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Caramel 24 Carat

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ミクルマカエシ 御車返しの桜



ミクルマカエシは初めて見るサクラでした




@雨がパラパラ降ったり、また晴れたり~~


大変綺麗な薄いピンクの大輪のサクラですが、これまで聞いたこともない名前でした。
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ミクルマカエシ!?大ぶりの花をみて、外来種かなとも思いましたが、

ミクルマカエシ 御車返しの桜_b0209886_14372765.jpg


調べてみると、「御車返し(ミクルマカエシ)」と漢字名がついていました!?
その名前の由来は、なんと、平安時代の嵯峨天皇(在位809~823)にまで遡る~

「地主桜」と言われ、一本の木に八重と一重の花が同時に咲く珍しい品種。いにしえより、天下の名花と謳われた。平安時代の初め、嵯峨天皇行幸の折、あまりの美しさに、ニ度、三度と、御車を引き返しては、見事に咲く花を眺められた故事により、「御車返しの桜」とも呼ばれる。

2014.4.2 高輪プリンスの日本庭園にて 
ミクルマカエシ 御車返しの桜_b0209886_16144954.jpg

八重の花はついていたのかな?気がつかなかったけれど。。
ミクルマカエシの名前の由来を知っていたならば、もう少しキチンと観察していたでしょうけれど。。残念

まさに、御水尾天皇(第108代天皇在位1611-1629)は、確かめに引き返したようです。

御水尾天皇説
”昔、御水尾天皇が御車に乗ってこの桜の前を通りかかった時そのあまりの美しさと、一重桜なのか、八重桜なのかを確かめようと御車を引き返したことからこの名前がついたといわれています。
この桜の特徴は、一重(ひとえ)と八重(やえ)の花が入り混じってひとつの樹に咲き、毎年一重と八重の咲く位置も変わるといわれています。
京都では、京都御苑の北側、今出川御門を入ってすぐの近衛家邸宅の跡地にある桜が有名”
だそうです。


以下地主(じしゅ)神社サイトより引用、抜粋

❀嵯峨天皇と「御車返しの桜」について

平安遷都から15年。ようやく落ち着きつつあった809年、嵯峨天皇は、病のために皇位を退いた兄にかわって即位しました。時に、24歳という若さ。しかし、間もなく天皇ご自身も体調がすぐれずにいた翌年、思いがけない事件が起こります。

兄である平城上皇の寵妃の薬子が、薬子の兄にあたる藤原仲成と謀り、多くの官人たちを引き連れて平城遷都を断行したのです。京に、嵯峨天皇。奈良に、平城上皇。人々は二分し、都人の心は大いに乱れました。

この混乱を抑えようと、嵯峨天皇は薬子の官位を影奪します。が、あろうことか薬子らは断固として戦う構えをみせ、畿内や紀伊の兵を集めて都に攻め上ろうとしていました。
そこで、嵯峨天皇が最後の頼みの綱としたのが、坂上田村麻呂です。

田村麻呂は、当時53歳。しかし、嵯峨天皇の父・桓武天皇から、二度も征夷大将軍に任ぜられたほどの優秀な武将でした。
田村麻呂は、すぐに兵を指揮して薬子らのもとへと攻め入りました。「あの田村麻呂が来た」というので、薬子らが集めた兵は、たちまち逃亡。劣勢を悟った薬子は毒をのみ、藤原仲成は射殺されます。また、平城上皇は落飾して出家の道を選ぶという悲劇のうちに、事件は幕を閉じました。これが、後の世にいう「薬子の変」です。

再び、京の都が落ち着きを取り戻しつつあった811年。嵯峨天皇は、伴の者を引き連れ、地主神社へと行幸されました。神代から鎮守の社として伝わる地主権現に、末永く都の平安を祈ろうとされたのでしょう。

祈願を終え、帰途につこうとする牛車を、嵯峨天皇は二度、三度と引き返らせます。時は春。境内には、地主桜が今を盛りと、一重に八重に咲き誇っていました。

思えば、都は平安となったものの、血を分けた兄は仏門に入り、自分たち兄弟のために命を落とした人もいる。もうこんなことのないように都を治めよう…と地主桜に誓われたのでしょうか。嵯峨天皇は、心ゆくまで花を愛でられたのです。

一方、田村麻呂は、「薬子の変」を征圧した後、最後の仕事を終えて安心したかのように世を去りました。そして、嵯峨天皇は、その深いご縁に感謝を込めて、田村麻呂が仕えた桓武天皇をお祀りしたともいわれる地主神社に、田村麻呂を祀られたのではないでしょうか。今でも、地主神社には、田村麻呂が奉納したとされる刀が伝わっています。

また、嵯峨天皇が都の平安を願う心は、さらに広がってゆきます。その一つが、賀茂社に斎院を創設し、わずか4歳の有智子内親王をお仕えさせたこと。以来、歴代の内親王が斎王として賀茂祭に奉仕する“斎院の制”が始まり、朝廷の祭祀として人々の尊崇をうけました。これが、現代に伝わる「葵祭」となったといわれています。

あれから千年以上の時が流れ、地主桜は、いつしか「御車返しの桜」と呼ばれるようになりました。今なお春がめぐり来るごとに、変わらぬ美しい姿を、私たちに見せてくれています。

以上、京都「地主神社」サイトより引用

❀地主桜でえんむすび祈願

http://www.jishujinja.or.jp/jishu/gyouji/sakura/index.html
by caramel24carat | 2014-04-04 16:31 | 植物といきもの | Comments(0)
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