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Caramel 24 Carat

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川沿いの十字架とマリー・エリザベト・リューダース・ハウス



盆ジュール!
盆ザメが現れると海水浴もおしまいデス、とはよく言われますが
あぁ~ずい分と凌ぎやすくなりました~




滞っていた旅の記録をやっとこ再開



ドイツ連邦議会議事堂を右手に
連邦首相府を左手に見ながら
シュプレー川の方へ歩きますと


かわいい双子ちゃんのベビーカーに遭遇
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川の両側にモダンな建物が見えてきました


どちらも、シュテファン・ブラウンフェルスの設計で
パウル・レーベ・ハウスとマリー・エリザベト・リューダース・ハウスでした
今、分かったんですけれどね


ほんとに軽やかな建物で全く重圧感がなく浮遊しているかのよう
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(パウル・レーベ・ハウスは全然撮れてません)

2001年完成のパウル・レーベ・ハウスは
連邦議会専門委員会用の建物として
19の会議室、議員用に550室、委員会秘書用に450室の事務室が入居している、らしい
なんと、地階には、連邦議会議事堂へと通じるトンネルがあるという

ああ、そうだったんですね!議員らしき人影の見えない
閑散としてた地上の様子に納得
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パウル・レーベ・ハウスからシュプレー川に橋が掛かっていて
(どちらの建物からも、西⇔東へと)行き来できるらしい

対岸には
2003年完成のマリー・エリザベト・リューダース・ハウスが見えました

建物ガラス壁面前の階段は“スペイン階段”と呼ばれ
日光浴する人たちでにぎわうそうだ

もっとも、この日はだ~れもいませんでしたけれど
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個人の記念館のように
マリー・エリザベト・リューダース・ハウスと名まえが付いているが
議会図書館が入っているらしい
なんと、ワシントン、東京に次いで世界最大規模の蔵書数を誇る!
さらにドイツ議会最大の公聴会会場や600室のオフィスの他
アート展示室も入居している

外観からは、とてもそんな大きな建物には見えなかったんですけどね



橋で両会館を行き来できるようです
この画像の画面下にちょっとモノクロの十字が見えてます
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散策中に何気なく撮った写真を、今眺めていて気付いたのですが
建物前のシュプレー川沿いに“十字架”の描かれたボードが
何枚か立っている!?

なんと、驚くことに、両側の建物の間を流れるシュプレー川が
ちょうどベルリンの壁の位置だったらしい


この数枚の“十字架”の描かれたボードは、ベルリンの壁=川、を渡って
東から西へ逃亡しようとして、見つかって銃殺された人の
慰霊碑なんだそうだ
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しかし、なんとも不条理な時代に、突然
突き落とされた人たちの哀しみと憤慨と忍耐とは
この世にそんな意味不明で
信じられないことがあったなんてオソロシイ


ところで、ベルリンの壁が崩壊した後
改修前の旧ドイツ帝国議会議事堂を
ポリプロピレン布と青のロープで包んでしまう
大がかりな“インスタレーション”があったようだ

ブルガリア生まれの作家クリストによる作品
≪梱包されたライヒスターク(帝国議会議事堂) 1995年≫
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なんと、この意味不明?とも思える
いや忌まわしい歴史の証人でもある
帝国議会議事堂を覆い隠して生まれ変わらせることは
意義があるといえばあるのかも知れませんが
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“わずか2週間に500万人を動員
布やロープも既製品ではなく、作品のために織られ
材料費等の直接経費だけで約7億円がかかった”

えぇ~~~!と驚きます
その巨額の費用のスポンサーはどこか?
税金なのか?
膨大なポリプロピレンとロープのメーカーはどこか?
の方が気になりますが。。

ドイツではみんな自転車で走っていた
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@ところで、議会図書館の入っている
マリー・エリザベト・リューダース・ハウスMarie Elisabeth Luders Hausと名前のついた

マリー・エリザベト・リューダースMarie Elisabeth Lüdersさんとは
一体だれなんでしょうか?

Marie-Elisabeth Lüders (25. Juni 1878 in Berlin; † 23. März 1966 ebenda)
は、ドイツの政治家で女性の権利活動家

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Marie Elisabeth Lüders 1997年発行のドイツ切手

彼女は、プロシアの政府高官の娘で
ベルリンのフンボルト大学で
最初に、政治学博士号を取った女性だった

ウンター・デン・リンデン通りのフンボルト大学前にて
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卒業後は、中央の政府機関で働いたあと
女性の教育の機会均等、メイドの給料などについてや
また、ある時は、戦争中のオフィスや軍需工場で働く
女性労働者の労働条件やその子どもの保育環境改善等について
第二次の戦後は、ドイツ市民と外国人が結婚した時の女性に付与される権利と
子どもの地位等について闘った
女性と子どもの権利獲得のために闘った最も重要な政治活動家だった
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by caramel24carat | 2015-08-15 13:11 | 旅行・建築・アート
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