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Caramel 24 Carat

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カテゴリ:未分類( 18 )

ミンミンゼミ



今朝はセミの合唱が凄かった~♪



セミの一生はほんの一夏限りと聞きますが
地上に出るまでの地下期間が数年らしい

シマトネリコとミンミンゼミ

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過酷で凄絶な一生なんですね

ミンミンと全身羽を震わせてなくのは
お嫁さん探しなんだそうだ

「ボクはこんなにも力強く鳴けるんだぜ~♫」

みたいな
そんなパフォーマンスのあと
めでたく結婚すれば
歓びもつかの間

まさに長いようで短い一生を
潔く終える、という

〝生きる歓び”
とは ❓


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でも
あまりにも可哀そう

「ボク(ワタシ)はセミなんかに生まれとうなかった~」



歯ぎしりしながら泣いているようにも聞こえる

それとも?

いや、しかし
人間て超ゼイタクにできてるのね


青シソの葉がレース風

たぶん犯人はバッタ

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そういえば

バッタもん

ってメイドインチャイナが多いらしいですね





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by caramel24carat | 2017-07-23 11:15

紅(くれない)と「アッそう」の「その程度」



気持ちのいいお天気~☀


山だ!海だ!と絶好のアウトドア日和だわ


山アジサイの紅(くれない)が
色づいてきました


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今後の変化が楽しみ~



ところで

トランプ大統領が
パリ協定離脱というニュースがありましたが

「京都」なら知ってましたけど
「パリ」ってのは
初めて知りました

元アメリカ副大統領アル・ゴアが著した
『不都合な真実』って
一時
それは違うのでは?と話題になりました

(アル・ゴアさんてノーベル平和賞もらってたんですね)



日本で京都議定書の時の
環境大臣が川口順子氏で
(あのスカル&ボーンのエール大卒らしい)

いつだったか
中国へ数百億っだったか
ポンとあげます、みたいなことおっしゃてて

ビックリ仰天しましたが

あれはどういうことだったのでしょうか?

(今や中国はナンダカンダの大国ですが)

途上国と協力して排出量を減らす
原発CDMってあるそうですが

川口環境大臣の時は
中国へ
原発輸出をしていたの野でしょうか??

福島原発事故以来
原発と云えば
今や
東芝が散々で倒産の危機みたいだけれど

そもそも
京都だのパリだのは
原発産業の
プロパガンタだったりはしないのでしょうか?

「アッそう」大臣は

フランスのラファージュと深い関係があったようで
そもそも
ご先祖は
九州の石炭やさんだったみたいです

ウクライナから
排出権買ったり

ほんとワケわかんないです

三菱重工とフランスアレバへ出資
(総額約2億5,000万ユーロ)
2017.3.21
https://www.mhi.co.jp/notice/notice_17の0321.html

「アッそう」大臣が
トランプ大統領のパリ協定離脱に対して

「その程度の国」と言ったとか

Ahaha

そもそも
フランスは原子力大国ですもんね





イロイロあった過去記事
この際
リンクしてみました


ふと妄想するのだけれど
大間の巨大なマグロって。。










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by caramel24carat | 2017-06-04 10:44

シルバープリペットの白い花とルッカとプッチーニとルイーゼ・イリカとストラディバリ家



二日続いた雨もすっかり晴れあがり
さわやかな風が吹いている~☀



シルバープリペットの白い花が満開です

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5月もそろそろおしまい
制服なら衣替えかしら

ところで

ZARAの姉妹ブランドに
「ストラディバリウス」がある

以前
不動産王ZARAについて書いてた時



ZARAに姉妹ブランドがあることを知って
「♪ストラディバリウス(Stradivarius」とは
ヴァイオリンと同じ名まえだワと
ちょっと気になったのだけど

ZARAとヴァイオリンのストラディバリウスとは
何か関係があるのでしょうか??

ザラの2017年の夏はボヘミアンなファッション


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ところで

イタリアのファッションの都と云えば
ミラノを思い浮かべますが

まあ、ミラノの高級ブランド
プラダやドルチェ&ガッパーナなんて
サラサラ縁がありませんが

そのミラノから
100㎞ほど南下したところに
クレモナやカステッラルクアートがある、という


クレモナは
偉大なアントニオ・ストラディバリが
ヴァイオリンを制作した地で
ストラディバリウスの博物館もあるらしい

そのクレモナから
西に30㎞ほど離れたところに

カステッラルクアートという
中世の面影が残る街がある
(と知っただけですが)

この街には
ストラディバリ家のお城がある、という
4代目チェザーレ・ストラディバリの息子
5代目リベロ・ストラディバリが建てた
中世風のお城は
6代目マリオ・ストラディバリへと受け継がれ
現在
7代目アントニア・ストラディバリと
8代目ルカ・ナターリ・ストラディバリが
別荘として使っているらしい

4代目チェザーレ・ストラディバリは
イタリア統一運動に参加した従軍医師だったらしい

リーダーだったジュゼッペ・ガリバルディは
1860年千人隊赤シャツ隊)を組織して
シチリアの反乱を援助し両シチリア王国を滅ぼした。”

そうなんだ
今5月26、27日と
シチリアのタオルミーナで
G7サミットが開催されてたけど
何か因果関係があるのかしら?

統一運動の千人隊は
赤シャツ隊とも呼ばれたらしい
赤シャツ隊(あかシャツたい、Camicie rosse)

1861年
イタリア統一される

4代目チェザーレの弟
ピエトロ・ストラディバリが
独立したクレモナの初代県知事になる

4代目チェザーレは
統一後広大な土地を購入し
ワイン畑に専念する


話は
初代アントニオ・ストラディバリのころに戻って
アントニオには10人の子どもがいた

2代目の
10番目の10男パオロ・ストラディバリは
繊維業で財を成したが
先代からのストラディバリや道具等は
すべて売り払ってしまったらしい

家業や音楽に興味がなかったわけではなく
ストラディバリ家を快く思わない
貴族たちへの政治的な理由からだった





ZARAの姉妹ブランド
「ストラディバリウス」は
繊維に関わっていた
ストラディバリ家の10男パオロに
何か関係があるのでしょうか?

アントニウス・ストラディバリが
10人も子供がいたのに
家族を持ったのは10男だけだった

ということは
現在7代目8代目が存命であるが
ストラディバリ家の10男の末裔ということなのかな


つい先日
ネットニュースで流れていましたが

現代に制作されたヴァイオリンと
最高のヴァイオリンであるストラディバリウスと
音を比べたところ
まったく遜色がなく
むしろ
現代のものがよかったらしい

ド素人の私にとっても
かなり衝撃的な内容でしたので
ビックリしました

前々から

何億もする古いヴァイオリンが
そんなにいいのかしら?

と少なからず疑心暗鬼だったので

内心そんなもんでしょと
ほくそ笑みましたわ

Ahaha




ストラディバリ家のお城のある
このカステッラルクアートの地には

プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の台本を書いた
台本作家ルイージ・イリカ
(1857年~1919年)
の生家がある、という

作曲プッチーニの「蝶々夫人」は
長崎グラバー邸で「ある晴れた日に」を熱唱するのでしたっけ?

ピンカートンと蝶々夫人と似たような
ロティとお菊さんは
小説になりましたけど

1903年2月17日
ミラノスカラ座で「蝶々夫人」は初演された

と日本にも大変有名でなじみがありますが

なんと

オペラ「蝶々夫人」の台本作家
ルイージ・イリカの生家が
現在
日本人オーナーでホテルになっているらしい

Casa Illica
http://www.casaillica.com/

🏨


ルッカについて

カステッラルクアートから
さらに南下したところに

ルッカという中世のままの街がある、という

Luccaは
先月の4月10日と11日に
G7外相会合が行われた場所だ
日本からも岸田外相が行ってらした

(それでルッカを知ったんだけれどもね)

このルッカ(LUCCA)は

ナポレオンの妹(長女)エリザが
皇帝になった兄から分け与えられた領土だった

そして
オペラ「蝶々夫人」を作曲した
プッチーニの生誕地だったんですね
プッチーニは自動車事故に会い
なぜかベルギーで亡くなっている

また
ルッカは絹の生産地でもあり
交易で栄えていたという


絹といえば
日本では丹後ちりめんなんかが有名ですが

先日亡くなられた
元議員与謝野馨氏の祖父母の
与謝野鉄幹と晶子のゆかりの地でもあるらしい
与謝野という地名もあるんですね


かつて
丹後の絹織物は
ミラノに白生地を輸出し
地場産業としてとても
栄えていたこともあったそうです
















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by caramel24carat | 2017-05-27 16:19

≪デヴィトのダイアモンド≫とSOMとワンワールドトレードセンター




昨夜の雨も上がり快晴~☀
春vs冬なのか風が回っている



NY

今回ラッキーにも
高層階65階のレジデンス型のホテルに
泊まることができて


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いよいよワタシもマンハッタンの住人だわ

と舞い上がるような
チトと錯覚した嬉しいNY滞在でした

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予約の段階では「眺望あり」だけで
ホテルのこともよく知らず

いざチェックインして部屋に入ると
素晴らしい眺望が開けました


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そんなわけで朝に夕に眺めた
マンハッタンやハドソン川そして対岸のニュージャージー


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そして気になるすぐ目の前に
ガラスのピラミッドが乗った
特徴ある高いタワービルが見えてました

何でしょうか?

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ちょっと気になって調べてみますと

とても有名なビルらしく
≪ワールドワイドプラザ≫というレジデンスらしい

8番街(49丁目~50丁目)にある
ワールドワイドプラザ

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前を通ってみました

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そのビル先端のガラスのピラミッドは
≪デヴィトのダイアモンド≫と呼ばれる、という

明かりがともる夕暮れ時には
ダイアモンドのように光り輝く

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このビルを設計したのが「SOM」という


建築設計事務所「SOM」は
スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル
頭文字をとったもので

由緒ある全米最大の
建築設計事務所だった!

そこに所属しているデビッド・チャイルズ氏が設計したことから

≪デビッドのダイアモンド≫と呼ばれるらしい



http://www.som.com/expertise/services/architecture



「SOM」による設計で有名なビルには

なんと

2001年9.11の跡地グランドゼロに建つ

(海風がとっても冷たかった)

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象徴的なビル≪ワンワールドトレードセンター≫がある

2000年に行った時に比べ
高速道路が走っていたり
高いペンシル型のビルがニョキニョキ建ってました

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一番高い尖塔が針のようでねじれた風にも見える


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ワンワールドトレードセンタービル

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そうだったんですね!


また

前に記事にしました
コロンバスサークルの
≪タイムワーナーセンター≫も
≪SOM≫によるものだというからビックリ!

そうか~そうだったんですね♡
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そして
「SOM」が手掛けたものは
なんと日本にもありました!

防衛庁跡地に建った
≪東京ミッドタウン≫がそうだという

ちなみに防衛庁の建つ前はアメリカ軍の駐屯地だったらしい

そのずーっと前は
萩藩毛利家の上屋敷あったという
安倍首相のお膝元ですか?
(この地は1641年~1871年まで萩藩毛利家屋敷として使用されていた)

東京ミッドタウンの
建物全体のマスターアーキテクトを担当したのが
デビッドチャイルド氏(SOM
だった



今回
NYで泊まったホテルから見えた
ワールドワイドプラザの尖塔のガラスのピラミッドが

≪デビットのダイヤモンド≫と
呼ばれることになった

そのデビット・チャイルド(David Childs)氏の設計だったんですね!

東京ミッドタウンには
ユニクロやヤフーやサントリー美術館が入っているらしい
ユニクロといえば山口。。萩藩毛利

そんな
全米一の精鋭建築事務所
「SOM」は


世界にやたら超高いタワービルを設計してきているのですが


なんと

世界で最も高いと言われている

アラブ首長国連邦のドバイに建つ
あの有名なバベルの塔のような超高層ビル

≪ブルジュ・ハリファ≫もそうだったんですね!


トム・クルーズの
『ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル』では
(もちろん観に行きましが)
(ロシアとかVXガスが登場してた)

ブルジュ・ハリファでとんでもないロケが行われていた!


チャッチなCGではない

本物!でございます

https://youtu.be/Mr03YLa9jHQ


命知らずのトム・クルーズには感激ですが



このドバイのブルジュ・ハリファの建設は
ベルギー最大の建設会社の
ベシックス (Besix)と

実際現場の作業を請け負ったのは
今、何かと話題の
韓国サムスン(物産)建設?だったらしい

現場の人夫は南アジアからの出稼ぎ者が多く
劣悪な環境での労働だったらしい


「アラブ首長国連邦」と「ベルギー」と「韓国サムスン」の
関係って

今はなくなった国立競技場設計の「ザハ・ハディド氏」と
「TOKYO五輪ロゴ」と「韓国人デザイナー」
の関係を連想するわ~?



そんなこんなな
ブルジュ・ハリファには
ホテルの客室もあり

なんと

「アルマーニ」も運営しているという
”304室のホテルはその1/4がアルマーニの運営”

昨今じゃ
「ZARA」の創業者は
世界第2位の大富豪の不動産王でもあるし

「アルマーニ」も洋服作っているだけじゃないんですね
ホテル運営や不動産なんですね!


そういえば
アルマーニといえば

前回
妙にオカシイと感じましたが

NYトランプタワー横の歩道で
デモしてた人たち!?

トランプの応援団でしたが

なぜか
五番街のアルマーニのお店の真ん前で陣取ってましたが?

いくらなんでも
それは
お店のお邪魔じゃアルマーニ!?

なんてね














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by caramel24carat | 2017-02-19 16:29

モネのエトルタの夕焼け?とキムタクのドラマ



日中ますます春めいて~☀






今朝の月(8時過ぎ)

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本日二度目の投稿



なんとなくぼんやりしていて
ふと思ったのですが

最近ドラマが面白いわ




そんな中
キムタク主演の≪A LIFE≫という
≪ドクターX≫の男性版とも思える
職人外科医のドラマの第1回を見ました

舞台となる檀上記念病院は
相模原の北里病院でロケらしい

キムタクさんは
相変わらずキャメルのレザージャケットで登場し
数年前みました
キャメルのダウンジャケットを着ていた
≪HERO≫を連想する

話は檀上病院の
院長の心臓手術のため
2016年冬
東京に呼び戻されたところから始まる

10年前の2006年にシアトルへ飛び
外科医として修業を積み
なんと
6364回のオペをやってきたという

外科医としての腕は確かで
ベルギーの王様の弟の奥さまのオペもやったらしい


キムタク演ずる沖田の幼馴染が
(シアトルに厄介払いしたのは彼)
院長の娘と結婚して副院長として収まり
脳外科医でありながら
病院経営にも手腕を発揮しているのだが

今回の院長の心臓オペで
沖田が帰国したのが気に入らなく

2回目のオペも成功させた沖田に
なんだか嫉妬?か鬱積した
思いを発散させるため

副院長室の壁に
げんこつパンチを食らわせ
穴を開けてしまう!

なんだなんだどうした!?
なんですが

その不覚にも明けた穴を隠すために
部屋に飾ってあった額で目隠しするのですが

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どうもその絵が何だろう?と
気にかかったのですが

ひょっとして

ギラついている映し出された額絵を見ながら
なんとなく
ヒントは「針」と「穴」じゃないかしら
!?
と思い当たりました!

そうだわ
モネの≪エトルタの夕焼け≫!


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画面がギラついているので
ハッキリしませんが

きっとエトルタの海岸と奇岩の風景画でしょうか

そもそも
とってつけたような副院長のパンチで
壁に開いた「穴」と
外科医の「針」とのセットで

エトルタの石灰岩の奇岩を連想しました


アヴァルの門と針岩 (L'Aiguille et la Porte d'Aval)
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モネの絵とは反対の向き


このモネの≪エトルタの夕焼け≫は
ナンシーの美術館で見たことがありました



以下メモ




モネは
ノルマンディーの英仏海峡に面した漁村エトルタの海岸で
何枚もの作品を描いてる

石灰層の巨大な絶壁の「アモンの断崖」や「アヴァルの門」などは
景勝地として知られていてる

「アヴァルの門」の近くには
モーリス・ルブランの小説「怪盗アルセーヌ・ルパン」シリーズの
『奇巌城』(L’aiguille Creuse)のモデルとなった
岩、エギユ(針)島がある

モネはエトルタに1883年の1-2月に滞在して以降
1886年まで毎年訪れていたらしい

エトルタのカジノのテラスからの眺めを
描いた作品もあるらしい











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by caramel24carat | 2017-01-17 15:00

一直線



今日も穏やかないいお天気~☀



昨日は午前中いっぱい防災訓練でした
ポカポカのお天気のもと

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グラっと号(起震車)にのり震度7を体験したり
人工呼吸をやってみたり
消火栓を使ってみたり

午後からはパラパラと
そして
昨夜は雨が降ったというのに

今日はまたお天気~~☀

幸せなこった

飛行機が一直線に飛んでいった

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まあ、しかし月曜日はダルい

世界は丸いけれど
ひょっとして「D・トランプ症候群」が蔓延しているのかしら


あはは








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by caramel24carat | 2016-12-05 15:03

コート・デュ・ローヌのワイン≪Paul Jaboulet Aîné≫




今日もいいお天気~☀



パンジーも元気


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先日
TVのドラマ≪IQ246≫を
みてましたら

あ、そうそう「IQ246」って
なんだか「国道246号線」みたいで
可笑しいですよね

ひょっとして「シャーロック」の屋敷が
「によんろく」を通るのかな?

ちょっと逸れましたが
ドラマの話の中で
ワイン「78年物、コート・デュ・ローヌ」がでてきて
おやっ!?と思ったのですが


ちょうど、先月、恵比寿ガーデンプレイスの
パン屋さんで買ってみた
小瓶のワインが「コート・デュ・ローヌ」だったのを
思い出しました
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まあ、78年物とやらではなく
というか、そもそもワインのことなんて全くわかりませんが

改めて、ラベルをみてみますと
ローヌワインの名門らしい
ポール・ジャブレ・エネ (Paul Jaboulet Aîné)と読めました
(お手頃値段のものだったけどピンからキリまでみたい)

🍷

ポール・ジャブレ・エネについて
ちょっと調べてみますと

Paul Jaboulet Aînéの歴史は
1834年にアントワーヌ・ジャブレによって始まり

現在7代目の女性が頑張ってらっしゃて
殺虫剤も除草剤も使わないらしい

”女性ワイン醸造家キャロリン・フレイさんシャンパーニュ生まれ、ボルドーで訓練を受けたワイン醸造家キャロリン・フレイさんが現在ポール・ジャブレ・エネの醸造を担当しています。シャンパーニュ地方の名門で不動産業を営んでいた父が購入したブドウの畑とワインセラーを受け継いだ彼女が最初に行ったのは殺虫剤と除草剤の利用を止め、ブドウが地中深くまで根をはるように馬を使って雑草を掘りおこす作業でした。土壌にある自然の滋養を吸収させ、テロワールの栄養をたっぷり含んだブドウ栽培の方法を採用”

住所:Place du Taurobole, 26600 Tain l'Hermitage
http://www.jaboulet.com/Website/site/eng_lamaisonjaboulet.htm
http://jp.france.fr/ja/news/54428

そんなこんなで
ワインがらみで話は長くなりますが



前回、サンクトペテルブルグの
老舗高級食料品「エリセーエフスキ」の創業者ピョートルが
輸入した「ワイン」や「オレンジ」を売り始めた
と知りましたので

前に、ロマノフ王朝のアレクサンドル2世が
大のワイン好きでシャンパーニュ地方で
皇帝ブランドのシャンパンを造らせていた!
ことを知り、驚いたことを書いてたことがありました




ロマノフ王朝時代に「ワイン」や「オレンジ」を商い
大富豪となった元農奴であった
高級食料品「エリセーエフスキ」の創業者ピョートルだけど

ひょっとしたら
ロシア皇帝アレクサンドル2世のシャンパンも卸してたのかな?

なんて妄想したわけです




ちなみに、ロシア皇帝アレクサンドル2世の治世は
農奴解放もおこなったようですが
世界的にも激動の時代だったようで
1881年3月13日、「血の上の教会」の場所で
暗殺されました

💔
王朝の財政は疲弊していたようで

クリミアのバクー油田の利権ははノーベル家に
そして
アラスカはアメリカに売却と
ロシア帝国は
けっこう財政的に困窮していたようだ

ちょうどプチャーチンが
下田へ来たりしている

1867年には開発の困難なアラスカ(現在のアラスカ州)をアメリカに720万ドルで売却し、1875年には日本の特命全権大使・榎本武揚との交渉で樺太・千島交換条約を結び、日露間の国境を確認した。日本との関係で言うと、日本政府とペルー政府との間におこったマリア・ルス号事件では、1873年から1875年にかけて開かれた国際仲裁裁判の裁判長となり、日本に有利な判決を出した

日本とも
「樺太・千島交換条約を結んだ」らしいですが。。



昨日、2016.12.2
サンクトペテルブルグを訪問していた
岸田外相は

プーチン大統領と会談したようだ
(まあ、しかし、2時間待たされたらしい)

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産経より引用転載




プーチンさんの背景には
サンクトペテルブルグを建都した
ピョートル大帝の大きな肖像画が見えます

したたかなプーチン大帝!

いったい場所はどこだったのでしょうね?

ところで、マイブログの過去記事に
プーチン大統領が
1855年のワインを安倍首相に昼食会で振舞った
という記事がありました



この時の「1855年は日露通商条約が結ばれた」
といって振舞われたワイン名は何だったのでしょうか?


🍷

























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by caramel24carat | 2016-12-03 15:19

セルゲイ・エリセーエフと豪奢な高級食料品店「エリセーエフスキEliseevsky」



今日から12月に入りました~


師走とはいってもあまり実感もなく
年がら年中なんでもネットなどで簡単に手に入る
今はありがたい



しかしいろいろ商品が並ぶ素敵なお店でのお買い物は
楽しいでしょうね




前回、サンクトペテルブルグのネフスキー大通りにある
「コリンシア・ホテル」や「丸亀うどん」についてちょっと書きましたが

そのネフスキー大通りには
高級食料品店「エリセーエフスキー」があって
観光客も訪れるらしい
(残念だけど私は知らなくて行ってないんです)

ロシアNOWの記事
http://jp.rbth.com/multimedia/pictures/2016/02/13/567115

モスクワにもあるようです

モスクワの高級食料品店「エリセーエフスキ」

豪華な宮殿のようなシャンデリアのぶら下った店内

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m. Pushkinskaya, ul. Tverskaya, 14

上下写真「Eliseevsky」より引用

現在 高級食料品店「エイセーエフスキー」は
2003年に新装開店したモスクワのトベルスカヤ通りと

2012年に再開店した
サンクトペテルブルグのネフスキー通りにある




このロシアのモスクワとサンクトペテルブルグにある
豪奢な宮殿のような老舗高級食料品店「エリセーエフスキ」は

もともと帝政ロシアのころ
1813年~元農奴ピョートルによって
輸入した「オレンジ」や「ワイン」の商いを始め繁盛したらしい

1901年にはグレゴリー・エリセーエフによって
「エリセーエフ商会」としてビジネスは拡大し
成功し大富豪として成り上がったらしい



帝政ロシアの皇室御用達のお店でもあったが
20世紀初めに、エミール・ルーベ仏大統領が
ロシアを訪問した際
費用を全て持ち、盛大に”おもてなし”をしたことで
「貴族」になったようです



しかし、1917年のロシア革命によって
ポルシェビキは皇族や貴族の財産を没収したり
または処刑したりとロシアの貴族たちは
取るものも取りあえず宝石などをつかんで逃げたわけです

財産や屋敷を没収され国有化された貴族だった一家は
パリへと亡命する
お店は「食料品店No.1」としてそのまま残っていたようだ


グレゴリーエリセーエフには5人の息子と1人の娘がいたのですが

革命前の幸せな日々を過ごしていたエリセーエフ一家の
次男にセルゲイ・エリセーエフがいた

”セルゲイ・グリゴリエヴィッチ・エリセーエフ
ロシア語: Сергей Григорьевич ЕлисеевSergei Grigorievich Eliseevフランス亡命後は、セルジュ・エリセーエフSerge Elisseeff1889年1975年)は、ロシア日本学者東洋学者である。日本語では「英利世夫」と自称していた。ハーバード大学教授ハーバード・イェンチン研究所 Harvard-Yenching Institute 所長などを歴任。”

帝政ロシアの皇室御用達の高級食料品店のオーナーで
大富豪グレゴリー・エリセーエフを父に持つ
御曹司セルゲイ・エリセーエフは


なんとライシャワーさんの知人で
同じ日本学の学者さんでした

お買い物や眺めるだけでも楽しそうな店内
ロシア革命前は皇族や貴族のマダムや令嬢がいらしたという


やっぱりロシアマダムは毛皮のコートよね
ワイン売り場
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前に、松方ハル(日銀の松方正義の孫)と結婚した
J・F・ケネディに任命された
元駐日大使ライシャワーについて書きましたが

ネオ・バロックの圧倒されそうな店内インテリア

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ライシャワーはマサチューセッツにあるハーバード大の東洋学の研究所
ハーバード燕京研究所(ハーバード・イェンチン)の所長を
務めたことがあったと知りました

並んだ新鮮な魚介類

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「燕京」は「イエンチェン」と読み中国語のようですが
ハーバード大と燕京大学(のちの北京大学)が共同設立した
東アジア関係の人文科学や社会科学の研究所らしい

1928年チャールズ・マーティン・ホールらの出資を受け設立された
(アルミニュウムの生成に成功した人物、のちにはアルコアへ)

その2代目所長が、エドウイン・O・ライシャワーさんで

その前の初代所長がロシアの大富豪エリセーエフ家の
御曹司セルゲイ・エリセーエフだったのですね!



ほんと世の中せまいわ~
なんちゃってね
アハハ



この御曹司セルゲイさんは
11歳(1889年~1975年)の時に
家族とともにパリの別荘へ貸し切り汽車でバカンスへ出かけた

ちょうどパリ万博(1900年)を見学し

また、その後、日露戦争(1904-05)があったりして
小国なのにロシアを負かした日本とは!?と
日本に非常に強い関心を持った、らしい

ベルリン大学へ留学していたとき
日本人の留学生の言語学者新村出(しんむら・いづる)に出会った、という
もともと日本への強い関心があったセルゲイは
いろいろ新村出に根掘り葉掘り聞いたのでしょうか
そして日本留学を志す

新村出といえば
よくお世話になった国語辞典の方ですよね!
そうなんだ!
森鴎外がベルリンへ行っていたのは有名ですが
国語辞典の新村出もベルリンへ行ったのですね

アジアの純真に
「ベルリン~バラライカ」ってあるけどね



そしてなんと、1908年
シベリア鉄道で40日かけて
日露戦争に勝利した小国ながら強い国

日本にはるばるやって来て
東京大学に正規に入学し
晴れて東大生になった

ロシア帝国の大富豪の御曹司は
庭付きの日本家屋を借り
お世話する女中も置いたらしい

しかし、サンクトペテルブルグの生家は
宮殿のようだったというから
木と紙と土の家は質素ですね

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夏目漱石の「木曜会」にも参加
またヴォーリズのように
日本名もあった

セルゲイ・エリセーエフは
東京(帝国)大学に初めて入学した外国人だったようです

エリセーエフの卒業論文は芭蕉研究であった
1914年に大学院課程を修了し、ロシアへ帰国後に結婚
1916年の2年後には研究のために日本を再び訪れる

紋付き袴のセルゲイ・エリセーエフ(1911年、22歳)

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その後サンクトペテルブルグへ戻って
ペトログラード大学で日本文学と日本語を教える

やがて1917年、ロシア革命が起きて
貴族だった一家の生活は一変してしまった
兄弟の2人は射殺されセルゲイは投獄された

その時、投獄された時のことを
『赤露の人質日記』1921年
に著している

やがて解放されたセルゲイや残ったエリセーエフ一家は
身に持てるだけの宝石類を携え
1920年、フィンランドへの密輸船で出国し
その後、フランスへ亡命

パリではギメ美術館や日本大使館で働いたり
ソルボンヌ大の高等研究院教授に就いた
そして1932年、アメリカへ渡り
ハーバードで日本文学や日本史や日本語を教えた
ということらしい

そこでライシャワーに出会った

第二次大戦中は
京都や神田の古書街を守る為に尽力したらしい











      









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by caramel24carat | 2016-12-01 20:08

マダム・アルディと6年前の記事



陽射しがまぶしい~☼



グリーンアイがポイントのマダム・アルディが咲きだしました
6cmほどの白バラで爽やかな香りがイイわ~

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2.5mほどの高さに伸びた枝の先にちょこんと咲いているので
お日さまこんにちは状態では眺められないので
脚立にのってカット


マダム・アルディはナポレオンの皇后ジョセフィーヌの住んだ
マルメゾン宮殿の庭師アルディさんのマダムに捧げられたバラ


この器はお気に入り
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「マダム、何かアルディ?」  

「ウィ~」    ふふ

@あるある!東京では国際バラショウで「ジョセフィーヌの庭」が
見れるそうですね



メモ

@マイPCの電源が落ちた件について
原因はまだ修理に出してないので分からないけれど

Windowsの更新プログラムが毎月第2火曜日に行われ
水曜の朝に自動更新される、という情報があった

偶然なのか、水曜の朝にダウンしたことや
木曜の朝に、29000個ほどプログラムが自動更新されたことが

ひょっとしたら、何か関係しているのかな??

このノートPCいつごろ買ったのか、マイブログ記事内から
調べてみると、2010年5月29日に購入している

ということは、6年目だわ~~

備忘録としして、6年前の記事転載

2010.5.29 
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昨日、予約していた iPad wiFi 32GB が手元に届いたが。。

ちょうど2日前に PCが壊れていてお手上げ。。
iPad立ち上げには AppleのHPから iTunesをインストールしなければいけなかった

新たにノートを準備し 無事 iPadが使えるようになった



ちょうど、ipadを購入したが、その時、前のPCもダメで
ipadをインストールするために(ヤッカイナことに)
またまたヤマダに買いに行った時のものだった

@この時は、エコポイントなんてのがあったんですね

思い出した。。この時無事ネットにつなげた
ipadの画面がグリーだったけれど
〇〇〇がいるんじゃないかと思った

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@iPadはポイント(エコ+YAMADA)でgetしたが 
ノートは予想外だったが、しょうがない
ネットのない環境は 今では考えられない。。



ipadは初期のものですが、まだまだ元気で重宝している
旅行にも持って行ってるけれど

@驚くことに最近のipadはとても軽く進化しているんですね!

しかし、過ぎてみれば、5年なんてあっという間~~
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by caramel24carat | 2016-05-13 13:52

ロマネ・コンティとシトー会修道院と明治神宮


鈴虫や一雨ごとの涼しさや~
ハイクのつもりデス




きっと、思うに、ワインも飲むほどに、お料理と一緒にいただくと
さらに味わい深くなる、ちょっと大変な飲み物なのかも知れない

ところで、バスで走った思い出のボーヌからディジョンへの
グラン・クリュ街道沿いに、お城が見えてたんですね
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ちょと気になってて、地図をみると、
シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョChâteau du Clos de Vougeotという
元シトー会修道院の古いアベーでした

シトー会とはキリスト教の一派みたいです
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そもそもワインは修道士たちによってつくられ
生活の糧にしていたのでしょうか

“12世紀初頭、シトー会の修道士たちによってこの地に修道院がたてられ、ブドウ栽培及びワインの醸造が始められたことに遡ります。12世紀に建てられた修道院は、フランス革命がおこるまでシトー会修道士が所有していました。革命後には、修道院は国財となり、その後、何度も所有者が変わり、1944年、ドメーヌの持ち主だったエティエンヌ・カミュゼが、建物の所有権を利き酒騎士団(Confrérie des Chevaliers du Tastevin)に譲渡したことで、クロ・ド・ヴージョは現在、ワイン関連の博物館になっています”

一時、ソムリエさんが人気だったですが
日本からも、ソムリエの試験に合格すると
このシャトーに行かれ利き酒騎士団から
叙任されるのですね

春に、明治神宮に行った時、参道に
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ブルゴーニュ・ワインのたくさんの樽が
並んでいて、驚いたことがあります
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明治神宮は、なにかブルゴーニュと深い関係が
あるいは、シトー会と何か繋がりがあるのでしょうか?
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まあ、単に、結婚式のお祝いの席でワインが飲まれるからですかね

ヴォーヌ=ロマネ (Vosne-Romanée)村あたりの
地図を眺めながら、ワイナリーの畑の位置をみますと
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ボーヌ城をワインセラーにしているブシャール・ペール・エ・フィス社の
Bouchard Père et Fils≪La Romanée≫が採れる畑は
かの有名なRomanée-Contiの同じグラン・クリュ=特級畑と
“隣同士”なんですね、かつて分割された畑だったらしい
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@ロマネ・コンティの畑は1.8haの一ヶ所のみで、
画像の濃いピンクの一ヶ所だけのようです

所有者が売却のため分割したのかもしれない

ブルゴーニュ・ワインの代表、ロマネ・コンティの
名まえの由来をみてみますと、なんと、2000年前に遡る

Romanée-Contiの、「Romanée=ロマネ」の由来は

ローマ人がこの地で、ブドウ栽培をしていたという
2000年に遡る歴史があり、
ボーヌ・ロマネ村に広がる極上のブドウ畑に
感謝をこめて「Romanée ロマネ」とぃう名を贈ったらしい

ひょっとしたら、初代ローマ皇帝アウグストスも
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ボーヌ・ロマネ村のワインを飲んだのかも知れない
まあ、ロマンチックだわ~

それにしても、2000年来のブドウ畑とは凄いです!
日本なら、きっと宅地に分譲されていたり
へんな工場が建っていたりしてます

豊かな国土に恵まれているからこそとは思いますが
フランス人は、恐れ多いほどの
カタクナな美学をもった人たちかしら

「Romanée ロマネ」の方はローマ人由来で
「Conti コンティ」の方は?

ルイ15世の時のフランス・ブルボン朝期の軍人・貴族コンデ公に由来するらしい
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ルイ・フランソワ1世・ド・ブルボン
(Louis François I de Bourbon, 1717年8月13日 - 1776年8月2日)
ルイ・アルマン2世の息子でコンティ公(prince de Conti)(在位:1727年 - 1776年)

コンデ公ルイ・フランソワ1世は、売りに出されていたブドウ畑を
ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人と争奪戦の末
1760年、競り合い8万ルーブルで手に入れたらしい

ルイ15世の軍人だったコンデ公とポンパドール夫人とは
愛妾だったにも関わらず、政界にポンパドール派を形成し
なにかと干渉し権勢をふるったので
あまり仲が良くなかったらしい

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ポンパドゥール夫人Madame de Pompadour
1721年12月29日 - 1764年4月15日


コンデ公が勝って手に入れたボーヌ・ロマネ村(Vosne-Romanée)に
ある自分の畑に、石の十字架を建て
“ブルゴニューの首飾りの中心の真珠”
と呼んだらしい
今もドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)の指標として
残っているようです


ポンパドール夫人のサロンには、プロイセンのフリードリヒ大王や
ロシアのエカテリーナ2世とも交流のあった
あの啓蒙作家ヴォルテールも集い啓蒙思想を広めている

コンデ公が勝って買った畑は、その後のフランス革命には国有財産として
没収され、革命後、ブシャール家などに払い下げられた、というわけですね
ロマネ・コンティの畑は、当主の祖先であるヴィレーヌ氏が
当時の価格で33万フラン金貨で買い取ったのだそうだ


さて、コンデ公といえば、シャンティイ城に柿右衛門の写しの陶磁器をつくっていましたが
ポンパドール夫人も、負けないで、セーヴルに王立磁器製作所を設立

ルイ15世の息子の妃は、ドレスデンでマイセンを開発したアウグスト強王の息子
アウグスト3世の娘でした

シャンティイ城もルイ15世もドレスデンも日本と繋がっていたんですね
日本に運ばれたワインの樽は、有田焼きや柿右衛門など陶器等の
運搬にちょうど良かったのかもしれない
妄想ですが。。アラ?オチが樽とは。。


@追記

ちょっとヒット。。
伊万里に、シトー会の修道院があるらしい
“祈り、働け”がモットーらしい
衣服は染めの要らない白!

ブルゴーニュのワインのラベルは
白地に文字だけのシンプルなもの
修道女のシルエットのように、瓶も、なで肩です

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“伊万里の聖母トラピスチヌ修道院の創立は
1089年のフランス シトー修道院創立までさかのぼります”
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by caramel24carat | 2015-08-29 18:09