の変だったのではないか
(武器と人も準備したのではないか)

1588年7月~8月
アマルダの海戦
スペイン艦隊とイングランド軍が戦った結果スペインは負ける



フェリペ2世

スペイン王フェリペ2世は妻のイングランド女王メアリー1世1558年に死去するまでイングランドの共同王であった。敬虔なカトリックである彼は、プロテスタントである義妹エリザベス1世異端者であり、違法なイングランド統治者であると見なしていた。フェリペはエリザベスを打倒して、カトリックであり、かつイングランド王位継承権者である前スコットランド女王メアリー・スチュアートを王位に就けようとする陰謀を支持していたが、メアリーを幽閉していたエリザベスが1587年に彼女を処刑したために阻止されてしまった[13]

スペイン・ハプスブルク家の敗退



ところで
時代は飛びますが

前に
映画≪ラインハルト・ハイドリヒを撃て≫を観ました時に
チョッと知ったのですが

カール4世の建都したプラハのあるチェコは
東ヨーロッパ有数の工業地帯であり
軍需産業及び兵器産業が盛んだったらしい
大戦中の兵器は70%超は
チェコで製造されていたらしいというから
驚きです

鉄砲でCZとつくのはチェコ製らしい

チェコスロバキアは
第一次大戦後にオーストリア=ハンガリー帝国から独立を果たすが
その後の自国防衛のためその辺が発達したらしいとも

1859年創業のショコダ財閥は
ちょうど映画でみたヒトラーが
チェコを併合したころで
戦車をつくっていたんですね



















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# by caramel24carat | 2017-10-25 15:50 | ニュース・レキシ

台風一過の青空とマカオの聖ローレンツ教会




台風一過で真っ青な空が広がっている~☀




まだ風がビュービューと気まぐれに唸っている~


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ところで


前回

ニュルンベルクの聖ローレンツ教会と
その殉教者聖ローレンツについて書いてました時


なんと

マカオ、マカオ

同じ名前の聖ローレンツ教会があると知りました!

そして驚くことに

聖ローレンツは
マカオでは風の守護聖人として崇められていた

マカオにあるカトリック教会である
聖ローレンス教会(聖老楞佐教堂, Igreja de São Lourenço)
別称風順堂

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画像は”マカオなび”から拝借

マカオはポルトガル=スペインの貿易と布教の拠点であった

  • 1580年 - スペイン国王フェリペ2世がポルトガル王位を兼任。
    1582年 - マカオ、フェリペ2世への忠誠を宣言、
    以後マカオ -
    マニラ貿易始まる。

    帆船時代、ポルトガル人はマカオの港から
    よい風にのって無事航海ができるようにと

    港を見下ろす丘に
    イエズス会により
    1558年~1560年(1600年?)の間に建立された

    教会内部の中央祭壇には
    鉄板を持った聖ローレンツが祀られているとか

    聖ローレンツのシンボルである
    鉄板(鉄格子)は
    マカオでもマチガイないですね!

    ここで以前書いてましたある妄想を思い出しました

    1558年~1600年のころでマカオと言えば

    ローマ教皇に会うため出発した
    天正遣欧少年使節団がいました

    その時の旅程

  • 1582年2月20日天正10年旧暦1月28日) 長崎港を出港。
  • 1582年3月9日(天正10年旧暦2月15日) マカオ着。風を待つ。
  • 1583年12月20日(天正11年旧暦11月7日マラッカ・コチンをへてゴア着。
  • 1584年8月10日 (天正12年旧暦7月5日ポルトガルの首都リスボンに到着。


    マカオで風を待つ。その数か月後に

    1582年6月21日(天正10年6月2日)
    日本では織田信長が本能寺の変の
    火災で自害している大事件がありましたが


    織田信長
    本能寺の変後の行方について
    マカオで先発していた
    天正遣欧少年使節団とマカオで合流し
    もっと先に逃れたのではないか
    という妄想で~す

    そもそも死者のデスマスクをつくるなんて
    土着の伝統的な風習は日本では
    みられないのではないのでしょうか?




    本能寺の変から4年後の1586年
    天正遣欧少年使節団の
    ローマ教皇(カトリックの総本山)訪問のニュースが
    アウグスブルグの新聞に載ったという驚きの資料もありました

    アウグスブルクはバイエルン州の都市で
    ミュンヘン、ニュルンベルクに次ぐ3番目

  • b0209886_13355297.jpg


    1586年にドイツのアウグスブルグで印刷された
    天正遣欧使節の肖像画
    タイトルには「日本島からのニュース」と書かれている。
    京都大学図書館蔵。


    イエズス会のフランシスコ・ザビエルの彫像が
    なぜかプラハのカレル橋にある

    前回
    ニュルンベルグのユダヤ人はプラハに逃れた
    っていうのもありましたし。。

    そんなこんなでいろいろ妄想が広がります~












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    # by caramel24carat | 2017-10-23 13:39 | 建物・アート

    ニュルンベルグの聖ローレンツ教会とフラウエン教会とニュルンベルグ法



    今日もアメです~☔


    前回につづき
    ニュルンベルグの聖ローレンツ教会のこと等の記録


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    いきなりですが

    ニュルンベルグの名物といえば
    焼き網でこんがり焼いた
    ニュルンベルガーと言われるドイツソーセージ

    ワタシもカイザーブルグ見学の後
    おビールと一緒にいただきました~

    (レストランはどこもかしこもニュルンベルガー)


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    ブリキのような年季の入ったお皿に
    ちょっとひるみました

    ここで素朴な質問。。

    どうしてニュルンベルクの名物がソーセージなのか!?



    今回
    聖ローレンツ教会のことちょっと調べていて
    聖ローレンツってダレなんでしょうか?
    と基本中の基本がわかりませんでした


    殉教者セントローレンスで調べますと

    なんと
    焼き網に乗せられ
    火あぶりの刑にされたらしいです
    (鉄格子に乗せられて)

    b0209886_10345811.jpg


    そして
    片身が焼けると
    半ば生身の聖ローレンツは
    なんと自ら奇跡の言葉を発したという

    「こっち側が焼けたから、ひっくり返していいよ」
    と言ったとか!

    仰天
    なんというオゾマシサ
    殉教者はツライねどころではありませんが
    そんな鉄格子の上で焼かれた

    聖ローレンツは
    料理人やコメディアンの守護聖人
    なんだとか
    そして
    シンボルはなんと鉄格子(金網)ですって!

    そんなわけで
    名物のソーセージであるニュルンベルガーは
    殉教者聖ローレンツに由来があるんじゃないかと
    1人合点
    妄想しながらもギョッとしました

    ここでで気を取り直して

    朝一番で訪れた聖ローレンツ教会で撮った
    オルガンの動画がありましたので
    聴いてみたいと思います

    なぜか画面がなんでだろう?
    横になってます




    そんなわけで
    1人ニュルンベルガーと聖ローレンツ教会の
    おぞましい因果関係に納得し
    その歴史背景についてちょっと調べてみました


    b0209886_10191976.jpg

    3世紀半ばごろ
    まだローマ帝国だったころ

    教会の名前にもなっている
    聖ローレンツはローマ教皇シクストュス2世の執事で
    教会の財産管理等任されていたらしい



    軍人で元老院に近い
    ローマ皇帝バレリアヌスが
    教会の財産等をこっちによこせよ!
    というわけで
    あっさりローマ教皇シクストゥス2世(258年8月6日死)を
    処刑してしまった

    その三日後には聖ローレンツら7人の執事達も
    火あぶりの刑にされてしまった

    b0209886_11535057.jpg

    一方
    ローマ教皇と聖ローレンツ等を処刑した後

    259年
    軍人でもあったローマ帝国皇帝バレリアヌスValerianus
    軍勢を率いてペルシャに攻め込んだ

    だが
    シャブール1世率いるペルシア軍との戦いに敗れて捕虜になり
    カワハギの刑にされたという一説もあるらしい

    ローマ帝国の皇帝自らが
    敵国の捕虜となった失態は前代未聞のことであった

    というなんともオゾマシイ話なんですが


    b0209886_11370580.jpg
    パイプオルガンの調べは
    どうやら電子オルガンで制御されているようでした



    この聖ローレンツ教会の内部には
    非常にたくさんの祭壇画や装飾彫刻が
    アッチコッチに飾られていて
    よくよく見ますと本当に驚きます!
    今になって知ったことなのですが

    最後の晩餐のレリーフや
    教会を建てたアダム・クラフト自身の彫刻もあるという


    b0209886_11584768.jpg



    ところで
    網焼きされた聖ローレンツの名を冠した教会の他に

    ニュルンベルグには
    クリスマスマーケットとしても有名な
    中央広場に
    聖母教会(フラウエン教会)があります
    (12時には仕掛け時計でお人形が回るらしい)


    b0209886_11510305.jpg
    ここには

    なんとユダヤ人居住区があって
    カール4世の時にユダヤ人の家屋やシナゴークの撤去を命令し
    その騒動でユダヤ人が虐殺されたこともあって

    そのユダヤ人居住区の跡地に
    聖母教会(フラウエン教会)が建てられたらしい

    1348年のことらしい
    迫害を受けたユダヤ人はプラハへと移住したという

    ところで
    ニュルンベルグでユダヤ人とくれば
    ヒトラーのユダヤ人迫害の
    1935年のニュルンベルク法
    そして
    第二次大戦後
    狂気のナチスの戦争犯罪を裁判したニュルンベルク裁判


    ヒトラーが選んだ神聖ローマ帝国のお膝元であった
    ニュルベルグは
    歴史的な史実からも窺える
    因縁の街だったのでしょうか



    フラウエン教会前の中央広場にあったモニュメント
    美しの泉
    ですが修復中なのか
    シートが被せられていました


    b0209886_12423805.jpg

    ドイツ旅行では
    時間も限られているので
    敢えて負の遺産は行きませんでした

    お天気に恵まれおビールや
    アイスコーヒーがホント美味しかったです



    b0209886_12464664.png



    2015年7月の
    二年前の思い出のドイツ旅行から












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    # by caramel24carat | 2017-10-22 12:51 | 旅行・建築・アート

    ニュルンベルグ広場に響く歌声~♪



    今日はアメです~☔



    前回、突然思い出し登場したニュルンベルグですが


    聖ローレンツ教会にて
    2015.7

    b0209886_13563708.jpg



    写真眺めてましたら

    聖ローレンツ教会前の広場で撮った動画がありました

    いや~ん、なつかしい~



    というわけで

    思い出にその動画をアップしました


    2015.7



    シンガーさん発見
    b0209886_14135192.png


    ちょっと見苦しいけれど

    バックにきれいな男性の歌声が入ってました
    (男性のギターの弾き語り)










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    # by caramel24carat | 2017-10-21 13:34 | 旅行・建築・アート

    神聖ローマ帝国の紋章とニュルンベルグ城




    昨夜からアメです~☔



    紅葉の進んでいるモミジ
    緑から赤へのグラデーションが綺麗


    🍃

    赤いレンガ色の街並みが印象的だった
    中世のままのニュルンベルグのことを記録

    デューラーのアトリエの窓から
    お向かいに聳え立つニュルンベルグ城の
    塔が見えました


    b0209886_11285501.jpg


    デューラーの住まい&アトリエを見学のあと

    b0209886_10094895.jpg


    デューラーのお家の前広場には
    お城へ通じるトンネルがあり

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    くぐって登っていきました

    けっこうな石畳の登り坂できつかったです

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    いきなり
    二年前のドイツ旅行で行った
    ニュルンベルグ登場ですが

    前回

    オーストリアで貴族然とした31歳首相誕生か!

    について書いてました時
    ハプスブルグ家の紋章である双頭の鷲を
    アレンジしたオーストリア共和国の旗について知り

    ああ~~それそれ、と

    ニュルンベルグ城でミタ
    城門に描かれた双頭の鷲のこと思い出しましたので
    その時のことをメモ

    お城へのかなり急な坂道を
    右手に巨大な岩肌を眺めながら
    登っていきますと


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    途中
    大きな門扉が開かれてました

    ふと見ると
    木の門扉には双頭の鷲が描かれてました


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    なかなか迫力があり
    印象的でした

    代々の神聖ローマ帝国のカイザー(皇帝)が時々住んでいた
    カイザーブルグ(皇帝の城=ニュルンベルグ城)の
    巨大な門扉に描かれた双頭の鷲ですが

    15世紀以降
    ハプスブルク家が
    神聖ローマ皇帝を独占していたので
    ハプスブルク家の紋章でもあったのですね

    ちなみに
    神聖ローマ皇帝カール4世以降
    帝国議会がニュルンベルグ城で100年ほどの間
    慣例化されていたようだ

    現在、欧州評議会ってあるらしいですが
    カール4世以来の帝国議会みたいなものかしら?



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    ニュルンベルグ城の中庭

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    このニュルンベルグ城ことカイザーブルグ(皇帝の城)は
    天然の巨大な岩盤上に代々の皇帝によって増築されて来た
    神聖ローマ帝国の皇帝の居城であり要塞ですが

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    神聖ローマ帝国の城下町でもあった
    歴史あるニュルンベルグの街は



    後年

    ヒトラーのナチ党の本拠地でもあったらしく
    第二次世界大戦では連合軍に徹底的にやられ
    街の90%ほどが壊滅してしまったらしい
    (ドレスデン同様)

    現在の街並みは復興で復元されたものというから驚きです!



    ドイツ人の頑固な物創り魂によって
    中世の街並みが徹底的に忠実に再現されているのでしょうか

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    ワーグナーのオペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は
    ここが舞台なんですね

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    ニュルンベルグには
    鉄道博物館やおもちゃ博物館もあって
    とっても楽しいところでした



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    ドイツ旅行ってホテルもいいしICEも快適だし


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    また行けるものなら行きたいけどね


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    🍺








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    # by caramel24carat | 2017-10-19 12:51 | 旅行・建築・アート