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Caramel 24 Carat

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<   2017年 10月 ( 15 )   > この月の画像一覧

思い出のラントマンのモンブランと≪煉獄≫と≪ストーンウォール≫と≪東艦≫



昨日の午後から雨空です~☔


せっかくのお休みなのに
庭仕事を思いっきりしたかったのですが~




ところで前回、モネの≪積みわら≫眺めながら
モンブランを連想しましたが

モンブランといえば
ウィーンのラントマンで食べたモンブランが
サッパリした甘さで美味しかったこと思い出しました


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ウィーン、ラントマンにて

写真は2013.2のもので
最近は過去モノの使いまわし~
ウフフ

ウィーンのラントマンって
海外一号店が表参道にもあるんですね、驚きだけど




🍰


ところで

ワラといえば「わらしべ長者」なんて言葉がありますが

このラントマンでみた新聞にロスチャイルドの息子の記事があって
そのことについて後にちょっと書いてました


このロスチャイルドの記事の中に
オークラが出てきたりするのですが

創業者大倉喜八郎のつくり上げた大倉財閥は
そもそも鉄砲で儲けた死の商人でもありました

あえて言うならわらしべ長者!?


カツオ節からスタートし
鉄砲~ガス灯~建設業と留まるところを知らない
モンスターのような商人だったようです



両親を亡くした後、姉からもらった餞別金を懐に
16歳で
新潟新発田から江戸に上京し

鰹節ヤの丁稚奉公から
やがて徳川幕府から明治政府への大転換期に独立し大倉商会をつくり

横浜に荷揚げされた鉄砲を
現金商売で旧幕府軍や明治新政府に
敵味方かまわず売りさばいた
商売のモンスターのような人物じゃないかと思うのですが

戊辰戦争も終盤の時

大倉喜八郎は
横浜の鉄砲を扱う商社から
2500丁の鉄砲をドイツ人の船長の船(ドイツ船?)に乗せて

榎本武揚らが追い詰められて蝦夷地の五稜郭に立て籠もっていた
箱館(函館)までどうにか運んだという

リスクなくして巨利は得ずではありますが

どうもここでドイツ人が片棒担いでいることにビックリ!

やっぱり巧妙なドイツ人に乗せられていたのでしょうか

旧幕府軍の写真もちゃんと残っているのに驚きます

誰が撮ったのでしょうか?

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Wikiより引用

以前、映画≪るろうに剣心≫を観たことがあったのですが


後編で
鳥羽・伏見の戦いで焼かれ全身大やけどになりながらも生き延びた
包帯でグルグル巻きの志々雄真実の船
大型甲鉄艦≪煉獄≫には

ロココ調のソファが置かれていて
意外だったのですが

この甲鉄船はフランスのボルドー産を
やっぱり想定していたのかしら?

🍷

戊辰戦争時

新明治政府軍が旧幕府軍に対抗して
大金をはたいて買った軍艦が

通称≪甲鉄≫といい≪東艦≫ともいうらしいですが

この甲鉄艦は
もともとアメリカ名の≪ストーンウォール≫号といい
南北戦争時の南部連合が同盟国であったフランスへ発注され

フランスのボルドーのアルマン・ブラザース社造船所で建造されている

この名前を≪ストーンウォール≫号からやがて帝国海軍の≪東艦≫と変えた甲鉄艦ですが

建造された竣工後

出来上がった船が届けられる内に南軍が負けてしまったという
艦にとっては残念な結果でした

(戦時中、南軍は密かに甲鉄艦を発注していた)

時のナポレオン3世はアメリカへの輸出を禁じていた
当時の国際慣習では
“交戦国へ中立国は武器を輸出しない”となっていたので

アメリカ北軍からもクレームがあり
甲鉄艦≪スフィンクス≫は
スウェーデン経由で一旦デンマークへ売却され
≪ステークオザー(Staerkodder)≫となり

1864年12月
コペンハーゲンでアメリカ南軍に引き渡すため
≪ストーンウォール≫と命名され
アメリカへ回航~

🚢

キューバのハバナへ到着したころ南北戦争は終結
艦の所有はキュ-バ政府となり
のちに北軍(アメリカ合衆国)へ引き渡され繋留されていたところを

幕臣・小野友五郎によって買い付けられた

という、国を転々としその度毎に名前を変えながら
売られてきた
波乱万丈の船だったらしい

 慶応三年(1867)
この艦はニューヨークで幕府に引き渡され
ジョージ・ブラウン中佐以下アメリカ海軍軍人を傭人として雇い
日章旗を掲げて日本へて回航
慶応四年(1868)4月23日横浜へ入港した


この日本にやって来た
≪ストーンウォール≫こと≪東艦≫は


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1861年、アメリカの南軍連合が発注し
フランスのボルドーのアルマン・ブラザース社造船所で
フランス名で≪スフィンクス≫と呼ばれ
秘密裏に建造が進められていたが

同時に
もう一隻≪キーオプス≫号という
姉妹船が建造されていた、という

この姉妹船≪キーオプス≫号はプロイセン(ドイツ)に売却され
プリンツ・アダルベルトPrinz Adalbert)≫と改名され
プロイセン海軍の戦艦第一号として就役した

🚢

ちなみに映画≪るろうに剣心≫登場の
志々雄真実の甲鉄艦≪煉獄≫を
検索してみました


ネットより拝借
元は漫画のお話で映画化されたのかな

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まあ、一目瞭然!

フランス、ボルドー産の≪スフィンクス≫こと
≪ストーンウォール≫=≪東艦≫
とそっくりだわ~アハハ

映画で気になった
ロココ調のソファの画も発見



なんと
このボルドー色のソファですが
(エンディングロールでソファ制作とでてましたが)

今知ったのですが

映画公開当時
新宿ピカデリーにて実物があったみたいです!
なるほどね~

包帯姿の志々雄真実のお人形と記念写真が撮れたらしい
あはは~


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画像は公式サイトより




ところで
ここで驚くべき≪東艦≫の末路がありました

なんと

1895年12月のこと
海軍から払い下げられていた≪東艦≫は
屑鉄業者に払い下げられた後、解体され

明治28年(1895年)12月に開設された
東京電燈会社(東京電力前身)の浅草発電所の
発電機の部品トランスの鉄芯に使われたという

甲鉄艦の胴回りには
純度の高い良質の鉄板が使われていたという

東京電燈といえば
1882年、
大倉喜八郎の銀座大倉組の前の銀座通りで
初めて点灯されたのでしたわ



ドイツ、ハノーファー出身のクリストファー・ノーランの記事も
なんとなく繋がりました~
















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by caramel24carat | 2017-10-29 12:13 | 建物・アート

モネの≪積みわら≫と雑感




青空が広がり陽だまりがあったかい~☀



なんとも心地いい日ですが

2月のメトロポリタンで観ました
モネの積みわら

≪Haystacks (Effect of Snow and Sun)≫1891


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メトロポリタン美術館、2017.2


モネは
ジベルニーの家の近所の野原で刈り取り積まれた干し草を
朝、昼、日没時と何点も描いてますが



この作品は
雪の朝、お日様が干し草を照らしながら
移ろいく光と影の様子を追いながら
描いたようです

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お日様に照らされた雪化粧の積みわらの色合いとフォルムが
アイスクリームかモンブランのようで
なんだか美味しそう~

そういえばモンブラン食べたいわ



ちょっと愚痴ってみる

日頃、ネットでお買い物&決済に慣れているので

ちょっと用事あって役所や銀行でのリアルな業務対応が
なんとも時間がかかってカッタルクテ若干怒れてきます


役所でも銀行でもリアルな人間のやることって
結構ストレス感じました


あの
話は飛びすぎて恐縮ですが
トヨタまゆこ議員さんの秘書さんて
どんだけな事務処理能力があったのかしら?

昼下がりの雑感でした~













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by caramel24carat | 2017-10-27 15:28 | 旅行・建築・アート

ある妄想と鉄砲とアマルダの海戦とチェコのショコダ財閥




くもり空が広がっている~⛅


昨日、朝、散歩してましたら
可愛いドングリが転がってました

ところで
〇池さんてパリに行って元駐日大使のキャロラインさんと
会談しているニュースがあって驚きました~

その頃、ケネディ暗殺事件の資料公開という
ニュースもあったりして


一方
勝利したお祝いなのか
自民党の首脳陣は銀座のステーキ屋かわむら(映像に看板が)に
行かれて祝杯をあげられたというニュースもありました

好奇心もありチョッとググってみますと
7万円のコースとは驚きました

なんかドクターXのシーンを思い浮かべましたわ
あはは
しかしみんなお肉が好きなんですね

ちょうど
殉教者聖ローレンツが鉄板で焼かれた記事書いてましたので
なんとも印象的なニュースでした

変わったニュースもありました
エルサレムのオークションで
95年前に帝国ホテルに滞在していた
来日中のアインシュタインの手書きメモが1.8億円ほどで落札されたというもの

内容はドイツ語で
「静かで質素な生活は、絶え間ない不安に縛られた成功の追求よりも多くの喜びをもたらす」
もう1枚あって
「意志のあるところに道あり」

日本人の配達人にチップ代わりにその場で渡したものらしいですが
配達人の親戚のかたはドイツ在住なんですね

ドイツ・ハンブルク(Hamburg)在住で配達人の親戚である匿名希望の出品者によると、「もしあなたが幸運なら、このメモ書きは普通のチップよりもずっと価値が高くなるでしょう」とアインシュタインは配達人



マルティン・ルターの銅像
ドレスデンにて

ローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した
きっかけをつくった人物


2015.7
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ところで

聖ローレンツのシンボルだった鉄板から
に関しての
ある妄想ですが



滋賀県の鉄砲の産地だった長浜は
織田信長の長をとって「今浜」が「長浜」と名付けられた街らしい
と依然知ったことがありました

そのころ
南蛮貿易をしていた信長は
長浜で鉄砲を作らせ交易品として
売りさばいていたんじゃないかという
いきなりの妄想なんですが


その頃布教にやって来ていた
イエズス会の宣教師たちは言ってみれば
精鋭のエリートだったらしい

カトリックにはいろいろ宗派があるらしいけれど
イエズス会に対して清貧をモットーとする
フランシスコ会などもある

1582年、天正遣欧少年使節団を発案した
イエズス会のヴァリアーノは

織田信長と会ってスペインの内情を話して
来るべき戦争用に日本製の鉄砲を大量に依頼してたのかも知れない

そのころスペインの領土だった
ネーデルランドの新教徒(プロテスタント)によって
スペインのフェリペ2世がカトリックを強要したため
反乱を起こし独立運動が起こっていた

後にこれをきっかけにオランダが独立する

ちょうど日本では信長から秀吉そして家康と
オランダ東インド会社へと交易相手が変わりました

1568年から1648年にかけての80年戦争
(1609年から1621年までの12年間の休戦を挟む)

ネーデルランドに肩入れしていたイングランドは
エリザベス1世が統治していたが
女王公認の海賊船がスペイン船の積み荷を略奪していたという
大変困った国の存亡にも関わる由々しき問題もあった

また
陽の沈まぬ大国スペインと新興国でヤクザ?なイングランドとの間の
王位継承権をめぐる陰謀絡みの
メアリー・スチュアートの処刑があった

フランス王フランソワ2世と結婚し王妃でもあった
メアリー・スチュアートは
(1560年、フランソワ2世は16歳で病死したため
翌年1561年8月20日スコットランドに戻る)

フェリペ2世の3番目の妃エリザベート・ド・ヴァロワとは
フランスのルーブル宮で一緒に育った仲良しだった


女王エリザベス1世は
イングランドの王位継承権を持っていた
メアリー・スチュアートを警戒し処刑してしまった
(生前メアリーはフェリペ2世に
イングランド王位継承権について相談し委託していた)

メアリー・ステュアートMary Stuart, 1542年12月8日 - 1587年2月8日(グレゴリオ暦2月18日))は、スコットランド女王(メアリー1世、在位:1542年12月14日 - 1567年7月24日)。スコットランド王ジェームズ5世フランス貴族ギーズ公家出身の王妃メアリー・オブ・ギーズの長女。

ここでビックリ仰天しましたのが

なんと44歳で亡くなった
(1587年2月8日)
メアリー・スチュアートのデスマスクがあったのです
(ちょっと画像を載せるのは躊躇しました)

織田信長のデスマスクは
やはりスペインと関係があったのでしょうか

ここで話は
織田信長に戻って


イエズス会のヴァリアーノから
スペインへの鉄砲を供給して欲しいという依頼を受け
ヴァリアーノ計画に乗った

その鉄砲を運ぶ建前の船団が
天正遣欧少年使節団だったのではないかと妄想

そもそも少年4人をローマ教皇に会すという話そのものが
イマイチ説得力がないように思えてる

カトリックの国スペインのために
イエズス会の宣教師たちが
計画したのが本能寺の変だったのではないか
(武器と人も準備したのではないか)

1588年7月~8月
アマルダの海戦
スペイン艦隊とイングランド軍が戦った結果スペインは負ける



フェリペ2世

スペイン王フェリペ2世は妻のイングランド女王メアリー1世1558年に死去するまでイングランドの共同王であった。敬虔なカトリックである彼は、プロテスタントである義妹エリザベス1世異端者であり、違法なイングランド統治者であると見なしていた。フェリペはエリザベスを打倒して、カトリックであり、かつイングランド王位継承権者である前スコットランド女王メアリー・スチュアートを王位に就けようとする陰謀を支持していたが、メアリーを幽閉していたエリザベスが1587年に彼女を処刑したために阻止されてしまった[13]

スペイン・ハプスブルク家の敗退



ところで
時代は飛びますが

前に
映画≪ラインハルト・ハイドリヒを撃て≫を観ました時に
チョッと知ったのですが

カール4世の建都したプラハのあるチェコは
東ヨーロッパ有数の工業地帯であり
軍需産業及び兵器産業が盛んだったらしい
大戦中の兵器は70%超は
チェコで製造されていたらしいというから
驚きです

鉄砲でCZとつくのはチェコ製らしい

チェコスロバキアは
第一次大戦後にオーストリア=ハンガリー帝国から独立を果たすが
その後の自国防衛のためその辺が発達したらしいとも

1859年創業のショコダ財閥は
ちょうど映画でみたヒトラーが
チェコを併合したころで
戦車をつくっていたんですね



















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by caramel24carat | 2017-10-25 15:50 | ニュース・レキシ

台風一過の青空とマカオの聖ローレンツ教会




台風一過で真っ青な空が広がっている~☀




まだ風がビュービューと気まぐれに唸っている~


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ところで


前回

ニュルンベルクの聖ローレンツ教会と
その殉教者聖ローレンツについて書いてました時


なんと

マカオ、マカオ

同じ名前の聖ローレンツ教会があると知りました!

そして驚くことに

聖ローレンツは
マカオでは風の守護聖人として崇められていた

マカオにあるカトリック教会である
聖ローレンス教会(聖老楞佐教堂, Igreja de São Lourenço)
別称風順堂

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画像は”マカオなび”から拝借

マカオはポルトガル=スペインの貿易と布教の拠点であった

  • 1580年 - スペイン国王フェリペ2世がポルトガル王位を兼任。
    1582年 - マカオ、フェリペ2世への忠誠を宣言、
    以後マカオ -
    マニラ貿易始まる。

    帆船時代、ポルトガル人はマカオの港から
    よい風にのって無事航海ができるようにと

    港を見下ろす丘に
    イエズス会により
    1558年~1560年(1600年?)の間に建立された

    教会内部の中央祭壇には
    鉄板を持った聖ローレンツが祀られているとか

    聖ローレンツのシンボルである
    鉄板(鉄格子)は
    マカオでもマチガイないですね!

    ここで以前書いてましたある妄想を思い出しました

    1558年~1600年のころでマカオと言えば

    ローマ教皇に会うため出発した
    天正遣欧少年使節団がいました

    その時の旅程

  • 1582年2月20日天正10年旧暦1月28日) 長崎港を出港。
  • 1582年3月9日(天正10年旧暦2月15日) マカオ着。風を待つ。
  • 1583年12月20日(天正11年旧暦11月7日マラッカ・コチンをへてゴア着。
  • 1584年8月10日 (天正12年旧暦7月5日ポルトガルの首都リスボンに到着。


    マカオで風を待つ。その数か月後に

    1582年6月21日(天正10年6月2日)
    日本では織田信長が本能寺の変の
    火災で自害している大事件がありましたが


    織田信長
    本能寺の変後の行方について
    マカオで先発していた
    天正遣欧少年使節団とマカオで合流し
    もっと先に逃れたのではないか
    という妄想で~す

    そもそも死者のデスマスクをつくるなんて
    土着の伝統的な風習は日本では
    みられないのではないのでしょうか?




    本能寺の変から4年後の1586年
    天正遣欧少年使節団の
    ローマ教皇(カトリックの総本山)訪問のニュースが
    アウグスブルグの新聞に載ったという驚きの資料もありました

    アウグスブルクはバイエルン州の都市で
    ミュンヘン、ニュルンベルクに次ぐ3番目

  • b0209886_13355297.jpg


    1586年にドイツのアウグスブルグで印刷された
    天正遣欧使節の肖像画
    タイトルには「日本島からのニュース」と書かれている。
    京都大学図書館蔵。


    イエズス会のフランシスコ・ザビエルの彫像が
    なぜかプラハのカレル橋にある

    前回
    ニュルンベルグのユダヤ人はプラハに逃れた
    っていうのもありましたし。。

    そんなこんなでいろいろ妄想が広がります~












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    by caramel24carat | 2017-10-23 13:39 | 建物・アート

    ニュルンベルグの聖ローレンツ教会とフラウエン教会とニュルンベルグ法



    今日もアメです~☔


    前回につづき
    ニュルンベルグの聖ローレンツ教会のこと等の記録


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    いきなりですが

    ニュルンベルグの名物といえば
    焼き網でこんがり焼いた
    ニュルンベルガーと言われるドイツソーセージ

    ワタシもカイザーブルグ見学の後
    おビールと一緒にいただきました~

    (レストランはどこもかしこもニュルンベルガー)


    b0209886_10280935.jpg

    ブリキのような年季の入ったお皿に
    ちょっとひるみました

    ここで素朴な質問。。

    どうしてニュルンベルクの名物がソーセージなのか!?



    今回
    聖ローレンツ教会のことちょっと調べていて
    聖ローレンツってダレなんでしょうか?
    と基本中の基本がわかりませんでした


    殉教者セントローレンスで調べますと

    なんと
    焼き網に乗せられ
    火あぶりの刑にされたらしいです
    (鉄格子に乗せられて)

    b0209886_10345811.jpg


    そして
    片身が焼けると
    半ば生身の聖ローレンツは
    なんと自ら奇跡の言葉を発したという

    「こっち側が焼けたから、ひっくり返していいよ」
    と言ったとか!

    仰天
    なんというオゾマシサ
    殉教者はツライねどころではありませんが
    そんな鉄格子の上で焼かれた

    聖ローレンツは
    料理人やコメディアンの守護聖人
    なんだとか
    そして
    シンボルはなんと鉄格子(金網)ですって!

    そんなわけで
    名物のソーセージであるニュルンベルガーは
    殉教者聖ローレンツに由来があるんじゃないかと
    1人合点
    妄想しながらもギョッとしました

    ここでで気を取り直して

    朝一番で訪れた聖ローレンツ教会で撮った
    オルガンの動画がありましたので
    聴いてみたいと思います

    なぜか画面がなんでだろう?
    横になってます




    そんなわけで
    1人ニュルンベルガーと聖ローレンツ教会の
    おぞましい因果関係に納得し
    その歴史背景についてちょっと調べてみました


    b0209886_10191976.jpg

    3世紀半ばごろ
    まだローマ帝国だったころ

    教会の名前にもなっている
    聖ローレンツはローマ教皇シクストュス2世の執事で
    教会の財産管理等任されていたらしい



    軍人で元老院に近い
    ローマ皇帝バレリアヌスが
    教会の財産等をこっちによこせよ!
    というわけで
    あっさりローマ教皇シクストゥス2世(258年8月6日死)を
    処刑してしまった

    その三日後には聖ローレンツら7人の執事達も
    火あぶりの刑にされてしまった

    b0209886_11535057.jpg

    一方
    ローマ教皇と聖ローレンツ等を処刑した後

    259年
    軍人でもあったローマ帝国皇帝バレリアヌスValerianus
    軍勢を率いてペルシャに攻め込んだ

    だが
    シャブール1世率いるペルシア軍との戦いに敗れて捕虜になり
    カワハギの刑にされたという一説もあるらしい

    ローマ帝国の皇帝自らが
    敵国の捕虜となった失態は前代未聞のことであった

    というなんともオゾマシイ話なんですが


    b0209886_11370580.jpg
    パイプオルガンの調べは
    どうやら電子オルガンで制御されているようでした



    この聖ローレンツ教会の内部には
    非常にたくさんの祭壇画や装飾彫刻が
    アッチコッチに飾られていて
    よくよく見ますと本当に驚きます!
    今になって知ったことなのですが

    最後の晩餐のレリーフや
    教会を建てたアダム・クラフト自身の彫刻もあるという


    b0209886_11584768.jpg



    ところで
    網焼きされた聖ローレンツの名を冠した教会の他に

    ニュルンベルグには
    クリスマスマーケットとしても有名な
    中央広場に
    聖母教会(フラウエン教会)があります
    (12時には仕掛け時計でお人形が回るらしい)


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    ここには

    なんとユダヤ人居住区があって
    カール4世の時にユダヤ人の家屋やシナゴークの撤去を命令し
    その騒動でユダヤ人が虐殺されたこともあって

    そのユダヤ人居住区の跡地に
    聖母教会(フラウエン教会)が建てられたらしい

    1348年のことらしい
    迫害を受けたユダヤ人はプラハへと移住したという

    ところで
    ニュルンベルグでユダヤ人とくれば
    ヒトラーのユダヤ人迫害の
    1935年のニュルンベルク法
    そして
    第二次大戦後
    狂気のナチスの戦争犯罪を裁判したニュルンベルク裁判


    ヒトラーが選んだ神聖ローマ帝国のお膝元であった
    ニュルベルグは
    歴史的な史実からも窺える
    因縁の街だったのでしょうか



    フラウエン教会前の中央広場にあったモニュメント
    美しの泉
    ですが修復中なのか
    シートが被せられていました


    b0209886_12423805.jpg

    ドイツ旅行では
    時間も限られているので
    敢えて負の遺産は行きませんでした

    お天気に恵まれおビールや
    アイスコーヒーがホント美味しかったです



    b0209886_12464664.png



    2015年7月の
    二年前の思い出のドイツ旅行から












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    by caramel24carat | 2017-10-22 12:51 | 旅行・建築・アート

    ニュルンベルグ広場に響く歌声~♪



    今日はアメです~☔



    前回、突然思い出し登場したニュルンベルグですが


    聖ローレンツ教会にて
    2015.7

    b0209886_13563708.jpg



    写真眺めてましたら

    聖ローレンツ教会前の広場で撮った動画がありました

    いや~ん、なつかしい~



    というわけで

    思い出にその動画をアップしました


    2015.7



    シンガーさん発見
    b0209886_14135192.png


    ちょっと見苦しいけれど

    バックにきれいな男性の歌声が入ってました
    (男性のギターの弾き語り)










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    by caramel24carat | 2017-10-21 13:34 | 旅行・建築・アート

    神聖ローマ帝国の紋章とニュルンベルグ城




    昨夜からアメです~☔



    紅葉の進んでいるモミジ
    緑から赤へのグラデーションが綺麗


    🍃

    赤いレンガ色の街並みが印象的だった
    中世のままのニュルンベルグのことを記録

    デューラーのアトリエの窓から
    お向かいに聳え立つニュルンベルグ城の
    塔が見えました


    b0209886_11285501.jpg


    デューラーの住まい&アトリエを見学のあと

    b0209886_10094895.jpg


    デューラーのお家の前広場には
    お城へ通じるトンネルがあり

    b0209886_11315824.jpg



    くぐって登っていきました

    けっこうな石畳の登り坂できつかったです

    b0209886_11370461.jpg

    いきなり
    二年前のドイツ旅行で行った
    ニュルンベルグ登場ですが

    前回

    オーストリアで貴族然とした31歳首相誕生か!

    について書いてました時
    ハプスブルグ家の紋章である双頭の鷲を
    アレンジしたオーストリア共和国の旗について知り

    ああ~~それそれ、と

    ニュルンベルグ城でミタ
    城門に描かれた双頭の鷲のこと思い出しましたので
    その時のことをメモ

    お城へのかなり急な坂道を
    右手に巨大な岩肌を眺めながら
    登っていきますと


    b0209886_10361959.jpg


    途中
    大きな門扉が開かれてました

    ふと見ると
    木の門扉には双頭の鷲が描かれてました


    b0209886_10280659.jpg


    なかなか迫力があり
    印象的でした

    代々の神聖ローマ帝国のカイザー(皇帝)が時々住んでいた
    カイザーブルグ(皇帝の城=ニュルンベルグ城)の
    巨大な門扉に描かれた双頭の鷲ですが

    15世紀以降
    ハプスブルク家が
    神聖ローマ皇帝を独占していたので
    ハプスブルク家の紋章でもあったのですね

    ちなみに
    神聖ローマ皇帝カール4世以降
    帝国議会がニュルンベルグ城で100年ほどの間
    慣例化されていたようだ

    現在、欧州評議会ってあるらしいですが
    カール4世以来の帝国議会みたいなものかしら?



    b0209886_11492134.jpg



    ニュルンベルグ城の中庭

    b0209886_10515163.jpg


    このニュルンベルグ城ことカイザーブルグ(皇帝の城)は
    天然の巨大な岩盤上に代々の皇帝によって増築されて来た
    神聖ローマ帝国の皇帝の居城であり要塞ですが

    b0209886_10041342.jpg


    神聖ローマ帝国の城下町でもあった
    歴史あるニュルンベルグの街は



    後年

    ヒトラーのナチ党の本拠地でもあったらしく
    第二次世界大戦では連合軍に徹底的にやられ
    街の90%ほどが壊滅してしまったらしい
    (ドレスデン同様)

    現在の街並みは復興で復元されたものというから驚きです!



    ドイツ人の頑固な物創り魂によって
    中世の街並みが徹底的に忠実に再現されているのでしょうか

    b0209886_12292888.jpg

    ワーグナーのオペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は
    ここが舞台なんですね

    b0209886_12332893.jpg

    ニュルンベルグには
    鉄道博物館やおもちゃ博物館もあって
    とっても楽しいところでした



    b0209886_12374841.jpg

    ドイツ旅行ってホテルもいいしICEも快適だし


    b0209886_12492701.jpg

    また行けるものなら行きたいけどね


    b0209886_12462704.jpg
    🍺








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    by caramel24carat | 2017-10-19 12:51 | 旅行・建築・アート

    ヤマハのスピーカー内臓、そして若干31歳の首相とオーストリア国旗には!?




    さすがにもう秋~☔

    10月も半ばを過ぎて肌寒いわ
    金木犀の香りが芳しい~

    今朝はしっとり雨の窓外を眺めながら
    諏訪内晶子さんのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴き
    素晴らしい演奏に感動し
    なんというか華やかな歓びで
    心が満たされました



    NECのLAVIEにはヤマハ製のスピーカーが内蔵されていて
    ノートながら思いがけずなかなかいい音が聴ける

     ♪

    ところで

    今日のニュースに驚いた

    オーストリアで若干31歳のイケメン首相が誕生らしい
    国民党のセバスティアン・クルツ氏


    b0209886_12593299.jpg

    ちょっと関心をもって
    ググってみましたが
    家や両親のことなどについては
    分かりませんでした

    ですが
    貴族然とした容貌からは
    ハプスブルク家の末裔かしらと思わせる
    きっとヤンゴトナキ出自の方かしら?

    若干20代から政界に進出し
    早くも31歳で首相とは
    そのバックボーンは推して知るべしなのかしら?






    オーストリアといえば音楽の都ウィーン
    モーツァルトやオペラ座でも有名だけど

    オーストリア人だった
    ヒトラーがウィーンで受験のため過ごしたこともあった



    上のセバスティアン・クルツ氏の写真の背景には
    EUの旗とオーストリア国旗のような見慣れない旗が並んでますが
    よく見ますとワシが羽を広げています
    国民党の旗なのかしら?

    で、調べてみますと

    オーストリア共和国
    の旗らしい

    頭が2つのハプスブルグ家の紋章に似てますが
    オーストリア=ハンガリー二重帝国が終わって

    共和国になった時に頭は一つに変わったらしい


    b0209886_13340375.png
    その共和国には
    連邦大統領がいらっしゃるらしい

    連邦大統領はウィーンにあるホーフブルク宮殿内のレオポルト翼に公邸を有している

    また
    以前は名誉職だったらしいですが

    Wikiを読んでいきますと
    ハプスブルク家が大統領選挙に復活できるらしい

    ちなみにハプスブルグ家の紋章
    双頭の鷲


    b0209886_14064359.png


    連邦憲法第60条第3項により、旧オーストリア皇帝家であるハプスブルク=ロートリンゲン家の構成員がこれに立候補することは認められていなかったが、2009年ウルリッヒ・ハプスブルク=ロートリンゲンが立候補に意欲を示したことがきっかけとなって[1]2011年6月16日に連邦議会がハプスブルク条項の廃止を満場一致で可決、今後の大統領選挙からは認められることとなった。



    なるほどね~

    皇妃エリザベートになんとなく似てると思うのは
    気のせいかしら











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    by caramel24carat | 2017-10-16 13:45 | ニュース・レキシ

    コンサートと見逃し




    アメがふってやっとスズシイ~☔️



    先日の夜は
    アイリス(刈谷文化センター)で
    チャリティーコンサートがあって
    行って来ました

    豊田自動織機プレゼンツということでした

    諏訪内晶子の奏でる
    美しいヴァイオリンの調べを
    楽しみました

    ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番
    一曲のみの演奏
    最後のオーケストラの演奏はパス



    昨夜は
    ちょっと用事があって
    ドクターX👩‍⚕️見逃しちゃったわ~

    そんな秋の夜





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    by caramel24carat | 2017-10-13 13:05 | 暮らし・ハイ句

    満映と甘粕正彦vsラインハルト・ハイドリッヒ



    夏って~まだ9月が終わっても延長戦だったのね~☀
    アツくて

    b0209886_10555676.jpg




    二代目イヴ・ピアジェが一輪咲きました
    蕾のときにムシかじられてたので
    イマイチなんですが
    香りが抜群

    🌹


    ところで

    満州には国策会社の
    満映こと満州映画会社があって
    1945年8月には1000人超の人が働いていたという

    そこの満映のトップの理事長が
    甘粕正彦という人物

    甘粕 正彦(あまかす まさひこ)
    1891年(明治24年)1月26日 - 1945年(昭和20年)8月20日)


    この方1923年9月1日の関東大震災の
    ドサクサに紛れて
    憲兵大尉であるにもかかわらず
    大杉事件の犯人に仕立てられて
    10年の禁固を言い渡されたが

    ちょうど大正天皇から昭和天皇に変わり
    恩赦で短縮されたあと

    なんとフランスへ逃亡している!?
    へぇ~~フランスとは!?
    で、カジノに嵌った日々を送っていたという

    ちょうど渡仏の時期が
    1927年~1930年

    (その後、満州の新京の満映のトップに就いたっという)

    フランスでカジノといえば
    ドストエフスキーも嵌って過ごした
    バーデン・バーデン(南ドイツ)




    バーデン・バーデンのホテルでミタ結婚式の過去記事




    ここで妄想~
    ひょっとして、フランスカジノといえば
    ほら、バーデン・バーデン(密約)じゃないかしら?
    とググってみると

    なんと

    ラインハルト・ハイドリッヒvs甘粕正彦って
    ヒットしたので超ビックリ!?

    えぇ~~!

    ちょうど先日

    映画≪ラインハルト・ハイドリッヒを撃て≫という
    チェコのプラハでの暗殺計画の映画観たばかりだったので
    ほんとビックリ!

    (この映画ロンドンにあったチェコの臨時政府から刺客等が
    プラハにいるハイドリッヒをやっつけに来るのですが
    計画がなんともお粗末なはなしでした
    でも、歴史上の実話なのでよい映画ではありました)

    そう、たまたまググった

    「甘粕正彦+バーデン・バーデン」



    で、ヒットした

    ≪ラインハルト・ハイドリッヒvs甘粕正彦≫

    どうやら

    ゲームの登場人物のようです

    でも、ナチと日本帝国陸軍関係の実在の人物ですから
    ほんと驚き!

    ゲームなめてました~

    大変優れた甘粕正彦という人物については
    フランスの大東社という
    フリーメイソンに入っていたらしいという情報もあって

    (妄想だけどバーデン・バーデン?で)
    カジノしてたというのも納得の感あり












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    by caramel24carat | 2017-10-11 12:12 | 歴史・人物