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Caramel 24 Carat

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ニュルンベルグの聖ローレンツ教会とフラウエン教会とニュルンベルグ法



今日もアメです~☔


前回につづき
ニュルンベルグの聖ローレンツ教会のこと等の記録


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いきなりですが

ニュルンベルグの名物といえば
焼き網でこんがり焼いた
ニュルンベルガーと言われるドイツソーセージ

ワタシもカイザーブルグ見学の後
おビールと一緒にいただきました~

(レストランはどこもかしこもニュルンベルガー)


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ブリキのような年季の入ったお皿に
ちょっとひるみました

ここで素朴な質問。。

どうしてニュルンベルクの名物がソーセージなのか!?



今回
聖ローレンツ教会のことちょっと調べていて
聖ローレンツってダレなんでしょうか?
と基本中の基本がわかりませんでした


殉教者セントローレンスで調べますと

なんと
焼き網に乗せられ
火あぶりの刑にされたらしいです
(鉄格子に乗せられて)

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そして
片身が焼けると
半ば生身の聖ローレンツは
なんと自ら奇跡の言葉を発したという

「こっち側が焼けたから、ひっくり返していいよ」
と言ったとか!

仰天
なんというオゾマシサ
殉教者はツライねどころではありませんが
そんな鉄格子の上で焼かれた

聖ローレンツは
料理人やコメディアンの守護聖人
なんだとか
そして
シンボルはなんと鉄格子(金網)ですって!

そんなわけで
名物のソーセージであるニュルンベルガーは
殉教者聖ローレンツに由来があるんじゃないかと
1人合点
妄想しながらもギョッとしました

ここでで気を取り直して

朝一番で訪れた聖ローレンツ教会で撮った
オルガンの動画がありましたので
聴いてみたいと思います

なぜか画面がなんでだろう?
横になってます




そんなわけで
1人ニュルンベルガーと聖ローレンツ教会の
おぞましい因果関係に納得し
その歴史背景についてちょっと調べてみました


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3世紀半ばごろ
まだローマ帝国だったころ

教会の名前にもなっている
聖ローレンツはローマ教皇シクストュス2世の執事で
教会の財産管理等任されていたらしい



軍人で元老院に近い
ローマ皇帝バレリアヌスが
教会の財産等をこっちによこせよ!
というわけで
あっさりローマ教皇シクストゥス2世(258年8月6日死)を
処刑してしまった

その三日後には聖ローレンツら7人の執事達も
火あぶりの刑にされてしまった

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一方
ローマ教皇と聖ローレンツ等を処刑した後

259年
軍人でもあったローマ帝国皇帝バレリアヌスValerianus
軍勢を率いてペルシャに攻め込んだ

だが
シャブール1世率いるペルシア軍との戦いに敗れて捕虜になり
カワハギの刑にされたという一説もあるらしい

ローマ帝国の皇帝自らが
敵国の捕虜となった失態は前代未聞のことであった

というなんともオゾマシイ話なんですが


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パイプオルガンの調べは
どうやら電子オルガンで制御されているようでした



この聖ローレンツ教会の内部には
非常にたくさんの祭壇画や装飾彫刻が
アッチコッチに飾られていて
よくよく見ますと本当に驚きます!
今になって知ったことなのですが

最後の晩餐のレリーフや
教会を建てたアダム・クラフト自身の彫刻もあるという


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ところで
網焼きされた聖ローレンツの名を冠した教会の他に

ニュルンベルグには
クリスマスマーケットとしても有名な
中央広場に
聖母教会(フラウエン教会)があります
(12時には仕掛け時計でお人形が回るらしい)


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ここには

なんとユダヤ人居住区があって
カール4世の時にユダヤ人の家屋やシナゴークの撤去を命令し
その騒動でユダヤ人が虐殺されたこともあって

そのユダヤ人居住区の跡地に
聖母教会(フラウエン教会)が建てられたらしい

1348年のことらしい
迫害を受けたユダヤ人はプラハへと移住したという

ところで
ニュルンベルグでユダヤ人とくれば
ヒトラーのユダヤ人迫害の
1935年のニュルンベルク法
そして
第二次大戦後
狂気のナチスの戦争犯罪を裁判したニュルンベルク裁判


ヒトラーが選んだ神聖ローマ帝国のお膝元であった
ニュルベルグは
歴史的な史実からも窺える
因縁の街だったのでしょうか



フラウエン教会前の中央広場にあったモニュメント
美しの泉
ですが修復中なのか
シートが被せられていました


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ドイツ旅行では
時間も限られているので
敢えて負の遺産は行きませんでした

お天気に恵まれおビールや
アイスコーヒーがホント美味しかったです



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2015年7月の
二年前の思い出のドイツ旅行から












by caramel24carat | 2017-10-22 12:51 | 旅行・建築・アート | Comments(0)
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