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Caramel 24 Carat

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モルガナイトとホープダイヤモンドとモルガンお雪




気持ちのいい快晴~☀

昨夜はほんの少し雨風がありました


本日は月曜日ですが
敬老の日の振り替え休日
ずーっと9月15日だったはず
じょうずに3連休になるようフレキシブルになったのですね

しなやかに生きるってイイですね



ところで

前回

金融王JPモルガンの膨大なコレクションを展示した
モルガンライブラリーのこと書きましたが

モルガンのコレクションは書籍やレアな楽譜や図版だけに
とどまらず実は宝石のコレクターでもあった、という

キタ~~💎

なんせ金融王ですから
やっぱりキラキラ光る宝石は外せなかったのでしょうか

まばゆいばかりのジュエリー
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ワシントンD.C. スミソニアン博物館にて
2017.2



でも、モルガンライブラリーには
そんな宝石の展示はなかったような

情報としてティファニーの宝石なんかも
コレクションしていたという
(ティファニーの屋敷が燃えてしまったのは謎ですが)

いったいぜんたいそのモルガンの宝石コレクションの全貌を
知りたいものだけど



宝石がとれる鉱石の中で緑柱石がある、らしい

スミソニアン博物館の鉱石の展示室にて
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2017.2


緑柱石
(緑柱石(りょくちゅうせき、: berylベリル)は
ベリリウムを含む六角柱状の鉱物金属元素のベリリウム)

緑柱石の仲間には
エメラルド、アクアマリン、モルガナイトがあるらしい

その中でピンク色のモルガナイト(morganite

なんと
JPモルガンの名前からとって
モルガナイト
と呼ぶそうだ


その名前の由来については宝石学の権威GPクンツが命名した、という

”1910年に宝石学の権威
G. P. クンツGeorge Frederick Kunz)が
宝石コレクターであったモルガン財閥の創始者ジョン・モルガン
功績をたたえて命名した”


このモルガナイトの大きな宝石を
実は、ワシントンD.C.の
スミソニアン博物館の一つ国立自然史博物館で
見ていたのを思い出しました~

大きなピンクのモルガナイト
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その時はそんな由来のアル宝石だとは知らず
何気なく撮ったのでしたが

そんなモルガナイトがJPモルガン由来であったとは
驚きですが

この時は
ブルー・ダイヤモンドで大変有名な

≪ホープ・ダイヤモンド≫

見たくて出かけたのでした


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スミソニアン博物館の国立自然史博物館にて


所蔵されている45.50カラットの
ブルー・ダイヤモンド
( クラリティはVS1)

ホープ・ダイヤモンドは
あのディカプリオとケイト・ウィンスレット主演で有名な
映画≪タイタニック≫(1997年)で

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架空のヒーローとヒロインのロマンチックなお話ですが
ローズが身に着けていたブルーの大きなペンダントは
このホープ・ダイヤモンドをモデルにしていたとか




≪タイタニック≫といえば
前回書きましたが
JPモルガンは実質的なオーナーでした


ところで

今回さらに驚きましたのが

〝モルガンお雪”

モルガンお雪については
そう言えば昔聞いたことがありました
今回、JPモルガンについて書いてて
思い出しました

お雪さんは京都の芸子さんでしたが
京都に観光(失恋旅行中)に来ていた
J.P.モルガンの甥っ子に
一目ぼれで見染められ
結婚した女性だそうだ

まさに超セレブ婚!

1901年(明治34年)
当時30歳のアメリカ人の富豪ジョージ・デニソン・モルガン
(George Denison Morgan. J・P・モルガンの甥)と出会う

1904年(明治37年)1月20日
当時4万円という莫大な身請け金によりモルガンに引き取られ
横浜で結婚

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モルガンと日本人妻・雪の米国到着を伝える新聞記事。1904年

なんとあっけなく

1915年(大正4年)、34歳のとき、夫ジョージが44歳で心臓麻痺で死去


と短い間の結婚生活だったようです

その後は
遺産相続で一族と裁判沙汰になるも勝利し
莫大な遺産を手に

フランスへ渡り

1916年(大正5年)新しい恋人の陸軍士官で
言語学者のサンデュルフ・タンダール(Sandulphe Tandart)と
マルセイユに移り、同棲、結婚はせず
ジョージから受け継いだ莫大な遺産を
タンダールの学問援助に費やす

タンダールと再婚しなかったのは
再婚すると遺産をモルガン家に没収される可能性があった
ためではないかと言われている

ニースの別荘で暮らしていたが

しかしまたしても

1931年(昭和6年)、タンダールが心臓麻痺で死去



晩年は振り出しに戻って
生まれ故郷の京都で過ごされたようです

人生いろいろですね

















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by caramel24carat | 2017-09-18 12:47 | 旅行・建築・アート
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