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Caramel 24 Carat

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ヴォルテールとカフェ・プロコップとモカ





コーヒーマニアなヴォルテールとカフェ・プロコップとモカのこと



@風もあり晴れ渡っている~☼
雲に乗りたいわ~

一昨日、数年ぶりにオールカラーのスゴイ夢を見ました
黄金幕におおわれたような大天空にUFOのような
キラキラしたものが飛び交ったりする
その大スペクタクルなスペースファンタジーを
カメラで激写し、さらに投影するという?
ハチャメチャな夢のようなゆめでした

以前にみた富士山頂でカラーコピーしながら
お昼寝する!?という夢以来かも


見事な黄金の壺とラビスラズリーの壺のある展示室にて
エルミタージュ美術館  2014.8
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そう、ヴォルテールさんですが、コーヒー好きで
一日30~50杯ほど飲んだというから好きというより中毒です

そのヴォルテールさんとは、サンクトペテルブルグの
エルミタージュ美術館でお会いしました
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ガウンというかバルザックのような寝巻き姿の格好で
腰かけている好々爺のようなおじいさんの彫像ですけれど

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ジャン=アントワーヌ・ウードン(Jean-Antoine Houdon)作 マーブル

Voltail 1781 France

エカテリーナ2世がウードンから
1784年に購入したコレクションのようです
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大理石の彫像はヴォルテールの死後3年後に
制作されその三年後にエカテリーナ2世の
コレクションに加わったことになる

“ヴォルテールことフランソワ=マリー・アルエ
("Voltaire" François-Marie Arouet,
1694年11月21日 - 1778年5月30日)は、
フランスの哲学者であり、作家、文学者、歴史家である。
歴史的には、イギリスの哲学者であるジョン・ロックなどとともに
啓蒙主義を代表する人物とされる。
また、ドゥニ・ディドロやジャン・ル・ロン・ダランベールなどとともに
百科全書派の学者の一人として活躍した。”

これまで教科書位でしか目にしたことのないヴォルテールさんですが
啓蒙専制君主としてしられる帝政ロシアの女帝エカテリーナ2世と
なんと、ロシア~フランス間の国際文通をしてたというから驚きです!

エカテリーナ2世[1729~1796(在位1762~1796)]と
ヴォルテール[1694 11・21 - 1778 5・30]は
どういう経緯なのか分かりませんが
かなりの数の文通をしていたという

サンクトペテルブルグ ロシア美術館にて
エカテリーナ2世と小姓の像
ターバンを巻いた子が手にっているのは
なんなんでしょうか?

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壁の絵の馬上の人はピョートル1世


ロシアの女帝ではあるけれどロシア人でもなく
ドイツ生まれで2歳のころからフランス語等を
家庭教師から学んだようなので
ヴォルテールとの手紙のやりとりは
フランス語だったのでしょうか?

サンクトペテルブルグのお店で
入って意外だった
壁いっぱいのマリアージュの紅茶

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エカテリーナ2世にとってヴォルテールは先生として
尊敬していたらしく、7000冊もの「ヴォルテール蔵書」を
遺族から買い上げ冬宮の図書館に納めているという

展示室で出会ったヴォルテールの彫像は
エカテリーナ2世がヴォルテールを
尊敬していた証でしょうか

ちなみに、エカテリーナ2世の愛人ポチョムキンが
クリミアを併合し黒海まで到達し
ピョートル1世以来の悲願が達成された前後には
ポチョムキンとも1000通もの文通をしていたとは驚きです!

ドイツから異国の地の冴えないピョートル3世に嫁いだばかりに
その反動として、ガムシャラに本を読み語学をマスターし
超一流の作家や軍人と交流を持ち
ロマノフ王朝の女帝として激動の時代を
見事に生き抜いたのかも

帝政ロシアの首都サンクトペテルブルグから飛んで
フランスはパリで執筆活動三昧なヴォルテールさんですが

なんと モスクワにあったヴォーグ・カフェ
意外やフランスの毛皮商人が店を並べていたという
クズネスキー・モスト モスクワの銀座あたりかな
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ヴォルテールことフランソワ=マリー・アルエ
"Voltaire" François-Marie Arouet, 1694年11月21日 - 1778年5月30日)

ヴァオルテールは「意地っ張り」という意味で
名まえのアナグラムらしい

24歳のヴォルテール
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若い頃3度バスチューユの監獄に入っている
1726年5月11日、二回目の監獄から出てくると
カソリックで封建的なパリから自由な風潮のロンドンへ渡英する
この時、前に出てきました万有引力のニュートンとも
被る時期があり、ニュートン哲学に感銘を受け執筆した
有名な『哲学書簡』は、1733年に
イギリスのロンドンにおいて英語で発表したという

その後、あちこち逃避しながらもパリに戻ったあと
1738年『ニュートン哲学要綱』を著し
ニュートン思想を広く知らせしめた、らしい

で、そんなヴォルテールさんが

懐かしい6区のルクサンブール公園にて 2012.7
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コーヒーをガブガブ飲みながら執筆活動をしたのが
パリはサンジェルマン通りから
ちょっと入った通りにあり
オデオンからも近い

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パリ最古と言われているカフェ・プロコップで
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そのカフェの常連さんだったらしい
2階にはヴォルテールの机が置かれているという

1686年創業のパリ6区にある
カフェ・プロコップ[ル・プロコップ (Le Procope)]は

シチリア出身のオーナーによって開業され
もと公衆浴場の建物を買い取り修復し
元あった鏡、大理石のテーブル、タペストリーに加えて
豪華な調度品も揃えて、壁はポンペイ・レッドで華やかにし
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それまでのアルメニア人の立ち売り的なコーヒー売りとは
まったく違う豪華なインテリ好みのオシャレなカフェだった

お店の開店後しばらくして、コメディ・フランセーズが
通りをはさんでお向かいに引越ししてきてからは
演劇関係者や作家、ジャーナリスト等の文化人が集まり
お店も繁盛。やがて、百科全書派と言われる知識人の
たまり場となり、ヴォルテールや錚々たるメンバーが
喧々諤々議論し情報交換の場となったらしい
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そして、フランス革命前夜にはロベスピエールらの
ジャコバン派の革命戦士も集うカフェとして賑わったらしい

アメリカの独立宣言の草稿はここで
出入りしていたジェファーソンらによって書かれたとも

というと、やっぱりというか、なんとなく
そんな雰囲気がコーヒーの香りとともに
かなり香るというより
この場合は匂ってきたのですが

なんと、カフェ・プロコップは
フリーメイソンの隠れロッジだったらしい
ヴォルテールはイギリスに行った際入ったらしい
と思っていましたが、改めて確認すると

Wikiによれば
米ドルお札に印刷されてもいる
凧揚げのベンジャミン・フランクリンに誘われたみたいです

1778年4月7日 パリでヴォルテールをフリーメイソンリーに入会させる。

◆ニュートン王立造幣局長官
◆帝政ロシアの女帝エカテリーナ2世
◆百科全書派ヴォルテール
◆アメリカ独立宣言
◆フランス革命


さて、お疲れ~

「コーヒーを一杯いかが」

「モカをおねがい」

と、できれば飛んで行ってカフェ・プロコップで一服したいです
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まあ、ヴァルテールさんが30~50杯も飲んだ
カップの容量はどのくらいだったのでしょうか?
まさかアメリカンではなく
エスプレッソのよな小さなカップだったのかも?

@「モカ」って名まえの響きとカラーのイメージいいけれど

カフェ・プロコップのジェラート
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ふと「モカ」のことググって意外だったのですが
なんと、イケメン。。じゃなくてイエメンの
紅海の入り口あたりにあるイエメンという国の
港町、MOKHA,MOCHA モカ から付けられた名前でした

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東アフリカのエチオピアあたりからくるコーヒー豆の
集積地の港町として栄えたことがあったようだ


@前々から書きたいと思ってたことが
やっとどうにかsukoshi\\


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by caramel24carat | 2015-05-21 15:00 | 旅行・建築・アート
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