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Caramel 24 Carat

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アレクサンドル1世と≪第九≫と≪ヴァイオリン・ソナタ≫





ベートベン作品、第九とアレクサンダー・ソナタについて



@なんだかずい分涼しくなりました~☂


もう十月も半ば。



暮れになると“第九”が何故かあちらこちらで合唱されるようですが。。

エルミタージュの中庭を眺める
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今回、初めて知りましたが、ベートーベンの交響曲第九番は1824年5月7日に初演され、当初、ロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈される予定だったという。しかし、1825年、黒海の北部、アゾフ海沿岸のタガンログ離宮で急死したため、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に献呈された。らしい。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)
交響曲第9番ニ短調作品125 (ドイツ語: Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125)は、
ベートーベンの9番目にして最後の交響曲。

エルミタージュにて  アレクサンドル1世の肖像画 
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“アレクサンドル1世(ロシア語: Александр I: Aleksandr I、アレクサンドル・パヴロヴィチ・ロマノフ、ロシア語: Александр Павлович Романов, 1777年12月23日 - 1825年12月1日)は、ロマノフ朝第10代ロシア皇帝(在位:1801年3月23日 - 1825年12月1日)、初代ポーランド立憲王国国王(アレクサンデル1世、在位:1815年6月9日 - 1825年12月1日)、初代フィンランド大公(アレクサンテリ1世、在位:1809年9月17日 - 1825年12月1日)。”


この方は凄いですね!ロシア皇帝にしてポーランド初代国王、さらに初代フィンランド大公、しかも、あのナポレオン・ボナパルトを破って最強の皇帝になったんですね。

アレクサンドル1世は、父親パーヴェル1世の第1皇子で(*第4皇子はロシア美術館になっているミハイロフスキー宮殿を建ててもらっている)、女帝エカチェリーナ2世の孫にあたり、幼くして親元から引き離され、女帝エカチェリーナ2世の手元で、特に可愛がられて育てられたという。
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ベートーベンは、1802年に作曲したヴァイオリン・ソナタ第6番、7番、8番も、ロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈し、3曲をまとめて、通称「アレキサンダー・ソナタ」、または「アレクサンドル・ソナタ」と呼ばれているらしい。

エルミタージュにて 素晴らしいピアノ
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当時、王侯貴族や大富豪に曲を献呈し謝礼金を受け取る習慣があったようです。
ベートーヴェンに限らず、当時の音楽家は、王侯貴族や大富豪に作品を献呈し、それに対する謝礼金を受け取ることで収入の一部にしていた。らしい。

また、ベートベンは、アレクサンドル1世がナポレオン1世を破った後、1815年のウィーン会議に出席のためウィーンに滞在中、皇后エリザベータには≪ポロネーズ(ハ長調op.89≫)を献呈している、という。
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エリザヴェータ・アレクセーエヴナ(Елизавета Алексеевна / Elisaveta Alexeievna, 1779年1月24日 - 1826年5月4日)は、ロシア皇帝アレクサンドル1世の皇后。カールスルーエで、バーデン大公女ルイーゼ・マリー・アウグステ・フォン・バーデン(Luise Marie Auguste von Baden)として生まれた。
1793年、アレクサンドル皇太子と結婚する。1801年3月23日に即位し、アレクサンドルが皇帝となり、エリザベータも皇后となる。

翌年、1802年に、ベートーベンは、“ヴァイオリン・ソナタを3曲”献呈していますから、皇帝になったお祝いの意味もあったのでしょうか?

ベートーヴェン : ヴァイオリン・ソナタ 第7番 ハ短調
Beethoven, Ludwig van : Sonate für Klavier und Violine Nr.7 c-Moll Op.30-2

https://www.youtube.com/watch?v=EQVixrP7Sxs
Beethoven.Violin.Sonata.No.7.op.30.No.2.
[Anne-Sophie.Mutter.-.Lambert.Orkis]


このエリザベータの肖像画を描いているのは、なんと、マリー・アントワネットがお気に入りだった
エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブランです!

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フランス人画家ですが、フランス革命の中、パリを脱出し、ロシア・St.ペテルブルグまでやって来ていたのですね!

エルミタージュにて 
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの自画像 1800年
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Elisabeth Louise Vigée Le Brun
b. 1755 Paris, d. 1842 Paris

アレクサンドル1世がリーダーシップをとったというウィーン会議は、”会議は踊る、されど進まず”という有名な言葉がありますが、ナポレオン1世がエルバ島を脱出したという情報が流れると、
ぱっぱっと決まったようです。

王様のケーキ
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ウィーン会議についてのメモ Wikiより抜粋

”ウィーン会議は、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進捗せず、「会議は踊る、されど進まず」と評された[1]。

1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出したとの報が入ると、危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日にウィーン議定書が締結された。このウィーン議定書により出現したヨーロッパにおける国際秩序は「ウィーン体制」とよばれる。

*スイス連邦  新たに5つのカントン(州)を加え、永世中立国として承認される。”
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by caramel24carat | 2014-10-15 17:30 | 旅行・建築・アート
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