松とトンビの飛ぶのを眺めながら。。
@三連休中はおだやかな素晴らしいお天気に恵まれました~☼
のんびりとした昼下がり、大きな松の木に飛び交うトンビの群れを眺めてました~
大きく翼を広げ羽ばたきもせず旋回する見事な飛行は
見ていて飽きませんでした~
やがて、日が傾き、あたりを美しいオレンジ色に染める夕陽を眺めながら、
トンビが大空を舞うごとく、ちょっと妄想したりしたことなどをメモ。
@ところで、前々から素朴な疑問を持っていたのですが、
なぜ、ホンダ=本田、マツダ=松田、トヨタ=豊田、タカタ=高田(今話題のエアーバック製造)は、
苗字に「田」がついてますが?
「田」というのは、なにか十字と縁のある、もっと言えばキリスト教と縁のあるお名前なのでしょうか?
ローマ、バチカン美術館には「ピーニャの中庭 Cortile della Pigna」といって「松ぼっくりの彫刻」があるそうですが、松の木とキリスト教とは何か接点が在るのでしょうか?
あと、アッピア街道は松並木。。東海道の松並木はアッピア街道をお手本にしたのでしょうか。。
伊達政宗が、1613年、支倉常長を遣欧使節として送りだした時、ローマ教皇に謁見しているが。。
以下、Wikiより引用
“支倉常長像」 1面 油彩・キャンバス 17世紀 アルキータ・リッチ筆 イタリア・個人蔵(パラッツォ・ボルゲーゼ(ボルゲーゼ宮、en:Palazzo Borghese)保管)ローマで常長の世話役だったボルゲーゼ枢機卿の命で制作された”
“慶長20年1月2日(1615年1月30日)にはエスパーニャ国王フェリペ3世に謁見している。その後、イベリア半島から陸路でローマに至り、元和元年9月12日(1615年11月3日)にはローマ教皇パウルス5世に謁見した。また、その後もマドリードに戻ってフェリペ3世との交渉を続けている。”
支倉常長の家紋というか紋章の「卍」に驚き!
“支倉常長の西洋式の紋章は盾の中に右卍をあしらったものだった。
左はローマ市民権の認定の中に描かれた紋章、
中はドイツの記録に残る紋章、右は常長の船の旗。”
あの大震災の津波にも耐えた「奇蹟の一本松」、陸前高田市の高田松原に残った一本松が、震災復興のシンボルとして、“一本松保存プロジェクト”で樹脂を注入され延命措置をされたり、その一本松の木片や震災の流木の楓を用いて、
ヴァイオリンドクター中澤宗幸氏よってバイオリンが製作された、というようなニュースに驚きましたが。。
“高田松原”というのも何かひっかかります。。
現在、「奇跡の一本松」は、パナソニックの協力のもと
“スカイツリー”のLED投光器技術を用いてライトアップされているとか。。
現27.5mの枝葉を超狭角型LED投光器でライトアップ
@パナソニックといえば松下さん。。
以上、とりとめもないメモでした。