今日もアメです~☔
前回につづき
ニュルンベルグの聖ローレンツ教会のこと等の記録
いきなりですが
ニュルンベルグの名物といえば
焼き網でこんがり焼いた
ニュルンベルガーと言われるドイツソーセージ
ワタシもカイザーブルグ見学の後
おビールと一緒にいただきました~
(レストランはどこもかしこもニュルンベルガー)
ブリキのような年季の入ったお皿に
ちょっとひるみました
ここで素朴な質問。。
どうしてニュルンベルクの名物がソーセージなのか!?
?
今回
聖ローレンツ教会のことちょっと調べていて
聖ローレンツってダレなんでしょうか?
と基本中の基本がわかりませんでした
で
殉教者セントローレンスで調べますと
なんと
焼き網に乗せられ
火あぶりの刑にされたらしいです
(鉄格子に乗せられて)
そして
片身が焼けると
半ば生身の聖ローレンツは
なんと自ら奇跡の言葉を発したという
「こっち側が焼けたから、ひっくり返していいよ」
と言ったとか!
仰天
なんというオゾマシサ
殉教者はツライねどころではありませんが
そんな鉄格子の上で焼かれた
聖ローレンツは
料理人やコメディアンの守護聖人なんだとか
そして
シンボルはなんと鉄格子(金網)ですって!
そんなわけで
名物のソーセージであるニュルンベルガーは
殉教者聖ローレンツに由来があるんじゃないかと
1人合点
妄想しながらもギョッとしました
ここでで気を取り直して
朝一番で訪れた聖ローレンツ教会で撮った
オルガンの動画がありましたので
聴いてみたいと思います
なぜか画面がなんでだろう?
横になってます
そんなわけで
1人ニュルンベルガーと聖ローレンツ教会の
おぞましい因果関係に納得し
その歴史背景についてちょっと調べてみました
3世紀半ばごろ
まだローマ帝国だったころ
教会の名前にもなっている
聖ローレンツはローマ教皇シクストュス2世の執事で
教会の財産管理等任されていたらしい
が
軍人で元老院に近い
ローマ皇帝バレリアヌスが
教会の財産等をこっちによこせよ!
というわけで
あっさりローマ教皇シクストゥス2世(258年8月6日死)を
処刑してしまった
その三日後には聖ローレンツら7人の執事達も
火あぶりの刑にされてしまった
一方
ローマ教皇と聖ローレンツ等を処刑した後
259年
軍人でもあったローマ帝国皇帝バレリアヌスValerianusは
軍勢を率いてペルシャに攻め込んだ
だが
シャブール1世率いるペルシア軍との戦いに敗れて捕虜になり
カワハギの刑にされたという一説もあるらしい
ローマ帝国の皇帝自らが
敵国の捕虜となった失態は前代未聞のことであった
というなんともオゾマシイ話なんですが
パイプオルガンの調べは
どうやら電子オルガンで制御されているようでした
この聖ローレンツ教会の内部には
非常にたくさんの祭壇画や装飾彫刻が
アッチコッチに飾られていて
よくよく見ますと本当に驚きます!
今になって知ったことなのですが
最後の晩餐のレリーフや
教会を建てたアダム・クラフト自身の彫刻もあるという
ところで
網焼きされた聖ローレンツの名を冠した教会の他に
ニュルンベルグには
クリスマスマーケットとしても有名な
中央広場に
聖母教会(フラウエン教会)があります
(12時には仕掛け時計でお人形が回るらしい)
ここには
なんとユダヤ人居住区があって
カール4世の時にユダヤ人の家屋やシナゴークの撤去を命令し
その騒動でユダヤ人が虐殺されたこともあって
そのユダヤ人居住区の跡地に
聖母教会(フラウエン教会)が建てられたらしい
1348年のことらしい
迫害を受けたユダヤ人はプラハへと移住したという
ところで
ニュルンベルグでユダヤ人とくれば
ヒトラーのユダヤ人迫害の
1935年のニュルンベルク法
そして
第二次大戦後
狂気のナチスの戦争犯罪を裁判したニュルンベルク裁判
ヒトラーが選んだ神聖ローマ帝国のお膝元であった
ニュルベルグは
歴史的な史実からも窺える
因縁の街だったのでしょうか
♦
フラウエン教会前の中央広場にあったモニュメント
美しの泉
ですが修復中なのか
シートが被せられていました
ドイツ旅行では
時間も限られているので
敢えて負の遺産は行きませんでした
お天気に恵まれおビールや
アイスコーヒーがホント美味しかったです
2015年7月の
二年前の思い出のドイツ旅行から
♡