少しづつ涼しくなっているとはいえ
まだまだ残暑が~~
どこか待ちぼうけを食ったような表情の
可愛らしい2人の天使
とても有名なこの2人の天使については
マリアの女性モデルの子どもが見学に来たのを描いた、
いや、ラファエロがパンやの店先で出会った子どもだった、
とも言われてる
旅の記録は、鉄とガラスの街ナンシーから
もう一度ドレスデンに戻って
破壊されたドレスデンの修復再建された建物は
黒っぽく変色していて古都をより雰囲気の
ある街にしていますが
どうも、黒っぽいのは、サガン!のせいらしい
あの、悲しみよこんにちは~ではありませんが
ザクセン・スイスの砂岩サンドストーンの石を
切り出して積み上げているからだそうだ
サンドストーンは加工しやすい利点があるが
鉄分を多く含んでいて時間と共に黒ずむらしい
そう言えば、砂の中に磁石を垂らすと砂鉄がくっつきました
綺麗に再建された聖母教会の内部
そのサンドストーンの産地はドレスデン近郊にあった
日帰りで行けるザクセン・スイス国立公園には
砂岩ゆえなのか、奇岩や絶景が広がる素晴らしい自然があるらしい
画像を見てますと、アリエナイ凄い所に
キレイなアーチの橋が掛かっていて驚き!
バスタイ橋といい1800年代に建設されたらしい
Nationalpark Sächsische Schweiz, Basteibrücke
もし機会があれば、登山靴を用意して行ってみたい
この不思議な原始古代を連想する浸食され風化した奇岩がある
絶景地に、かつて坑道が作られたらしい
その坑道に、第二次大戦の戦火や、敵の目を避けて
美術品の作品を運び入れ保管していたようです
しかし、ドレスデンが陥落し、ソ連軍に占拠された後
坑道にあった他の美術品とともに
ラファエロのお宝≪システィーナの聖母≫は、発見され
モスクワに持ち去られ、プーシキン美術館で保管・展示されていたらしい
アルテ・マイスター美術館の最も主要な目玉作品
ラファエロの≪システィーナの聖母≫1513-14.
RAFAEL - Madonna Sixtina
(Gemäldegalerie Alter Meister, Dresde, 1513-14. Óleo sobre lienzo, 265 x 196 cm)
タイトルの「システィーナ」は
カトリックの総本山、ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にある
システィーナ礼拝堂のことではないようです
モスクワのプーシキン美術館にて
2014.9 ひょっとして戦利品も多いのかしら
戦後の10年後、1955年、ヨシフ・スターリン亡きあとに
ドイツ、ドレスデンの国立美術館に返還されたという
現在、ドレスデンのツヴィンガー宮殿内の
アルテ・マイスターの目玉コレクションとして
展示されてます
このラファエロのお宝≪システィーナの聖母≫ですが
ザクセン王兼ポーランド王アウグスト3世が、1754年に
110,000 - 120,000フランで購入したらしい
娘がフランス国王ルイ15世と結婚したお祝いにナンシーに
スタニスラス広場を造った元ポーランド王スタニスラスから
ポーランド王位を引き継いだアウグスト3世
そのポーランド王を巡っては因縁の関係でありましたが
スタニスラスはフランス王ルイ15世の義父になり
アウグスト3世はルイ16世の祖父になっている
ルイ15世の長男ルイ・フェルディナンは
父の国王より早く亡くなり、その息子の後のルイ16世が
フランス国王に就いている
年譜を眺めますと
次期フランス国王となるはずだったルイ15世の長男
ルイ・フェルディナン・ド・フランスは
Louis Ferdinand de France
1729年9月4日 - 1765年12月20日
そのルイフェルディナンの妃マリー=ジョゼフ・ド・サクスは
(ポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト3世の娘)
1731年11月4日 - 1767年3月13日
二人とも幸か不幸か早死にしてます
フランス革命で処刑された二人の長男ルイ16世は
1754年、に誕生している
ルイ16世 Louis XVI、1754年8月23日 - 1793年1月21日
アウグスト3世が、1754年、ラファエロの≪システィーナの聖母≫を
コレクションに加えた年は
後のルイ16世が誕生した年でもある
ひょっとしたら、フランス国王の世継ぎ誕生のお祝いに
ラファエロの聖母子≪システィーナの聖母≫を購入したのでしょうか
アルテ・マイスターの階段
聖母子に描き加えられた“2人の天使”が
とっても意味深く思えます
先代アウグスト2世強王からの、膨大な芸術品のコレクションが
ツヴィンガー宮殿には所蔵されている
工事中のツヴィンガー宮殿
所蔵品の印刷されたボード柵が
分かりやすかったわ~
@フェルメールの≪手紙を読む女性≫はひっそりと3階にありました
ジャン・エチエンヌ・リオタール(1702-1789)の
マイセンカップが描かれた≪チョコレートを運ぶ女性≫もありました
作品についてのメモ
システィーナのマドンナ「La Madonna Sistina」の
システィーナは、聖システィーナ(サン・シスト) San Sistoのことで
マドンナの絵は、当時の教皇ユリウス2世が
自分の故郷である、北イタリア、ピアチェンツァにある
ベネディクト修道院・サン・シスト聖堂の祭壇画として
ラファエロに注文したもの
バチカンの「システィーナ」は、ユリウス2世の叔父
シクストゥス4世が建造したのでそう呼ばれるらしい
ラファエロは、25歳から死去する37歳まで
教皇ユリウス2世から、ローマに呼ばれ
ヴァチカンの宮廷画家として栄華を極めたという
画面左は聖シクストゥス2世で右は聖バルバラ
聖シクストゥスはユリウス2世を表わし
聖バルバラはユリウス2世の姪を表わしている
(ジュリア・オルシーニ又はルクレツィア・デラ・ローヴェレ)
画面上部左右に描かれる半開の幕は
当時の墓碑を真似たものであると推測されており
一部の研究者たちからは教皇ユリウス2世の墓碑に掲げる為に
制作されたとの説も唱えられている
この教皇ユリウス2世という方
ルネサンス期の芸術家のパトロンとしてだけでなく
教皇領を守るため、政治、軍事面でも頑張った人物だったようです
Pope Julius II在位1503~1513年
ラファエロ・サンティ - National Gallery, London
バチカンにあるカトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂は
ユリウス2世の時、新しく建て直したというから
凄い偉業を成し遂げた教皇なんですね
この日も暑かった~
過ぎてみれば、真っ青な空とともに
いい思い出になりました