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ヨルダンの階段と洗礼者ヨハネ




ヨルダンの階段と洗礼者ヨハネについて知ったこと



@春めいた風と抜けるような真っ青な空が眩しい~☼



ちょっと、なぜ「ヨルダンの階段」なのか?についての記録。

昨夏に訪れたエルミタージュ美術館を入ったすぐのところで、
皇帝に謁見する各国大使を迎えたという「大使の階段」または「ヨルダンの階段」と呼ばれる華麗なる階段空間に遭遇する。

正面階段の赤いじゅうたんの先の踊り場には
≪正義≫という女性像が飾られている。
大理石、18世紀初頭、イタリア、アルヴィーゼ・タリアピエトラ
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2014.8 エルミタージュにて

この「ヨルダンの階段」と呼ばれるのはなぜなのかしら?
例えば、「ロマノフの階段」とか「エカテリーナの階段」とかでもいいんじゃないの?
なんて思いながら、事前の予備知識も持たず聖書も知らないで
シンデレラ気分でトントン階段を上ったのですが。

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2014.8 エルミタージュにて

このロシアン・バロックの最高傑作とも呼ばれる
美しい冬の宮殿(エルミタージュ)は、なんと、1837年の大火事で焼失、
ワシリー・スターソフらによって、ラストレッリのオリジナルを生かし
再建されたものなのだそうです。

明るい吹き抜け空間には、見上げると錯覚効果を狙った古代ギリシャの神々が天使が女神が大空を飛翔する≪オリンポス≫という天井画がはめ込まれている。

この天井画は、1750年代にイタリアのガスパロ・ディツィアーノによって描かれたものだったが、
1837年12月17日の大火災よってオリジナルが焼失したため、
再建に当たって不採用になってお蔵入りだったこの作品を再利用したのだという。

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2014.8 エルミタージュにて

ロシア皇帝の冬の宮殿のオリジナルは、18世紀、新しい都市建設ブームに湧いていたサンクトペテルブルグへピョートル1世によって招かれていた彫刻家を父に持つ、イタリア人バルトロメオ・フランチェスコ・ラストレッリという大建築家によって、1754年6月16日~1761年の6年に渡って建造されている。

ネヴァ河岸に建っている壮麗かつ華麗な皇帝の宮殿は、何もない更地に思いっきり斬新でラストレッリの建築理念を盛り込んだ壮大な構想を実現したものでした。ピョートル大帝の近代化政策をとりながら、また権威国家として帝政ロシアの威厳と力のシンボルとして、啓蒙君主としても名高い女帝エカテリーナ2世へと受け継がれていった~
というそんなロマノフ王朝の歴史があるのですが、
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2014.8 エルミタージュにて

話はタイトルに戻って、大使の階段こと「ヨルダンの階段」の名前の由来ですが、
その華麗なる「ロマノフ家の階段」ではなく、ロシアなのにヨルダンとは?
それは、“ヨルダン川でキリストがヨハネから洗礼を授けられた儀式”
に因んでいるらしい。


≪ヨルダンの階段≫そのものが、ラストレッリが正義と公正と威信と叡智と豊穣を表現した建築作品ではありますが、さらに、イエス・キリストがヨルダン川でパブティスト(洗礼者)ヨハネにより洗礼を授かったという
『ルカの福音書』からテーマをとっていたというのは、部外者にとって、改めて、キリスト教の世界は深くて、
まあ近寄りがたいこと、と深~い溜息が。。


この階段の外を流れるネヴァ川は、今の時期、厳冬のサンクトペテルブルグでは凍っているかも知れません
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2014.8 サンクトペテルブルグにて

ヨルダン川をネヴァ川に見立て、階段空間をイエス・キリストが洗礼を授かる聖なる空間として、イタリア人バルトロメオ・フランチェスコ・ラストレッリは設計したわけですが。

ロシア正教会では、キリストの誕生日は、1月6日らしい。

洗礼者ヨハネ レオナルド・ダ・ヴィンチ 1513-1516年
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2012.7 クロ・リュセ城にて

以下wilkiより

“洗礼者ヨハネ(仏:Jean le Baptiste)は、『新約聖書』に登場する古代ユダヤの宗教家・預言者。
個人の回心を訴え、ヨルダン川でイエスらに洗礼を授けた。
新約聖書の「ルカによる福音書」によれば、父は祭司ザカリア、母はエリサベト。
バプテスマのヨハネ、洗者ヨハネとも。
正教会ではキリストの道を備えるものという意味の前駆(Forerunner)の称をもってしばしば呼ぶ。
日本ハリストス正教会での呼称は前駆授洗イオアン(ぜんくじゅせんイオアン)。

イエスの弟子である使徒ヨハネとは別人である。

『マタイによる福音書』3章によればヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物」とする人物であった。ヨルダン川の河畔の「荒野」で「神の国」が近づいたことを人びとに伝え、人びとに「悔い改め」を迫って、罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。西暦28年ころにはナザレのイエスにも洗礼を授けた。イエスはこののち、ヨハネによって創始された荒野での洗礼活動に入っている。なお、ヨハネが求めた「悔い改め」とは道徳的な改心ではなく、むしろ、従来の当時のユダヤにおける人間の生活上の価値基準を180度転換すること、文字通りの「回心」であった。ヨハネは、ファリサイ派など当時のユダヤの主流派が、過去において律法を守って倫理的な生活を送ってきたことを誇り、それを基準として律法を守らない人びと、あるいは、貧困などによって守りたくても守ることのできない人びとを差別し、穢らわしいものとして蔑む心のありようを「罪」と考えたのである[2]。”




ユダヤのヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパス(古代パレスチナの領主}と結婚したヘロディアの娘ことサロメは、洗礼者ヨハネの首を欲しがったといいます。

洗礼者ヨハネの刑死はイエスの生涯の物語で重要な場面であるため、西洋絵画では古くからそれに関する絵画が描かれてきた。特にルネサンス期からバロック期にかけて、イタリアやオランダなどの画家たちによって、きわめて多くの作品のモティーフとされている。

まあ、残虐な絵が突然現れたりする海外の美術館ですが、撮った写真もありますが。
幼い洗礼者ヨハネと聖母子の作品もたくさんあります。


≪ボッテチェリの幼子イエス・キリストと洗礼者ヨハネと聖母≫

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2012.7 ルーブル美術館にて

バプティスト(洗礼者)・ヨハネはキリストより6ヶ月前に誕生したといわれているらしいですが、
可愛らしいボッティチェリの絵ではもう少し年上のようにも見えます。
やっぱりボッティチェリは最高!

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@ヨルダン、行ってみたいです~
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by caramel24carat | 2015-01-23 17:00 | 旅行・建築・アート
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