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Caramel 24 Carat

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<   2016年 02月 ( 19 )   > この月の画像一覧

桜と船と白い波頭




温い日曜日でした~☼


桜が綺麗でした

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静かな海
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やがて船が横切った
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白い波頭が果てしない
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追いかけっこしているようでした~
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by caramel24carat | 2016-02-28 20:22 | 暮らし・ハイ句

オシャレなデューラーさまとテディベアのコスプレ



今日もいいお天気で青空を見上げながら深呼吸~☼
ニャンコも隣の塀の上を上手にキャットウォーク

先日、ニャンコの日でしたが
旅の写真の中に
ロンシャンの猫バックがあったわ

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大胆にネコの目が描かれていた(笑)
ディジョンのラファイエットにて

こちらは、お人形の女の子がクマさんを
3輪車に乗っけている
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懐かしいおもちゃがいっぱいの
ニュルンベルグのおもちゃ博物館にて



ところで、昨日、エルミタージュのミュージアムショップでの
思い出の記事に載せた写真を見ていて
ふと気がつき、笑っちゃった アハハ

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手前にあるのが、デューラーの≪メランコリア≫で
その後ろにちょこっと座っているクマさんのぬいぐるみですが
よくよく見ますとデューラーの1498年≪自画像≫のコスプレ!

こちらが、超オシャレ~なデューラーさまの自画像
マチガイナイでしょ ロシアでも人気なのかしら
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自画像、1498年 プラド美術館所蔵

白黒のストライプでコーディネートしたハイセンスなファッション!
組み合わせた両手には柔らかそうな白っぽい皮手袋

肩にかけたキャメル色のマントには白黒の編んだロープ
中に着た白い柔らかいドレープシャツにはフチ取りレース
なんといっても、金髪の波打つロングヘヤーが美しく
完璧なコーディネートは今から500年前のファッションとは!

自信ありげにポーズを決め自画像に描いてしまった
デューラーはやっぱり類稀なる天才だわ!

でも、この自画像、ちょっとダヴィンチの≪モナリザ≫に似てません?

ひょっとして、この衣装は
初めてのイタリア旅行(1494-1495)で
ヴェネツィアへ訪れた時の思い出の衣装かも知れませんね

当時の経済的にも豊かで華やかなヴェネツィアは
最先端の都市だったのでしょうね




@ところで、クマのぬいぐるみのテディベアは
アメリカ大統領ルーズベルトが由来らしい

ある時、クマ狩りに行ったが獲物がなく
周りの者が、傷ついたクマを差出し
大統領に最後のトドメを提案したらしいが
それは、いかがなものか、と断ったらしい

その話をお付きの記者が
ワシントンポストに記事として載せたらしい
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A 1902 political cartoon in The Washington Post spawned the Teddy bear name

その話をミタ、ロシア系ユダヤ人移民の
Morris Michtom (1870 – July 21, 1938)が
インスパイアされて、許可を得て、テディベアを制作販売したらしい
(その会社がIdeal Toy Companyというアメリカのおもちゃ会社とか)

@エルミタージュのミュージアムショップに並んでいた
デューラーのコスプレのクマのぬいぐるみは
ひょっとしたら、Ideal Toy Companyのものかしらね?

エルミタージュへは、ドイツが近いし
たくさんのドイツ人観光客が訪れるので
大人気のデューラーの登場となったのでしょうか

それとも、シュタイフなのかな・
(ドイツのシュタイフ社は、同時期に
クマのぬいぐるみを作っていたらしいと
書かれているけれど、どっちがどっちなんでしょうか)

テディことルーズベルト大統領は、フリーメイソンだったのですね
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by caramel24carat | 2016-02-25 15:00 | 建物・アート

デューラーの≪メランコリア≫の思い出


日没時間が1時間ほど伸びました~☼
あれよあれよという間に2月もあと数日

ある日森の中クマさんに出会った
スタコラサッサッサノサ~~♪

というおもしろい歌がありますが

思い出の偶然の出会いは、クマさんの横にいた
デューラーの≪メランコリア≫でした!

よれよれのクマさんといっしょに
デューラーの銅版画≪メランコリア≫

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デューラーの魔方陣も描かれた謎に満ちた寓意画作品
銅版画≪メランコリア≫について
妄想を全開させて、以前にブログに書いたことがあったのですが
エルミタージュのミュージアムショップで
思いがけず出会い、お土産として買ってきました

@この作品の制作は1514年なので
ニュルンベルグの家で制作されたのでしょうか


エルミタージュの≪ダイヤモンドルーム≫へ続く
地下の見事な大理石柱列
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二年前に、サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館へ
行った時のこと、エルミタージュの誇る至宝コレクションの
特別ルーム≪ダイヤモンドルーム≫の見学ツアーを終えて
ミュージアムショップの前を通りますと
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なんと、クマさんの前に、デューラーの≪メランコリア≫が
ちょこんと飾られているではありませんか!
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ほんと、ちょこんと隅に飾られていたので
気が付いてよかったわ

でも、なんで、なんで、デューラーがエルミタージュにあるのかしら?
だって、ミュージアムショップのショーウィンドウに飾られているのは
ひょっとして、エルミタージュの収蔵作品なのか?と
(よくも分からんのに知ったかぶりで)

お店の女性に、ちょっと聞いてみました
「今は、ないの」、じゃ以前はあったの?と聞き返しますと
「よく分からない」風な返事でした

まあでも、思わぬところで複製品をゲットできてラッキーだったわ
と、とっても嬉しかった
(お土産としては、ペラペラでかさばらないし重くないしベスト)

きっと、お店の女性もホントのところはよく分からなかったと思う

で、ちょっと、調べて見ますと、なんと
日本の国立西洋美術館が所蔵しているみたい

へぇ~そうなんだ
でも、そもそも銅版画ですから
何枚か現存しているのでしょうか?

@どこから購入したかはよく分かりませんが
1998年に購入後、1999年に開催された展覧会には
アルベルティーナ版画素描館より、と書かれているので

ひょっとして、ウィーンのアルベルティーナからだったのでしょうか?

ウィーンのアルベルティーナ美術館には3年前に行ったことがあり
デューラーの≪野うさぎ≫1502年や≪芝草≫1503年が展示されていました
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以下作品≪メランコリア≫詳細
国立西洋美術館サイトより引用

アルブレヒト・デューラーAlbrecht Dürer

≪Melencolia I≫

制作年
1514年

材質・技法・形状
エングレーヴィング

寸法(cm)
23.9 x 18.9

分類
版画

所蔵番号
G.1998-0052

来歴

Purchased by the NMWA, 1998.
(当館が購入)


1999記憶された身体─アビ・ヴァールブルクのイメージの宝庫: アルベルティーナ版画素描館/オーストリア図書館より, 国立西洋美術館, 1999年7月6日-1999年8月29日, cat. no. 1
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by caramel24carat | 2016-02-24 11:56 | 旅行・建築・アート

デューラーの家とビン底ガラス窓



今日は、ぞろめの2月22日だわ~
ニンニンニン?いやニャンニャンニャンかな?
忍者の日か、あるいはニャん子の日なのか



ところで、ドイツルネッサンス期の天才画家と言えば
レオナルド・ダ・ヴィンチとも面識もあったデューラーさま

デューラーの1500年(28才)の自画像
(家の中に入ると壁一面に拡大されている)
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アルブレヒト・デューラー
(Albrecht Dürer, 1471年5月21日 - 1528年4月6日)

@本物は、ミュンヘンの美術館(所蔵)で見てきました

(今さらというか、やっとこというか
十文銭こと宝永通宝がでてきて
銅との合金について知ったこともあり)

そのデューラーのお家がニュルンベルグにあって
昨夏訪ねたことがありました
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木造と壁のハーフティンバー様式(half timbering)の
外見の可愛い木造建築ながら4階建て?だからスゴイ!
屋根裏もありそうなので5階建てなのかな

きっと、豪邸だったのでしょうね
すぐ側には、皇帝が住んだカイザーブルグ城へ続く
門もありましたから

建物内部の雰囲気のあるビン底ガラス窓
開けた窓からは
アルブレヒト・デューラー通りを隔てて
お向かいのカフェが見える

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ほぼ500年前の、1509年にデューラーは、この家を買い
その後の半生を過ごした
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館内は、入場券といっしょにオーディオガイドが付いてきて
日本語版もあり、日本人女性がデューラーの奥さまという設定で
デューラーとの暮らしの日常的なこまごまとしたことを
客間やキッチンと部屋ごとに思い出話風に語ってくれる
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(でも求めているものと違和感があって
なんか興醒めな感が否めなかった)

上階のアトリエの展示物には
とっても興味深いものがたくさんあって
一つ一つチェックしていたらキリがないのですが

そんな中でハーフチェンバー様式の建物の
ビン底窓ガラスがとても面白く雰囲気があって
興味深かった
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牛乳瓶の底を連結したような窓ガラスですが
当時の中世では、ガラスはとても高価で
一般庶民の住宅では使われていなく

ビン底窓ガラスは
教会や公的な建物や裕福な階級の家で見られたようだ
一枚の平面ガラスはもう少し後の時代になってかららしい

この家を買った時、デューラーはすでに成功して
裕福だったのでしょうね

神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の肖像画も描いてる



窓から見えたレストラン 
正面にデューラーの家
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よく見かける風鈴のように
ガラスを吹いてフラスコ状の底を切り取ったものを
ステンドグラスのように、はんだ(錫と鉛の合金)で
繋ぎ合わせたようです

ニュルンベルグでは、銅かスズの産地が近いのか
食べ物の名物の小さめのソーセージは
必ずと言ってよいほどブリキのようなお皿で出てくるらしい

(そう言えば、ブリキのおもちゃがいっぱいあった
おもちゃ美術館もありました)

あの時、ちょっと他に食べるものもなかったので
私も、名物ニュルンべルガーを頼んだのだけれど
テーブルに運ばれて来た時
“えっ!”と一瞬戸惑ったわ
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ブリキのような年季の入ったお皿に盛られていました!

デザートのアイスコーヒーは美味しかったけどね
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@追記
カイザーブルグ城を見学した後、フラっと寄ったお店だったんだけど
夏の時期で、外のテラスに座ったのですが
ちょっと気になって、お店の名まえを調べてみると
(テーブルにメニュが写っていた)
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《Bratwurst Röslein》という、1493年以来の老舗
ブラートヴルスト・レースライン

HPには

bis 1600
Bekannte Stammgäste sind Albrecht Dürer, Hans Sachs, Adam Kraft,Peter Vischer, und Willibald Pirkheimer.

常連客にはアルブレヒト・デューラーの名前があり、ビックリ!
ということは、ソーセージの盛られたお皿は
当時以来の伝統をそのまま受け継いでいるのでしょうか
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by caramel24carat | 2016-02-22 14:00 | 旅行・建築・アート

今日は紅茶



今朝は晴れたけど風が吹いてる~☼




今朝の一杯は久しぶりに紅茶に
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密閉カンに入れてたので大丈夫みたい
オオザッパなので、そのままほおり込んで
注ぎ足して一杯と言わず3杯ほどのみます


昨日の夕方帰り道は土砂降りだった
高速走っていたけど、新東名が貫通したのか
意外と空いてました

土砂降りで不思議に隔離されたかのような車内は
静ナル浮遊感があってドラマチックなのよね


ところで、前回は、≪十文銭≫は贋金に近いんじゃないかと妄想しましたが

先日、更新されていた、韓国ドラマ≪お金の化身≫に
偽物が現れておもしろかった
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お金の偽物じゃないんですけれどね
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何がおもしろかったかといえば、DNA鑑定に、イ・ガンソクの偽物が
一人、二人と、あれよあれよと驚いてるうちに行列をつくるほど現れて
意表を突くシーンがうまいな!と、思わず笑った~アハハ

このドラマのオモシロイ所は、他にも多々あって
オープニングのクレジットタイトルが凝っているなと思う

お札のエッチングを使っている
で、“Apple"の箱が描かれている
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凝ってるでしょ!

「腐ったリンゴが一個あると、箱のリンゴはみんな腐る」
あれ?ミカンでしたっけ

まあ、ドラマタイトルに相応しいナイスなオープニングだわ!
ととても感心したのでした

ニュルンベルグのデューラーさまの銅版画を連想するのですが

そもそも、お札の印刷は銅版画が進化した
精密印刷じゃないでしょうか


@おちゃらけですが、“お金持ち”は“お紙持ち”デスね
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by caramel24carat | 2016-02-21 10:11 | 暮らし・ハイ句

ブレンドもの




朝の一杯はコーヒーはブレンドでしょうか
それとも、ブレンドされたハーブティーでしょうか


ローマ教皇の名前の付いたハーブティ

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アヴィニョン教皇庁にて 2015.7

クレメンス7世はフランスの擁立した対立教皇

クレメンス7世(Clemens VII, 1342年 - 1394年9月16日)は、ウルバヌス6世の即位無効を主張するフランスの枢機卿らによってローマ教皇として選出された対立教皇である。クレメンス7世の即位により、正統性を主張する2人(後に3人)の教皇が同時に並び立つ教会大分裂の時代(1378年 - 1417年)が始まった。彼は、フランスのアヴィニョンを本拠とした最初の「アヴィニョン対立教皇」である。

本名ロベール・ド・ジュネーヴ(Robert de Genève)。

他にも教皇名のついたハ^-ブティーが並んでました

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ちなみに、アヴィニョン捕囚期の教皇

教皇クレメンス5世(1305年 - 1314年)
教皇ヨハネス22世(1316年 - 1334年)
教皇ベネディクトゥス12世(1334年 - 1342年)
教皇クレメンス6世(1342年 - 1352年)
教皇インノケンティウス6世(1352年 - 1362年)
教皇ウルバヌス5世(1362年 - 1370年)
教皇グレゴリウス11世(1370年 - 1378年)


ところで、前回の【亜鉛】のことがちょっと気になっていて
紀伊国屋文左衛門は何に使ったんだろう?と

考えてみたんだけれど
イヤだ、すっかり忘れていた

徳川5代将軍綱吉の晩年に【十文銭】の鋳造を
請け負っていたではありませんか

“宝永5年(1708)に発行された【宝永通宝】のこと。1枚で10文に通用した。大銭。”

この10文銭こと宝栄通宝のWikiの写真みますと
現在の五円玉に似ている

ちょっと黄色がかった5円硬貨は

黄銅 と言われ、銅:2に亜鉛:1くらいの合金

銅 60% - 70%
亜鉛 40% - 30%

含有物については、ハッキリと確認してませんが
おそらく、実際の十文の価値もなく悪銭だったといわれる
十文銭も、銅と亜鉛の合金の黄銅だったのではないかしら

古今東西、財政は逼迫してくると、だんだん
粗悪品が出回ることになつのですね

この紀伊国屋文左衛門が関わり鋳造した
十文銭は、一年足らずで将軍綱吉が亡くなり
流通もストップしてホントよかったわ


アビニョン教皇庁の地下のお土産屋にて
十字軍のお人形もあった
ちょっと欲しかったけれど荷物になるのでヤメ
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2015.7

それにしても、文左衛門は幕府命とはいえ
うっかり微妙な贋金造りに加担したようなものだわ


と、妄想ですが
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by caramel24carat | 2016-02-20 10:00 | 暮らし・ハイ句

亜鉛とトタンとブリキ



気温が上昇すると気持ちも軽やかになるわ~☼


懐かしいブリキのジョーロ
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(ウチのはプラスチックだけど)



ところで、前回“紀文大尽”こと
紀伊国屋文左衛門のこと調べていて

長崎貿易で亜鉛も扱っていたと知りました
【亜鉛】とは元素記号で知っている位で
よく分かりませんが

食品にも含まれていて、必須ミネラルの一つらしい
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“亜鉛(あえん、英: zinc、羅: zincum)は原子番号30の金属元素
元素記号は Zn”

一見したところ炭の燃えカスのような
上の銀白色に鈍く光る亜鉛の写真見てると

含まれる食品はカキ!と
すぐ誰が見ても思いますが
他にもうなぎやチーズにも含まれるらしい

カキなら2コで一日の必要量が摂れるとか
たんぱく質の合成や骨の発育に欠かすことのできない必須アミノ酸、とのこと


あれ?何を書こうとしていたんだっけ
そうそう、紀伊国屋文左衛門が、亜鉛も取り扱っていた
と、チラッと書かれていて知ったのですが
亜鉛は扱いにくい面もあったが、建築資材に使われるらしい

紀文の大尽が具体的にどんなふうに関わったのか分かりませんが
木材商だったから建築資材に使われるトタン=亜鉛の商いも
あったというのは、すごく納得できます
しかも幕府御用達だった文左衛門が木材を調達した
寺社仏閣にはよく使われていそうな気もする
(でも、すでに、亜鉛メッキ鋼板はあったのかしら)

亜鉛を鉄板に薄くメッキしたものがトタンと呼ばれる
トタンとしてよく知っているのは、波状の板
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湯たんぽ(トタン 亜鉛メッキ鋼板製)もあるわ~
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湯たんぽのWikiに綱吉が犬型の湯たんぽを使っていたとあって
“栃木県日光市の輪王寺に、徳川綱吉が使用したという犬型の湯たんぽが存在している”
ビックリ!
(陶器かトタンかは明記されてない、まあ、陶器製かな)

トタンの特性として、傷が付いた場合は錆びにくいらしい
よく似たブリキはスズのメッキで、酸には強いが傷が付くとすぐ錆びるという

亜鉛>鉄>すず の順で錆びやすい、らしい

ブリキといえばバケツ
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トタンと言うと「塗炭の」苦しみという言葉もありますが
芥川龍之介の『羅生門』はすざましかった

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(新橋ガード下を通った時、「羅生門」カッコイイなと思って 2015.11)

◆トタンの語源はポルトガル語の Tutanaga(亜鉛)で

◆ブリキは
 “ブリキは、オランダ語のBlic、ドイツ語のBlech(薄鉄板)から転化したといわれており、歴史も古い。ブリキの利用で有名な話は、ナポレオンのエジプト遠征(1798年)の際の食糧貯蔵法からヒント得て、ブリキを用いて食品を貯蔵する方法が発明されたのが缶詰のはじまりで、爾来缶詰といえばブリキとなる。”
らしい

そんなこんなで、少しモヤモヤっと分からなかった
トタンとブリキのちがいハッキリしてスッキリしました

@一般社団法人日本鉄鋼連のサイトにヒットし
「八丁堀」が偶然出てきて、ビックリ!

紀伊国屋文左衛門が居を構えたところが八丁堀でしたから
八丁堀には【鉄砲州】という地名もありました


以下一般社団法人日本鉄鋼連より転載引用

8.鉄の問屋街[東の八丁堀、西の立売堀]

東京の鉄鋼問屋街の中心は、明治末期までは、神田堀留であったが、その後京橋八丁堀、本所深川などに拡散していった。八丁堀が、艀の発着などに便利であったことから次第に問屋が集まりだし、関東大震災後、問屋街を形成するようになった。戦後、1969年に浦安鉄鋼団地に主要特約店が進出するまで、東の鉄鋼流通の中心地として繁盛した。
一方、大阪は東京と違いどこも水利が良く、場所には不自由しなかったが、立売堀に江戸時代からの老舗の鉄問屋があったため、自然と問屋が集まり、現在も鉄鋼問屋街の西の中心地となっている。



1.「鉄」という字、「鋼」という字

鉄という字の正字は鐵で、これを解くと「金++呈」となる。は「切る」という意味があり、「真っ直ぐに物を切り落とす鋭利な金属」を表している。
鋼は「金+岡」で、岡は「堅い大地を意味し、硬くて丈夫な物」を表している。
また、別に鐵を「金の王なる哉」と解く説がある。江戸時代の思想家三浦梅園は、「金とは五金(金、銀、銅、鉛、鉄)の総称なり、五金の内にては鉄を至宝とす。如何となれば鉄その価、廉にして、その用広し、民生一日も無くんば有るべからず」と記しているが、現在最も広範に利用されている金属であることを考えると、正鵠を射た説ともいえる。
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by caramel24carat | 2016-02-19 13:00 | 暮らし・ハイ句

ふいご祭りとミカン大尽紀伊国屋文左衛門





今日は晴れてあったかい

先日、庭に白いアラレが降ってる?と
よく見ると、風に舞った梅の花びらでした~❀
晴れてはいるものの、空気がヒンヤリしてたから
まさかと思ったけれど


ところで、先日、徳川園の澄んだ池のコイを眺めながら
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昨秋、六義園を訪れた時見た池がもう少し濁っていて
鯉の泳ぐ姿もトロンとしていたこと思い出してました
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殿さま気分で散策した広大な庭園の六義園は
徳川5代将軍綱吉の側用人柳沢吉保が造った庭として有名ですが
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この幕府要人の側用人柳沢吉保(上野国館林藩士・柳沢安忠の長男として江戸市ヶ谷に生まれる)や
勘定奉行の荻原重秀(元禄時代に貨幣改鋳を行ったことで有名)や
老中の阿部正武(延宝8年(1680年)に奏者番兼寺社奉行、天和元年(1681年)に老中に抜擢され、武家諸法度天和令作成、貨幣改鋳、湯島聖堂建設、赤穂事件などを担当)らに
賄賂を贈り接近し接待を兼ね豪遊しまんまと幕府御用達の材木商として
さらなる巨利を得た人物に、“紀文大尽(お金持ち)”と呼ばれた
紀伊国屋文左衛門という豪商がいました

大変有名な伝説の方らしいですが

@紀伊国屋といえば、書店やスーパーもありますが
全く関係ないらしく、かまぼこの紀文も関係ないみたいです

和歌山県有田の出身で、もともとミカン舟で大成功した商人
ある年、紀州有田ミカンが豊作だったが、江戸へ運ぶ廻船が
海が荒れてシケのため止まっていた

文左衛門は、この時、一世一代の勝負に出た
危険を顧みず、にわかに雇った船乗りと調達した船に
豊作で値崩れしたミカンを買いあさり船に積み込み
荒れ狂う大海に乗り出したが、無事航海を終え
江戸に船一杯のミカンを運び遂せ品薄だった
江戸では高値で飛ぶように売れた

ちょうど、屋根からおミカンを撒く
江戸恒例のフイゴ祭りに間にあった

この時の、文左衛門のハイリスク・ハイリターンな賭けは
大成功し、帰りの船には、江戸で塩サケを積み
上方(大阪)へ運んで、さらなる利益をあげた
という、伝説の豪商

地元には、同じ和歌山出身の松下幸之助が寄贈した
紀伊国屋門左衛門の碑が建っているらしい

ミカン船で一財産を築いた文左衛門は、八丁堀に
居を構え、材木商を始めるワケですが

江戸では、人口増加で都市大改造が進行していたらしい
1657年の明暦の大火後、江戸城を中心にして
焼失した神社仏閣、家屋の再建や
道幅を広げたり、掘を掘ったり、橋をかけたり
(よく調べてなくて大雑把ですが)

徳川家光が帰依していた寛永寺等の新築増築改築など
あわせて公共工事もあっちこっちで行われていた、らしい
木場にストックされていた木材は高騰していた


そこに、目を付けた文左衛門は賄賂を
幕府要人に贈り入札に有利に働くよう
接近していった、というわけらしい

その後、深川木場にあった店は焼失した、とも
また、深く出入りしていた幕府から
十文銭の鋳造を請け負わされる

しかし、1年足らずで将軍綱吉が亡くなり
さらには、評判の悪かった悪銭の十文銭は通用が停止
紀伊国屋文左衛門は大損失を被った、という

でもね、それまでの蓄財があったのか
純金張りのお神輿を3台も奉納している

“綱吉逝去の翌年宝永7年(1710年)に「紀伊国屋材木店」を閉店した後も、享保2年(1717年)に深川富岡八幡宮に総金張りの神輿三基を奉納したり、大火で消失した富岡八幡宮社殿建立費用に全財産を寄進したりと、潤沢な資産を持っていたとも言われる”


明治11年、岩崎弥太郎が買い取り整備した
清澄庭園はもともと文左衛門の住んだ豪邸の跡らしい

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政商岩崎弥太郎は、六義園も買い取ってましたが
元の造園主であった5代将軍綱吉の側用人柳沢吉保と
紀伊国屋文左衛門は、もっと他の取引があったのではないか
と、つい勘繰ってしまう

柳沢吉保と言えば赤穂事件
元禄14年(1701年)

そもそも美伝武勇伝で語り継がれるウラにはそれなりの
ワケがあったのではないかしらと妄想

まず、江戸に運んだミカンは「ふいご祭り」で屋根から撒かれた

そんなお祭りがあったとは初めて知りましたが
ふいごとは、鍛冶屋が火をおこす道具

@1657年におきた明暦の大火の火元は本妙寺と言われてますが
そのお寺に隣接して老中・阿部忠秋の屋敷があったっらしい
当時のごちゃごちゃ江戸を一掃し大改造のため焼き払った
放火説もあり、ほんとのところはどうなんでしょうか
(お寺で祈願していた時に振り袖に引火したという話は
大火事になるほどの状況を説明できてないとも思います)

将軍綱吉は犬を何万匹も飼っていて
火薬の硝石を作っていた、という情報もあったりして

火薬、鍛冶屋、とくれば、鉄砲や鎧と連想しますが
まあ、誇大妄想だわ

しかし、ホントに塩鮭やおミカン“だけ”運んだのでしょうか?
和歌山の木材も運んだらしいですが、帰りの船は?
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カピタン江戸詣の中継地であった堺もすぐそこ

オランダ東インド会社のカピタンといっしょに
スウェーデンからスタートした世界旅行中で出島に辿り着いた
ドイツ人医師ケンペルが江戸城に2度参府している

@ケンペルの遺稿はロンドンで出版され、その中の
『日本誌』は、日本のガイドブックとしてとても貴重だった

八丁掘について
堀割の名称に由来する
八丁堀は寛永年間(1624〜1643年)に造られた堀で
長さが八町(丁)(約872m)であることからその名がつく

と、思いついたことをメモ

以下お話催事記より引用

“ 鞴(ふいご)祭り。

 鞴は昔の金属の精鉄や加工には欠くことのできない、火をおこすための道具で、旧暦の十一月八日には、全国的に、鍛冶屋、刀工、鋳物師などが仕事を休んで稲荷神社に詣で、「鞴祭り」を行いました。
 鞴祭りは京都や江戸で特に盛んで、土地によっては踏輔(たたら)祭りとも呼ばれ、十二月八日や四月八日に行うところもありました。

 鞴祭りには、鍛冶屋や鋳物師だけでなく、彫り物師、風呂屋など火を使う商売の家では稲荷神に詣でてお札を受け、仕事場に貼り、鞴を清めて注連縄を張り、お神酒や餅を供えました。
 鞴祭りのミカンを食べると、風邪やはしかにかからないと信じられていたため、夕方から門前で餅やミカンをまいて近所の子どもにふるまいました。

 もともと農耕の神、食物の神とされていた稲荷が、この場合は鍛冶屋の神とされたのは、穀物の神として祭られていた稲荷が、穀物を調理するための火の神に転じ、さらに、火を操る職業の鍛冶屋の守護神となっていったと考えられています。
 また、稲荷神と鍛冶屋の関係を説明する説話もあります。
 昔、三条小鍛冶宗近という人が刀を鍛えたときに稲荷神が手助けしたという説話や、後鳥羽上皇が刀を鍛えたとき稲荷山の土を使ったという説話等があります。

 江戸の町には「町内に伊勢屋、稲荷に犬の糞」と川柳に歌われるほど稲荷神社の数が多かったのですから、鞴祭りのときのミカンの需要も相当なものだったようです。
 江戸時代に、紀伊国屋文左衛門という商人が嵐をおして紀州(今の和歌山県)から江戸に船でミカンを運び、大きな利益を得たと言われますが、それは江戸の鞴祭りのためのミカンだったのです。”
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by caramel24carat | 2016-02-18 14:00 | 歴史・人物

コイを眺める



もう二月も半ばだわ~


昨日は、徳川園を散歩

地下水が水源の大きな澄んだ池には
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コイが気持ちよさそうに泳いでました

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いろいろな模様のミゴトな錦コイ
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金色に光るコイ
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赤と黒のまだらコイ
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池泉回遊式庭園を散策しながら
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コイや巨石を眺め橋を渡り
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ほんと贅沢なお殿さま気分でした
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ボタンも咲いてた
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by caramel24carat | 2016-02-15 10:30 | 街と風景

ピカソの≪男と女≫1971年




雨降りの日曜日です~☂
(お昼前には晴れました)


今日は、“チョコの日”だそうです
世の中には、ホント面白いものがあって
≪チロルチョコのキーボード≫があるそうです
たしかに、一個のチロルチョコってキーに形が似てる

いつも、チョコっとググっている私にピッタリだわ!


聖バレンタインは、禁じられていた戦場に行く戦士の結婚を
士気が落ちるからと、むしろ結婚したい男女を応援したらしい


ピカソ晩年の作品≪男と女≫1971年


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Pablo Picasso ≪Homme et Femme≫ 1971

昨夏訪れた、ナンシー美術館にて
2015.7
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@天才ピカソは生涯のうちに少なくない女性がいましたが

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“その中の一人の女性フランソワーズ・ジローとの間の
愛娘「パロマ(Paloma)=鳩」は
パロマ・ピカソとして著名なジュエリー・デザイナーとなり
現在はティファニー社のデザイナーとして活躍している”
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by caramel24carat | 2016-02-14 10:05 | 建物・アート