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Caramel 24 Carat

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カテゴリ:建物・アート( 166 )

帝国ホテルとフランク・ロイド・ライトとアントニン・レーモンドとグッケンハイムとユタ



日中は穏やかないいお天気~☀


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クリスマスももうすぐ

☆彡




ところで

昨日、不動産王のZARAの創業者
アマンシオ・オルテガ氏が
引退というニュースがありました

2015年10月の
米フォーブズ誌の「リアルタイム」世界長者番付で
不動の1位だったビル・ゲイツを
一時的に抜きトップの座に輝いたこともあったそうです

富豪には縁がありませんが
ZARAの服なら買ったことがあります

ビル・ゲイツと言えば
軽井沢に大豪邸を建てたと
噂になってましたがその大豪邸を見たいわ




軽井沢といえば
≪軽井沢高原教会/聖パウロカトリック教会≫
有名ですが数十年前に訪れたことがあったけど


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なんと
今回知ったのですが

この教会は
昭和5(1930)年に建てられた歴史ある建築で
あのフランク・ロイド・ライトのお弟子さんの
アントニン・レーモンドによるものらしい


フランク・ロイド・ライトといえば
誰でも知っている帝国ホテル

1917年に
フランク・ロイド・ライトは帝国ホテルの
新築設計の依頼を受け来日

1919年に着工したが
完璧主義なライトの仕事は徹底していて
予算が大幅にオーバー

そんな時
1922年(大正11年)4月
初代帝国ホテルが失火で全焼してしまった!


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そんなわけで
ライト設計の新館完成が急がれたが

ライトは
度重なる仕様変更と6倍に膨らんだ予算と
経営陣との軋轢に苦悩し
1922年7月に、完成を見ずに
アメリカへ帰ってしまったらしい
林支配人も辞任した

完成した一部分で営業しながら
1923年、7月、竣工

犬山の明治村に移築されたロイドの帝国ホテル
前面には睡蓮の池
(当時は外堀があって後に埋められたらしい)
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そして、どうにか軌道に乗り

1923年9月1日
帝国ホテル落成記念披露宴の準備中

あの関東大震災が襲った!

ところが
フランク・ロイド・ライトの設計・監修した
頑丈な大谷石とコンクリの帝国ホテルだけは
軽傷で無事だった、という

前回、愛宕山からの震災直後の写真みましたが
どこもかしこも無残な焼野原でしたよ



ところが
22年後
またしても戦争で
焼夷弾が落ちて4割ほど壊されたらしい

1945年(昭和20年)3月10 - 11日東京大空襲

💔

ところで

1923年の関東大震災の起きる4年前

1919年(大正8年)

フランク・ロイド・ライトが日本から
帝国ホテルの仕事を受注したので
一緒に来日した

ロイドの弟子のアントニン・レーモンド
チェコ出身のアメリカ人らしい

アントニオ・レーモンド/Antonin Raymond
(1888年5月10日 - 1976年10月25日)
チェコ(オーストリア領ボヘミア地方)出身で
アメリカに移住し、その後フランク・ロイド・ライトの
設計事務所に入りその後来日

1921年(大正10年)には
日本でレーモンド設計事務所を開設している

その事務所は
現在も代々木にあって
これまで非常にたくさんの建築設計を手掛けている

このアントニン・レーモンドは

第二次世界大戦中には
アメリカ、ユタ州のソルトレイクで

なんと
実験用の日本家屋を建設していたという
アメリカ軍の要請を受けてのことでしょうが

非常にリアルな日本家屋の模型は
なんと
アメリカ軍が日本に爆弾を落とした際の
詳細なデータ取りのためだった、という

恐ろしい話です

用意周到に火薬の量も計算されていた
ということらしい

この実験場となったのが
ユタ州のソルトレイクです

あの松の廊下殺傷事件で有名な
赤穂藩の元江戸屋敷のあったところは
現在
聖路加病院が建っていますが

アメリカ・ユタソルトレイクシティの
セント・マークス病院をモデルにしているんだとか




NYのメトロポリタン美術館の五番街の並びに
有名なグッケンハイム美術館があり一度行ったことがありましたが

カタツムリ型の印象的なグッケンハイム美術館は
フランク・ロイド・ライトの設計

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六本木ヒルズにある巨大なクモの彫刻
≪ママン≫

スペイン、ビルバオにグッケンハイム美術館の分館があって
同じ巨大なクモ≪ママン≫が展示されている

Guggenheim Museum Bilbao
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1997年10月18日開館


美術コレクターのソロモン・グッケンハイムは
ドイツ系(スイス?)のユダヤ人で
鉱山王と呼ばれた大富豪

ユタには

ユタグッケンハイムという会社があり
ウランや金や銅を採掘していたらしい



グッケンハイムはロスチャイルドの資金で鉱山王に
なったらしい

グッケンハイムのとロスチャイルドは
姻戚関係にあった

鉱山と言えば火薬を使用して採掘するのでしょうか


前にチェコのプラハが舞台でしたが
≪ラインハルトを撃て≫という映画を観ました

アントニンさんはチェコ人でしたが
アメリカ軍に強要されて
ユタに爆弾投下の実験用の日本家屋の
建設を任されていたのしょうか?


モルガン商会&ロスチャイルド

1923年の震災復興債券について
Wikiより

帝都を直撃して国難に及ぶことから、国(大日本帝国)も対応に追われた。しかし、内閣総理大臣加藤友三郎8月24日(発災8日前)に急死していたため、発災から内田康哉内閣総理大臣臨時代理として職務を代行、発災翌日の9月2日山本権兵衛が首相就任(なお、大命降下8月28日)、9月27日帝都復興院(総裁:内務大臣後藤新平が兼務)を設置し復興事業に取り組んだ。

金融の停滞で震災手形が発生し、緊急勅令によるモラトリアムを与えた。復興には相当額の外債が注入されたが、その半分は、火力発電の導入期にあった電力事業に費やされた[注釈 3]モルガン商会1931年昭和6年)までに占めて10億円を超える震災善後処理公債を引き受けたが、その額は当時の日本の年度別の国家予算の6割を超えるものであった[8]。引受にはロスチャイルドも参加した[9]。金策には森賢吾が極秘で奔走”

















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by caramel24carat | 2017-12-18 17:11 | 建物・アート

愛宕山からの武家屋敷の街並みと進化する虎ノ門ヒルズとインゲンホーフェン・アーキテクツ



今日も晴れていいお天気~☀



驚きの虎ノ門ヒルズの未来予想図

現在ある虎ノ門ヒルズ森タワーの他に
あと3棟超高層ビルを建設中らしい


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「虎ノ門ヒルズビジネスタワー」(19年度の竣工予定)
「虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワー」(19年度の竣工予定)
「虎ノ門ヒルズステーションタワー」(22年度の竣工目標)

スゴイですね

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11月に東京へ行ったとき
虎ノ門ヒルズの下をタクシーで走って驚きましたが
まさに環状2号線がビル側の地下を走っているのですね
(道路の正面にそびえ建っていた)

環状2号線は新虎通りといい
またの名をマッカーサー通りと呼ぶらしい
(パリのシャンゼリゼ通りを目指しているらしいです)

まあ、しかし
留まるところを知らない森ビルですが


天上天下唯我独尊状態!?

この虎ノ門ヒルズプロジェクトの
外観デザインの設計を担当しているのが

ドイツ・デュッセルドルフの
インゲンホーフェン/Ingenhoven・アーキテクツ設計事務所
(とは調べて知ったのですが)

その美しく軽い鳥のような建築作品には
なんと
スイス・チューリッヒのスワロフスキー本社や
オランダ・ハーグの国際刑事裁判所などたくさんあり

Google本社も建設中とか

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ところで

未来から過去へ

江戸の武家屋敷の街並み

前回、森ビル2について書きながら
明治初期の古い写真はないだろうかと
ググっていましたら

なんと

愛宕山から東京湾の方面の
武家屋敷の並ぶ写真がありました

1863年に来日した
イタリア生まれのイギリス人
フェリックス・ベアトの撮影したもの
Wikiより引用

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愛宕山より撮影した江戸のパノラマ
(1865〜1866年頃、フェリックス・ベアト撮影)。


驚きですね!パリでカメラ買って
世界を写していたという
貴重な資料ですね

黒い瓦の武家屋敷の街並み
一度歩いて見たかったです

1872年には火事で焼失したと前回知りましたが


1923年の関東大震災のあとの
写真もありました

1923年、9月1日のあと焦土化した帝都
(愛宕山から新橋方面)
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何もない惨状からは
今の約100年後の姿信じられないですね


銀座も壊滅状態

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関東大震災って想像以上の大地震だったのですね
爆弾が落ちたような地震だとは思えない破壊ですね

気を取り直して

江戸時代の浮世絵

高いビルのない当時は
愛宕山は見晴らしの良い山(標高26m)で
観光スポットだったらしい


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愛宕山の茶屋

現在、ワインのソムリエで有名な
田崎真也のレストランがあるらしい

神社にワインとは?

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芝愛宕山上見晴之図

愛宕神社は

1603年、徳川家康が江戸開府の時
防火の神様として祀られたという


変貌する江戸から明治
そして東京

ほんと都会ってエネルギッシュで面白いですね


















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by caramel24carat | 2017-12-15 14:22 | 建物・アート

森ビル2のテナントにフランスの香水メーカーが



今日はドンより曇ってます~⛅










ゲランの香水≪シャリマー≫1921年

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このゲランの香水≪シャリマー≫が
どんな香りか知りませんが

ほんの微かな香りって癒されますよね


🎁



ところで

前回からの
森家&毛利家&森ビル関連
ちょっと気になって調べてみました

すると

今から60年ほど前

森ビルの創業者森泰吉郎
森不動産を立ち上げ
初めて建てた賃貸ビル森ビル2

なんと現存しているという
というか
空き家状態らしいという情報もアリ

そんなワケでGoogleマップで
見てみました

虎ノ門ヒルズからも近い場所のようですが

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殺風景なビルですね!?

(Googleマップより)



森ビル2

〒105-0003 東京都港区西新橋1丁目10

↑1956年4月,森ビル2(4階建)が竣工
1957年11月、森ビル1(11階建)竣工
(外堀通りに面している)

創業者森泰吉郎は

1956年4月、森ビル2で貸しビル業を
開始

その時の森ビル2(4階建)のテナントにビックリ!

そのテナントが3社が
フランスとインドとアメリカ

初めての森ビルのテナント3社が
全部外国の会社というのも
面白いですね!

☆フランスの香水メーカー
☆インドの通信社
☆アメリカ、オレゴン州の小麦生産者連盟



フランスの香水メーカーとは
どこだろうと調べてみましたが
分かりませんでした


見当付けたのが

ゲランじゃないかしらと思ったのですが
ゲラン
(勝手な推測です)

ゲランの香水で≪ミツコ≫というのがありますが


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オーストリアの貴族と結婚した
クーデンホフ光子とは関係ないようです



ナポレオン3世の皇后ウジェニー(スペイン貴族の娘)が
婚礼の際献上された香水

≪オーデコロン イムペリアル≫

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ゲランサイトより



森ビル2のある創業地である西新橋2丁目は
1872年の明治期に町名が変更されている

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明治頃は南佐久間2丁目であり
佐久間小路通りに面している

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ちょっと分かりにくいですが
大体の場所

その古地図をよく見ますと

毛利安房守高泰2万石(豊後佐伯藩、大分)
(4382坪)

と読めます

毛利安房守高泰(豊後佐伯藩)

毛利氏
佐伯藩11代藩主 (1832年 - 1862年)


佐伯藩について調べてみますと
非常に納得のいく情報がありました




”この毛利家は長門萩藩の毛利家とは直接血縁はないが

姓は毛利輝元から拝領したもの

本来、
森高政である

高政は本能寺の変が起こったときは秀吉に従って
備中高松城にあったが

秀吉の備中高松城からの中国大返しの時
毛利方に人質として拘束された

毛利輝元は森高政の資質を気に入り

「もうり」も「もり」も同じようなものだ、毛利を名乗れ」

と毛利姓になった”



これが森ビルの森氏のルーツかどうか
正解か云々は分かりませんが

明治になって
廃藩置県(1869年)の時
佐伯藩 毛利家12代藩主 高謙(たかあき)は
県知事になった

↑古地図の住所は森ビル2の住所に相当する

愛宕下佐久間小路の佐伯藩上屋敷(佐久間2丁目)




そのあと
1872年2月26日
なんと
大火事があって大名屋敷は消失してしまったようですね




  〝明治5年(1872年2月26日)、和田倉門内の兵部省から出火した。この火事で皇居前・大名小路(丸の内)・銀座・築地など3000から5000戸が消失した大名屋敷を兵舎としていた軍隊は焼け出され、江戸から続いた付近の大名屋敷は灰燼となった。”



それにしても
森ビル2が空き家というのは謎ですね

💛





  





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by caramel24carat | 2017-12-13 17:09 | 建物・アート

岩井与左衛門の鎧はアンバリットの軍事博物館に、そして森蘭丸とプーチンの村正




今日は真っ青な空が気持ちがいい~☀





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昨日は晴れながらもこの冬一番の冷え込みでした

万両の赤い実がたわわになっています

ちなみに
万両は葉の下に実をつけ
千両は葉の上に実をつけるんですね

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ところで

JALマークの元にもなった
≪鶴丸紋≫ですが
鎌倉の≪鶴岡八幡宮≫では
建物やお賽銭箱や神社グッズ等
あちこちに見られるようです

鶴岡八幡宮サイトより
御朱印帳
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源氏ゆかりの武士の神社なんですね



お正月には参拝客でごった返すのでしょうか


ちょっと驚き!

ただ今

御朱印帳でヒットしたのが

京都の晴明神社のものですが




なんと五芒星の紋

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陰陽師で有名な安倍晴明の神社は五芒星なんですね!

ダビテの星のカゴメ=籠目が六芒星(亀)
安倍晴明の五芒星は(鶴)ということ!?

「鶴と亀が統べった~♪」は
イスラエルと京都の安倍晴明が統べるってことなの!?

我ながら笑っちゃうね、妄想全開で~
アハハ


ついタイトルから逸れましたが

前回
徳川家康の時代に活躍した奈良の甲冑師
岩井与左衛門の制作した
≪鶴丸紋≫が描かれた甲冑の絵


ルイ14世の時に建設されたヴェルサイユ宮殿の
鏡の間に描かれていて驚愕しましたが
その甲冑の絵の現物が
パリの博物館にある、と知り
さっそく調べてみました

「パリ」で「鎧」で「博物館」で検索したならば
あのナポレオンのお墓があることで有名な
アンバリットに併設した
フランス軍事博物館
所蔵されていました


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フランス軍事博物館
サイトより引用

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サイトのアーカイブより

岩井与左衛門の甲冑
確かに
兜、胸当て、腕、具足などあっちこっちに
≪鶴丸紋≫が!

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彫金で埋め込んでいるのかしら?

素晴らしいわ

パリのアンバリットにある
フランス軍事博物館

とても見ごたえがありそうです

制作者の岩井与左衛門は奈良で甲冑師として
名声を得ると江戸へ上ったようです

フリーのWikimediaコモンから
注釈書き

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ところで

鶴丸紋
信長の小姓であった森蘭丸の家紋でもあったというのは
前回知りましたが

武者絵≪本能寺の変≫には
森蘭丸(左)が戦う姿が描かれていますが
衣装には
ハッキリと鶴丸紋が!

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信長をヤっけようとしている
中央の長槍を持った人物の鎧
岩井与左衛門のモノとよく似てますね

織田信長や森蘭丸の敵だけどダレ?



↓「太平記英勇伝「六十六:森蘭丸長康」


この武者絵では森蘭丸は短刀を腰に差してますが

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織田信長からご褒美に貰った刀でしょうか

ところで

2017年9月
安倍首相がロシア極東ウラジオストクで
プーチン大統領との首脳会談の際

プーチン大統領から
日本刀村正とティーセットが
安倍首相に贈られたと話題になりました

プーチンは日本刀村正をなぜ持っていたのでしょうね

占領下の日本から
連合国アメリカに渡りその後ロシアに渡ったらしい

村正の写真を見ますと

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森蘭丸の短刀と似てますね
気のせいか


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ちなみに
安倍首相は甲冑と著名な柔道家の本を贈ったらしい

400年前
家康がジェームス1世へ甲冑を贈った歴史があったわけですが
同じような出来事がロシアと日本であったわけですね


今日はいいお天気なので
ついイロイロ思いつくまま長くなってしまいました









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by caramel24carat | 2017-12-09 13:47 | 建物・アート

JALのマーク鶴丸紋がベルサイユ宮殿の鏡の間の天井画に



今日も真っ青な空が広がっている~☀



朝8時過ぎの西の空に
ちょっと欠けたお月さまが~

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昨日は

最高裁で
NHK受信料うんぬんの判決で合憲と下されたらしい

グローバル化するネット社会の
多様性のニーズに応えて
アウトソーシングした
子会社(株)の制作した番組は
有料化の方向で
いろいろの料金設定があるのもいいんじゃないかしら
朝から晩までというのも大変ですね

ちょっと驚いたんだけど
最高裁判長は69歳で
なんと
あと1ヵ月後の1月8日の誕生日で70歳を迎え
定年退職されるらしい
お父様も最高裁判長を務められたという!

「合憲」というのは
八方美人的な判決だったのでしょうか


今朝の微笑んでるようなお月さまのそばを
ジェット機も空高く飛んで行った

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先日の北のICBMは
JAL等でも確認されていたらしい

ところで

JALの鶴マーク
ですが

その元になったのは
家紋の≪鶴丸紋≫かららしい


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以前調べたことがあったけれど
ドイツのルフトハンザ航空のマークも
ツルらしい

この家紋≪鶴丸紋≫というのは
古代神代の天照大神からの朝廷の紋章らしい
ハッキリとした詳しいことは分かりませんが

(菊のご紋は明治以降らしい)

そんな由緒ある長寿のシンボルでもある
鶴を用いた≪鶴丸紋≫が描かれた

甲冑の絵が

なんと
ベルサイユ宮殿の鏡の間
ルイ14世の座る玉座(当時は謁見の間であった)
あたりの
天井画に描かれているという!

以前から
ルイ14世の食卓に
お醤油がのっていた!という情報を知り
まさかと驚きましたが

先ほど
鶴丸紋を検索していて知り
ほんと驚きました!

↓この方は実際、ベルサイユ宮殿を訪れ
確認されてます

https://ameblo.jp/maurice/entry-10910842685.html

鏡の間の天井画に描かれた甲冑の現物が
パリの博物館に現存しているという!
甲冑は岩井与左衛門が造ったもので
肘あてに≪鶴丸紋≫が描かれてます


この≪鶴丸紋≫
織田信長の家来だった森蘭丸の紋だった
というから驚き!

(上のブログの方は森氏で鶴丸紋が家紋という)

なるほどね~
おもしろくなってきました

フランスにある甲冑と同じ
奈良の岩井与左衛門が制作した甲冑が
イギリスのロンドン塔博物館にあるらしい

Wikiより引用
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徳川秀忠から
イギリス国王ジェームズ1世に贈られた甲冑



今から400年ほど前
(1611年4月18日~1613年6月11日平戸着
1613年12月5日~1614年9月プリマス着)

東インド会社の商船クローブ号がやって来た
船にはイギリス国王ジェームス1世から
家康への献上品が積まれていた
(望遠鏡、茶器、毛織物等)

その返礼として

イギリス国王へは
家康の礼状や朱印状や屏風などの美術品とともに
二揃いの甲冑が贈られた、らしい

映画でミタ織田信長の家紋の付いた
甲冑についてはどうなのかしら?


ところで
話がアッチコッチ飛んでロンパリですが

昨日
ジャイアンのようなトランプ大統領が
イスラエルの首都をエルサレムにすると
宣言しました

イスラエルの紋章
ダビテの星

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♪ かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 
夜明けの晩に 鶴と亀がす統べった 後ろの正面だあれ? ♪

というわらべ歌がありますが

「ダビテの星」でもある「籠目/カゴメ」というのは
ヘブライ語で
「何を囲むか」「誰を守るか」のような意味があるという


なんだかアレコレ思いつくまま
メモってしまいました





















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by caramel24carat | 2017-12-07 13:53 | 建物・アート

NY,11 East 62nd streetファブリメゾンが日本政府所有の国連大使公邸




今日は温かい~☀

朝、晴れ渡った空高く飛行機が飛んで行った
飛行機雲ナシだった




NYの鉄道王ヴァンダービルト一族は
非常にたくさんの豪邸をアッチコッチに建てていらして
驚愕するのですが

その辺のとこ興味深々でもう少し調べてみました

前回、初代コーネリアス・ヴァンダービルトの孫
ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルドの邸宅
≪プチ・シャトー≫が
現在ではクシュナー氏の≪666 Fifth Avenue≫のビルが建っている
場所にあったと知りましたが

ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト(初代の孫)の姉に
マーガレット・ルイーズ・ヴァンダービルド・シェパード(初代の孫娘)という女性いまして

1864年、エリオット・フィッチ・シェパード

(Elliott Fitch Shepard)という
弁護士で銀行家でもあった男性と結婚し
4人の娘と1男をもうけた

彼らの娘である次女エディス・シェパード(1872年生)は
イタリア移民で上流階級に属するエルネスト・ファブリと結婚する
というので

母親マーガレット・ルイーザ・ヴァンダービルド・シェパード
祖父(初代コーネリアス・ヴァンダービルト)から贈られていたタウンハウス
の場所にフランスのボザール様式の華麗な邸宅を建て
ウェディングプレゼントした、という

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セントラル・パーク沿いの五番街からマジソン街の方へちょっと入った
11東62丁目(11 East 62nd Street、NYC)に位置する

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プラザホテルからも数ブロック離れた
抜群の場所

2017.2

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しかし二人は仕事上か海外が多く
1911年頃にはエディスとファブリは
パリに移り住んでいたので

1912年、母親から贈られた邸宅は売却した

しかし
1914年に欧州で第一次世界大戦が勃発すると

NYに戻り新たに家を建てた

今度はイタリア・ルネッサンス様式で
1916年に完成した

場所は
7 East 95th Street
House of the Redeemer.

一方空き家になったFabbri Mansion買ったのが
チャールズ・スティール(Charles Steele )とナニー(nannie)夫妻
チャールズ・スティール(1856-1939)は
J・P・モルガン&カンパニーのパートナーだった

1939年8月5日、83歳でチャールズは亡くなるが
不動産の評価は$30 millionだったらしい

彼の葬儀は聖トーマス教会で執り行われたという
五番街の
元≪プチ・シャトー≫の≪666 Fifth Avenue≫
の前に建ってました

彼は教会や聖歌隊やパイプオルガンに
多大な寄贈をしたらしい

大変な人格者でもあった

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その後

1941年
Fabbri-steele Mansionは貯蓄銀行に差し押さえられ

1943年
the Johnson O'Connor Research Foundationによって購入される

そして

1998年12月
(12月の終わりは急に円高約113)

なんと

日本政府が$21 million(約24億円)で購入したという
そして改修費には約11億円を要したらしい

気合が入った高額のお買いモノ~

約35億!

ブルゾンの
ダーティー・ワークじゃありませんが

アハハ~

いや~バブルの頂点だったんですね

あっ、でも現在の評価額はいくらなんでしょうね?

購入後は国連大使邸として現在も使われているが
維持費もかかるがなにしろ手狭ではあるらしい
(大使の住まい兼外交的な役目を果たす事務所としては)

このボザール様式のFabbri-Steele Mansionの購入時期
の国連大使は小和田恒氏となっている
が1999年退官している

小和田恆:1994年(平成6年)4月 - 1998年(平成10年)10月)

当時のニューヨーク不動産市場取引において
史上最高額だったらしい

当時の日本は今の中国みたいだったのね













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by caramel24carat | 2017-11-27 13:48 | 建物・アート

ヴァーガンディとヴァンダービルト家の五番街660番地のプチ・シャトーとクリュニー修道院



昨夜の雨も上がりしっとりと気持ちのいい晴天~☀


冬は乾燥しがちなので
気を付けたいわ

先日もアップしたアイスバーグ

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ビロードのような花びらのヴァーガンディ
実物はもっと深~い気高い色

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未だに外にも出さず部屋に置いたまま
ウットリ眺めています
ほんと素敵なバラ


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実は地植えにする際の土の問題ですが
この美しいバラを来年咲かせるためには
土をどうすればいいのかしら?
自信がないのです

🌹

ところで
前回
五番街1048番地に建つ現ノイエ・ギャラリーが
元鉄道王ヴァンダービルト一族の
コーネリアス・ヴァンダービルト3世の夫人の邸宅と知りましたが

初代コーネリアス・ヴァンダービルトの孫にあたる
ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト(1849年~1920年)は
(兄が亡くなった後の第3代当主)

1883年
ニューヨークの五番街660番地にタウンハウス
≪プチ・シャトー"Petit Château"≫と呼ばれる
パリのクリュニー中世美術館に一部似せながらも
金ピカの邸宅を建てていた

残念なことに1926年取り壊されたんですね


660 Fifth Avenue NYC
(角地だからやっぱり666でいいんじゃないかしら)
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現在、この五番街660番地には何が建っているんだろうと

グーグルでチェックしてみますと

なんと
以前書いたことがあった
≪666 Fifth Avenue≫ビル
のあたりなんですね!?


トランプ大統領の娘イヴァンカさんの
ご主人ジャレット・クシュナー氏所有のビルが
建っていたんですね

たぶん≪666FifthAvenue≫ビルの敷地は
660番地も含まれているのかな

(1階のテナントZARAの店舗あたりが660と表示される)

イヴァンカさんは結婚にあたって
クシュナー氏のユダヤ教に改宗したらしいですが

Temple Emanu-EL
という改革ユダヤ教のシナゴークも
もう少し先の五番街に建ってました


90年前だけど取り壊されたのは
その辺の事情かしら?




クリュニーといえば


カルチェ・ラタンの
サン・ミッシェル大通りに面した
クリュニー中世美術館

で有名なのは
≪貴婦人と一角獣≫のタペストリーですよね

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実は今回知ったのですが

そもそもクリュニー修道院というのは

ブルゴーニュ地方のソーヌ=エ=ロワール県クリュニーにあったもので
(ブルゴーニュ地方のリヨンとディジョンの中間の地)

909年9月11日(9月10日とも)

アキテーヌ公ギヨーム1世により創建された
ベネディクト会修道院だったらしい

(フランス革命まで存続)



じゃ、カルチェ・ラタンにある
クリュニー中世美術館との関係は?
についてですが

ブルゴーニュのクリュニー修道会
パリの拠点として
ローマ時代の浴場の跡に建てられた
修道院長の別邸でした

”その後19世紀前半に
中世美術に魅せられたアレクサンドル・デュ・ソムラールが
この館を買い取りソムラールの死後
1843年に国立美術館として公開に至る”


ヴァーガンディ・アイスバーグの名まえ
ヴァーガンディはブルゴーニュの英語名でしたが


≪貴婦人と一角獣≫のタペストリーも
ヴァーガンディ色とは!?
偶然なのかしら?

この≪貴婦人と一角獣≫については
シャルル7世の有力な側近であったジャン・ド・ヴィストが
注文者として見られている人物で
リヨンの出身だったらしい

リヨンは織物の街ですが
タペストリーはベルギーのゴブラン織りらしい

*追記
そう言えば思い出したわ
リヨンの織物装飾美術館にあった
ソファですが
まさに
ヴァーガンディ色でした~


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リヨンも歴史ある街で
丘の上には
ローマ時代の円形劇場の遺跡がありました



素敵でもあり高貴な雰囲気も醸し出している
ヴァーガンディ色ですが

ヨーロッパの宮殿のカーテンや壁紙にも
見られますね



ナポレオン王戴冠式の肖像画
(いや、この色味はちょっと違うかな)
Jean-Auguste-Dominique Ingres
1806

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ナポレオンは王ではなく皇帝でしたね
それにしても素晴らしい衣装ですこと!









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by caramel24carat | 2017-11-23 14:25 | 建物・アート

五番街の元ヴァンダービルト邸とテンプル・エマニュエルとジェイコブ・シフと和喜子



今日は青空にお日さまが笑っている~☀

昨日はひんやりしてましたが風がなかったので
外回りの作業をイロイロとやり運動になったけど
今日は抜群の日かな

出来ることならドラえもんに頼んで
冬のNYの五番街まで連れて行って欲しい~




めっきり寒くなって温かいコーヒー飲みながら
”五番街のマリー”って誰なのかしら?
とふと思った

この歌はスキ~♪


「五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
どんな暮らししているのか 見て来てほしい
五番街は古い街で 昔からの人が
きっと住んでいると思う 訪ねてほしい」

この秀逸な歌詞だけど
ほんとリアル感があって
ぜひマリーのその後どうしているか知りたいと思う

ふふ

2017.2 五番街にて

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ところで

前回、NYの五番街のアッパーイーストにある
ノイエ・ギャラリー(1048 Fifth Avenue)と
ジャックリーン・O・ケネディ夫人の住んだアパート
(建物は1920年代に完成。ジャクリーン夫人は1994年まで住んだ)が
(1040 Fifth Avenue)
すぐご近所だと知りましたが

ストリートビューで確認してみました
(ちょっとしたドコでもドアみたいだけどね)

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ノイエ・ギャラリー(NEUE GALERIE)(ロナルド・ローダー氏1994年取得)は
1914年完成したミセス.コーネリアス・ヴァンダービルト3世の元屋敷だったらしい
どうりで女性らしいバラ色の外観のこじんまりした邸宅だったわけですね

ジャックリーン夫人の住んだアパートより数年前に建っていたんですね
このころの移り行く五番街を歩いて見たかった~


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アメリカの大富豪鉄道王ヴァンダービルト一族はアッチコッチに
大豪邸をいくつも所有していたというが
アトランタ近郊のアッシュビルのビルトモアの豪邸は
ロワール川沿いに建つフランソワ1世のシャンポール城のようだ

2月にはアトランタの空港まで行ったのに
うまく日程と予算が合わなくて断念しましたが
行けるものならクリスマスを迎えるこの時期に行きたいわ

当時の富の集中というのは現代からは想像できないスケールですね

🔔


NYのセントラルパーク沿いの
憧れのアッパーイストにある五番街には

ホントに歴史上に名を残した古い人たちが住んでいた

日本と関りのあったクーン・ローブ商会
娘と結婚していたジェイコブ・シフの邸宅もあったようです

965 Fifth Avenue にあったジェイコブ・シフの屋敷(1901年完成)

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Jacob Henry Schiff、1847年1月10日 - 1920年9月25

ジェイコブ・シフはフランクフルトのアパートで
ロスチャイルド一家と住んでいたらしい

クーン・ローブ商会はロスチャイルドのアメリカ代理店で
ユダヤ人だったジェイコブ・シフは銀行家として働いていた

そこへ、当時、日銀の副総裁だった高橋是清は
日露戦争(1904~1905)の戦費調達にやって来て
結果、巨額の戦費を借りることができたという
ですが

この戦費の返済に利子を含めてその後日本は85年間かかったという
ということは1990年ころに完済したということになる
うっかり、借金したばかりに、孫の時代までも返済したという

でも、現代に生きている我々はそんな借金があったことすら知らないし
むしろ、驚くような経済発展を遂げた奇跡のような日本に
住んでいる恩恵を受けていると、そんな風に思う

この日本に日露戦争の戦費を調達した
銀行家のジェイコブ・シフはロスチャイルドと同じユダヤ人で
とても信心深かった

日本への戦費調達がご縁で高橋是清とは親交を結び
なんと是清の娘和喜子が15歳の時に
NYのジェイコブ・シフ宅に
ホームステイし3年間留学した、という

このジェイコブ・シフの晩年の写真
懐手のフリーメイソンスタイルかしら
(jacob・schiffと和喜子でヒット)

左の文面には、965 Fifth Avenue の屋敷は
シフが1920年の死後、1938年に取り壊されたことや
是清の娘和喜子が15歳でやって来たことなどが書かれているが

ひょっとして是清の娘高橋和喜子はアレかしら
ひょっとしたら人質みたいなものだったのかも知れないと
勘ぐってしまいました

1867年、高橋是清は勝海舟の息子小鹿と
アメリカへ留学したことがあったらしいですが
散々で奴隷のような待遇で牧童や
ブドウ畑で働いたことがあったという
その後運よく帰国し、1873年森有礼と知遇を得る

その後総理大臣までなったという時代にも驚きますが


(Wikiによれば)


ジェイコブ・シフは敬虔なユダヤ人だったらしい

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そもそも日本が勝っても賠償金がもらえなかったという
日露戦争は
ロシアのユダヤ人を救出するための
代理戦争的なものだったとも


NYの五番街を歩いてますと
TEMPLE EMANU-ELと読める
重厚な建物に遭遇しました


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独特のオーラを放っている教会のような
どっしりした建物
見上げるとバラ窓も正面に見えました

この建物はユダヤの教会シナゴークで
1847年建てられた
世界でも有数の大きなシナゴークらしい

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歩道にせり出したテントには
「TEMPLE EMANU-EL」と書かれていますが

えっ?エマニュエルって、あのエマニュエル夫人を
思い出してしまったわ
アハハ

「EMANU-EL」とはヘブライ語で
「我らは神(EL)とともにいる」という意味のようだ

エマニュエルは人名にも使われていますよね
エマニュエル・ウンガロという
フランス人デザイナーもいましたわ


≪TEMPLE EMANU-EL≫
ドイツ系ユダヤ人による
改革ユダヤ教らしい

アッパーイーストの五番街は
ドイツ系ユダヤ人が多く屋敷を構えていたというのも
テンプル・エマニュエルへ通うためだったのかも知れません

というか
アメリカ、NYでもっとも力のある富豪たちは
ドイツ系ユダヤ人が占めていて
五番街に陣取った、ということかしら




日露戦争では

日本は賠償金はもらえなかったが
さっさと戦争終わらせてよかったとも


ロシアのユダヤ人を救出するための
代理戦争的なものだったかも知れないというが
ユダヤ人の銀行家の作戦にまんまと引っかかったのか


その後は中国をけん制し日本人を緩衝帯として満州に
配置したのかも知れない

🍎

高橋是清は1936年の2・26事件で暗殺されましたが

高橋是清の娘高橋和喜子は
紀尾井坂の変で暗殺された
大久保利通の8男大久保利賢と結婚し
大久保和喜子となった

その息子大久保利春の名前は
昭和のロッキード事件で元総理田中角栄と共に
逮捕された人物で記憶にありますが。。

そう言えば
この時被告が裁判で尋問されると
「記憶にございません」と答弁したのが
流行語にもなった~

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メモ

◆大久保利賢
1878年 誕生
横浜正金銀行取締役
横浜正金銀行副頭取
1936年 横浜正金銀行頭取
1958年 死去
 父:大久保利通
 母:
 妻:高橋和喜子(内閣総理大臣 高橋是清の娘)






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by caramel24carat | 2017-11-21 14:05 | 建物・アート

思い出のラントマンのモンブランと≪煉獄≫と≪ストーンウォール≫と≪東艦≫



昨日の午後から雨空です~☔


せっかくのお休みなのに
庭仕事を思いっきりしたかったのですが~




ところで前回、モネの≪積みわら≫眺めながら
モンブランを連想しましたが

モンブランといえば
ウィーンのラントマンで食べたモンブランが
サッパリした甘さで美味しかったこと思い出しました


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ウィーン、ラントマンにて

写真は2013.2のもので
最近は過去モノの使いまわし~
ウフフ

ウィーンのラントマンって
海外一号店が表参道にもあるんですね、驚きだけど




🍰


ところで

ワラといえば「わらしべ長者」なんて言葉がありますが

このラントマンでみた新聞にロスチャイルドの息子の記事があって
そのことについて後にちょっと書いてました


このロスチャイルドの記事の中に
オークラが出てきたりするのですが

創業者大倉喜八郎のつくり上げた大倉財閥は
そもそも鉄砲で儲けた死の商人でもありました

あえて言うならわらしべ長者!?


カツオ節からスタートし
鉄砲~ガス灯~建設業と留まるところを知らない
モンスターのような商人だったようです



両親を亡くした後、姉からもらった餞別金を懐に
16歳で
新潟新発田から江戸に上京し

鰹節ヤの丁稚奉公から
やがて徳川幕府から明治政府への大転換期に独立し大倉商会をつくり

横浜に荷揚げされた鉄砲を
現金商売で旧幕府軍や明治新政府に
敵味方かまわず売りさばいた
商売のモンスターのような人物じゃないかと思うのですが

戊辰戦争も終盤の時

大倉喜八郎は
横浜の鉄砲を扱う商社から
2500丁の鉄砲をドイツ人の船長の船(ドイツ船?)に乗せて

榎本武揚らが追い詰められて蝦夷地の五稜郭に立て籠もっていた
箱館(函館)までどうにか運んだという

リスクなくして巨利は得ずではありますが

どうもここでドイツ人が片棒担いでいることにビックリ!

やっぱり巧妙なドイツ人に乗せられていたのでしょうか

旧幕府軍の写真もちゃんと残っているのに驚きます

誰が撮ったのでしょうか?

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Wikiより引用

以前、映画≪るろうに剣心≫を観たことがあったのですが


後編で
鳥羽・伏見の戦いで焼かれ全身大やけどになりながらも生き延びた
包帯でグルグル巻きの志々雄真実の船
大型甲鉄艦≪煉獄≫には

ロココ調のソファが置かれていて
意外だったのですが

この甲鉄船はフランスのボルドー産を
やっぱり想定していたのかしら?

🍷

戊辰戦争時

新明治政府軍が旧幕府軍に対抗して
大金をはたいて買った軍艦が

通称≪甲鉄≫といい≪東艦≫ともいうらしいですが

この甲鉄艦は
もともとアメリカ名の≪ストーンウォール≫号といい
南北戦争時の南部連合が同盟国であったフランスへ発注され

フランスのボルドーのアルマン・ブラザース社造船所で建造されている

この名前を≪ストーンウォール≫号からやがて帝国海軍の≪東艦≫と変えた甲鉄艦ですが

建造された竣工後

出来上がった船が届けられる内に南軍が負けてしまったという
艦にとっては残念な結果でした

(戦時中、南軍は密かに甲鉄艦を発注していた)

時のナポレオン3世はアメリカへの輸出を禁じていた
当時の国際慣習では
“交戦国へ中立国は武器を輸出しない”となっていたので

アメリカ北軍からもクレームがあり
甲鉄艦≪スフィンクス≫は
スウェーデン経由で一旦デンマークへ売却され
≪ステークオザー(Staerkodder)≫となり

1864年12月
コペンハーゲンでアメリカ南軍に引き渡すため
≪ストーンウォール≫と命名され
アメリカへ回航~

🚢

キューバのハバナへ到着したころ南北戦争は終結
艦の所有はキュ-バ政府となり
のちに北軍(アメリカ合衆国)へ引き渡され繋留されていたところを

幕臣・小野友五郎によって買い付けられた

という、国を転々としその度毎に名前を変えながら
売られてきた
波乱万丈の船だったらしい

 慶応三年(1867)
この艦はニューヨークで幕府に引き渡され
ジョージ・ブラウン中佐以下アメリカ海軍軍人を傭人として雇い
日章旗を掲げて日本へて回航
慶応四年(1868)4月23日横浜へ入港した


この日本にやって来た
≪ストーンウォール≫こと≪東艦≫は


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1861年、アメリカの南軍連合が発注し
フランスのボルドーのアルマン・ブラザース社造船所で
フランス名で≪スフィンクス≫と呼ばれ
秘密裏に建造が進められていたが

同時に
もう一隻≪キーオプス≫号という
姉妹船が建造されていた、という

この姉妹船≪キーオプス≫号はプロイセン(ドイツ)に売却され
プリンツ・アダルベルトPrinz Adalbert)≫と改名され
プロイセン海軍の戦艦第一号として就役した

🚢

ちなみに映画≪るろうに剣心≫登場の
志々雄真実の甲鉄艦≪煉獄≫を
検索してみました


ネットより拝借
元は漫画のお話で映画化されたのかな

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まあ、一目瞭然!

フランス、ボルドー産の≪スフィンクス≫こと
≪ストーンウォール≫=≪東艦≫
とそっくりだわ~アハハ

映画で気になった
ロココ調のソファの画も発見



なんと
このボルドー色のソファですが
(エンディングロールでソファ制作とでてましたが)

今知ったのですが

映画公開当時
新宿ピカデリーにて実物があったみたいです!
なるほどね~

包帯姿の志々雄真実のお人形と記念写真が撮れたらしい
あはは~


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画像は公式サイトより




ところで
ここで驚くべき≪東艦≫の末路がありました

なんと

1895年12月のこと
海軍から払い下げられていた≪東艦≫は
屑鉄業者に払い下げられた後、解体され

明治28年(1895年)12月に開設された
東京電燈会社(東京電力前身)の浅草発電所の
発電機の部品トランスの鉄芯に使われたという

甲鉄艦の胴回りには
純度の高い良質の鉄板が使われていたという

東京電燈といえば
1882年、
大倉喜八郎の銀座大倉組の前の銀座通りで
初めて点灯されたのでしたわ



ドイツ、ハノーファー出身のクリストファー・ノーランの記事も
なんとなく繋がりました~
















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by caramel24carat | 2017-10-29 12:13 | 建物・アート

台風一過の青空とマカオの聖ローレンツ教会




台風一過で真っ青な空が広がっている~☀




まだ風がビュービューと気まぐれに唸っている~


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ところで


前回

ニュルンベルクの聖ローレンツ教会と
その殉教者聖ローレンツについて書いてました時


なんと

マカオ、マカオ

同じ名前の聖ローレンツ教会があると知りました!

そして驚くことに

聖ローレンツは
マカオでは風の守護聖人として崇められていた

マカオにあるカトリック教会である
聖ローレンス教会(聖老楞佐教堂, Igreja de São Lourenço)
別称風順堂

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画像は”マカオなび”から拝借

マカオはポルトガル=スペインの貿易と布教の拠点であった

  • 1580年 - スペイン国王フェリペ2世がポルトガル王位を兼任。
    1582年 - マカオ、フェリペ2世への忠誠を宣言、
    以後マカオ -
    マニラ貿易始まる。

    帆船時代、ポルトガル人はマカオの港から
    よい風にのって無事航海ができるようにと

    港を見下ろす丘に
    イエズス会により
    1558年~1560年(1600年?)の間に建立された

    教会内部の中央祭壇には
    鉄板を持った聖ローレンツが祀られているとか

    聖ローレンツのシンボルである
    鉄板(鉄格子)は
    マカオでもマチガイないですね!

    ここで以前書いてましたある妄想を思い出しました

    1558年~1600年のころでマカオと言えば

    ローマ教皇に会うため出発した
    天正遣欧少年使節団がいました

    その時の旅程

  • 1582年2月20日天正10年旧暦1月28日) 長崎港を出港。
  • 1582年3月9日(天正10年旧暦2月15日) マカオ着。風を待つ。
  • 1583年12月20日(天正11年旧暦11月7日マラッカ・コチンをへてゴア着。
  • 1584年8月10日 (天正12年旧暦7月5日ポルトガルの首都リスボンに到着。


    マカオで風を待つ。その数か月後に

    1582年6月21日(天正10年6月2日)
    日本では織田信長が本能寺の変の
    火災で自害している大事件がありましたが


    織田信長
    本能寺の変後の行方について
    マカオで先発していた
    天正遣欧少年使節団とマカオで合流し
    もっと先に逃れたのではないか
    という妄想で~す

    そもそも死者のデスマスクをつくるなんて
    土着の伝統的な風習は日本では
    みられないのではないのでしょうか?




    本能寺の変から4年後の1586年
    天正遣欧少年使節団の
    ローマ教皇(カトリックの総本山)訪問のニュースが
    アウグスブルグの新聞に載ったという驚きの資料もありました

    アウグスブルクはバイエルン州の都市で
    ミュンヘン、ニュルンベルクに次ぐ3番目

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    1586年にドイツのアウグスブルグで印刷された
    天正遣欧使節の肖像画
    タイトルには「日本島からのニュース」と書かれている。
    京都大学図書館蔵。


    イエズス会のフランシスコ・ザビエルの彫像が
    なぜかプラハのカレル橋にある

    前回
    ニュルンベルグのユダヤ人はプラハに逃れた
    っていうのもありましたし。。

    そんなこんなでいろいろ妄想が広がります~












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    by caramel24carat | 2017-10-23 13:39 | 建物・アート