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Caramel 24 Carat

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二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫


少しづつ涼しくなっているとはいえ
まだまだ残暑が~~



どこか待ちぼうけを食ったような表情の
可愛らしい2人の天使

二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_16213310.jpg


とても有名なこの2人の天使については
マリアの女性モデルの子どもが見学に来たのを描いた、
いや、ラファエロがパンやの店先で出会った子どもだった、
とも言われてる


旅の記録は、鉄とガラスの街ナンシーから
もう一度ドレスデンに戻って


破壊されたドレスデンの修復再建された建物は
黒っぽく変色していて古都をより雰囲気の
ある街にしていますが

どうも、黒っぽいのは、サガン!のせいらしい
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_10352154.jpg

あの、悲しみよこんにちは~ではありませんが

ザクセン・スイスの砂岩サンドストーンの石を
切り出して積み上げているからだそうだ

サンドストーンは加工しやすい利点があるが
鉄分を多く含んでいて時間と共に黒ずむらしい
そう言えば、砂の中に磁石を垂らすと砂鉄がくっつきました


綺麗に再建された聖母教会の内部
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_17552493.jpg

そのサンドストーンの産地はドレスデン近郊にあった
日帰りで行けるザクセン・スイス国立公園には
砂岩ゆえなのか、奇岩や絶景が広がる素晴らしい自然があるらしい

画像を見てますと、アリエナイ凄い所に
キレイなアーチの橋が掛かっていて驚き!
バスタイ橋といい1800年代に建設されたらしい
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_14432669.jpg

Nationalpark Sächsische Schweiz, Basteibrücke

もし機会があれば、登山靴を用意して行ってみたい

この不思議な原始古代を連想する浸食され風化した奇岩がある
絶景地に、かつて坑道が作られたらしい

その坑道に、第二次大戦の戦火や、敵の目を避けて
美術品の作品を運び入れ保管していたようです

しかし、ドレスデンが陥落し、ソ連軍に占拠された後
坑道にあった他の美術品とともに
ラファエロのお宝≪システィーナの聖母≫は、発見され
モスクワに持ち去られ、プーシキン美術館で保管・展示されていたらしい


アルテ・マイスター美術館の最も主要な目玉作品

ラファエロの≪システィーナの聖母≫1513-14.
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_1172543.jpg

RAFAEL - Madonna Sixtina
(Gemäldegalerie Alter Meister, Dresde, 1513-14. Óleo sobre lienzo, 265 x 196 cm)


タイトルの「システィーナ」は
カトリックの総本山、ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にある
システィーナ礼拝堂のことではないようです


モスクワのプーシキン美術館にて
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_15124683.jpg

2014.9 ひょっとして戦利品も多いのかしら


戦後の10年後、1955年、ヨシフ・スターリン亡きあとに
ドイツ、ドレスデンの国立美術館に返還されたという
現在、ドレスデンのツヴィンガー宮殿内の
アルテ・マイスターの目玉コレクションとして
展示されてます
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_10261850.jpg


このラファエロのお宝≪システィーナの聖母≫ですが
ザクセン王兼ポーランド王アウグスト3世が、1754年に
110,000 - 120,000フランで購入したらしい

娘がフランス国王ルイ15世と結婚したお祝いにナンシーに
スタニスラス広場を造った元ポーランド王スタニスラスから
ポーランド王位を引き継いだアウグスト3世

そのポーランド王を巡っては因縁の関係でありましたが

スタニスラスはフランス王ルイ15世の義父になり
アウグスト3世はルイ16世の祖父になっている

ルイ15世の長男ルイ・フェルディナンは
父の国王より早く亡くなり、その息子の後のルイ16世が
フランス国王に就いている

年譜を眺めますと

次期フランス国王となるはずだったルイ15世の長男
ルイ・フェルディナン・ド・フランスは
Louis Ferdinand de France
1729年9月4日 - 1765年12月20日

そのルイフェルディナンの妃マリー=ジョゼフ・ド・サクスは
(ポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト3世の娘)
1731年11月4日 - 1767年3月13日

二人とも幸か不幸か早死にしてます

フランス革命で処刑された二人の長男ルイ16世は
1754年、に誕生している
ルイ16世 Louis XVI、1754年8月23日 - 1793年1月21日

アウグスト3世が、1754年、ラファエロの≪システィーナの聖母≫を
コレクションに加えた年は
後のルイ16世が誕生した年でもある

ひょっとしたら、フランス国王の世継ぎ誕生のお祝いに
ラファエロの聖母子≪システィーナの聖母≫を購入したのでしょうか

アルテ・マイスターの階段
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_10303532.jpg


聖母子に描き加えられた“2人の天使”が
とっても意味深く思えます


先代アウグスト2世強王からの、膨大な芸術品のコレクションが
ツヴィンガー宮殿には所蔵されている

工事中のツヴィンガー宮殿
所蔵品の印刷されたボード柵が
分かりやすかったわ~
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_1017572.jpg


@フェルメールの≪手紙を読む女性≫はひっそりと3階にありました
ジャン・エチエンヌ・リオタール(1702-1789)の
マイセンカップが描かれた≪チョコレートを運ぶ女性≫もありました




作品についてのメモ

システィーナのマドンナ「La Madonna Sistina」の
システィーナは、聖システィーナ(サン・シスト) San Sistoのことで

マドンナの絵は、当時の教皇ユリウス2世が
自分の故郷である、北イタリア、ピアチェンツァにある
ベネディクト修道院・サン・シスト聖堂の祭壇画として
ラファエロに注文したもの

バチカンの「システィーナ」は、ユリウス2世の叔父
シクストゥス4世が建造したのでそう呼ばれるらしい

ラファエロは、25歳から死去する37歳まで
教皇ユリウス2世から、ローマに呼ばれ
ヴァチカンの宮廷画家として栄華を極めたという

画面左は聖シクストゥス2世で右は聖バルバラ
聖シクストゥスはユリウス2世を表わし
聖バルバラはユリウス2世の姪を表わしている
(ジュリア・オルシーニ又はルクレツィア・デラ・ローヴェレ)

画面上部左右に描かれる半開の幕は
当時の墓碑を真似たものであると推測されており
一部の研究者たちからは教皇ユリウス2世の墓碑に掲げる為に
制作されたとの説も唱えられている

この教皇ユリウス2世という方

ルネサンス期の芸術家のパトロンとしてだけでなく
教皇領を守るため、政治、軍事面でも頑張った人物だったようです
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_1236680.jpg

Pope Julius II在位1503~1513年
ラファエロ・サンティ - National Gallery, London

バチカンにあるカトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂は
ユリウス2世の時、新しく建て直したというから
凄い偉業を成し遂げた教皇なんですね



この日も暑かった~
過ぎてみれば、真っ青な空とともに
いい思い出になりました
二人の天使とラファエロの≪システィーナの聖母≫_b0209886_1037177.jpg

by caramel24carat | 2015-08-23 18:30 | 旅行・建築・アート | Comments(0)
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