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Caramel 24 Carat

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グラスノスチ



グラスノスチってな~に。。



@小春日和というのか、あったかいひが続いてます~☼


ちょっと「グラスノスチ」って調べていたのですが、“ぐらすのすち”と入力すると「グラスのす血」って気まぐれ変換され、ドキッ!

モスクワ、クズネツキーモスト近くを散策していた時にみました
ロシアの諜報機関KGBの旧本部。写真の左側の黄色い建物。

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「ペレストロイカ」と言えばゴルバチョフ(任期 1985年3月11日 – 1991年12月25日) 、と反応できるのですが、旧ソ連時代のゴルバチョフが書記長の時、1986年、チェルノブイリ原発事故が起こり、その情報が、国の最高司令部のトップであるはずのゴルバチョフ元書記長まですぐには届かなかったらしい。そんな国の一大事な時に情報が届かない!?いったいどうなってるんだ秘密主義は困ったもんだと、ペレストロイカ(改革)の一環としての情報政策「グラスノスチ(情報公開)」を展開していったらしい。
”共産貴族”なんて人たちもいたんですね!ひょっとして、ロシアんマフィアのルーツは共産貴族なの?

以下メモ Wikiより転載

グラスノスチ(ロシア語: гласность、glasnost)とは、ゴルバチョフ時代のソビエト連邦においてペレストロイカ(perestroika、改革)の重要な一環として展開された情報政策である。日本語では「情報公開」などと訳される。



解説[編集]

1986年4月に起こったチェルノブイリ原発事故では、書記長であるゴルバチョフの元になかなか情報が届かず、ソ連のセクショナリズム・秘密主義が、国の最高指導者の行政にまで影響を与えている現実を突きつけた。業を煮やしたゴルバチョフは、体制の硬直化による種々の社会問題を解決するために、言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われた。

ペレストロイカ推進のためには従来の社会主義的イデオロギーの枠を超えた発想が求められた。そのため今まで抑圧され続けていた改革派の知識人をあるいは学者をペレストロイカに巻き込む必要があった。1986年末までには、一部のテレビ・新聞がソ連社会の問題点を率直に批判できるようになった。また、ブレジネフ政権のアフガニスタン侵攻を批判してゴーリキー(現・ニジニ・ノヴゴロド)に幽閉されていた科学者アンドレイ・サハロフも釈放された。

1987年頃より、ブレジネフ時代に上映を禁止されていた映画が次々と公開された。党の統制下に置かれない市民団体の結成などもみられた。歴史学においてもネップ(新経済政策)の再評価、1930年代の大飢饉の考察や、大粛清における犠牲者の名誉回復など、それまでタブー視されていたテーマが扱われ始めた。

それまで西側にとって秘密のヴェールにつつまれていた軍事面の情報も徐々に公にされるようになり、1986年には、空軍の新鋭戦闘機MiG-29がフィンランドのクオピオ・リッサラ基地を親善訪問した映像が世界に配信され、1988年にはイギリスのファーンボロー国際航空ショーに出展、更に翌年にはSu-27、Su-25、Mi-28など最新鋭の軍用機がパリ航空ショーに出品披露されるなど、積極的な公開が進んだ。

このように、一連の改革はソ連邦の民主化に大きく貢献した一方で、困窮する民衆の生活とはまるで別世界のような共産党幹部による共産貴族と呼ばれるほどの豪華絢爛な暮らしや汚職なども暴かれて、国民の反共産党感情を一気に高め、最終的にはソ連解体へと国家を進めていく結果となった。
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by caramel24carat | 2014-11-07 12:00 | 旅行・建築・アート
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