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Caramel 24 Carat

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<   2016年 04月 ( 19 )   > この月の画像一覧

新緑の日本庭園お散歩と亀の子たわし



薫風が心地よく長閑日和~☼



先日、家康の出世城といわれる浜松城へ行った際
隣接する新緑の眩しい日本庭園を散歩しました~

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天守閣と作左山の谷間の立地を生かした
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回遊式の庭園は静かで癒される空間でした~

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滑滝  静寂のなか流れ打つ水音が心地よかったわ~
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深山渓谷をイメージしているのね
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花々のない新緑の季節の日本庭園もなかなか乙だわ
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白いお花が
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今日は、100均で買った亀の子たわしで
ちょこっとある石畳みを磨く予定~

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by caramel24carat | 2016-04-30 12:00 | 街と風景

朝採りバラと意外だったヴィクトル・ユーゴーとガーンジー島


お天気雨で気まぐれな風が吹いてる~



今季初の薔薇たちが咲いた

風にくるくる揺れてそのままでは撮れないので
摘んで〝投げ込み流”でキメテ?みました~

〝がんばる貴方へ”
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ピンクのルィーズ・オディエと白いソンブロイユと
ナルコランと鈴蘭もいっしょに


@ところで、マイブログの過去記事の
≪板垣退助とヴィトン≫について書いたものを

改めて読みながら「妄想全開だわ~」と
ガンバってる自分が面白いw

その中で、パリ、パレ・ロワイヤルの一角にある
レ・ミゼラブルの作家としてもお馴染みの

ヴィクトル・ユーゴー記念館を訪れた時に撮りました
大きな≪ヴィクトル・ユーゴーの肖像画≫を見ながら
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そういえば、以前から、なんかオカシイ!?という違和感があって
その微妙な印象に引っ掛かっていたのですが
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判りました!なんと、フリーメイソンのキメテスタイルの
嚢手(ふくろで)をしていることに気がつきました

@これまで、エリザベス一世やナポレオンやと
いくつか眺めて来ましたので、やっとそのヘンにも
目がいくようになったのかしら

しかし、この肖像画はとっても面白いカッコウしてますね!
片手は懐に、もう片方は頭の上にと、なんなんでしょうね?



ヴィクトリア朝の暗い家具と部屋作りが
重苦しかったわ
2012,7 ヴィクトル・ユーゴー記念館にて
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ヴィクトル・ユーゴ^ーは作家として有名ですが
フランス第二共和制(1848~1852)の時には政治的活動もしていて

その後、ナポレオン3世が皇帝に即位すると
パリからブリュセルへ亡命してからも
反政府的な執筆活動をしていたようだ

さらにブリュッセルを後にし
イギリス、チャネル諸島のジャージー島へ渡り
その後、ガーンジー島へと移り、19年間の亡命生活を送っていたようだ
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イギリス王室属領ガーンジー島といえば、パナマ文書で今話題の
タックスヘイブンやオフショア金融センターで知られて
海外企業のペーパーカンパニーも存在するらしいとか

そんな、イギリス王室の島に、19世紀中ごろに
ヴィクトル・ユーゴーが亡命していたなんて
しかも、19年の長い間だったとは、ほんとビックリでした

〝1870年に勃発した普仏戦争はフランスの大敗北に終わり、セダンの戦いでプロイセン王国の捕虜となったナポレオン3世は失脚した。これによってユーゴーは帰国を決意し、19年ぶりにパリに戻る”

ちょうど、パリでなくなる数年前に、日本からやって来た
板垣退助等と会っていることになる

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〝1885年5月22日、パリにて死去。享年83。
国葬でもって葬られ[37]文豪としてパンテオンへと埋葬された。”

ヴィクトル・ユーゴーは作家としての名まえぐらいしか知りませんが

イギリスがヴィクトリア女王の時代なんですね
ハノーヴァー朝の第6代女王
(在位:1837年6月20日 - 1901年1月22日)

今回、肖像画を見て、フリーメイソンだった!らしいと
気がつき、ガーンジー島での長きにいたる亡命生活も
納得の感ありです~

ちなみに、ヴィクトル・ユーゴーのガーンジー島の住まいは
パレ・ロワイヤルの一角の記念館にも一部再現しているらしい
とは、今になって知りました

なかなか、〝インテリアおたく”だったらしく
ガーンジー島の邸宅には
驚きの凝った仕掛けがあったりして
意外な面を知りました

ウィリアム・モリスなんかの影響を受けているのかもしれない







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by caramel24carat | 2016-04-28 12:00 | 歴史・人物

マルスの原


素晴らしいお天気~☼



ちょっと、思い出の写真の中から

≪ミハイロフ宮殿≫から≪マルスの原≫へ行く途中
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前回、サンクトペテルブルグのネヴァ川に架かる
≪トロイツキー橋≫について書きました際

橋を渡った対岸にある≪マルスの原≫について
ちょっと触れたので
この際、思い出として記録~☆

マルスの原のそばを流れる運河に浮かぶボート
よく見るとご夫婦の貸し切り状態~
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2014.8

サンクトペテルブルグの街は運河が多いけれど
ピョートル1世が建都の際
ネーデルランドを見習っったようで
元々ラグーン(湿地)だったネヴァ川沿いの地を
地盤強化のために膨大な杭打ちをやったらしい


だだ広っろい≪マルスの原≫はかつて練兵場だったようだ
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日本でいうなら代々木練兵場?


@江戸も「八重洲」とか「日比谷」とか「築地」という地名から
も潟?だったようですね


東京駅の改築の際には、沢山の杭が打たれていたと
ニュースで東京駅の構内展示で知ったことがあったわ

明暦の大火で江戸の大部分が
焼失してしまったことがありましたが

江戸城の天守閣がその後建てられていないのは
かなり不思議に思っているのですが

江戸は、オランダ東インド会社との交易に重点を
置いていたことがあったからじゃないかしら

八丁堀なんてのは、船で物資を運ぶための運河ですよね
江戸の街作りはひょっとしてオランダをお手本にしていたのかしらね

(ベネチア→オランダ→サンクトペテルブルグ=江戸?)


@ちょっと話がそれましたが


サンクトペテルブルグやモスクワの街歩きでは
建築現場によく遭遇しましたが
建物全体を覆うビルの窓をプリントした
おしゃれな幕がはってあって
景観を損なわないようにしていて感心しました
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ブルーシートのようなのは、ちょっとイケてないかもね
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「マルスMARS」というのはローマ神話に由来する
軍神マルスのことらしい

「Mars」は、3月の由来でもあるらしく
新年の最初の月は3月だった(農耕の始まり、軍事行動の開始)
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だから、軍の施設に≪軍神マルス≫の名まえがついていたのね

犠牲者を追悼する〝永遠の火”
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ちょうど〝永遠の火”の真正面、延長線上に
三位一体という意味の≪トロイツキー橋≫がかすかに見えます

また、そこに立ち左後ろに首を回すと
1881年3月13日、暗殺されたロシア皇帝アレクサンドル2世を弔うために
その後を継いだ息子アレクサンドル3世によって建てられた
血の上の救世主教会の可愛らしいネギ坊主の屋根が見えました
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この後〝永遠の火”を眺めて≪トロイツキー橋≫の方へ
≪大理石宮殿≫を目指して歩きました~

橋を往来するたくさんの車が
ものすごいスピードで走っていてビックリ!
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そういえば、この時、信号が青でもバンバン飛ばしてくる車のなか
一台紳士がいてちゃんと止まってくれて
やっと横断歩道を渡った思い出があったわ~あはは
(改めて思い出してみると変則的な横断歩道だったのかも知れない)


よく見ると、画面右になにやら槍をもった
後ろ姿の彫像が立ってますが
軍神マルスをイメージしたスヴォーロフ将軍の像らしい

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常勝不敗の指揮官として名声が高かった軍人らしい

〝19世紀に整備された練兵場で、軍隊パレードや式典なども行われた。現在も赤っぽい砂が敷かれた広場になっている。広場の北側には、軍神マルスをイメージしたスヴォーロフ将軍の像が建てられている。この広場には革命や内戦の犠牲となった人々が葬られている。革命戦士の記念碑などもあり、1957年からは永遠の火が燃えている。”


@つい長くなっちゃうんだけれど
ちょこっと思ったことメモ

昨日、2020年のTOKYO五輪のエンブレムが決定したらしい
サッパリした紺色の市松模様をデザインした素敵なもので
ほんとによかったわ


ああ、そういえば、スコットランドヤードの警官の帽子の
おリボンも白黒の市松模様だった、とちょっと連想したわ
(フリーメイソンも白黒だったような)

(あとモノマネの人の被っていた帽子が白黒のチェックって
気のせいかしらね)
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by caramel24carat | 2016-04-26 14:25 | 旅行・建築・アート

トロイツキー橋




新緑が眩しい~☼


日ごとに花の数がふえてるスズラン
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@ところで、逞しい「脚」で思い出したのですが

ロシアのサンクトペテルブルグへ行った時
ネヴァ川に架かった橋を眺めたことがありました

2014.8
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とても立派な橋だけれど
残念ながら投げやりなアングルだわ
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なんと、今、調べてみると国際コンペが開かれていた

1892年、この橋の国際コンペが開かれエッフェルも参加していたようです
(エッフェルといえば、フランスのディジョンでした)
16社の中から、フランスのバティニョール社の設計が
美しさと経済性で採用された、らしい

以下ロシアNOWの記事より引用

”1903年、5月29日(ユリウス暦16日)、サンクトペテルブルクのネヴァ川のトロイツキー橋が完成し、皇帝ニコライ2世臨席のもとで開通式が行われた。

マルスの広場とトロイツキー広場を結ぶトロイツキー(三位一体)橋は、完成当時、サンクト市内最長の582メートルを誇り、ネヴァ川3本目の常設の橋であった。1965年以降は、全長907・5メートルのアレクサンドル・ネフスキー橋が最長となった。

ちなみに、最初の常設の橋は、1850年に完成したブラゴヴェシチェンスキー橋だ。

国際コンペ

トロイツキー橋の建設決定は1891年のことで、翌1892年に国際コンペが開かれ、16のプロジェクトが参加。フランスのエッフェル社も加わった。

結局、1897年に採用されたのは、フランスのバティニョール社の設計提案だ。理由は、その美しさと経済性である。その設計の独自の構造をロシアで使用する権利を有していたのは同社だけだったので、それが決め手になった。

政治ショー

起工式は1897年8月に行われ、露仏同盟成立(1891年)以来の両国の接近を背景に、両国の“友情”をアピールする政治ショーとなった。セレモニーには、ニコライ2世と仏大統領フェリックス・フォーレが出席した。

 1903年5月29日、トロイツキー橋は完成した。セレモニーは、サンクトペテルブルク建都(建設開始)200周年に合わせて行われた。橋の主要部は、6径間の鋼アーチからなっており、南側の1径間が跳ね上げ式になっている。

相次ぐ改名

ネヴァ川の橋はぜんぶ可動橋で、夜間には跳ね上げられて、陸上交通は遮断され、船舶が多数航行する。

トロイツキー橋は、ロシア革命後は「平等橋」、1934年のセルゲイ・キーロフ暗殺後は「キーロフ橋」と改名されたが、1991年に元の名に戻った


110年ほども経っても堂々としてるトロイツキー橋ですが

ヨーロッパの街々で感嘆するのは、建築とか土木技術の
スケールの大きさに、ほんとうに驚く

@「MOCT=モースト」ってロシア語で「橋」のことなのね
(モスクワで、クズネツキーモストってありました)

ロシア語で書かれたトロイツキー橋
(Troitskiy Most/Троицкий мост)
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ペトロパブロフスキイ要塞のある島側から橋を渡ると
マルスの丘や大理石宮殿へと行けましたが

別の日にマルスの広場や大理石宮殿へ行った
(ブログには全然その辺のこと書けてなかった)

2014.8
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この時は、トロイツキー橋を渡らず

サンクトペテルブルグでも初めて地下鉄に乗って
街の中心まで戻った思い出がある
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しかし、地下鉄のスピードが尋常じゃない速さで
車体がレールから浮いてるんじゃないかと思うくらい

すっ飛ばしていて、すごくコワかったわ!
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by caramel24carat | 2016-04-24 12:55 | 街と風景

カラスノエンドウと<ターナーの新20ポンド札>


今日は初夏のような陽気~☼


連休前にぜひ草取りをやっておきたいと頑張った
この時点で放置したままだとこのあと
繁茂して大変なことになっちゃうしね

カラスノエンドウのツルが
自由奔放にチェリーセージに絡まっていた
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庭いじりは、日ごろの運動不足解消にはいいんだけれどもね
思いのほか、立ったり座ったりの屈伸運動は
大腿筋肉の強化にいいみたい

(歩くだけではつかないので負荷を付けるため
階段をなるべく頻繁に上り下りするようにしている)

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カラスエンドウの花言葉をみますと

ツルが伸びてからまるので       「絆」
可愛い2つの花を付けることから   「小さな恋人達」

まあ~なるほどね


@ところで、本日のニュースにビックリ!

なんと、ターナーが新20ポンド札に採用されるらしい

22日、新たな20ポンド札のデザインを発表する
イングランド銀行総裁=英・マーゲイト(ロイター=共同)

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〝共同通信 47NEWS
2016年4月23日 09時43分 (2016年4月23日 11時15分 更新)

【ロンドン共同】英中央銀行のイングランド銀行は22日、2020年から流通する新たな20ポンド(約3200円)札の肖像画に、18~19世紀に活躍した英国の風景画家ターナーの肖像画を採用すると発表した。

現在の20ポンド札には経済学者アダム・スミスが採用されている。”


@ぶっきらぼうに「と」で異次元のものくっつけている
マイブログのタイトルにアキレル今日この頃~

なんと、今日はシェイクスピア400年目の命日だって

〝イギリスの劇作家、ウィリアム・シェイクスピアが死んだのは1616年4月23日、つまりきょうでちょうど400年が経つ。ちなみにシェイクスピアの生年は1564年で「ヒトゴロシ」、没年は「イロイロ」と語呂合わせにすると覚えやすい”

以上エキサイトニュース引用






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by caramel24carat | 2016-04-23 14:15 | ニュース・レキシ

すずらんと浜通りの<シャルドネ>とAPAのホテル女王


可憐なすずらんが咲きました~



熊本では余震が700回とか言われてますが
異常ですよね

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前回、NYの不動産王ジョン・ジェイコブ・アスターゆかりの
アスター家の≪ウォルドルフ=アストリア≫の住人に
超天才発明家ニコラ・テスラがいたと知り驚いたのですが

ホテル王といえば、日本でも最近やたらホテルがあっちこっちに
驚くほど建っている女性社長で有名な≪アパ≫がある

Booking.comなんかでホテルを捜していると増殖していて唖然とする

10年ほど前、一度泊まったことがありますが
ニ度と泊まりたくないと思ったことがあった

で、ふと思ってホテル女王のマダム元谷のWikiを眺めますと
なんと、1歳ころに福井大地震で被災されたらしい

福井出身のかたのようで、その時、生家は崩壊したが

部屋にあった落ちてきた観音開きになった仏壇に守られ
助かったという奇跡のようなエピソードがあり驚いた

この福井地震(1948年(昭和23年)6月28日16時13分29秒に発生)というのは
都市直下型地震で、規模はM7.1(Mw 7.0)の大地震だったらしい

津波はなかったが、サマータイム導入で
1時間遅れの夕方5時過ぎということもあり
夕食の準備で火を使っていたため家屋の焼失が多かったようだ

@この福井大地震をきっかけに
気象庁は震度階級に「震度7(激震)」を新たに設定した、という

そんなわけでNYのホテル王アスター家から
ホテルつながりで偶然知ったアパの女性社長の
奇跡のエピソードですが

事業家として留まるところを知らないのは
その時の御仏壇のご加護があるのでしょうか

それにしても、「なぜAPAだけが?」の印象もチラッと霞める

昨日のチェリーセージ
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で、影のご主人のムッシュモトヤのWikiをチラッと
眺めてみますと、なんと、ビックリポンだわ

安倍総理の後援会「安晋会」の副会長でいらっしゃる!

そして、2008年、田母神俊雄が航空幕僚長を更迭されるきっかけになった
『「真の近現代史観」懸賞論文』を主催している

@ここまで読んでみて、最近、ブログにも書いた
韓国ドラマの≪お金の化身≫を思い出したわ~
う~ん、とても面白かったですが 

〝自ら編集長を務める月刊誌『アップルタウン』(毎月5万5千部発行)に、「藤誠志」のペンネームで社会時評エッセイを執筆している。2008年に田母神俊雄が航空幕僚長を更迭される田母神論文問題の原因となった、『「真の近現代史観」懸賞論文』を主催。大賞にも自身のペンネームを冠している。”

また、さらに興味深いのは、「日本を語るワインの会」も主催している
〝グループ主催の「日本を語るワインの会」には政財界の大物や自衛隊の関係者が参加している”

@以前から、元谷夫婦の驚異的なホテル事業展開には
ホント凄いなあ~と思ってましたが

なんだか、韓国ドラマのようだわ~あっは

@ところで、アパG代表元谷氏が
「日本語るワインの会」を主催されてるようですが

@ワインといえば、つい最近のニュースに驚きのものがあった

311のあと福島浜通りで深さ10kmの余震が
ずいぶん長い間つづいていた記憶がありました

(熊本地震でも700回とか言っていて異常ですが)

ふと思って「福島浜通り」で検索しますと
なんと、つい最近の<2016.4.14>の記事にヒットしました

(ちょうど、熊本地震の起こった当日朝に配信されている
なんか、暗号なの?)

そのタイトルにビックリ!なんと、ワイン「シャルドネ」ですって

〝2016.4.14 05:30更新 サンケイより引用
「福島浜通りをワイン産地に ブドウ栽培を開始」

東京電力福島第1原発事故で大きな被害が出た福島県の浜通り地方をワインの産地に-。そんな夢を掲げて、避難区域を抱える同県川内村などで醸造用ブドウの栽培が始まった。ワイン産地としての可能性を見いだした有志らが「日本葡萄酒革進協会」を設立し、地元住民や酒造会社、大学とも連携、東京五輪・パラリンピックが開催される2020年までに初生産を目指す。”

ワイン用ブドウの「シャルドネ」の苗木が植えられたそうだ

@まあ、なんということでしょう!オシャレ~だわ
まあ、でも、率直に言えば、〝土壌”は大丈夫なのかしら?

この福島浜通りは、代々地主が相馬家だったとか

(あっそう元総理の妹が嫁がれた名家らしいですが
相馬家33代当主は、北海道の日高地方で
馬の牧場を始めたり、また、数年後には
夢だった肉牛の牧場を十勝地方で営んでいたが
その後閉じたらしい)

相馬家の相馬の由来とは「馬の相をみる」というから
ほんと、びっくりだわ

相馬家は、祟りで有名な平将門由来の〝騎馬軍団”を率いる
幕僚長みたいな地位にあったらしい

その騎馬軍団の軍事訓練のなごりが
千年以上の伝統を誇る、
世界最大級の馬の祭「相馬野馬追」である、らしい

平将門の家紋といわれる「繋ぎ馬」については
ドイツのシュトゥットガルトに繋がるんじゃないかと
以前書いたことがとがありました

シュトゥットガルト(stuttgart)とうのは「牝馬の庭(園」という意味でした

@あれこれ思いつくままに書いて来ましたが
地震で被災され家を失くされた方々が
たくさんいらっしゃるのには胸が痛みます








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by caramel24carat | 2016-04-21 12:39 | 植物といきもの

意外だったホテルウォルドルフ=アストリアの住人ニコラ・テスラ


熊本地震の余震が500回とか言われていますが
現地でお住まいの方々は気が休まらないでしょうね

伸びてきたハーブミント
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前回、ポールセンのミニバラ、スウィート・カバーのこと書きながら

そう言えば、前に、毛皮商人で元祖ミリオネラーの不動産王
ジョン・ジェイコブ・アスターのこと調べていて

アスター家のマンハッタンにある
ウォルドルフ=アストリアホテルの
住人リストに名まえがあり

なんと、ニコラ・テスラが住んでいた
と知り、へぇ~~!とビックリでした
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ニコラ・テスラがどんな人物だったかは詳しく知らないのですが
某有名ブロガー先生の記事で名まえだけは知っていたんですね

で、超天才なら若くして短命で清貧だった
ような勝手なイメージを持っていたものだから

マンハッタンの高級ホテルウォルドルフ=アストリアの
住人であったことが

勝手なイメージをいい意味で裏切られたようで
ちょっと意外でした

ホテルといえば豪華なスィートルーム~
まあ、庶民には縁がありませんが

例えばモネ

かつて、ロンドンの高級ホテル、サヴォイのスィートルームに
あのフランス人画家モネが滞在していたことがあったり

@そうそう、ナチのスパイでもあったシャネルは
パリのヴァンドーム広場のホテルリッツの
スィートの住人だったこともあったりと

古今東西、超セレブは高級ホテルのスィートに住むことが
お決まりだったのかも知れない

因みに、「スィートルーム(suite)」のことを
「スウィートルーム(sweet room」)と
つい近年まで勘違いしていたワ~あはは

マンハッタンの高級ホテル≪ウォルドルフ=アストリア≫の住人だった
超天才ニコラ・テスラですが
(ちょっと調べないと、滞在時期と期間はわかりません)

1943年11月3日、86才でなくなられた時は
やっぱりマンハッタンの≪ニューヨーカー・ホテル≫でした
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なになに高級ホテル住まいだったの!?というわけで
ちょっと関心を持ちニコラ・テスラを調べてみると

生涯独身だった超天才発明家ニコラ・テスラの発明品の中に
大変興味深いものがあることがわかった

なんと電力をコードレスで送る
〝電力の無線送電”というものがあった

ムズカシイことは分かりませんが、離れたところの電灯に
電力を〝無線”で送電し点灯するらしい


(@これって、あっちこっちの想定外のものにも送電した場合は
あぶない!危険!ということはないのだろうか?)

ニコラは、これを≪無線送電システム(世界システム)≫と呼んだが
そのたいそうな名まえの付いた≪世界システム≫とは!?

例えば、アラスカからクマモトへ、も無線で送電出来ちゃうのかな?

@地震兵器と呼ばれるHAARPは
アラスカ州・ランゲル・セントエライアス国立公園にあるらしい


そう言えば、ロシア領アラスカに主にラッコの毛皮交易をする
露米会社があったりしましたが

その露米会社からアラスカをアメリカが買い取ったことが
ビーバーの毛皮商人のジョン・ジェイコブ・アスターが
(ドイツのウォルドルフ出身)アラスカ利権を独占し
NYの不動産王まで登りつめ大富豪になったような
話がありましたが

ロシアがアラスカを売ったのは
クリミア戦争の戦費と賠償金支払いのためだったような



で、ニコラ・テスラの研究で発明されたものには
なんと、≪地震発生装置≫があったというから驚きです!

きっと、これ≪地震発生装置≫に目を付けた
悪徳極道な連中がいたことでしょうね

兵器商人のJ.Pモルガンなんか
日本にも南北戦争の使い古しの鉄砲を
イワサキヤタロウ大倉喜八郎に
捌かせていたではありませんか


つい脱線しましたが現代に戻っての話で


@先日、熊本地方で起こった同時多発地震は

ネット情報では

311の時の仙台のライブカメラが捉えたと同様の
「ピカッーーと光った雷光のような強烈な光」が見えた!らしい

311と同様の閃光が熊本の当日夜のライブカメラに
写っていたらしい

ということで、今回の熊本地震も人工地震だったようなのです

あの、ニコラ・テスラが発明した≪地震発生装置≫を
さらにパワーアップさせたようなものが、秘密裏に存在していた

(ニコラ・テスラは上手く利用されていたんじゃないかしら)

みたいなことが、一般人にはちょっと信じられないけれど
確かにあるに違いない!

と、今回、ますます確信する今日この頃なのデス

ニコラ・テスラについて

Wikiを引用しながら眺めてみますと

〝ニコラ・テスラ(セルビア語ラテン文字表記・英語:Nikola Tesla/セルビア語キリル文字表記:Никола Тесла、1856年7月10日 - 1943年1月7日)は、19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家。交流電流、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。磁束密度の単位「テスラ」にその名を残す。

8か国語に堪能で、詩作、音楽、哲学にも精通していた。”

@年譜を見ますと

1856年、オーストリア帝国時代の現クロアチアのとある街で生まれ、グラーツの工業高校を経て
プラハのカレル大学を卒業した後、フランスへ行き、エジソン社のフランス法人で勤めたらしい
(彼がどんなことやったとかの業績等についてはムズカシイので省略)

その後、アメリカへ渡り、エジソン電灯社に採用されるも
〝交流電流”で、エジソンと対立して1年程で辞めたらしい

〝1884年にアメリカに渡り、エジソンの会社・エジソン電灯に採用される。当時、直流電流による電力事業を展開していた社内にあって、テスラは交流電流による電力事業を提案。これによりエジソンと対立し、1年ほどで職を失うこととなる。”

ということは、ニコラ・テスラさんは30歳ころである

で、その後、超天才ニコラは人間がやる奴隷的な重労働から
解放するための発明に専念したくて独立している

@あの。。超天才のイメージとして
「若くして亡くなり大変貧乏」だったみたいな
勝手なこと思っていたのですが

高級ウォルドルフ=アストリアに常宿していたとか
長生されて、1943年に86才で、ニューヨーカー・ホテル亡くなられた
というのは、やっぱり意外でした

そのニューヨーカー・ホテルはどんなホテルだったのだろうか?と
ちょこっと調べてみますと名まえが変わっている

ウィンダム ニューヨーカー ホテル
(WYNDHAM NEW YORKER HOTEL) 
(旧 ザ ニューヨーカー ホテル)

このニューヨーカー・ホテルも歴史ある高級ホテルじゃないですか


 ≪ニューヨークホテル界屈指の歴史を誇る ウィンダム ニューヨーカー≫
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"1929年創業、豊かな歴史を誇るウィンダム ニューヨーカーホテルは
ニューヨークシティーのアイコンとして君臨し続け
これまでジョン F ケネディー元大統領、ヒラリー・クリントンも泊まった” らしい

@ヒラリー・クリントンVSトランプ?


独断ですが、今回わかったニコラ・テスラの人物像というのは

〝独身貴族で、人類に貢献するような
素晴らしい発明品をつくり
研究三昧な日々を送り数々特許をとり
お金持ちでもあったのか生涯高級ホテル住まいだった
発明品にはマッドサイエンスと呼ばれるような
戦争の兵器として使用されるような
きわどいものもあった”

1901年には、J・P・モルガンの援助も受けていたみたいですが

モルガンの令嬢との結婚話には興味がなく
そっけなく断ったこともあったらしい
といのは興味深いわ~

@エジソンがGEなら、ニコラ・テスラはウェスティンハウス

〝1887年4月、独立したテスラは、Tesla Electric Light Company(テスラ電灯社)を設立し、独自に交流電流による電力事業を推進。同年10月には交流電源の特許を受諾されている。

1888年5月16日、アメリカ電子工学学会でデモンストレーションを行い、それに感銘を受けたジョージ・ウェスティングハウスから100万ドルの研究費と、特許の使用料を提供されることとなった(契約には、特許の将来買取権が含まれていた)。

テスラの特許を使用した交流発電機はウェスティングハウス・エレクトリック社のベンジャミン・G・ランム(英語版)の設計によりナイアガラの滝のエドワード・ディーン・アダムズ発電所(英語版)に取り付けられた。これは三相交流25サイクルによるものであった。また同年には循環磁界を発見。超高周波発生器を開発する。だがウェスティングハウス社技術陣の中でも孤立し、1年で離れることになる。

1891年、100万ボルトまで出力できる高圧変圧器を発明。

1893年、無線トランスミッター発明。
シカゴ万博の会場内電気供給に、電気館の電源システムをウェスティングハウス社が構築し、交流の優位性を示した。二十台の単相500馬力の発電機を2群の回転子の位置を90°ずらせて二相の12,000馬力の交流発電機として構成しアリス蒸気機関によって運転した。これを変圧器によって昇圧して送電し、再度、変圧器で降圧して1,000個の16燭光の電灯を点じ,誘導電動機を回してみせた。また直流電源の電車を走らすために回転変流機を設置した。

1898年、点火プラグで米国特許取得。同年、無線操縦の特許を取得してニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで無線操縦の船舶模型を実演した。[1]

1901年、J・P・モルガンの援助により、ロングアイランド、ショアハムに高さ57mの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー (英語版)」の建設を開始。1905年に完成するも、その後モルガンとの関係が悪化して資金繰りに詰まり、研究は中断。アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、1917年にタワーは標的にされるとの理由で撤去された。

1915年、エジソンとともにノーベル物理学賞受賞候補となるが、共に受賞せず。双方が同時受賞を嫌ったためとも言われている。1930年代にも受賞候補に選ばれるが、受賞はしなかった。

1916年、米国電気工学協会エジソン勲章の授与対象になり一度は断るものの(後述)、再考して1917年にこれを受ける。[2][3]

1943年1月7日、ニューヨーク・マンハッタンのニューヨーカー・ホテルで死去。86歳。その死後、数トンに及ぶとされる彼の発明品・設計図は「アメリカ軍とFBIが没収した」「ユーゴスラビアを通じてソ連の手にも渡った」と噂され、なかば伝説のように広がった。実際には一度FBIに押収されて複製された後、母国に返還された。原版はベオグラードのニコラ・テスラ博物館に保管され、2003年にユネスコの記憶遺産に登録された”






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by caramel24carat | 2016-04-18 15:00 | 歴史・人物

雨にも負けず咲く花々




今日は雨風です~



そんな中、放置していた花々が健気に咲いている

ポールセンローズの最強のミニバラ
スウィートカバー(Sweet Cover)

今朝はまだ一輪だけ ちょっと波打つような花びらが可愛い
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ラベルに王冠マークがついたポールセンローズ(PoulsenRose)は
2008年にデンマーク王室ご用達のバラと認定されたバラなんだとか

とにかく手間いらずなミニバラでコンパクトで場所もとらないし
トゲも気にならないし柔らかな葉の形と色もいい感じ

タウニー&カントリーシリーズ (Towne Contry)
スウィートカバー(Sweet Cover)


先日から、あっちこっちに伸びて来た枝に
藤娘も咲きだしました~踊っている
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ラベルを引っ張り出してみると名まえは「長崎一才藤」
花が終わったら、思いっきり剪定して樹形を整えたいわ


斑入りの葉っぱと可愛い双子白花のナルコランも咲いてます
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控えめながら場所もとらず毎年楚々と咲いてホント嬉しい



@近年初夏になると、≪クマもん≫ブランドの美味しいトマトが
とっても楽しみでした~ 今年も是非食べてみたいわ





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by caramel24carat | 2016-04-17 11:20 | 植物といきもの

熊本地震


昨夜、9時26分、熊本県に震度7の恐ろしい地震があり
その後の余震も100回以上も発生しているらしい


どんなにかコワい思いをされたことでしょうね
ライフラインも断たれ不自由な心もとない生活を強いられ
精神的にもまいり非常にキツイでしょうね

幸いというか気候が暖かくなった時期だったのが救いですね

今日のスパラキシス
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@被災の大きかった益城町は
大型のソーラーパネルに助成されてたようですが
なんか関係あるのでしょうか

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被災の大きかった益城町(マシキ)のHPより引用

益城町は、九州の中心部に位置し、県庁所在地熊本市の東隣りに接して
とっても、空、陸の玄関口として便利なところのようです

“製造や物流の拠点”として便利な所なら災害救援物資も輸送しやすいですね


〝 町の西部には、陸の玄関口『九州自動車道益城熊本空港IC』、東部には空の玄関口『阿蘇くまもと空港』、また南部には、地域活性化ICとして『九州中央自動車道小池高山IC』を擁し、優れた交通の利便性を有しています。”



ここんところ、マイブログで熊本に関わりのあることを
いくつか書いてましたので、とても心苦しいです

@そう言えば、航空自衛隊の熊本北駐屯地もありました


ああ、救命救急センターのドラマのことも書いてたので
なおさら、今回の熊本地震災害が身近に感じられてしまう


思うに、防衛省の膨大な予算から緊急災害対策費として
思いっきり廻してほしいです

防衛省の本来の目的なのか兵器やジェット戦闘機や軍艦等々を
充実させることの方に傾いているのはオカシイですけれどもね

庭にポピーの種が飛んで来てオレンジの花が咲いてた
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あの、「おっかのうえヒナゲシのはな」のひなげしかな



それから「ブラックマター」に数百億、宇宙船打ち上げに数百億と
ケタが違いますもんね

@そう言えば、ちょうどワシントンD.CでG7とG20が開催されているらしい
ちょうど、このタイミングで、というのは何か?

それから、福島の除染費用に本年度予算が9兆円!
なんてのもありましたが
除染費用の本来の使い道はなんでしょうか!?

一般の国民にはまったくビックリポンな話ですわ

@気になるのは、深度10m深さ10km、この数字は
福島浜通りで多発していた余震と同じ数値ですが?





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by caramel24carat | 2016-04-15 14:22 | ニュース・レキシ

命かけてと誓った日から~素晴ら気質 ♪



≪あの素晴しい愛をもう一度≫という歌詞に引っ掛けて
お花の名まえ覚えてみました~あはは


なんのこっちゃ?な花詩ですが

今、あっちこっちに咲いて満開なクリーム色のお花の名まえが
判らなかったのですが、やっと判明しました!
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よく見るとフリージアの茎と花のような扇状に咲く姿に似ているので
そうだわと「フリージアの仲間」かも知れないと気がつき調べてみると


≪スパラキシツSparaxis ≫という名まえだと
判明
ほぼ間違いないかな

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@南アフリカ原産の帰化植物のようで
水仙あやめと呼ばれているらしい



で、「スパラキシツ。。スパラキシツ。。スパラキシツ。。」と呟いていると

あのクルセダーズの名曲≪あの素晴しい愛をもう一度≫の
歌詞がでてきて、つい口ずさんでしまいました~

「命かけてと誓った日から。。素敵な。。あの素晴ら気質。。♪」

きっとこれで少しは覚えられるかしら?

追記:笑っちゃうよね
 よく読んでみますと≪スパラキシツ≫ではなく
     ≪スパラキシス≫でした
(いつもながら能天気な自分アキレルワ)



@ところで、北山修と加藤和彦のコンビでしたが
なんと、加藤和彦さんて自殺していたんですね

そう言えば、以前にブログでも書いたことがあったわ
どういう流れだったのか?思い出せませんが
(三島由紀夫~川端康成~鎌倉~) だったか


フォーク・クルセダーズの曲には
≪あの素晴しい愛をもう一度≫の他にも
≪イムジン河≫というのがあったわ!?

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う~ん、今になって≪イムジン河≫とはなんぞや?と不思議ですが
調べてみると、なんと、北朝鮮の歌なんですね!

ビックリポンだわ!

なにかと、今現在でも賑やかなのは?不思議ですが
なにかルーツに関わる人物たちがいらっしゃるのでしょうか?

〝臨津江 (リムジン江) で分断された朝鮮半島についての曲であり、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、なぜ南の故郷へ帰れないのか、誰が祖国を分断したのかを鳥に問いかけ、故郷への想いを募らせる内容である。”


とても意味深な歌なのですね
加藤和彦さんとも深い関わりがあったのかしら?






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by caramel24carat | 2016-04-14 12:00 | 植物といきもの