今日は肌寒いです~
昨日は、東京大停電で驚きましたが
やっぱり、突然の停電って想定外の出来事がおこったりと
改めてコワいな思いました~
先月には、マイPCの電源が突然切れて
あたふたしたハプニングがあったりしましたから
そのマイPCですが
最近はやりのM&A?絡みか
お馴染みの日本名でありながら
二重国籍のような代物でした~あはは
♡
ところで
先日、「三日月」の記事アップしたときに
ヴァレンティーナ・リシッツァ の動画貼り付けた際に
偶然発見したのですが
なんと
マイブログにも時々名前が登場する
大倉財閥の大倉喜八郎ですが
以前も書いてましたが
銀座のカルティエビルには
かつて
大倉喜八郎の大倉商会のビルがあったらしく
2016.10 銀座Cartier
格調高い紋章と並んで
銀座で初めて”アーク灯が点った”という
銘板が飾られてました
この紋章は?
さて
”88歳お誕生日記念赤石岳登山”を決行した
大倉財閥の大倉喜八郎は
総勢500名という登山隊のみんなには
労をねぎらって
金銀をあたかも豊臣秀吉のように
大判振る舞いしたらしい、とも
💛
ちょうど、通りを挟んだティファニーのビルの前には
銀座ゆかりの「銀座発祥の地」の石碑が建ってました
”88歳お誕生日祝い赤石岳登山”という
お金持ちで年寄りの
超わがままな(とは誰しも思うワ)
仰天するような3000m級への
大名登山ですが
ホントに「ほんまかいな!?」な
当時の貴重なフィルムがあって
偶然みて仰天したのです
がっ・・・
今、もう一度見たいと思って
探しましたが見当たりません
なぜかしら?残念だわ~
💛
もう一度探しましたら
@見つかりました~
https://youtu.be/jMdO0N8haRA
♦
その驚くべきフィルムが
ちゃんと残っているのもビックリですが
その一部始終の内容が
庶民の想像を絶する信じられないほどの
奇想天外なものでした
まあ、お殿様が、大名行列を従えて
駕籠に着物姿で胡坐をかいて鎮座しながら
3120mの険しい山に登らせたというから
一体全体どんだけ傲慢な人物だったのでしょうか?
人夫は喘ぎながら交代で駕籠担いだという
でも不思議なことに
改めて映像を見ますと
赤石岳の山頂で
万歳三唱しているみんなの表情は
達成感に満たされた明るい表情をしている!
💛
途中の休憩で
お酒のつまみに
「トーフ」が食べたいと言ったので
急遽、豆腐屋を連れてきて
豆を挽く石臼を担いで
山の休憩所で豆腐を作った
というから仰天!
(えぇ~~@@)
お付きのもの500名を従えて
3120mの赤石岳に登り
その山頂では
なんと
五右衛門風呂に浸かったというから
呆れました~!
そもそもの動機は
88歳のお誕生日祝いに
何がしたいか?
と側近に尋ねられたならば
「ワシの所有する土地で一番高いところへ登りたい!」
と仰ったそうな
感心するのは
♡
側近が
「殿!ソレ、無理難題おっしゃられては困ります」と
断らずに
すぐ殿の願望を成功させるため
あらゆる手配をし計画を実行に移したことだわ
その忠誠心に驚きます!
♡
1926年(大正15年)8月2日~7日(登頂)の
登山に合わせて
登山道の整備から始まった
現在でも、南アルプスの赤石岳を目指す場合は
3泊山小屋で宿泊するらしい、ので
◇
山小屋も急遽建てられた!
山林も大倉のものだから
その周りの木々を伐採すればいいだけ
と考えればそれなりに楽勝かな
そうだわ
腕のいい大工さんも手配じゃ~
なんだかんだ
総勢500名の大名登山
食料、お水、まさかの時の医者、撮影隊
他もろもろの係の人が
大倉喜八郎の88歳の記念登山を援護したらしい
総額費用は4~5億だったらしい
♦
まあ、庶民にとってはあきれたというしかない
(ひょっとしたら公共事業の意味合いもあったのかしら)
現代では考えられない桁外れなことをやった時代だったのは
その当時の、大富豪の慣例だったのかしら?
さらに驚くのは巨額の費用だけではない
なんと、南アルプスの赤石岳や山林が
要するに
”大倉喜八郎の所有する山々”だったというのが
なんといっても驚きだわ!
現在は「東海パルプ」の山らしい
(隣には甲府が見えますが金が採れたのでしたっけ)
88歳で赤石岳登山決行の
そもそもの発端が
「自分の所有する山の一番高いところへ登りたい」でした
世の中には
知らない驚愕の世界が存在するらしい
♦
現在は、赤石岳へ登山する場合
椹島(さわらじま)からスタートするらしいですが
「東海パルプ」の管理会社「東海フォレスト」の
山小屋に宿泊することが前提条件みたい
南アルプスの3000m級の赤石岳への道には
信じられないほどのお花畑が広がっているらしい
東急プラザの三菱のブースにて
蝶の飛ぶ原
♡