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エドワード6世とチューダー朝紋章と織田木瓜紋





エドワード6世とチューダー朝紋章と織田木瓜紋についての妄想



@青空が広がり春のように暖かい~☼

最近のニュースから

先日、日本郵政が豪物流トール・ホールディングスを6000億円で買収するというニュースが流れていましたが、赤字の会社がひょっとしたら?将来の年金?を担保にそんな元大英帝国の植民地の会社に投資するとはどうしたのでしょうか?いったいどんな事情があるのかわかりませんが。。
どこかを救済するためでしょうか?などなどと、きっと誰もがいろんな感想をもたれたと思いますが。

ポストマンのゴッドファザーこと前島密のことちょっとググってましたら、
1870年~71年の間に、イギリスに郵便制度を視察に渡英しているんですね。
その、渡英前に、密(ひそか)と名まえを変えている!
歴史の教科書にも登場する前島密ですが、「密」なんて名まえめったにお目にかかりませんから記憶しやすい。

この前後の年譜を見ますと、

明治2年(1869年) - 明治政府の招聘により、民部省・大蔵省に出仕。このころ、密に改名。
明治3年(1870年)3月 - 租税権正、5月には駅逓権正兼任となり、太政官に郵便制度創設を建議。
郵便制度視察および鉄道建設借款契約締結のため渡英。
明治4年(1871年)8月 - 帰国、駅逓頭に任じられ、郵便制度創設に尽力、日本の近代的郵便制度の基礎を確立。
明治5年(1872年) - 陸海元会社(現、日本通運株式会社、郵便報知新聞(現・スポーツ報知)の設立及び刊行に関与。

鉄道建設借款契約締結のため渡英とも書かれている。
密という名前はフリーメイソンっぽいですね。三浦海岸の別荘で晩年を過ごしたそうですが、
三浦海岸といえば、シェル石油のサミュエル少年が貝がらを拾ったところでした。
ちなみに、前島夫妻の墓所は別荘のあった浄楽寺境内にあり、郵政民営化を断行した小泉純一郎の選挙区(神奈川県第11区)内であるという。

ちなみに、ポストマンという映画があって第18回ゴールデンラズベリー賞をとったとか。

イギリスと日本は我々一般人が思っている以上に深い関係にあるのでしょうか?
近々、イギリスのウィリアム王子が来日されるそうですね。

@ところで今日は、470年ほど前の1547年2月20日、イングランド王エドワード6世が戴冠した日らしい。


wikipediaに御目麗しく素敵なファッションの少年エドワード6世の肖像画がありましたので拝借。

500年も前とは思えない素敵な衣装を身に付けたエドワード6世
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エドワード6世像
ウィリアム・スクロッツ画/1550年

この少年エドワード6世の肖像画は、エルミタージュ美術館でもみかけました~
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2014.8 サンクトペテルブルグ エルミタージュ美術館にて

エドワード6世(Edward VI, 1537年10月12日 - 1553年7月6日)
あのヘンリー8世の唯一男子の子どもだったんですね。
今から470年ほど前の今日、ヘンリー8世が亡くなった後、1547年の2月20日、わずか9歳でイギリス王として戴冠したというわけですね。
このキャプションをみますと、1547年~1550年(9歳~12歳)に描かれているので、
まさにイングランド王として在位中の肖像画。ちょっと緊張した表情のようにも思えます。
画面右には、お決まりのパルテノン神殿の円柱を配し、豪華なカーテンが垂れ、毛皮のマントをはおり王の貫録も。
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エドワード6世(Edward VI, 1537年10月12日 - 1553年7月6日)は、テューダー朝のイングランド王(在位:1547年1月28日(戴冠は2月20日) - 1553年7月6日)。父はヘンリー8世。母は王の3番目の妃であるジェーン・シーモア。

ちなみに、エドワード6世の父親ヘンリー8世と言えば、ローマカソリック教会から離れ、イングランド国教会をつくった王様。
そもそも、離婚を認めないカトリック離れは、ヘンリー8世の妃であるスペインから嫁いでいたキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚のもめごとが発端であり、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝カール5世の思惑などもからんだ複雑な政治問題もあったという。

で、唐突ですが、約300年後の前島密のポートレートがありましたので、こちら国会図書館蔵。
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1870年5月~1871年8月の間の渡英期間中の撮影じゃないかと思います。
画面右側背景のギリシャ神殿風の大理石柱が映ってますので。

@エドワード6世の肖像画と前島密のポートレートの接点は“ギリシャ神殿の柱”ってことで。このスタイルはチューダー朝時代からすでにあったとは。


先日、カリブの海賊役をやっているジョニー・ディップ主演の『チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密』という映画を題名に釣られ観てきたのですが、ちょっと期待外れの映画でした。
そのシーンの中で、オークション会場の倉庫に日本の鎧兜が映りビックリしたのですが、家紋が付いていて、どうも「織田木瓜」だったような気がする。
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取っ組み合いシーン中ほんのちょっと写っただけなので断言はできませんが、いづれにしろ、イギリスのどこかにあったものを撮影に使用したものなら、以前に日本から骨董商などを経て運ばれたものでしょうか?

ところで、ランカスター家の赤薔薇とヨーク家の白薔薇を合わせた形のチューダー朝の紋章ですが、
織田木瓜紋とちょっと似ているような気がしました。
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"テューダー朝(テューダーちょう、英語:Tudor dynasty)は、イングランド王国(1485年 - 1603年)およびアイルランド王国(1541年 - 1603年)の王朝。チューダー朝とも。
百年戦争、薔薇戦争で疲弊した諸侯を抑圧して絶対王政を推進し、海外進出にも積極的で、その政策はヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世に受け継がれ、テューダー朝の全盛期を築いた。エリザベス1世の死によりヘンリー8世の血筋が絶えたため、ヘンリー7世の血を引くスコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王に迎えられ、イングランドにおけるステュアート朝を開いた。”

織田信長の有名な肖像画がありますが、骨格とか人間性からみて、まったくの妄想ですが、信長はイギリスかフランスかオランダかの混血日本人じゃないかしら?と思ったりするのですが。
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三宝寺所蔵の、信長を描いた肖像画とされるものを写した写真

生誕
天文3年5月12日(1534年6月23日)[注 2]
天文3年5月28日[1]など諸説あり。

死没
天正10年6月2日(1582年6月21日)

”イエズス会の献上した地球儀・時計・地図などをよく理解したと言われる(当時はこの世界が丸い物体であることを知る日本人はおらず、地球儀献上の際も家臣の誰もがその説明を理解できなかったが、信長は「理にかなっている」と言い、理解した)。奇抜な性格で知られるが、ルイス・フロイスには日常生活は普通に見えたようである。信長はローマ教皇グレゴリウス13世に安土城の屏風絵を贈っていたが、実際に届いたのは信長の死後の1585年(天正13年)であったとされる。なお、この屏風絵は紛失している。”

家紋「織田木瓜紋」は、徳川家康の霊廟、日光東照宮の陽明門にある木像、大変豪華でオシャレな衣装ですね!市松模様の黄金袴にデザインされている。
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東照宮には、見ざる聞かざる言わざるのサルの彫り物もあるらしいですし、何か秘密のベールに覆われていますね。
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by caramel24carat | 2015-02-20 19:40 | 旅行・建築・アート
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