昨日の午後から雨空です~☔
せっかくのお休みなのに
庭仕事を思いっきりしたかったのですが~
♧
ところで前回、モネの≪積みわら≫眺めながら
モンブランを連想しましたが
モンブランといえば
ウィーンのラントマンで食べたモンブランが
サッパリした甘さで美味しかったこと思い出しました
ウィーン、ラントマンにて
写真は2013.2のもので
最近は過去モノの使いまわし~
ウフフ
ウィーンのラントマンって
海外一号店が表参道にもあるんですね、驚きだけど
🍰
ところで
ワラといえば「わらしべ長者」なんて言葉がありますが
このラントマンでみた新聞にロスチャイルドの息子の記事があって
そのことについて後にちょっと書いてました
このロスチャイルドの記事の中に
オークラが出てきたりするのですが
創業者大倉喜八郎のつくり上げた大倉財閥は
そもそも鉄砲で儲けた死の商人でもありました
あえて言うならわらしべ長者!?
カツオ節からスタートし
鉄砲~ガス灯~建設業と留まるところを知らない
モンスターのような商人だったようです
両親を亡くした後、姉からもらった餞別金を懐に
16歳で
新潟新発田から江戸に上京し
鰹節ヤの丁稚奉公から
やがて徳川幕府から明治政府への大転換期に独立し大倉商会をつくり
横浜に荷揚げされた鉄砲を
現金商売で旧幕府軍や明治新政府に
敵味方かまわず売りさばいた
商売のモンスターのような人物じゃないかと思うのですが
戊辰戦争も終盤の時
大倉喜八郎は
横浜の鉄砲を扱う商社から
2500丁の鉄砲をドイツ人の船長の船(ドイツ船?)に乗せて
榎本武揚らが追い詰められて蝦夷地の五稜郭に立て籠もっていた
箱館(函館)までどうにか運んだという
リスクなくして巨利は得ずではありますが
どうもここでドイツ人が片棒担いでいることにビックリ!
やっぱり巧妙なドイツ人に乗せられていたのでしょうか
旧幕府軍の写真もちゃんと残っているのに驚きます
誰が撮ったのでしょうか?
Wikiより引用
以前、映画≪るろうに剣心≫を観たことがあったのですが
後編で
鳥羽・伏見の戦いで焼かれ全身大やけどになりながらも生き延びた
包帯でグルグル巻きの志々雄真実の船
大型甲鉄艦≪煉獄≫には
ロココ調のソファが置かれていて
意外だったのですが
この甲鉄船はフランスのボルドー産を
やっぱり想定していたのかしら?
🍷
戊辰戦争時
新明治政府軍が旧幕府軍に対抗して
大金をはたいて買った軍艦が
通称≪甲鉄≫といい≪東艦≫ともいうらしいですが
この甲鉄艦は
もともとアメリカ名の≪ストーンウォール≫号といい
南北戦争時の南部連合が同盟国であったフランスへ発注され
フランスのボルドーのアルマン・ブラザース社造船所で建造されている
この名前を≪ストーンウォール≫号からやがて帝国海軍の≪東艦≫と変えた甲鉄艦ですが
建造された竣工後
出来上がった船が届けられる内に南軍が負けてしまったという
艦にとっては残念な結果でした
(戦時中、南軍は密かに甲鉄艦を発注していた)
時のナポレオン3世はアメリカへの輸出を禁じていた
当時の国際慣習では
“交戦国へ中立国は武器を輸出しない”となっていたので
アメリカ北軍からもクレームがあり
甲鉄艦≪スフィンクス≫は
スウェーデン経由で一旦デンマークへ売却され
≪ステークオザー(Staerkodder)≫となり
1864年12月
コペンハーゲンでアメリカ南軍に引き渡すため
≪ストーンウォール≫と命名され
アメリカへ回航~
🚢
キューバのハバナへ到着したころ南北戦争は終結
艦の所有はキュ-バ政府となり
のちに北軍(アメリカ合衆国)へ引き渡され繋留されていたところを
幕臣・小野友五郎によって買い付けられた
という、国を転々としその度毎に名前を変えながら
売られてきた
波乱万丈の船だったらしい
慶応三年(1867)
この艦はニューヨークで幕府に引き渡され
ジョージ・ブラウン中佐以下アメリカ海軍軍人を傭人として雇い
日章旗を掲げて日本へて回航
慶応四年(1868)4月23日横浜へ入港した
この日本にやって来た
≪ストーンウォール≫こと≪東艦≫は
1861年、アメリカの南軍連合が発注し
フランスのボルドーのアルマン・ブラザース社造船所で
フランス名で≪スフィンクス≫と呼ばれ
秘密裏に建造が進められていたが
同時に
もう一隻≪キーオプス≫号という
姉妹船が建造されていた、という
この姉妹船≪キーオプス≫号はプロイセン(ドイツ)に売却され
≪プリンツ・アダルベルト(Prinz Adalbert)≫と改名され
プロイセン海軍の戦艦第一号として就役した
🚢
ちなみに映画≪るろうに剣心≫登場の
志々雄真実の甲鉄艦≪煉獄≫を
検索してみました
ネットより拝借
元は漫画のお話で映画化されたのかな
まあ、一目瞭然!
フランス、ボルドー産の≪スフィンクス≫こと
≪ストーンウォール≫=≪東艦≫
とそっくりだわ~アハハ
映画で気になった
ロココ調のソファの画も発見
♡
なんと
このボルドー色のソファですが
(エンディングロールでソファ制作とでてましたが)
今知ったのですが
映画公開当時
新宿ピカデリーにて実物があったみたいです!
なるほどね~
包帯姿の志々雄真実のお人形と記念写真が撮れたらしい
あはは~
画像は公式サイトより
ところで
ここで驚くべき≪東艦≫の末路がありました
なんと
1895年12月のこと
海軍から払い下げられていた≪東艦≫は
屑鉄業者に払い下げられた後、解体され
明治28年(1895年)12月に開設された
東京電燈会社(東京電力前身)の浅草発電所の
発電機の部品トランスの鉄芯に使われたという
甲鉄艦の胴回りには
純度の高い良質の鉄板が使われていたという
東京電燈といえば
1882年、
大倉喜八郎の銀座大倉組の前の銀座通りで
初めて点灯されたのでしたわ
ドイツ、ハノーファー出身のクリストファー・ノーランの記事も
なんとなく繋がりました~
♡