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Caramel 24 Carat

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<   2015年 09月 ( 17 )   > この月の画像一覧

エラスムス『痴愚神(女神)礼讃』



ロッテルダムのエラスムスさんは、イタリアへ3年遊学したあと
1509年、イギリス国王ヘンリー8世に招かれ3度目のイギリスへ行き
トーマス・モア宅に滞在し、暇つぶしの戯れで
1週間かそこいらで書いたものらしい

 『痴愚神(女神)礼讃』

ボシュの表紙と、ホルバインの挿絵に惹かれて買ってみた
ちゃんと、最後まで読めるかしら~

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       チェリーセージをそえて
   


表紙はヒローニムス・ボシュの≪愚者の船≫
(The Ship of Fools) 1490-1500年頃
ルーブル美術館所蔵

ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch
1450-1516 ネーデルラント

全く知りませんでしたが、エラスムスは大変な知識人で
当時、国際語だったラテン語で書物を著していたので
後世において一般人には、あまり知られなかったとか

シェークスピアやトマス・モアは、当時国際語ではなかった
辺境の英語で書いたので、広くみんなに読まれ人気だったようだ

そんな難解なラテン語の原典を日本語に翻訳した偉い先生がいて
昨年2014年1月中公文庫から出版されたものを、本屋さんで見つけた

1511年には、パリで出版され、1800部が売れベストセラーとなったらしい
その後も、ストラスプール、パリ、リヨン、バーゼル、アントウェルペン
ヴェネッツィア、フィレンツェと各地で出版されエラスムスは大人気だった


その後、著した『ギリシャ語聖書』で、地位も名誉も不動のものとなった
あのヴォルテールさんを上回る往復書簡を著名な人物たちと交わしている

諷刺作家、古典学者、聖書学者、はたまたジャーナリストとして
第一人者だったようだ

1523  ホルバイン ≪写字台に向かうエラスムス≫
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43 x 33 cm ルーヴル美術館 パリ

印刷本による影響大で、エラスムスの住まいへ
名士や知識人が「エラスムス詣で」をした
ユマニストのスーパースターだったらしい

エラスムスの教皇庁や腐敗堕落したカトリック社会への痛烈な批判は
あの免罪符販売の糾弾を激しくした宗教改革者の
マルチン・ルターに影響を与えたようだ

過激なルターに反して、日和見的と揶揄されたエラスムスは
徹底した反戦、平和主義者であった

が、日ごとに激しくなっていく暴力的な宗教戦争の前では
なお中立の立場をとり、スイスのバーゼルへと逃れた






昨晩のスーパームーン
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ボケちゃった 雲の流れが速かった

聞き慣れない言葉「ユマニスト」は「ヒューマニスト」のことだった



ユマニスト【(フランス)humaniste】

“15~16世紀のルネサンス期に、ギリシャ・ローマの古典の研究を通して、広く人間研究を目指した人たち。人間的なものへの愛情と努力と、人間をゆがめる制度や慣習への問いかけを続け、近代的人間観の基礎を築いた。ペトラルカ・ボッカチオを先駆とし、エラスムス・トマス=モア・ラブレー・モンテーニュなどに代表される。人文主義者。ヒューマニスト”
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by caramel24carat | 2015-09-29 21:00 | 本・映画・音楽

日本に400年前の≪エラスムスの木像≫があった




前回、聖エラスムスについて“船乗りの守護聖人”であると知りましたが

なんと、日本の栃木のお寺に400年前の≪ロッテルダムのエラスムス≫の木像が
保管されていたらしい

実在のオランダの人物、デジデリウス・エラスムスの木像で
あのリーフデ号の船尾に立っていた!というから驚き~~

≪リーフデ号≫は元は≪エラスムス号≫だったが名まえが変わった経緯は分かっていない

1600年、八重洲の地名の由来にもなった、ヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針)らが
乗った大分に漂着したリーフデ号の船尾に≪エラスムスの木像≫が飾られていたという


「リーフデ」というのは「愛」という意味のようです

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右手に垂れ下がっている巻物に
ER(AS)MVS R(OT)TE(RDA)M 1589
「ロッテルダム エラスムス 1589」 と読める
( )内の文字は消えている

オランダ最古の木彫らしい


“リーフデ号は1600(慶長5)年、世界一周の途中、大分に漂着。乗組員にはウィリアム・アダムス(三浦按針)、ヤン・ヨーステンらがいた。船尾につけられていたのがエラスムス立像。高さ121センチ。曲折を経て、江戸幕府の目付役だった牧野氏が手に入れ、菩提寺(ぼだいじ)だった龍江院に納めたとされる。大正時代、丸山瓦全が紹介したことが契機となり、オランダの研究者らによってルネサンス期の神学者・エラスムスの像であることが判明。東京国立博物館に寄託された。

デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus Roterodamus, 1466年10月27日 - 1536年7月12日)
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ネーデルラント出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者。ラテン語名には出身地をつける当時の慣習から「ロッテルダムのエラスムス」とも呼ばれる。なお、名前の「エラスムス」は洗礼名でカトリック教会の聖人フォルミアのエラスムス(Erasmus of Formiae)からとられているが、「デジデリウス」は1496年から自分自身で使い始めた名前である。



【木造エラスムス像】

上羽田町龍江院所有。国指定重要文化財。慶長5年(1600年)豊後(現在の大分県)に漂着したオランダ船リーフデ号の船尾に飾られていたもので、当時の幕府旗本牧野茂里に渡り、彼の菩提寺である龍江院に寄進されました。

(総高121cm、像高105cm)

【所在地】  栃木県佐野市上羽田町1242番地
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by caramel24carat | 2015-09-28 17:56 | 歴史・人物

コーブルク号と聖エラスムスと聖マウリティウス


もう9月もおわり、なんだか9月はあっという間だった

あのフランス革命暦でいえば、一年の始まりの月ですが
1.[秋] Vendémiaire ヴァンデミエール(葡萄月):9月22,23,24日~

それにしても、ワインの瓶を裏返してみると
ラベルに保存剤が記入されていてなんとなく敬遠していましたが
やっぱり、あまり身体によくないですよね

方や、習近平国家主席訪米に合わせたタイミングで出た
ドイツを牽制するかのような、VWの仰天ニュースは、米が
“VW(ドイツ)よ、チャイナと仲良くしちゃいやよ”とでもいいたいのかしら?
でも、ガス規制ソフトが本当ならほんと呆れる
聞きかじっただけで、よく理解してないんだけど
ちょっと気になるのは、20万キロなんて、そこまで普通には乗らないと思うけど
と思う今日この頃。。

そう言えば、ドレスデンのVWのガラスの工場にもチャイナがいました

@スローテンポな旅の話は
ライプツッヒでみたICE≪コーブルク≫号から



ドレスデンからニュルンベルクへ列車で移動した時
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ライプツッヒで乗り換えた
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ライプツィヒには、2005年完成の
なんと、建築家ザハ・ハディッド設計の最新のBMW工場があるらしい

ライプツッヒの駅ビルは、2階が列車発着のホームになっていて
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1階と地下1階にはさまざまなお店が並んでいて
待ち時間の間ぶらぶらして楽しかった
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再び列車に乗るためホームに戻ると
ICE≪coburg≫が停まっていた
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現在のコーブルク市は、保険グループHUK-Coburg会社が最大の雇用者らしい
また、1826年~1918年、ザクセン=コーブルク=ゴータ公の居城であった

ザクセン=コーブルク=ゴータ公国というのは
イギリス王室と関係が深い

イギリス・ヴィクトリア女王の王配アルバートの出身地であり
ザクセン=コーブルク=ゴータ家というのでは、ドイツっぽく
あまりよろしくないというので、ウィンザー家に変えたらしい

そのヴィクトリア女王の母親も、なんと、コーブルクの出身というから驚き
ヴィクトリア・オブ・サクス=コバーグ=ザールフィールド
(Victoria of Saxe-Coburg-Saalfeld, 1786年8月17日 - 1861年3月16日)
(ヴィクトリア女王の父親の母もドイツ出身)

初代ベルギー国王となるレオポルド1世は弟
娘婿となるアルバート公は甥(兄エルンスト1世の子)である

(ベルギーというと、最近のエンブレム疑似事件
リエージュ劇場は1918年にベルギー国王が設立した国立のギムナジウムが起源)

そのヴィクトリア女王の長女ヴィクトリア王女(女王と同じ名前)は
プロイセンのホーエンツォレルン家のドイツ皇帝へ嫁いだ

詳しく調べていくとあちこちの国々と繋がっている
恐るべしザクセン=コーブルク=ゴータ家!

そんな大英帝国とゆかりある宮廷のあったコーブルグが
ICE(ドイツの高速列車)のコーブルグcoburg号として
目の前に停まっていてビックリした
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“耳環をした黒人”の紋章がとても印象的で以前から気になっていたが
Wikiの「coburg」によれば、その黒人はムーア人らしい
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”1430年以降、コーブルク市の市章には聖マウリティウスが描かれている。マウリティウスは、紋章学的には、サン=モール修道会の装いで、黒い肌を持つムーア人である。彼はこの街の守護聖人である。1934年からの国家社会主義体制の時代にはムーア人の紋章は剣とハーケンクロイツの紋章に置き換えられていた。”

1934年から、紋章が≪卍≫に置き換えられたと書かれているが
コーブルグの名誉市民にヒトラーが初めてなったらしい


紋章の黒い肌のムーア人は、聖マウリティウスということですが
聖マウリティウス(Mauritius、Maurice)の祝日は
まあ、9月22日だわ!?

聖マウリティウスは、ローマ皇帝に抵抗したテーベ軍の指揮官で
信仰を貫くために武器を捨て無抵抗のまま惨殺されたことから
聖戦士の鑑として崇められるようになる

マウリティウスはシーザーから受け継がれた槍を持っており
その槍は「マウリティウスの槍」と呼ばれ
「ロンギヌスの槍」聖槍と同一視されている、とも書かれている

まあ、≪ロンギヌスの槍≫は、漫画かゲームに出てきそうですね
十字架に磔刑されたキリストの死を確認するために
ローマの兵士ロンギヌス(Longinus)が槍で刺したもので
キリストの血に触れた“聖遺物”なんだそうだ

ウィーンのハプスブルク家のかつての宮殿が保管している
ロンギヌスの槍の片方のレプリカ
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これを持つことは、世界を制する力があるという伝説があり
かのヒトラーは、ウィーンで見て野望を抱いたらしい!?

ニュルンベルクは、ナチ党大会が初めて開かれた街でもあった。。

“「所有するものに世界を制する力を与える」との伝承があり、アドルフ・ヒトラーの野望は、彼がウィーンのホーフブルク王宮で聖槍の霊感を受けた時より始まるといった俗説もある。また、ナチス・ドイツ時代に聖槍などの帝国宝物をニュルンベルクへ移管したのは、神聖ローマ帝国の後継者であることを示すためという見解もある(大ゲルマン帝国参照)。”

さて、肌の黒いムーア人については、以前にブログで書いたこともあり
思い出したのですが、イル・モーロ(Il Moro)と呼ばれるルドヴィーコ・スフォルツァという方がいた
スフォルッツァ家のミラノ公でレオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンでもあった
その後、フランスに敗れ、レオナルドはフランソワ1世に庇護されたのは有名な話ですが

@あら、つい先日、モナリザの遺骨を発見!とニュースが流れていたわ

レオナルド・ダ・ヴィンチは、モナリザの他に
個人的には、モナリザより好きな≪白貂を抱く貴婦人≫がある

女性は、チェチーリア・ガッレラーニ(Cecilia Gallerani, 1473年 - 1536年)
ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛妾
レオナルド・ダ・ヴィンチの≪白貂を抱く貴婦人≫のモデルとされている

話を元に戻して、コーブルクの紋章の
聖マウリティウスですが、絵画にも登場している

ミュンヘンへ訪れた際、アルテ・ピナコテークで見ました

マティアス・グリューネヴァルト 1524~1525頃
≪聖エラスムスと聖マウリティウスの出会い≫
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ミュンヘン、アルテ・ピナコテークにて 2015.7

この、聖エラスムスになりきっているモデルは
1518年、ドイツにおける最も高位な枢機卿まで登りつめた聖職者
アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク(1490-1541年)大司祭らしい

(まあ、、ちょうど、ローマ法王もNYを訪問している)
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訪米中のローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は
23日、ホワイトハウスでオバマ大統領と会談した

アルブレヒトは、枢機卿になるべくブッカー家から借金をし
免罪符を乱発した悪名高い司祭だったという
そんな腐敗した教会の元凶アルブレヒトに、あのドレスデンに彫像が立っていた

マルティン・ルター像 ドレスデンにて 2015 7
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宗教改革者として知られるマルチン・ルターは『95ヵ条の提題』(1517年)を突き付けた

なんと、1530年、マルティン・ルターはコーブルクに半年間滞在している

一方、堕落した聖職者ながらトップにいた枢機卿アルブレヒトは
聖遺物や美術品のコレクターだったらしい
そして、肖像画マニアでもあった、らしい

ルーカス・クラーナハ(父)
≪磔刑のキリストの前で祈りを捧げるアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク≫
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壁 左の絵、真ん中は≪1500年のデューラーの自画像≫

ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク 2015,7

アルブレヒト(兄はブランデンブルク選帝侯)は
お抱え宮廷画家マティアス・グリューネヴァルトに
自身の肖像画を伝説等の主人公に見立てて描かせた
“元祖?なりきり肖像画”マニアだった
そんなワケで、あちこちに登場しているアルブレヒトさん

宮廷画家マティアス・グリューネヴァルトの
作品≪聖エラスムスと聖マウリティアスの出会い≫にも
聖エラスムスとして登場していたわけですが

しかし、なんで聖エラスムスだったのでしょうか?
ちなみに、聖エラスムスは“船乗りの守護聖人”らしい

その殉教した際の、エラスムスの受けた拷問が凄まじい
書くのもオゾマシイですが、あえて妄想を書いてみるなら
ドイツの“腸詰めソーセージ”は、聖エラスムスから
発想しているんじゃないかと、ふと思った
絶対、もう、食べれないわ
お肉好きの方、ごめんね

“エラスムス(Erasmus, ? - 303年頃)は、カトリック教会および正教会で崇敬される聖人・殉教者(致命者)。フォルミアのエラスムス、アンティオキアのエラスムス、聖エルモ(Elmo)とも呼ばれる。ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』によれば、フォルミアの司教であったとされる。生きながら腸を巻き取られるという拷問を受け、殉教した。祝日は6月2日。エラスムスが祈りを捧げると落雷から守られたという言い伝えから、雷から守ってくれるよう、取りなしを船乗りたちが願ったことから、船乗りの守護聖人となった。”

そうすると、船乗り(海軍)の守護聖人と軍人(陸軍)の守護聖人の出会い、となる


枢機卿アルブレヒトは、聖職者でありながら
コレクターとして美術に対して確かな眼識ある人物だった
当時(今も)ドイツにおける随一の画家として自他ともに認められていた
アルブレヒト・デューラーとも親交があったようだ

ニュルンベルクの500年前のデューラーの家にも行きましたが
名まえが同じ「アルブレヒト」なんですね

ニュルンベルクには、DB(ドイッチェ・バーン)の交通博物館があって
ちょっと見学しましたが、ドイツで最初に鉄道が走ったそうです

ニュルンベルク DB交通博物館にて  2015.7
アドラー
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1835年12月7日、ニュルンベルクとフュルトの間7.5kmを
蒸気機関車アドラー(鷲)号が走り、ドイツ鉄道の歴史は幕を開けた

ドイツの鉄鋼王クルップは鉄道の車輪のマーク
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クルップは、3代目がカプリ島の別荘での醜聞を苦に自殺に追いやられた

娘ベルタ・クルップが相続人となり、イギリス・ヴィクトリア女王の孫である
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の紹介で
プロイセンの外交官グスタフ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハと
結婚し、夫がクルップの第4代当主になった


大砲や武器をつくっていたクルップは
3代目を追いやられ乗っ取られたんじゃないかしらね~

キッシンジャーが、初めて鉄道の走ったフュルトという街の出身者らしい

プジョー(PEUGEOT)のコショウ入れを撮ってみた
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ミュンヘンのホテルにて


なんかあっちこっち飛び脱線したかな、キリがない話。。
ところで、ベンツはディーゼル車をつくっていないのかしら?
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by caramel24carat | 2015-09-27 16:50 | 旅行・建築・アート

雨空に  ほのかに香る  金木犀





雨空に  ほのかに香る  金木犀


            きゃらめるキャラット


涼しくなりました~
金木犀が咲き甘い香りが漂っています





香水瓶
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ナンシー美術館にて  2015.7
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by caramel24carat | 2015-09-25 09:00 | 暮らし・ハイ句

カモメと蛾とリンドウの花瓶



今日はとても暑かった~




~カモメ(鴎)~

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Vase Mouettes 1898  ナンシー美術館

~ガ(蛾)~

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coupe à décor de papillons de nuit 1905

~リンドウの花~

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Vase Gentiane 1912

ナンシー美術館にて 2015.7


リンドウ(竜胆)のお花って秋のお花だったんですね
漢字もスゴイ!

*名前由来
中国名の音読み 根が胆汁のように苦い事から由来

*花言葉
強い正義感 的確 悲しんでいるあなたを愛する


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by caramel24carat | 2015-09-22 19:53 | 建物・アート

妖精のいる街 ニュルンベルク



スカッと晴れたシルバーウィーク~

シルバーというのは、敬老の日(9月21日)を挟んでいるからなのか
でも、確か、ずっと、敬老の日は9月15日と決まっていたような気もする
最近、それなりに生きてきていると、ホリデーロンダリングとでもいうのか
国民休日の日が変更されていて、アレっと思う今日この頃ですが
できれば、ダイヤモンドウィークなんてのもあったらいい~


7月に訪れたニュルンベルクも、街歩きがとっても楽しかったわ~
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中世の街に迷い込んだかのような雰囲気ある建物が並び
きょろきょろ歩きながら角を曲がるのもワクワクした
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そんな中、“あら、金色の誰かいる?天使?いや妖精?!”と小躍りし
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正面に回って見上げてみると、妖精がほほづえし
出窓に腰かけている
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お家の出窓に“妖精を飾る”なんて
なんて、メルヘンチックなんでしょう!

まあ、ファンタジー溢れるニュルンベルクならではの光景なのかもしれない
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しかし、神話や中世の伝説に登場するフェアリーは
魔術師として必ずしも美しい解釈だけでもないようだ

シェイクスピアの『真夏の夜の夢』には
妖精王オベロンが登場するらしいが

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みんなバカンス満喫中

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デューラー像の前でお話を聞く観光客たち
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カフェで休んでいた時、魔術師のような黒い衣装の男性が
観光客ファミリーを連れて歩いていたけれど
なんとなく、魔術師&魔女スポットツアーみたいなもんかもと思った
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魔術師や魔女っぽいコスプレのお店も見かけた
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教会前広場でコスプレ大会なんてあるのかしら?
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あったら、きっと街の雰囲気にぴったりで面白いでしょうね
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一泊だけではもの足りない、もう少しゆっくりと滞在してみたい街でした
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ニュルンベルクでも
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マイブームだったアイスコーヒー

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by caramel24carat | 2015-09-20 11:38 | 旅行・建築・アート

雷雨ふる 奏でる三重奏 ワーグナーか



雷雨ふる 奏でる三重奏 ワーグナーか


          きゃらめるキャラット


先日の9月17日は、雷が鳴り雨もかなり激しく
水が溢れ流れる音もした
遠くに救急車がサイレンを鳴らしながら走りさった

ああ、ちょっとコッポラのワルキューレみたい

ワルキューレって、士気高揚にはピッタリなBGMじゃない
テンション高くなるわ~

まあ、ワーグナーといっても
“結婚式”と“黙示録”くらいでしか知らないですけれど

ドレスデンの≪君主の行列≫近くの
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建物の壁で見かけた[ワーグナーのプレート]
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このプレートは“ライオンズクラブ”の名が刻まれていますが
ドレスデンにも、ライオンズクラブってあるんですね
高知の四万十の“坂本龍馬”像もライオンズクラブの寄付だったわ


ワーグナーは、1843年、ドレスデンにあるオペラハウス
ゼンパー・オーパー(Semper Oper)の指揮者に就任し
1845年10月、『タンホイザー』を初演した

ドレスデン、ゼンパー・オーパー  2015.7
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どうも、イマイチ好きではないわ
ワーグナーの男性的で重い音楽はやっぱりドイツ人だわ

少しワーグナーについて調べてみた

以下Wagner のWiki引用

ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner )
(1813年5月22日 ライプツィヒ - 1883年2月13日 ヴェネツィア)

ワーグナーのお父さんは、ナポレオン軍の
フランス語の通訳もしていたなんて面白い

“1813年、ザクセン王国ライプツィヒに生まれる。父カール・ワーグナーは警察で書記を務める下級官吏であったが、フランス語に堪能であったため、当時ザクセンに駐屯していたナポレオン率いるフランス軍との通訳としてたびたび駆り出された。”

ワーグナーは、パリやロシアのリガへも行ってるが認められず
ドレスデンに行く
ロシアもパリも受け入れなかったというのは
なんとなくわかる 華麗さが全くないもの

“ドレスデンでの1842年10月20日の「リエンツィ」初演は大成功に終わり、これによってワーグナーはようやく注目されることとなった。この成功によってザクセン王国の宮廷楽団であったドレスデン国立歌劇場管弦楽団の指揮者の職を打診され、翌年の1843年2月に任命された。”

なんと、ワーグナーによって『第九』が広く評価された

“1845年には『タンホイザー』を作曲し上演したが、当初は不評であった。しかし上演され続けるうちに次第に評価は上昇していき、ドレスデンにかぎらず各地で上演されるようになっていった。1846年、ワーグナーは毎年恒例であった復活祭の直前の日曜日におこなわれる特別演奏会の演目として、ベートーベンの『第九』の演奏を計画。当時『第九』は演奏されることも少なく、忘れられた曲となっていたため猛反対の声が上がったが、徹底したリハーサルや準備のかいあってこの演奏は大成功に終わった。以後、『第九』は名曲としての評価を確立する。1848年には『ローエングリン』を作曲したが、上演はこの時はなされなかった。
1862年には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の作曲にとりかかる”

このあと、あのバイエルン王のルートヴィッヒ2世がワーグナーを招聘、援助する

“1864年、ワーグナーに心酔していたバイエルン国王ルートヴィヒ2世から突然招待を受ける。しかしそれを非難した宮廷勢力や、すでに噂となっていたリストの娘で指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻だったコジマ(Cosima, 1837年 - 1930年)との仲を王も快く思わなかったことから、翌年スイスへ退避し、ルツェルン郊外トリープシェンの邸宅に住んだ

コジマは少女時代からワーグナーの才能に感銘を受けていたが、ワーグナーの支持者であったビューローと結婚し、2人の子を儲けていた。ところがこのころワーグナーと深い仲となり、ついにワーグナーの娘イゾルデを産む(2人とも離婚していない)。ワーグナーの正妻ミンナが病死(1866年)したのち、コジマはビューローと離婚してワーグナーと再婚した(1870年)。そしてビューローはワーグナーと決別し、当時ワーグナー一派と敵対していたブラームス派に加わる。

1867年には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が完成し、1868年6月21日にはビューローの指揮によってミュンヘン宮廷歌劇場で初演された。

ミュンヘン、レジデンツ前にて バイエルン国立歌劇場 2015.7
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ミュンヘン宮廷歌劇場では
1865年 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」初演
1868年 ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」初演


1872年、バイロイトへ移住し、ルートヴィヒ2世の援助を受けて、ワーグナーが長く夢見てきた彼自身の作品のためのバイロイト祝祭劇場の建築を始める。1874年に『ニーベルングの指環』を完成。劇場は1876年に完成し、『指環』が華々しく上演された。が、自身が演出したこの初演にはワーグナーはひどく失望して、再度の上演を強く望んだが、おもに多額の負債のため、生前には果しえなかった。’

なんと、ワーグナーの奥さんコジマとヒトラーが会っていて
1930年、コジマと息子ジークフリートが亡くなると
ジークフリート夫人のヴィニフレートはヒトラーと個人的に親しく
一時は結婚の噂もあったという


ワーグナーの反ユダヤ的思想は、ヒトラーがワグネリアンであったことと相まって、はるか後にナチスに利用されることとなる

”ドイツ音楽雑誌の新音楽時報に匿名で『音楽におけるユダヤ性』と題した反ユダヤ主義の論文を発表。音楽に対するユダヤ人とユダヤ文化の影響力を激しく弾劾した。後にこれはナチスに利用されることともなった。現在でもイスラエルではワーグナーの作品を演奏することはタブーに近い。欧米でもワーグナーの「音楽」を賞賛することは許され(第二次大戦中でもアメリカなどで普通に演奏されていた)てもワーグナーの「人物」を賞賛することはユダヤ人差別として非難の対象となる”


“ワーグナーの死後、祝祭劇場はコジマが運営し、1907年からコジマは引退して息子のジークフリート(Siegfried, 1869年 - 1930年)が中心となって運営した。ジークフリートは作曲家としても活動している。ワーグナーを好んだヒトラーは晩年のコジマに面会している。1930年にコジマとジークフリートが相次いで死去すると、ジークフリート夫人のヴィニフレート(イギリス出身、1897年 - 1980年)があとを継いだが、彼女はヒトラーと個人的にも親しくし(一時は結婚の噂もあったほどである)、ついに祝祭劇場はナチス政権の国家的庇護を受けることになった。なお長女フリーデリント(Friedelind, 1918年 - 1991年)は母のナチスへの協力を嫌って出奔し、アメリカへ亡命した。

第二次世界大戦の敗戦後、ヴィニフレートはナチスとの協力の責任を問われて祝祭劇場への関与を禁止された。劇場は一時アメリカ軍に接収されたが、長男ヴィーラント(1917年 - 1966年)に返還。1951年、フルトヴェングラー指揮の第九でバイロイト音楽祭も再開された。ヴィーラントは戦後のバイロイトでの上演の多くを演出し、舞台装置を極端に簡略化し、照明の活用と、わずかな動きに密度の濃い意味を持たせるその演出技法は、巨匠カール・ベームの新即物主義的な演奏とともに「新バイロイト様式」として高い評価を受けるとともに、ナチス時代との訣別を明確にした。”
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by caramel24carat | 2015-09-19 10:01 | 暮らし・ハイ句

今日のお花




白い花 まさかあなたが ニラだなんて  


           きゃらめるキャラット




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鑑賞用の白いニラのお花が咲いた
レースのような白い小花が可愛い




@ニュルンベルグのおもちゃ博物館にて

おままごと用のおもちゃだけれど
本物みたいに素晴らしかった

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まだだった、ニュルンベルグの旅の記録
のんびりやっていくわ~
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by caramel24carat | 2015-09-15 15:55 | 植物といきもの

芸術アカデミーで出会った“日本” ドレスデンにて


大漁だわ イワシか秋刀魚か うろこ雲

            きゃらめるキャラット

昨日、とても綺麗なうろこ雲をみました
店頭に並ぶ秋刀魚も高くなっていてビックリ


気まぐれランダム旅の日記は
まだ記録したいドレスデンあれこれ

先日、7月に訪れたドレスデンでも、2013年(2002年や過去多々)に
連日の豪雨でエルベ川が増水し大洪水に見舞われたらしい

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地名に「鬼怒川」や「王滝村」なんて名まえが付いているのは
昔にも、そんな名まえのつく自然現象があったのでしょうね
まあ、用心ですね!

拾った同じアングルの洪水の様子の写真を見つけた
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今になって知りましたが、行った時は晴れていてよかった

アウグスト橋を走る黄色のトラムがカッコよかった
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ゲーテもお気に入りだった見晴らしのよい
ブリュールのテラス(Brühl's Terrace)は
16世紀には エルべ川の堅固な要塞の一部だったらしい
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昔の人たちは、シッカリとした要壁をつくっていたんですね

ブリュールのテラス(Brühl's Terrace)を歩きながら
サマーセミナーなのか高校生たちに出会った
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重厚な建物を見上げると
なんと、ラファエロやミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチや
ルネッサンスの巨匠の名まえが刻まれていてビックリ

ここは芸術アカデミーの建物だった
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建築家コンスタンティン・リプシウスによる
1885年から1894年に建てられた芸術の殿堂

さらに見上げると建物の上部には
黄金の天使?女神?が立っている
ガラスのドームは通称“レモン絞り器” !なるほど
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テラスとは反対側からの眺め 
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テラス側、芸術アカデミーのパルテノン神殿風の
建物中央の扉から中へ入りますと
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破壊され修復された跡がある

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さらに奥に展示室があるらしく

無料、もしよければ
Free(If you Like)と読める
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何かな?と入ってみた

天井の高い広~い空間の中に
いろいろ展示されていた
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ふと、壁をみると
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四方の白い壁には、数字がビッシリ埋まっていた
ひょっとして、アレ!?
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もしかして、ドレスデン空襲で犠牲になった方々の
いわゆる“マイナンバー”というか
個体識別ナンバーみたいなものでしょうか?

日本でも“マイナンバー”を導入するという法案が通過したそうですが
見た時、勝手な妄想をしてしまい
背筋がゾクゾクし、あまりイイ感じがしなかった
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もし、何か戦争なり大災害なりで亡くなったときは
個体識別番号としても機能し、国、地方自治体は
国民を管理しやすい~~と妄想


調べてみると
こんな一文にヒットした

Ausschnitt der Wandbespannung mit den Objektnummern
#1 (1873) bis #55.712 (2014)

1873年#1~2014年#55,712
オブジェクト番号と壁装材のセクション

この芸術アカデミーとザクセン芸術協会の入った
複合建築施設は、芸術ホール“リプシウス”(Kunsthalle im Lipsiusbau)と呼ばれ

建築教授コンスタンチン・リプシウスに因んで付けられたらしい
(Architekturprofessor Constantin Lipsius, „Lipsiusbau“ )


よく、ハッキリ分かりませんが
建築、文化財の保存と修復も手掛ける芸術アカデミーの
保存修復、復興作業”Lipsiusbauプロジェクト”で
ゴマンとある壁材等それぞれにナンバリングしていて
オレンジの数字を囲った物が展示されているらしい?

まあ、これで、イヤな思いこみが晴れてよかったわ~

展示物にはとても興味深いものがあった

釉薬タイルかな  
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螺鈿細工の大変手の込んだ秘密?の引き出し等が
たくさんついた趣味のため?のようなテーブル
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反対側は、職人技の素晴らしい手の込んだ鍵盤楽器なっていた
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王宮の内装に使われたらしい絹地の切れ端
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その展示物の中には、なんと
日本の物がいろいろあって驚いたのですが

日本の着物地のパターンのようなものが
たっくさ~んありました!?
その一部
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あら!カキツバタ! 
尾形光琳の≪杜若図屏風≫を連想します
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やっぱり、マイセンゆかりのドレスデンは
江戸幕府や明治政府と密な交流をしていたのでしょうか?

地下へ降りる
レンガでビッシリ積まれてる いいのか?
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芸術アカデミーを出て庭を渡ると
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隣の建物アルベルティウム(Albertinum)の地階につづく
(ブリュールのテラスが高いせいか内側は低くなっている)

嬉しい!ミュージアムカフェがあって
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マイブームだったアイスコーヒーで一休み
この時は、珍しくチーズケーキもあっていただく
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そのあとアルベルティーナを見学
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by caramel24carat | 2015-09-14 17:33 | 旅行・建築・アート

リヨン織物装飾美術館にて


朝日さす きらめく翅や 赤とんぼ



朝日が眩しいなか赤とんぼが舞い
キラキラと翅が光っていた      9月12日(土)


気まぐれランダムな旅の記録は

リヨンの織物美術館
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シャリテ通りに面していて、30番地のプレートを見つけるが
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もう少離れた34番地にありました
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門の向こうがリヨン織物装飾芸術美術館
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住所
Musée des Tissus et musée des Arts décoratifs de Lyon
34, rue de la Charité, 69002 Lyon - France
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肖像画の人物は、ジャガード織機を開発した
ジョゼフ・マリー・ジャカール
(Joseph Marie Jacquard、1752年7月7日 - 1834年8月7日)
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ジャカード織機というプログラム可能な
初期の織機の開発で知られる人物

ジャカード織機は他のプログラム可能な機械の開発にも
重要な役目を果たし、後のコンピュータの開発にも繋がっている!らしい?


デバイスというかコンパスを持つ手が印象的
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リヨンの織物産業はすでにとても高度な技術を
持っていたことに驚きました

館内全体が保存のため照明をおとしていて
ちょっと暗かったので写真もあまり撮れてない

見事なゴブラン織りのタペスリーがならんでいた
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部屋の真ん中にゆったりとしたソファが並んでいて
ついつい、深々と腰を降ろし寛いでしまい
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また、冷房もあまりきいてなく、長く館内で鑑賞できなかったわ~

ミツバチをデザインした織物
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なんとも美しい絹織物の布地
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チューリップと蝶とレースのなんとも美しい
絵画のような絹の布
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素晴らしい刺繍の見事なジャケットや
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ドレスや、貴族の靴などたくさん展示されていた
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ナポレオンの皇后ジョセフィーヌのものだったと言われる
ドレス等もあり

アイリス、カキツバタか
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また日本の着物も数枚あった
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美しい家具の並んだ部屋もあり
その中に時計があり、ちょうど同じ時間を指していたので
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動いているの?と聞いたならば、
毎日ネジを巻いているようなことを言ってました

王や貴族を飾った美しいファッションは
リヨンの絹織物から生まれたのでしょうね
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by caramel24carat | 2015-09-12 11:17 | 旅行・建築・アート