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メラニーからデ・ハヴィランド家を知る



映画『風と共に去りぬ』のメラニー役のオリビア・デ・ハビランドさんについてなど



@お天気です。三寒四温の周期からいえば本日から温かくなるかしら~☼



前回につづき、映画『風と共に去りぬ』からですが、アシュレーの妻役で美しく優しいメラニー役のオリビア・デ・ハビランド(Olivia Mary de Havilland (born 1 July 1916~))さんですが、wikiによれば、アカデミー主演女優賞を2度受賞した名女優で、なんと、現在もパリにお住まいでご健在でいらっしゃるようです。

『風と共に去りぬ』(1939年)の宣材写真。メラニー・ハミルトン役のオリヴィア・デ・ハヴィランド
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まだ、ご健在であるということと、さらに驚いたのが、なんと日本生まれ!

最近のメラニーさんことオリヴィア・デ・ハヴィランドさん
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2008年、11月8日。当時のアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュから、芸術分野の顕彰としてはアメリカ最高位の国家芸術メダル (en:National Medal of Arts) が贈られている。

オリビアには妹があり、妹ジョーン・デ・ハヴィランドも日本で生まれている。また、彼女もジョーン・フォンテイン(英:Joan de Beauvoir de Havilland、1917年10月22日 - 2013年12月15日)という名女優なのだそうです。

英国で活躍していたヒッチコックの渡米第一作となったいう『レベッカ Rebecca』に出演していたんですね。
今度、観直してみたい。
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美貌姉妹のオリヴィアとジョーンのイギリス人ご両親は、1914年11月、来日前に、パナマ運河を通ってナイヤガラの滝へ寄った後、11月16日NYで結婚している。その後1914年11月30日、日本に来てます。
父親のウォルター・オーガスタス・デ・ハヴィランドWalter Augustus de Havilland(1872年8月31日 - 1968年5月23日)が、東京帝国大学の英語教授として招聘されたためのようです。妹ジョーンが生まれたときには、特許弁護士をしている。

↓を読むと、1913年に、なんと、母親リリアン, Lillian Augusta Ruse de Havilland Fontaine( 11 June 1886 – February 20, 1975 (aged 88)) の兄弟が、早稲田で音楽を教えていたので訪日した時、2人は東京で出会っているようです。
At first, Walter taught English and French in Hokkaido while waiting to obtain his Japanese law degree. He later taught in Kobe, and finally in Tokyo, where, in 1913, he met Lilian Augusta Rus� (1880 or 1886-1975), Walter’s first wife and the future mother of Olivia de Havilland and Joan Fontaine. She was in Tokyo visiting her brother, who was teaching music at Waseda University. By this time, Walter, who had become a leading authority in Japan on patent law, was a prominent professor of law at the same university.

しかし、母親リリアンとウォルターは不仲でもあり、姉妹が生まれた後、病気がちな姉妹には日本は合わないと考えイギリスへ帰国する途中で立ち寄ったカリフォルニアに3人は定住することになってしまう。父親ウォルターも一緒に同行したが、途中で、後に結婚する日本人家政婦ユキと日本に戻ってしまう。別居していた両親は、1925 年2月23日に離婚してる。母親リリアンがもとイギリスの女優であったこともあって、大女優姉妹がカリフォルニアで誕生することになる。妹が、デ・ハヴィランドを名乗らずフォンテンなのは、姉のオリビアが、同じ女優としてあまりよく思わなかったらしい。フォンテン姓は、リリアンの二度目の結婚相手の姓らしい。フォンテインは16歳のときに、父ウォルターと暮らすために日本へと戻っている。日本でアメリカン・スクールに入学し、1935年に卒業した。
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In 1933, Walter returned to California and visited with his two daughters for two weeks. At the end of this period, it was decided that Joan would return to Japan with her father and resume her schooling there. At this time, the de Havillands were living at Tokyo’s Imperial Hotel where they had taken up residence since their marriage
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父親ウォルターも1968年96才まで、長生きしている。
デ・ハヴィランドというフランス系貴族っぽい名前ですが、先祖はチャネル諸島ガーンジ島の出身。

さらに、デ・ハヴィランド家ですが、なんと、オリヴィアの父方の従兄ジェフリー・デ・ハヴィランド(en:Geoffrey de Havilland(27 July 1882 – 21 May 1965)) は、イギリス空軍の爆撃機デ・ハヴィランド・モスキートの設計者で有名で、後に航空機メーカーであるデ・ハヴィランド・エアクラフトの創始者となった人物だという。
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Geoffrey de Havilland at Perth, Western Australia, after winning the fastest overall time prize in the 1929 Centenary Air Race.


デ・ハヴィランドという名前どこかで聞いたような気がしていたのですが、今年1月に訪れた浜松航空自衛隊エアーパークに、デ・ハヴィランド社の飛行機が展示されていたのを思い出しました。

英国デ・ハビランド社製<DH115バンパイア>  (T.Mk55練習機)
2014.1 浜松エアーパークにて
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航空自衛隊では1956年1月に、1機購入し、データ取りし国産ジェット機T-1を開発したらしい。
また、サイド・バイ・サイドといって並列複座、平たく言えば、自動車教習所の教官と練習生のように並んで座れるので、教育用の練習機として都合がよかったらしい。
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で、デ・ハヴィランド家に戻りますが、デ・ハヴィランド社の創立者の息子ジョン・デ・ハヴィランドは、モスキーノのテストパイロットとして試験飛行中に事故で亡くなってしまう。24才。
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John de Havilland, (born 17 October 1918, Edgware, Middlesex – died 23 August 1943 near Hatfield, Hertfordshire) was a British test pilot.

デ・ハビランドDH98モスキートは、木製でしたが、、南米エクアドルから運んで来たバルサ材だったという記述あり。

@『風と共に去りぬ』Gone With the Wind)とは、48歳で亡くなったマーガレット・ミッチェルの長編時代小説ですが、南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」という意味があるらしい~。

メラニーからモスキートまで、意外なつながりがあって驚きました。

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by caramel24carat | 2014-03-09 15:00 | 歴史・人物
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