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Caramel 24 Carat

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ナガノパープル




黒系のブドウ”ナガノパープル”



@集中豪雨で大変な惨状に絶句です
真黒い雲を早めに察知し散らしてしまう方法はないのでしょうか?



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今年、初めて食べました”ナガノパープル”
皮ごと食べられ、種なしでほんとに甘くて爽やか


ナガノパープル一房を食べると、赤ワイン1本分と同程度のレスベラトロール(ポリフェノールの一種)を摂取できるそうです。
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@ところで、映画「るろうに剣心」の最後シーンで不気味な戦艦が登場するのですが、
動力は、何で動くのでしょうか?冒頭のシーン摂津鉱山の坑内にも驚きましたが。

昔「戦艦ポチョムキン」なんて映画があったのを思い出しました(観てませんが)。ポチョムキンは女帝エカテリーナ2世の愛人だったということですが、軍人としても有能だったらしく、クリミアをトルコと戦ってロシアの領土としたのはポチョムキンの手柄だったという。

ポチョムキンは、1791年10月に亡くなっていますが、同じ年の数カ月前、1791年6月に、サンクトペテルブルクにあるエカテリーナ宮殿の「琥珀の間」で、伊勢亀山出身の船頭大黒屋光太夫は、はるばるシベリアを横断してサンクトペテルブルグに行き、女帝エカテリーナ2世に謁見し帰国願いを出している。。無事許可され帰国することができたという。
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廻船の船頭だった大黒屋光太夫は、江戸へ向かう途中遠州灘で嵐にあい遭難し流され漂着した所がアリューシャン列島アムチトカ島。そこで数年の時を過ごし、鎖国中の日本へ帰国できるようシベリアからサンクトペテルブルクへと向かったのだという。1792年2月、A.ラクスマンとともに女帝の親書をたずさえて根室に来航、無事帰国後は、蘭学者や知識人たちと交流し、ロシア語をはじめとするロシア文化や西洋の知識を広めた!ということらしい。

大黒屋光太夫記念館前の大黒屋光太夫の銅像   伊勢若松
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以前、ジョン万次郎にも驚きましたが、まさに、大黒屋光太夫は奇蹟の人ですね!
お代官さまみたいな名前ですね。

グリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキン(1739年9月13日(グレゴリオ暦9月24日) - 1791年10月5日(グレゴリオ暦10月16日))ですが、
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政治家・軍人として女帝エカテリーナ2世と不可欠のパートナーであったわけで、そうするとポチョムキンの戦略でもあったのでしょうね。ポチョムキンの日本への関心というか野望が、大黒屋光太夫をサンクトペテルブルグに呼び寄せ、エカテリーナ2世と「琥珀の間」で謁見させたのでしょうか?
しかし、エカテリーナ2世の親書をもったラスクマンらが日本へ着く前に亡くなってしまっていますね。。
by caramel24carat | 2014-08-23 18:47 | 暮らし・ハイ句 | Comments(0)
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