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Caramel 24 Carat

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アリとキリギリスと連邦議会議事堂




どこかからやって来た
ありんこちゃんが急ぎ足でPC画面を横切った


お使いアリさんは働き者なのでしょうね
“あんまり急いでこっつんこ~”でしたっけ

ふと思って、Wikiみますと
なんと、イソップの『アリとキリギリス』は
元々のギリシャ版は『アリとセミ』なんですって!

アルプスより北では、『アリとキリギリス』なんだとか
ドイツには蝉がいないので、キリギリスにすり替わったらしい
じゃ、キリギリスはいるのね

ということは、日本はドイツ版なのかしら

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さらに、Wikiのイソップ寓話をちょっと見てみると
日本では、1593年に、天草にあったイエズス会のコレジオ(学校)で
ラテン語から翻訳したものがあったらしい

『イソポのハブラス (ESOPO NO FABVLAS)』といった
「FABVLAS」とういうのは「物語」らしいので
これでは、セミなのかキリギリスなのかは即分からないけれど
ラテン語だから、きっと「アリとセミ」のほうでしょうね
いや、もっと他にもバリエーションがあったのかな

日本で、メジャーな『アリとキリギリス』は
明治以降の欧州(ドイツか)から
入って来たものかも知れない

一夏を謳歌しているセミなら、今日も全力で鳴いているけれど
あと少しの生だと知ってるのか、知らないからなのか
ドッチでしょう?


ありんこ並みの遅々とした
チマチマの旅の記録ですが
今日はBundestagsgebäude (連邦議会議事堂)のことについて

ブランデンブルグ門のあと
ドイツ連邦議会議事堂へと散策しました
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大きくて重厚で堂々としたいわゆる国会議事堂ですが
圧倒されました


この連邦議会議事堂の中には見事なガラスのドームがあって
観光スポットになっているという

ギリシャ神殿風のコリント式の列柱の奥に
ガラスらしきものが見えました

破風の下には「Dem Deutschen Volke」と刻まれている
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ガラスのドーム見てみたいわ、と思い
建物正面向かって右に、人が集まっている
入場者を管理しているらしいプレハブがあったので
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 ↑ 画面下の建物

立ちながら、観光客を捌いているお姉さんに
見学を申し込むと

ネットで、連邦議会会議場のHPから予約を入れないといけない、という
ちょっとガンバッて、明日にはベルリンを発つので今日しかないの
お願い!と言ってみたが、とっても混んでるからムリだけど
予約しなくても金曜日なら大丈夫よ、という
この時、水曜日でしたので、残念無念ムリでした

見てみたかったですが、事前調査を全くやっていなかったもんね
ネット上のガラスドームの画像が超美しい!

実は、プチガラスドームっぽいのを
その後行ったギャラリーラファイエットでみました

上を見上げて
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下を見て
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ガラスの円柱を囲んでお店が並んでいる
解放感があってイイですね
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以上はギャラリーラファイエットで撮ったもの

ドレスデンに有名なVWの“ガラスの工場”があって
行ってみました


ここ何日か、ベルリンのブログを書きながら
やっとこ、位置関係が分かるようになってきた

なんと、ベルルン中央駅前からシュプレー川を撮った
写真の遠景に、議事堂ガラスドームやブランデンブルグ門が
そして、ドイツ連邦首相府が写ってました~
ドイツ国旗を目印に発見
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な~んだ、すごく近いのね!

U55線が1.8Kmでしたから
その中間の議事堂駅は約1km
歩いて行ける距離だったのね

歩道橋も掛かっていた
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さて、国会議事堂の歴史についてちょっと調べてみると

建設は、ドイツ帝国が統一されると

1884年6月9日、皇帝ヴィルヘルム1世の時に始まり
10年後の1894年、孫の皇帝ヴィルヘルム2世の時に完成する

採用された建築家パウル・ヴァロット(Paul Wallot)設計のドームは
当時の、鉄とガラスの先端技術の粋を極めたものだったが
完成すると、王宮を超える高さになったため
皇帝は気に入らず不機嫌だった、という

白亜の大変美しい建物ですね 1900年ごろの国会議事堂 Wikiより
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美しい建物も、歴史の波に翻弄され
火災で一部焼失したり、大空襲で破壊されたりした

現在の姿になったのは、15年ほど前らしい
ベルリンの壁が取り払われた東西統一後
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修復の設計を担当したのは1992年の建築設計コンペで勝利した
イギリス人建築家ノーマン・フォスター
その案の、広場を大きなガラス小屋で覆うというは却下されたものの
大規模な修復に着手し、1999年に完成

議事堂そばの、明るくモダンなドイツ連邦首相府( Bundeskanzleramt)
閑散としていて、ベンツやBMWが並んでいるかと思ったら
意外や自転車が並んでいる
黒塗りが並んでいた日本より親しみやすいわ
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道路には自転車レーンも設けられ猛スピードで走っていた
ドイツの人たちは、列車にまで自転車をのせて
移動してました



遡って、火災にあった経緯ですが

1918年11月9日、第一次世界大戦後のドイツ革命後
ドイツ社会民主党のフィリップ・シャイデマンが共和制を宣言し
ワイマール共和国が成立

その後、1933年2月に、国会議事堂(Reichstagsgebäude )は
共産党員による謎の放火で焼失してしまう

1933年2月27日夜9時ごろ起きた、国会議事堂放火事件は
約一ヶ月前の、1933年1月30日、ヒトラー内閣が成立した直後のことだった
アドルフ・ヒトラーは政権基盤を固めるために議会を解散
3月5日に総選挙を行うことを決めた矢先のできごとだった

激怒したヒトラーは新政権への危惧を払拭するため
翌、2月28日、閣議で、コミュニストと「法的考慮に左右されず決着をつける」ことを決め
その後クーデターを恐れ、すべての関係者を抹殺したとか
それを機に、同年7月14日には一党独裁体制を確立し
ヒトラーの暴走が加速したらしい

また放火事件は、一党独裁を目指すナチス党によって
仕組まれた政治的陰謀であったという見方もあるらしい

日本でもなんかありました。。3年後ですね
1936年(昭和11年)2月26日 2,26事件

よく調べていないので、ハッキリわかりませんが
そもそも、ヒトラーが首相にまでになったのは
その頃の選挙制度の欠陥らしきものによるとか



@お盆も近いので、ついクライ方向に
話がいってしまいましたが

以下のニュースについては、ブログにとりあげるか
迷ったのですが
信じるか信じないかは、あなた次第~

今年2015年6月23日のネットニュースで報道されたもの

A・ヒトラーが、“紋つきハカマ姿”の着物を着た写真が
英紙「デイリー・エクスプレス」電子版や
英紙「デイリー・メール」電子版に掲載されたらしい

その予想外のオドロキの写真は、
1930年代に撮影されたが、具体的な撮影背景と期日は不明
1936年年11月、(ということは、2.26事件の9ヶ月後)に
ナチスドイツと日本の間で調印された
「防共協定」を記念して撮影されたものではないか
とされているんだとか

きっと、よくできた合成写真ではないかと一笑する一方
よく見ますと「マンジと鷹」の紋がちゃんと付いているんですね
以前、掛川城で卍をミタとき、アラっと連想したこと思い出しました


@終戦記念日も近いですが
日本の国会議事堂前の衝撃の写真

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by caramel24carat | 2015-08-08 13:45 | 旅行・建築・アート
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