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イヴァン・アイヴァゾフスキーの≪第九の波≫





ロシア美術館のイヴァン・アイヴァゾフスキーの≪第九の波≫についてなど



@昨日は晴れて暑いくらいでしたが、今日は、室内温度20℃を下回り涼しい~小雨がふったり日が射したり~☂~☼
風が強くなってきました~台風19号北上中らしい

 


St.ペテルブルグのロシア美術館前の白いベンチとゴミ一つ落ちてないキレイに手入れされた広場
ロシアで印象的だったのは“ゴミが落ちてない”ことでした。
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前回のカルル・ブリュロフの≪ポンペイ最後の日≫と同室に、向かい合って展示されていました
傑作イヴァン・アイヴァゾフスキーの≪波≫と≪第九の波≫です~
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こちらは≪波≫1889年制作  
向かい合う≪ポンペイ最後の日≫負けない大作です。
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大きな絵の前に立ちますと、リアル感いっぱいで大波に飲みこまれそうな迫力があります~
ほぼ画面いっぱいの嵐の海のなか画面の角に小さく描かれた遭難船は舞い狂う大海の木の葉のようです
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荒れ狂う怒涛の嵐の海に投げ出され、横倒しになった帆船のマストにしがみつく数名の船員たち。
必死の叫びが聞こえてきそうな、アッと息を飲むリアリティー~
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彼は、ひょっとしてマストに身体をくくりつけてスケッチしたのでしょうか?
現代の報道カメラマンにも通じるような、危険を顧みず果敢に挑んでいく“制作魂”に感動します!

イヴァン・アイヴァゾフスキー(Ivan Aivazovsky :1817-1900)は、ウクライナ生まれアルメニア人のロシア人画家
 後期ロマン主義の風景、海洋画家。

イヴァン・アイヴァゾフスキーの≪第九の波≫ 1850年
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こちらの≪第九の波≫は1850年制作ですが、、1889年の≪波≫よりずっと前に描かれたものになりますが、描かれた情景からみれば、こちらの≪第九の波≫を後に眺めたい。
一昼夜闘った嵐もようやく去り、どうにか助かった船員たちの安堵と喜びと希望の情景ではないでしょうか!
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暗闇から一転し昇る朝日に波頭煌めく海、船員たち“歓喜の声”が聞こえてきそうな。。

横倒しになったマストを拡大しよく眺めてみますと、なんと
Айвазовский 1850」とロシア語が刻まれている?そっか~
「アイヴァゾフスキー1850」とマストに署名を入れてたんですね!
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船員たちの服装が、ロシア人というよりターバンを巻いたりしてなんとなく異国人みたいな、トルコ人!?
いつものWiki読みますと、アイヴァゾフスキーは、なんと、オスマン帝国の宮廷画家に任命されていたんですね!

以下Wikiより抜粋

“1845年にスルタンのアブデュルメジト1世に招聘されてイスタンブルに行き、その後も含めて1890年まで計8回同市を訪れた。イスタンブルに長期滞在中に、オスマン帝国の宮廷画家に任命され、歴代皇帝(アブデュルメジト1世、アブデュルアズィズ、アブデュルハミト2世)から数々の作品を委嘱されている。そのうち30点は現在もドルマバフチェ宮殿に飾られており、その他の多くの委嘱作品は、トルコのさまざまな美術館に展示されている。”


@しかし、なぜに≪第九の波≫と言うタイトルなんでしょうか?と素朴な疑問を持ったりしました。。
「第九」と言えば、真っ先に思い浮かぶのは“ベートベンの第九、・歓喜の歌”ですが、
何か関係があるのでしょうか?
波の周期のことでしょうか?第九番目は静であるとか?


なんと、「第九」でヒットしたのが、徳島県の鳴門でした!驚き!
鳴門と言えば、鳴門の渦ですが、
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“国内初演の第九
1918年6月1日に、ドイツ兵捕虜により「第九」全曲演奏されたのが、日本における初演とされています。この事実は1941年に、この初演の2ヶ月後に板東収容所で「第九」(第1楽章のみ)を聴いた徳川頼貞が書いた『薈庭楽話』で明らかにされていましたが、長く無視され、1990年代になって脚光を浴びました。

「第九」交響曲演奏会
鳴門市では、国内で初めて演奏された6月1日を”第九の日”と定め、6月の第一日曜日に、県内外から500余名の合唱団が合流して国際色豊かに、第九のふるさとならではの演奏回を開催しております”

徳島県観光、阿波ナビ
http://www.awanavi.jp/feature/daiku.html

@徳島、鳴門市には、大塚国際美術館ってスゴイ不思議な美術館もあるのですね!
http://www.o-museum.or.jp/

以下メモとして、Wikiより抜粋、転載

イヴァン・コンスタンチノヴィチ・アイヴァゾフスキー(ロシア語: Иван Константинович Айвазовский, 1817年7月29日 - 1900年5月5日)はウクライナ生れのロシアの画家。民族的にはアルメニア人で、作品のいくつかにアルメニア文字で本名ホヴァネス・アイヴァジヤーン(Հովհաննես Այվազյան)と記入している。

おびただしい数の風景画を残したが、その大半が海をモチーフにしており、ウィンズロウ・ホーマーと並ぶ海洋画家である。

クリミア半島のフェオドシヤに、貧しいアルメニア人を両親に生れる。傑出した画才ゆえに援助金を受けてシンフェロポリのギムナジウムに入学。その後はペテルブルク美術アカデミーに進み、金メダルを得て卒業した。初期の風景画や海洋画で稼いだ賞金でクリミアに行き、黒海沿岸の諸都市で肖像画家として活動した後、ヨーロッパ各地を旅して回った。後に海洋画の評判によってロシア海軍から長年にわたって作品を委嘱されるようになった。



クリミア戦争と勝利
ムスタファと協力してトルコの近代化に務ていたさなか、ロシア帝国のニコライ1世がトルコ領内のギリシア正教徒の保護を理由として1853年、トルコに戦争をしかけてくる。これがクリミア戦争である。

当初は強力なロシア軍の攻撃を受けて連戦連敗したが、やがてロシアの進出を恐れたイギリス・フランスのナポレオン3世・サルデーニャ王国などの援助を受けて盛り返し、1856年には勝利した。

そして、ムスタファを全権大使として派遣し、パリ条約を結んだ。これにより、トルコの国際的地位を高めたのである。また、この戦争の反省からギリシア正教徒の社会的平等を承認している。
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by caramel24carat | 2014-10-13 11:50 | 旅行・建築・アート
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