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Caramel 24 Carat

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オルゴールと諏訪大社の奇祭と諏訪高島藩と忠輝と鳩山会館




今日はうすい雲間から陽が差している~☁☀




数年前諏訪へ行った時
諏訪大社の横のオルゴール館で買った
スケルトンの小さな箱を思い出しネジを巻いてみましたが
オッと。。音が鳴りません。。

慰めにパンジーとともに撮ってみました


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スケルトンの箱がきれいだし
ここに宝石でも入れようかしらと買ったのでしたが
(そんな宝石あるのかい?)
シマッタままでした

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ちなみにメロディーは当時流行っていた福山雅治さんの曲でしたが



いきなりオルゴールというのは

前回
越後高田藩の徳川家康の6男忠輝
家康亡き後には 2代将軍徳川秀忠に左遷され
2,3カ所グルグル廻って なんと
諏訪湖の高島城に移り住まされたという

しかも
伊達政宗の娘いろはひめ(五郎八姫)とは2年程で離婚したという

おそらく
越後高田藩の管轄だった佐渡の金山絡みで
異母兄弟の忠輝は追放されたのでしょうか

それで
数年前に訪れたことのある諏訪大社の隣にあったオルゴール館を
思い出したのです

当時は諏訪湖オルゴール館(泰鳴館)でしたが
現在は日本電産のサンキョーオルゴール記念館
名称が変更になっている

館内には大きな素晴らしい見たこともないオルゴールの
数々が展示されてました
当時から日本電産のコレクションを展示してます

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その泰鳴館のすぐ隣に
うっそうとした大きな神社があって
寄ろうか迷ったのですが当時あまり興味がなかったので
寄らずじまいでした


その諏訪大社ですが
今回、越後高田藩主の徳川家康の6男松平忠輝が
長年にわたって諏訪湖に張り出した
高島城に幽閉(?)されていたと知り
諏訪大社のこともヒットしよく読んでみますと

なんとも驚きの歴史が判りました!

諏訪大社はユダヤ民族(イスラエル)の歴史に出てくる
ソロモン神殿と同じような造りになっているらしい
また
諏訪大社では毎年4月15日には奇祭が行われるという
まるで
旧約聖書の創世記のように?
諏訪湖にそびえる守屋山をバックにし
主にアブラハムが息子イサクを生贄にし祀ったという
同様の行事が行われていたようだ

現在でははく製の鹿の頭3つとさらに75頭の頭を
その行事に使うという


神社内の壁には鹿のはく製の頭部がズラーっと並んでいるらしい


あっそういえば
イスラエルの国旗は六芒星と知っていたのですが
エルサレム市章はライオンだったのですね

Emblem of Jerusalem.svg

@諏訪はヘブライ語に何か近い言葉があるのでしょうか
守屋山はゴルゴダの丘のモリヤの丘
諏訪湖はガリラヤ湖に見立てているという

@諏訪大社の御頭祭について詳しくはこちら

さらに

7年ごとの寅と申年には御柱祭が行われる

大きなモミの木を山から滑らせ運び降ろす
勇壮なお祭りです

YouTubeで詳しい祭りの様子が見れますが
コワいですね

”2016 諏訪大社 御柱祭
上社 建御柱 前宮四之御柱
 冠落し・御柱建て・穴埋め・御幣付けの神事儀式”

ちなみに
諏訪大社の紋は梶の葉

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高遠藩の保科正之とともに
麻布にやって来た元祖更科蕎麦堀井の家紋は
柏紋でした



いろいろあるのですね

もと松平忠輝の江戸屋敷(高田御殿)には護国寺が建ちましたが

そのあたりは文京区
隠れキリシタンの郷と呼ばれたと知りました

近くには

白山神社や
音羽通りには鳩山会館もありました

薔薇が美しく咲いてました

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この鳩山会館へも数年前訪れたことを思い出し
撮った写真を眺めていましたら

なんと

外壁に鹿の首が飾られて奇妙だったこと思い出しました

諏訪大社の御頭祭と何か関係があるのでしょうか

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鳩山会館は元総理鳩山氏の実家です


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ハプスブルク家のクーデンホフ伯爵とも縁深い
鳩山家のようです
ハトの飾りものも見えます

さらに
屋根にはフクロウが並んでました

印象として不思議な邸宅でした

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音羽の高台にありました



門扉には結び雁金紋が見られました


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京都の本能寺でミタ結び雁金と鶴丸紋


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松平忠輝は諏訪の高島城で92才まで生きたようです

ちなみに
忠輝の面倒をみた
高島城主諏訪氏の家紋は
表門が梶の葉紋(諏訪大社と同じ)
裏紋が鶴丸紋らしい

それにしても

諏訪大社の奇祭には驚くばかりです






# by caramel24carat | 2019-02-22 13:56 | 旅行・建築・アート

ローズマリーの薬効と高田薬園と小石川植物園と池袋の由来




今日は春のような暖かい日~☀



ローズマリーの薄紫の小さな花が咲いて
枝を折るといい香りがさらに広がる~


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ローズマリーは薬草でもあるといいますが

むかし
ヨーロッパってアチコチでペストが大流行したらしく
からくり時計を観に行ったそばの
ウィーンの街のド真ん中に終焉の記念碑が建っていて
驚いたことがありました


ローズマリーのwikiみますと
なんと
17世紀 トゥールーズでやっぱり大流行し
セージ、タイム、ローズマリー、ラベンダー等を
酢に浸して作った薬を塗った人が感染しなかったという
このお酢は「4人の泥棒の酢英語版」と呼ばれる
いわくつきのものらしいですが

ガンはストレスからくるといわれますが
イスラエルではすでにがん治療薬が完成している
という情報もあったりします





前回 知りました高田薬園ですが

JR山手線の高田馬場駅の由来らしい

徳川家康の6男松平忠輝の越後高田藩の江戸屋敷が
高田薬園に建っていたという

高田薬園は
後に綱吉の母お玉こと桂昌院が護国寺を建てたとこ

越後高田藩江戸屋敷(高田御殿)→高田薬園→護国寺

江戸幕府は厚生医療に力を入れ
御薬園で
様々な植物を栽培し
薬になるような薬草の発見と研究をしていたようです



近所の梅もたくさん咲いてました

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生類憐みの令を出した5代将軍綱吉の母であった
桂昌院が
1681年2月7日その高田薬園の地に護国寺を創建する

この江戸の17世紀後半と言えば
当時大流行していた
フランスルイ王朝やハプスブルク家からも
ペスト大流行のうわさはきっと入って来てたかも知れません

江戸の町が
1657年の振袖大火をきっかけに再開発に乗り出したのも
江戸の町の衛生面のことも考えていたのかも知れません

なんといっても
平和はストレスのない清潔な街が一番

広大な高田薬園のあった後に建った護国寺の住所は
文京区大塚5丁目40-1

1636年、幕府は北と南に御薬園を造った
北は大塚、南は麻布

1681年に北の大塚にあった御薬園は廃止し
1684年、南の麻布にあった御薬園も
綱吉の別邸のあった小石川に引越し統合した

現在の小石川植物園
東京都文京区白山3丁目7番1号



八代将軍吉宗の時に

江戸の貧病人のための「施薬院」もできた

黒沢明監督の『赤ひげ』はここが舞台なんですね

それから

鹿児島の芋焼酎の森伊蔵の原料であるサツマイモも

1735年(享保20年)
将軍吉宗の時の江戸町奉行大岡忠相が庇護し
青木昆陽
飢饉対策の作物として甘藷(サツマイモ)の試験栽培を行ったという

wikiより小石川植物園

Bunkyou Koishikawa Botanical Japanese Garden 1 (1).JPG

園内にはオモシロイ木も植えられているのですね

  • ケントの花ニュートンのリンゴ)
  • メンデルの葡萄


    1636年に江戸幕府は直轄の南北御薬園を造園

    北の御薬園の地に護国寺が建ったワケですが
    別名『高田薬園』と呼ばれる前は
    高田御殿が建っていた、という

    高田御殿というのは越後高田藩の下屋敷のことで

    徳川家康の6男の松平忠輝の屋敷だった

    松平忠輝の母は家康の正室付きの侍女(茶阿の壺)だったためか
    家康の子でありながら生まれた時から
    鬼っ子として嫌われていたというが

    しかし越後高田藩主としては立派だったらしい
    語学も達者でポルトガル語も話したという

    松平忠輝は伊達政宗の娘五郎八姫(いろはひめ)と結婚

    五郎八姫=いろはひめ

    伊達政宗といえばローマへ
    支倉常長を派遣しましたね

    当初伊達政宗は
    義理の息子忠輝も参加させるつもりだったという
    キリシタンの噂もあったらしい

    1646年
    薬草園の責任者が隠れキリシタンと発覚し
    切支丹屋敷で処刑されたという事件があった
    文京区は
    隠れ切支丹屋敷の郷だったらしい

    この辺の歴史興味深いですね

    護国寺のあたりに弦巻川が流れていて
    池袋の湧き水が注ぎ込んでいた

    JR池袋駅の西口広場あたりに
    湧き水からできた巾着型の形の池があって
    それが池袋の由来とは
    おもしろいですね

    池袋から弦巻川が流れ雑司ヶ谷、護国寺の脇を通って
    神田川に流れていた~

    川淵に楮(コウゾ)が植えられていた
    コウゾは和紙の原料の木

    それで

    あたりには紙漉き小屋ができて
    その紙を刷る印刷屋ができ

    今の講談社や光文堂などの出版社ができたという
    神田の古書街のルーツは

    池袋の湧き水だった!


    天正遣欧少年使節団が
    印刷機を持って帰りましたが

    1586年
    ローマ教皇との会見のニュースが
    ドイツのアウグスブルクの新聞にのりましたね


    文京区キリシタン坂でマンション開発で
    土地を掘っていたら

    トスカーナ出身のイタリア人宣教師の人骨が
    発見されたことがあったそうです
    @DNA鑑定で判明
    キリシタン禁制下に来日した
    小日向の切支丹屋敷にいた最後の宣教師と呼ばれた
    ジョバンニ・バチスタ・シドッチ(47才没)

    尋問をしたのは新井白石だったという







  • # by caramel24carat | 2019-02-20 16:26 | 街と風景

    美公フェリペ1世と茶屋四郎次郎と森伊蔵と高田薬園



    今日は風もなく穏やかな日~☀



    毎朝コーヒーで始まる一日 🍵

    以前豆を頂いたので先日コーヒーミルを買いました
    カリタの電動式のシンプルなヤツです

    最近はこの三種の神器で一日が始まる~
    コーヒーメーカー(もう古い)・ペーパーフィルター
    そしてコーヒーミル

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    カリタって日本のメーカーなんですね

    よく似た名前にメリタ(Melitta)ってありますが
    ちょっと調べてみると、100年ほど前に
    ドイツのメリタ・ベンツという主婦が
    ブリキ缶に穴を開けて
    息子のノートをちぎって折ってフィルターにしたことから
    滓がカップに落ちないというので
    ペーパードリップシステムの特許をとり
    会社を設立したというから驚きです
    主婦の発想恐るべしだわ!というか
    特許をとって事業化までやってしまうスーパー主婦だったのですね

    ところで

    元祖婚約指輪を贈り合った
    ハプスブルク家のマクシミリアン1世と
    マリー・ド・ブルゴーニュ公女ですが
    美男美女の
    二人の間の息子にフィリップ1世がいる

    母親マリーは狩りに出かけた際落馬事故にあい
    25才でなくなってしまう
    まだフィリップ1世は1歳にもなっていない
    美人薄命。。

    そういえばウィーンのハプスブルク家でオペラ上演された
    細川ガラシャも細川玉と言ったんですね

    マリーを失った父親マクシミリアン1世は
    あと2回結婚する。。

    マリーとマクシミリアン1世の
    息子フィリップ1世ですが
    美男美女が父母ですから息子も美しい貴公子で
    美公」「端麗公」(フランス語:le Beau ル・ボ)と呼ばれた

    1496年
    美公フィリップ1世はカスティーリャ女王ファナと結婚する

    ところが

    1506年
    カスティーリャ王国のブルゴス
    スポーツを楽しんだ後生水を飲んだ後に急死
    (毒殺とも。。)
    フェリペ1世28才没

    👑

    しかし二人の間には6人の子女いて
    ヨーロッパの王や王妃になっているんですね!
    すごいですね

  • レオノール(1498年 - 1558年) - ポルトガル王マヌエル1世妃、
    後にフランス王フランソワ1世
  • カルロス(1500年 - 1558年) - ローマ皇帝カール5世、
    およびスペイン王カルロス1世
  • イサベル(1501年 - 1526年) - デンマーク王クリスチャン2世
  • フェルナンド(1503年 - 1564年) - ローマ皇帝フェルディナント1世
  • マリア(1505年 - 1558年) - ハンガリー王・ボヘミア王ラヨシュ2世
  • カタリナ(1507年 - 1578年) - ポルトガル王ジョアン3世


  • その後は息子カルロス1世が継承

    1474年ころのイベリア半島


    カスティーリャ・イ・レオン州
    Castilla y León

    ライオンが。。



    ブルゴスBurgos)
    ブルゴスの大聖堂(世界遺産)
    13世紀に9年かけて建てられたフランボワイヤン・ゴシック様式
    見事な壮麗で巨大な聖堂



  • ところで
    話しは思いっきり飛ぶのですが

    Castilla=カスティーリャ
    といえば
    日本でも長崎のカステラでお馴染みですよね

    あと

    天ぷら
    もポルトガル語?スペイン語?でしたっけ

    あの熊本のからし蓮根って
    からしを詰めた蓮根に衣をつけて揚げているんですね
    要するに
    天ぷらなんでしょうか

    ところで

    茶屋四郎次郎

    前々から面白い名まえだな~?と思っていたのですが
    徳川家康の伊賀越えに加勢したとも云われる
    京都の豪商茶屋四郎次郎という人物が
    家康をおもてなしした際に天ぷらをだして
    その天ぷらにあたって家康は亡くなった、と聞いたことがありますが
    その真相はこの際置いておきまして

    茶屋四郎次郎という名まえですが
    例えば
    ジョン・フィッツジェラルド・ケネディのようで可笑しい?

    この茶屋四郎次郎の本当の顔は
    どうやら諜報活動とともに武器商人としても暗躍していたらしい

    たとえばアラブのカショギみたい!?

    関ケ原のあとの大坂の陣に備えて
    長崎に出入りしていたオランダやイギリス船から
    大砲や武器弾薬を輸入していたという

    一時期、茶屋四郎次郎は
    長崎奉行の長谷川藤広の養子だったこともあるという
    その後解消

    茶屋四郎次郎は屋号で
    代々表看板は呉服商として
    かたや大砲や武器弾薬を輸入し
    徳川家康方につき来る大坂の陣に備えていたという

    からし蓮根の元祖が森平五郎でしたが
    家康の隠密的な特命係にやっぱり
    大坂の摂津・佃出身の魚河岸の森孫右衛門もいました

    魚河岸の元祖として築地本願寺
    森孫右衛門の石碑が建っているというが

    大坂の冬の陣(1614年)と大坂夏の陣(1615年)で
    大坂城は落城した

    なんと
    大坂城はもともと
    戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があって
    その後焼失し
    秀吉が大坂城を建てたという

    森孫右衛門が築地の本願寺の境内に石碑があるのも
    なんとなく納得できます

    森と言えば

    お酒で森伊蔵ってありますね!
    名まえだけは聞いたことがあったのですが

    ちょっとググってみますと

    なんと
    鹿児島の垂水の芋焼酎(いもしょうちゅう)だったのですね!
    芋焼酎といえどなかなかいいお値段
    焼酎のロマネ・コンティ並みですね

    原料はサツマイモということですが
    薩摩芋いえば青木昆陽。。
    青木昆陽にヒットしたのが
    高田薬園!


    🍃











    # by caramel24carat | 2019-02-18 12:30 | 歴史・人物・出来事

    元祖玉の輿の桂昌院と元祖婚約指輪を交換したマリーとマクシミリアン1世




    風が吹いて隣家のほのかな梅の香りが~薄曇り




    昨日お出かけした先では
    梅はもちろんのこと
    可愛いサクラが咲いてました


    b0209886_11430439.jpg



    昨日は
    旧東名高速道路を走ったのですが

    昨日 新東名でまたもやご老人が逆走したという
    ニュースが載っていて仰天しました
    SAから反対方向へ走ったというがワケわかりません
    けが人などなくてホントよかった

    京都の紫野に疫神スサノウを祀る今宮神社があるという

    この神社は京都三大奇祭の一つだというから驚きです
    鞍馬の火祭りもそうなんですね

    鞍馬寺の火祭り、広隆寺の牛祭り、今宮神社のやすらい祭り

    歴史は古く平安京遷都まえから
    疫病や災厄が起こった時にお払いした由緒ある神社というが

    もっとお馴染みの言葉に縁のある神社として有名らしい

    別名≪玉の輿神社≫という

    前回書いてました
    生類憐みの令を出した徳川五代将軍綱吉の生母
    お玉こと後の桂昌院(けいしょういん)の
    生まれた地元の神社からそう呼ばれるらしい

    五代将軍綱吉の母お玉さん(桂昌院)は
    西陣の八百屋の生まれだったが
    母親が夫を亡くし下級武士の本庄家へ後妻に入ったところから
    お玉は本庄家の養女として育ち

    その後3代将軍家光の側室の侍女として
    江戸に向かい大奥に入り
    やがて侍女の立場からさらに

    家光の側室となり綱吉という男児を産んだことから
    将軍の母となり権勢振るったという

    一説によれば
    赤穂事件のそもそもの発端は
    桂昌院が従一位という最高の地位を祝う日の事件だった
    そのめでたい日が潰れてしまった
    という将軍家の怒りもあったらしい

    秀吉や家康も従一位なので
    女性として従一位というのは破格の最高の地位まで登り詰めたことになる
    しかも生い立ちは八百屋の娘だったのですものね

    この今宮神社行ったことありませんが

    お守りの絵柄は
    八百屋生まれのお玉に因んで
    京野菜でお馴染みの聖護院大根や京人参や加茂ナスという

    この綱吉の母桂昌院は
    1681年に護国寺を創建しています

    お寺ですから主に墓所なんですね

    ちょっと目に留まった人物では

    ジョサイア・コンドルや大隈重信



    💍


    ところで


  • 婚約にはエンゲージリングを男子は贈りますが

    その婚約指輪を贈った元祖的な人物が
    中世最後の騎士と呼ばれた
    ハプスブルク家の王子だったマクシミリアン1世だったという

    以前に書きましたが

    ダイヤモンド≪サンシー≫や
    イエローダイヤモンド≪フローレンティン≫を持っていた
    ブルゴーニュ公国のシャルル突進公



    そのシャルル突進公の娘に
    美人の誉れ高いマリー・ド・ブルゴニューがいました

    父シャルル突進公が1477年ナンシーの戦いで亡くなると

    それーっとブルゴーニュに攻めてきたお隣フランス大国から
    逃れるためハプスブルク家の王子に助けを求めると
    マリーが孤立無援だったヘントへ行き無事救出する

    その直ぐ翌日
    1477年8月19日 ヘントの聖バーフ大聖堂で挙式

    二人の父親シャルル突進公とローマ皇帝フリードリヒ3世は
    一人娘マリーとマクシミリアンの結婚を決めていたという

    後の神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世は
    ハプスブルク家の隆盛と繁栄を築いた偉大な皇帝でしたが

    当時ブルゴーニュ公国から見れば
    オーストリアの田舎ウィーンのハプスブルク家の王子だった

    マクシミリアンの父親フリードリヒ3世は
    当時まだ名目ばかりの神聖ローマ皇帝だったので

    当時の経済大国ブルゴーニュ公国の一人娘のマリーとの縁談は
    政略的に願ってもない話だった

    ポルトガルの王女だった母親とは
    8才で死別するが
    マクシミリアンは
    乗馬やあらゆる武芸に秀でた眉目秀麗な若者に育っていた


    1473年9月
    ローマ皇帝フリードリヒ3世とシャルル突進公会談で
    マクシミリアンとマリーのお互いの父親は政略的思惑から
    二人の結婚の約束をする

    この婚約のとき
    マクシミリアンは皇帝の親書と自身の肖像画を
    ヘント(仏:ガン、独:ゲント)に送る
    そしてダイヤモンドの婚約指輪を贈り
    マリーも感謝状と指輪を贈った、という

    このマクシミリアンとマリーやり取りを
    婚約指輪の起源とする一説があるという

    ブルゴーニュ公国のアントワープで誂えられた
    二人の婚約指輪ってどんなんだったのでしょうか?



    冒頭のお玉さんこと桂昌院に戻りますが

    一時は3代将軍家光亡き後
    舘林藩に身を寄せていた綱吉と桂昌院親子ですが

    後の五代将軍の綱吉の側用人で絶大な権力を握っていた
    館林藩士の子息の柳沢吉保は甲斐の藩主になっている

    桂昌院の祀られたお寺に宝石や真珠がたくさん見られる。。
    という情報を以前見たことがあったのですが

    護国寺なのかしら?

    甲斐と言えば甲府で宝石やワインが特産品ですが

    甲府庭園がフランスのポー市にあり驚いたことがありました

    綱吉の母親桂昌院から舘林→柳沢吉保→甲府と繋がりますが
    甲府はやっぱり甲州金

    ようやく桂昌院と綱吉とフランス王室との繋がりに
    辿り着けました

    フランスのポー市、アンリ4世の生まれたところ

















  • # by caramel24carat | 2019-02-16 14:39 | 歴史・人物・出来事

    森は毛利なの!?魚河岸元祖森孫右衛門とクリスマス島のお塩




    今日は聖バレンタインデー~☀

    一言メモ

    紀元3世紀後半頃キリスト教を布教していた
    司祭バレンタインはローマの兵士を密かに結婚させたという
    当時支配していた最強のローマ帝国のローマ法では兵士は
    理不尽だが結婚できないというきまりがあったという
    そこで司祭バレンタインは博愛の精神に忠実に従い
    その絶対であるローマ法を破ってしまい兵士の願いを叶えたが
    法を犯したバレンタインは紀元269年2月14日殉教する
    後年に聖バレンタインを讃え恋人たちの守護神となる

    なんとなく知っていたヴァレンタインデーって
    理不尽なローマ法に由来していたのですね!

    ところで
    5代将軍の綱吉が生類憐みの令を出しましたが
    犬猫だけではなく なんとお魚や釣りも禁止していたのですね!
    そこまで禁止していたというのはホントあきれますが。。

    前回 家康を助けた大阪摂津の漁民33名と神主1名(住吉神社)
    江戸の砂洲であった後の佃島へ移住して
    漁業特権を与えられたと知りましたが

    ディジョンの朝のマーケットの魚屋さん
    2015年7月


    b0209886_10155587.jpg



    魚河岸の連想で




    もう少し調べてみると
    どうも元佃の漁民33名とは
    名主森孫右衛門を筆頭とした漁民だったらしい

    もっといえば摂津の砂洲だった佃を根拠地にした
    瀬戸内海にも現れた海賊風の隠密軍団だったようです
    江戸の砂洲はなんと淡路島に見たてたいう情報もあり
    ますます住吉神社の性格に興味を持ちます

    ブルゴーニュ公国の首都だったディジョンは
    パリのエッフェル塔で有名な
    エッフェルの出身地でした
    マーケットのお魚調理して食べてみたかったです

    b0209886_10232054.jpg


    家康と森孫右衛門との出会いは
    本能寺の変の時にたまたま神崎川で手助けしたその時からだけでなく
    その前から家康の特命的な仕事をしていたようだ
    また家康の本能寺の変の逃走には
    伊賀の山越えがあったがこの時連携して
    伊賀の忍者(忍者服部くん?)も助けたという

    初めて知りましたが
    家康とともに江戸へ向かった
    その森孫右衛門は魚河岸の元祖だったという
    なんと築地の本願寺の境内には
    その由来や家康との関わりを記した
    石碑が建っているというから驚きです

    森孫右衛門らは家康(1616年没)の時に江戸に向かい
    2代将軍秀忠(1632年没)~3代将軍家光(1651年没)の時に
    森孫右衛門らは江戸の佃島で地盤を固め活躍し
    その後もおそらく
    徳川の海上の隠密の任務に就いていたのでしょうか

    b0209886_10435861.jpg





    そもそも
    森姓は
    大阪摂津で家康から賜ったという


    ここで思い出すのが
    ディジョンの辛子つながりで思い出したからし蓮根
    その熊本の肥後の細川忠利が食べて元気になったという
    からし蓮根の元祖が平五郎といい森姓を賜っている

    このからし蓮根の元祖森平五郎は細川家に仕えて
    そのからし蓮根の秘伝は江戸の終わりまで続いたというのも
    アレですよね

    一方
    江戸魚河岸の元祖森孫右衛門は
    徳川将軍家に仕えたわけですが

    徳川270年の安泰は
    何か知られざる秘策が廻らされていたのでしょうか

    からし蓮根の元祖の森平五郎は
    最初毛利だったが森にしたというような
    あいまいですが情報があった
    毛利は森!?

    ルイ14世が建てたベルサイユ宮殿の天井には
    森蘭丸の森家の鶴丸紋の甲冑の絵が描かれていました

    細川忠利はワインも嗜み葡萄畑も作っていたというが

    フランス・ブルボン王朝のルイ14世の食卓には醤油がのっていたという
    細川家も将軍徳川家も
    その当時からフランス王室ややイギリス王室との間の
    様々な品物や
    贈答品が現存している

    前に
    徳川3代将軍家光の千代姫と同じ京都の工房で制作された
    漆塗りの豪華なチェストがルイ14世の宰相
    ジュール・マザランが持っていたと知り
    驚いたことがありました

    フランス国王ルイ14世の宰相ジュール・マザランの持ち物だった
    江戸時代の京都で制作された≪マザラン・チェスト≫が
    フランス、ロワールのシュヴェルニー城にてオークションに出品された


    千代姫には3人の弟(家綱、綱重、綱吉)いた
    あの5代将軍綱吉は千代姫の弟だったんですね

    ストロガノフ宮殿のストロガノフも
    お塩で大富豪に


    赤穂藩の塩田の利権は
    冷蔵庫のない時代のお塩は貴重なものだったのでしょうか

    wikiによれば
    元禄の赤穂事件のあと
    赤穂藩は森家が継いでる

    1706年以降

    備中国西江原藩より森長直が2万石で入部
    廃藩置県までの12代165年間
    赤穂藩主としては最も長く在封した
    森家の在封期間を通じて藩政は困窮しており
    時代を追うごとに悪化の一途を辿った
    第5代藩主・忠洪は財政改革を断行
    藩主自ら質素倹約を行い、貯蓄を奨励した
    更に塩田開発や蝋燭の原料となるの植林等殖産興業にも努めた
    しかし、財政の再建はままならなかった
    第10代藩主・忠徳文化6年(1809年)、遂に塩を専売制とした

    そういえば
    お塩って専売だったのですね

    以前知りましたが有馬のシトー会には

    クリスマス島のお塩を販売している

    ハワイの南2000㎞にあるキリバス島でとれるらしい

    b0209886_11011936.png


    画像はAmazonより

    日付変更線の最も近くにあり世界で
    一番早く朝を迎えるという
    クリスマス島はサンゴ礁でできているという

    しかし
    驚くことに
    1957年から1960年代には
    イギリスとアメリカが大気圏内核実験を20回以上やったという








    # by caramel24carat | 2019-02-14 11:08 | 歴史・人物・出来事

    明石のたこ焼きと明石玉と赤穂藩上屋敷と家康ゆかりの佃島と住吉神社




    昨日のドンよりした空から一変快晴~☀



    昨日は冷え込みましたね
    そういえば祝日だったけど何の日だったっけ

    やっぱし建国記念日だったのですね
    神代の昔 初代天皇である神武天皇即位の日とあります

    前回、明石のこと書いてまして
    明石と言えばたこ焼きでしょ!
    正確には明石焼きというらしいですが

    急に食べたくなって
    たこ焼きの鉄板を何年振りかで引っ張り出し
    作ってアッツアッツを食べました
    イマイチで見かけも不細工ですがそれなりに美味しかったです


    b0209886_10262363.jpg



    この明石のたこ焼きの由来は何だろうか?
    と気になって調べてみますと

    なんと
    卵白を接着剤にして硝石をこねて丸めた
    サンゴに似せた模造のかんざしや宝飾品の
    明石玉
    に由来するという
    明石玉は江戸末期から明治~大正期の
    重要な地元の産業だったという

    その余った卵の黄身を使って明石焼きがつくられたらしい

    明石観光協会より引用
    明石玉



    むかし
    ペギー葉山が「。。坊さんかんざし。。♪」と歌っていたが
    そのかんざしは明石玉だったのか!?

    ヴィクトル・ユーゴーのレ・ミゼラブルの
    ジャン・バルジャンがやっぱり
    模造品の宝石工場の経営者だったというのを
    思い出した

    でも
    明石玉に硝石が使われたというのは。。
    硝石は何かを造っていてもうそれを作ることがなくなって
    じゃ他に何かを造ろうという経緯があったのではないかしら。。

    もともと硝石は五代将軍綱吉の時代には採れなくて
    樽で輸入していたとある
    綱吉が生類憐みの令を出したのは
    中野に犬小屋を作り硝石を作っていたという情報もある

    鉄砲には黒色火薬が必要でそれには硝石が必要だった
    (木炭と硫黄、酸化剤としての硝酸カリウム(硝石)の混合物)



    そんな明石の街の名前が
    江戸の鉄砲洲の地名についているのは

    明暦の大火(1657年3月2日 – 1657年3月5日)の後
    江戸の再開発で

    それまでの
    砂州(鉄砲洲と呼ばれた)だったところを埋め立て拡張したという
    その江戸初期頃は海岸線がもっと銀座よりだった
    八重洲というくらいだし

    その埋め立ては工事は
    諸国の各藩に割り当てられ
    請け負い人夫が土方工事で頑張ったらしい
    その明石の受け持ったところの鉄砲洲に名まえが付いたらしい

    もともと鉄砲洲は砂州だったというが
    じゃその埋め立て用の土砂はどうしたのだろうと
    まえまえから不思議だったが

    江戸城の拡張工事で西側の御堀をほった土を運んだらしい
    西側というと半蔵門あたりでしょうか

    八丁堀とか築地もその明暦の大火後の再開発で整備されたのかしら


    チョッと見にくいですが海から掘りに入る突端に明石町(黄)が見えます

    大きく見える松平淡路守はやっぱり鉄砲関連でしょうか
    その隣の九曜紋の細川能登守
    からし蓮根の細川熊本藩の分家細川家熊本新田藩
    新田というのは新しく埋めた土地のことからでしょうか


    国立国会図書館デジタルライブラリーより引用

    b0209886_11154723.png


    この古地図の鉄砲洲をもう少しひいてみますと

    佃島が見えます(紫□)
    青□は明石町

    b0209886_11164642.png


    佃島の隣に石川島と読めるのですが
    あのIHIの石川島播磨というのは?

    その佃島ですが

    佃煮でお馴染みですが
    とくに小魚の佃煮は大きな魚をとったアミに引っかかった
    小魚を煮て常備食にしたらしい

    驚くことに

    この佃島は家康の逃亡が由来だった!

    なんと

    徳川家康が本能寺の変の時
    岡崎から安土に立ち寄り大坂の堺にいたが

    これは大変と逃亡しようとしたが
    本能寺の変のあった同方向の京都へ向かうのは
    リスクが高いというワケで
    反対の方へ逃げた

    堺から赤いマークの佃あたりまで来たとき
    一行は神崎川が大水で立ち往生していたという

    b0209886_11494362.png


    そこで当時の佃の漁民は家康に渡し船と
    逃亡道中の食料を提供したという
    その中に佃煮もあったらしい

    その後無事岡崎まで逃げおおせた家康は
    関ケ原の合戦の後1603年江戸に向かった

    その後
    佃の漁民の親切を忘れず

    この時 佃の漁民33名を後の佃島の土地を提供し招き
    どこでもお魚とってイイよという
    特権を与えたという

    この時 佃の漁民33名が後の佃島に移ったという
    そして
    大坂、佃にあった三蓑神社を分社し
    佃島に住吉神社を建てたという

    現在の地図を見ますと
    埋立地がものすごく広がっていますね
    赤いマークが佃島の住吉神社
    佃大橋を渡って
    青い□が聖路加病院

    b0209886_12064185.png


    この現在聖路加病院のあたりに

    赤穂浪士で有名な
    赤穂藩の上屋敷があったという

    赤穂藩の若殿浅野内匠頭はここで生まれたという

    赤穂藩の上屋敷は
    もともと日比谷公園辺りにあったらしいが

    明暦の大火後にこちらへ移ったという

    大名は参勤交代が始まり
    江戸には上屋敷(殿様の住まい)中屋敷(従者関係)
    下屋敷(地元からの荷受けの倉庫関係)
    が建設されたらしい

    その佃島に家康が
    大坂の佃の漁民33名を連れてきて
    江戸城に美味しいお魚を届けさせたというが

    諸国の藩邸の台所へも
    出入りしやすい漁民は隠密的な使命もあったらしい

    しかし
    33名
    とは意味深な数字
    フリーメイソンを連想する

    全国の漁業権を与えたというのも
    家康直属の
    海上を偵察する特命隊のようなイメージをもちます

    住吉神社も建てたというのは。。?

    YouTubeに住吉神社のお神輿祭りがあって
    眺めたのですが
    八角形のお神輿はガド族のテント形

    イ 主 吉=家康はイエスがなまったのかしら

    そんなこんなで
    以上
    明石のたこ焼きから佃のイエヤスまで







    # by caramel24carat | 2019-02-12 12:31 | 歴史・人物・出来事

    山本山の包装紙と江戸古地図と肥後守の江戸屋敷




    今日もこちらは燦燦と快晴~☀



    今朝には
    一本の長~いキツネのしっぽのような雲が見られました

    b0209886_10470665.jpg

    毎年一度は
    雪がうっすらと積もる日がありましたが
    今年はまだです

    東京では雪が降ったようですね

    真っ白い銀世界は美しい

    東京と言えば江戸

    年初に頂いた
    あの上から読んでも下から読んでもの
    山本山の包み紙を開けると

    アッと驚きました!

    包装紙の裏面に江戸の古地図が刷られていたのです
    b0209886_10593428.jpg


    なかなか粋な江戸っ子センスに感心しました


    この江戸の古地図を思い出し

    最近知った
    肥後守細川家や久留米藩有馬家や高遠藩保科家などの
    江戸の屋敷を眺めてみました

    あの兵庫の三木で作られた折り畳みナイフの肥後守ですが
    そのモデルは肥後藩熊本のものだったというが

    なんかスッキリしない

    明智光秀の娘の細川ガラシャと細川忠興(豊前小倉藩主)の
    3男だった
    からし蓮根の初代肥後熊本藩の肥後守細川忠利は1641年に没

    このからし蓮根の発想のもとは
    鉄砲に火薬を詰めたところからきているんじゃないかと
    密かに妄想してて引っ掛かっていたのですが

    1666年 3代肥後守細川綱利の時に
    江戸鉄砲洲に3万5千石の定府を内分与(熊本新田藩)とある

    鉄砲洲というのは大砲の演習したことに由来するらしい
    現在の
    東京都中央区湊町・明石町付近の旧称

    明石とは!
    b0209886_11560239.jpg
    兵庫の三木や明石は子午線上の街

    そして

    1702年 細川綱利が江戸に登城した時
    あの赤穂事件を起こした
    大石良雄ら浪士17名の預かりを命じられる とある

    肥後熊本藩の細川家の江戸屋敷で
    赤穂浪士の17名が最後を遂げたのですね!

    元禄十六年(1703年)2月4日

    現在
    その屋敷のあった場所は旧高松宮邸
    情報によれば今上天皇の退位後の仮御所となるらしい

    b0209886_12371759.png



    旧高松宮邸は
    細川家の元肥後熊本藩の芝高輪の下屋敷のあった場所に
    建っていますが

    そのあたりの
    港区立高松中学校や都営高輪一丁目アパートも含む
    広大な敷地だったようです


    元禄十六年(1703年)2月4日

    大石良雄外十六人忠烈の跡
  • リーダー大石良雄の息子大石主税(おおいしちから)は
    現イタリア大使館の伊予松山藩の中屋敷で最後だったのですね


    伊予松山藩4代藩主松平定直



    赤穂事件は前々からなぞでしたが
    少しわかったような気がします。。

    明暦の大火で
    江戸城の天主閣がなくなったが
    保科正之がもうよいと造らなかったとか


    鉄砲洲が明石町と地名が付くのは
    兵庫の明石に因むのでしょうか

    細川ガラシャの生涯が
    ウィーンのハプスブルク家で上演されましたが

    やっぱり
    鉄砲がらみでハプスブルク家が絡んでいたのでしょうか









    # by caramel24carat | 2019-02-10 13:13 | 歴史・人物・出来事

    一輪のパンジーとハトメパンチ




    今日はうす曇り~☁



    今朝
    パンジーの花柄を摘んでいましたら一輪折れてしまった
    インク色が好き

    b0209886_10563694.jpg

    昨日

    ホームセンターでハトメパンチを購入

    ちょっとねハンドメイド用に

    b0209886_11253094.jpg

    裏面の製造元を何気に見ますと

    なんと

    神戸の三木とある!

    前回
    肥後守こと折り畳みナイフが三木産だと知りました
    HPによれば
    もともと熊本で作られていたものを参考にして
    兵庫の三木で作ったらしいです

    b0209886_12470340.jpg



    以前に
    金閣寺の住職有馬頼底が
    久留米藩の有馬家に預けられたと知りましたが

    有馬家は
    摂津国(大阪府北部および兵庫県南東部)の有馬郡を治めていた
    赤松則祐の子孫が
    その土地名の有馬を名乗ったことが始まりらしい

    その後
    1600年の関ヶ原の戦いで
    東軍についた有馬家は家康の時代になって久留米藩に移封した
    なので、久留米藩の有馬家の先祖は赤松則祐で
    金閣寺の有馬頼底の御先祖でもあるのですね

    その赤松則祐が生まれたのが
    毛利元就が統一する前の
    播磨国三木郡満田城天文2年(1533)だという

    兵庫の三木には秀吉が攻めた三木城もあったらしい

    1600年前当時、この辺りの中国地方一帯の8ヶ国は
    大大名の毛利元就が治めていたという
    8ヶ国(安芸、備後、周防、長門、石見、出雲、伯耆、隠岐)+四国(伊予)

    1600年の関ケ原の合戦の時

    西軍だった毛利元就は家康に負けて
    山口の周防・長門に封じ込められたという



    広島の牡蠣って有名ですが


    牡蠣貝を開けるときナイフを使うというが

    またホタテ貝もナイフを使う


    毛利元就が8カ国を治めていた当時

    最盛期には

    石見銀山では銀も採れたし

    出雲は鉄の産地でもあり

    たたら製鉄法で全国の7、8割を生産していたという



    @ネットの調子がイマイチ




















    # by caramel24carat | 2019-02-08 15:08 | 歴史・人物・出来事

    コーヒー豆と肥後守と元祖更科蕎麦堀井の家紋【丸に出三つ柏≫】とメノラー


    今日はしっとり小雨~☔


    毎日、コーヒーは4,5杯飲みますが
    昨日は切れてしまって
    そうだ 頂いたコーヒーがあったわ
    ということで箱を開けますと
    美味しそうな袋が6つも並んでいた

    タンザニアのマサマキリマンジャロですって!


    b0209886_10422416.jpg



    ところがどっこい
    袋を開けますと豆のまま
    いつもはスーパーで挽いたやつを買ってきますので
    ミルがありません
    アマゾンでみるといろいろありますが
    コンパクトでシンプルなのがいいけれど。。

    ところで
    前回、マイ過去記事の更科そばと金細工師を
    改めて読んでまして
    大変な間違いを発見(いつもですが)

    麻布十番の元祖更科そば堀井の家紋が
    葵紋と思ってましたが
    なんか、オカシいとよくよくみれば葵紋ではない
    植物関係のを調べますと
    【丸に出三つ柏】という柏をモチーフにした家紋でした

    「、「丸に出三つ柏」」の画像検索結果

    柏というのは五月の節句には
    柏もちをくるんだりしますが
    そもそも柏の葉っぱは
    神事の際にお皿代わりにして食物を供えるとき使うという

    神社でパンパンと柏手(かしわで)するのは
    柏が神聖な木であるところに由来し
    柏手を打ち神意を呼ぶのだそうだ
    神事では拍手といい
    ヘブライ語にも同じ意味のハクシュ(へクシュ?)という言葉があるらしい

    この柏紋が実は驚きの紋だった。。

    そ、その前に
    【丸に出三つ柏】の総本家更科そば堀井は
    1789年4月フランス革命と同時期に創業したお蕎麦屋さんですが
    もともと信州の布屋だったが保科家に誘われて
    江戸の保科家の上屋敷のそばにお店を開いたと知りました

    高遠の桜って一度みてみたいですが
    地図をみますと高遠は伊那の近く

    イナックス(INAX)ってありましたが
    今シンガポールへ移転するとか言っている
    LIXILに統合されましたね

    その高遠の桜で有名な信濃高遠藩の藩主保科正光の時
    1617年、旧武田の家臣だった縁で
    2代将軍徳川秀忠の息子を養子として預かったという

    秀忠と言えば
    スペインハプスブルク家から時計を贈られたり(家康の代理)
    イギリスとも国交を結び甲冑を贈ったりしている

    その2代将軍徳川秀忠の正室以外の女性との子どもであったため
    後の保科正之は
    高遠藩の保科家へ養子にだされたという事情があったのですね

    なるほどね~~

    そんな将軍家の庶子だった保科正之は
    非常に有能で謙虚な人物で名君だった
    異母兄弟の3代将軍家光も一目を置いていたようです
    1631年
    保科正光(養父)の跡を継ぎ高遠藩3万石の藩主となり
    正四位下左近衛中将肥後守に就く
    その後
    出羽山形藩主、陸奥会津藩初代藩主を務めた、というが

    おお~肥後守も兼任とは!?
    肥後とはついこの前、からし蓮根のこと書いた時
    熊本の名産と知ったばかり
    あのタヌキを鉄砲で撃つセンバヤマもあるという
    肥後の守でもあったのですね、兼任だけれども?

    それで
    肥後守で検索すると

    なんと意外なものがヒットしてビックリしました!
    初めて聞きましたが
    肥後守とは折り畳みのナイフだったのです
    (兵庫県三木市にある永尾駒製作所製造の登録商標)
    wikiより引用

    b0209886_12370651.jpg


    しかし
    神戸の三木市にある製作所はなぜ肥後守の名付けたのかしら?

    それで
    元に戻って

    高遠藩保科家と縁があった
    更科そば堀井の家紋【丸に出三つ柏】についてですが

    調べていますとヤフー知恵袋に
    いろいろと情報があり信州に多いとか
    またその中でオヤッと思う書き込みがありました

    なんと

    ユーチューブ≪3/3 Japanese are Jewish≫
    日本とユダヤについての動画ですが




    この映像の中で
    【丸に三つ柏】紋が出てくるよ!という

    おお~なんだなんだ!?
    とさっそく見てみますと

    四国の徳島の美馬の山に
    倭大国魂神社が登場し
    その神社にバッチリと【丸に三つ柏】紋が見られました!
    @2m30sあたり

    倭大国魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)

    漢字の意味からみるとそのまんま
    日本という古代からのヤマトの魂を祭っている神社と解釈できます

    この動画はTVで放送されたもののようですが
    私は残念ながらみてないので
    大変興味深かった

    しかし前回、たまたま四国の剣山のこと書いていたので

    まさかの更科そばから倭大国魂神社を知り驚き!
    柏紋は神職関係にみられるという
    (家紋は本家と分家では少しアレンジするようです)

    そして
    三つ柏紋
    メノラーと似ているんだとか

    よく見たことありますメノラーというんですね

    メノラー【menorah】

    「メノラー、」の画像検索結果


    このメノラーという燭台は
    幕屋でお祈りするときに使われるものだそうだ
    しかも純金とは!

    幕屋とはガド族のシンボルのテントでしょうか
    モンゴルでいうパオ

    ”ユダヤ教の典礼具の一つである多枝燭台
    その原型は,神の命令によって
    幕屋(まくや)の聖所に置かれることになった
    純金の七枝の燭台である(《出エジプト記》25:31~35)
    中央の幹の両側に三つずつ枝が伸びた形で
    七つの燭火がともせるようになっていた
    この形はエルサレムの〈第二神殿〉の聖所に置かれた燭台にひきつがれ
    神との出会いの場所としての神殿の象徴ともなった
    神殿が失われ,シナゴーグがおもな典礼の場所になってからも
    メノラーは象徴的図像として壁画にしばしば表現された”

    以上ことばんくより引用転載

    兵庫の三木市は壺の御神酒に由来

    神戸市の北西に位置し東経135度線日本標準時子午線上に位置する都市

    明石も興味深い















    # by caramel24carat | 2019-02-06 13:19 | 暮らし・ハイ句

    鬼にまめ(魔滅)とガド族



    青空に真っ白い雲が流れている~☀



    近所のウメの木にお花が一輪、二輪ほど咲いてました

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    今日は春分の日(2月4日)
    その前日(2月3日)が節分なんですね


    ピンクの方もまだまん丸の可愛い蕾
    b0209886_12344996.jpg


    昨日は夜に豆まきをしました

    ちょっとね大きな声で
    鬼は外ーーー福は内~~は恥ずかしいから
    小さな声で。。
    で 口に放り込んだお豆が意外に美味しかった

    b0209886_12384201.jpg


    そういえばなんで
    鬼は外なの?そして豆をまくの?
    と園児並みの疑問だけどググってみますと

    中国の習俗「魔滅(まめ)に由来するとか


    中国は春節でお正月なんですね

    日本も明治の初めごろまでは旧暦だったのですね

    明治5年の1872年に新暦が採用され
    明治5年12月2日(旧暦)の翌日を明治6年1月1日(新暦)
    グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした、という

    12月には28日も短かくなってしまい

    それであわてた大衆は
    うまく年が越せるようにと12月2日にあわててお蕎麦を食べた、と
    以前知りました

    そこで驚いたのですが
    「蕎麦」はフランス語で「Sarrasin:サラザン」と言うらしい

    ちょっと無理がありますが「更科(サラシナ)蕎麦」を連想しました


    つい話が逸れましたが

    節分の「鬼はそと==」と豆まきの由来についてですが

    むかし京都の鞍馬で鬼が出るので鬼退治をしろと
    毘沙門天のお告げがあって
    その方法として

    炒(射)った大豆を鬼(魔:ま)の目(め)に
    投げて退治したという

    その鬼をやっつけた豆を食べることで
    鬼を封じミッションコンプリート!

    則ち≪魔滅≫=鬼退治

    なんだとか



    そ、そ言えば、昨年の9月に
    義経と弁慶ゆかりの京都の鞍馬寺へ出かけたのですが
    電車で途中までしか行けずその先は不通で
    鞍馬寺は台風被害で木々が倒れ
    とても参拝できる状態じゃないということでいけませんでした
    非常に残念だったのですが。。

    そもそも鞍馬寺にはホタテ貝のシンボルが見られるということで
    京都行を決めたのに。。



    アグリッパ1世と鞍馬寺の天狗の羽と貴船?

    鞍馬寺にホタテ貝のシンボルとは不思議ですから

    鞍馬寺で牛若丸こと源義経は弁慶に鍛えられ
    超人的能力を持っていたようですね

    源義経は兄の頼朝の追っ手から逃れて北上し
    1189年 平泉で没したようです
    平泉と言えば中尊寺の金色堂

    モンゴルへ渡ってチンギス=ハーンと呼ばれる人物と同一人物ではないか
    というような説もありますが

    モンゴル帝国の初代皇帝チンギス=ハーンは
    源義経だった!?

    青森、岩手、北海道には義経に纏わるたくさんの
    資料や史跡や伝説があるらしい

    キリストのお墓もあるというくらいなので
    義経=モンゴル帝国の初代皇帝伝説も
    おもしろい


    ところで

    イスラエル12支族の内一支族が日本へやってきた
    と言われてますが

    3氏族がやって来たという説があり

    そのうちのガド族がそうらしい
    ガド族のシンボルはテント(天蓋)
    なんだかモンゴルの遊牧民みたいじゃありませんか

    ガド族の始祖は出エジプトへ移住した時は
    7人の子どもがいた

    日本で天皇のことを帝
    ミカド
    というのはガド族からきているという

    ガド族のマナの壺という契約の箱は
    お神輿のルーツであるという



    豪華装飾写本ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に
    描かれた契約の箱


    さらに

    四国の剣山には人工のピラミッドらしきものあるという
    そこには
    インディ・ジョーンズじゃありませんが

    その契約の箱が埋められた、という

    驚きだけど
    その箱にはウランが入っていた

    先日
    ヤフオクでウラン(イエローケーキ)が売られていたというが
    仰天ですよね!

    そのウランの核分裂の時の
    放射線状の模様が
    ミカド(帝)=皇室の16菊花紋だという


    つらつらと節分の豆まきから
    とんでもない方向に行ってしまいました






    # by caramel24carat | 2019-02-04 14:11 | 暮らし・ハイ句

    アヴィニョンの橋とギリヤーク




    快晴~どこか気配が春めいている~☀



    思い出のアヴィニョンへは
    リヨンから訪れましたが
    教皇庁があってなかなか素晴らしいところでした

    歌にもありますが
    アヴィニョンの橋の上で~す

    サン・ベネゼ橋
    Pont Saint-Bénézet

    b0209886_09095942.jpg

    2015.7

    ローヌ川にかかったサン・ベネゼ橋は
    アヴィニョン橋と呼ばれてますが
    1177年~1185年にかけて造られた石造りの橋で
    当初は22連のアーチ橋でしたが
    (長さは920m、幅は4m)
    長い歴史の中で戦争で破壊されたり洪水で流されたりして
    現在は4連のアーチが残っている
    とってもの歴史があるサン・べネゼ(聖べネゼ)橋

    教皇庁横の高台にある
    ロシェ・デ・ドン(Rocher des Doms)公園から

    アヴィニョン橋の眺望

    b0209886_10091042.jpg


    ここの高台から橋の入口へは
    建物の螺旋階段を下ったりしたあと

    b0209886_11072337.jpg


    さらに門を潜り抜けてと
    複雑でした

    b0209886_10062621.jpg
    実際、橋の上に行きましたが
    踊るには狭くてちょっとコワいくらいでした

    向こうに見えるのが教皇庁
    b0209886_09234630.jpg


    ローヌ川を渡る微風がほほを撫で気持ちのいいところでした

    b0209886_09142485.jpg


    要塞のような橋への入口
    手をつないで踊ってます

    b0209886_09423087.jpg


    やっと今になって調べてみましたが

    橋の名前の聖べネゼはキリスト教の聖人で
    この橋を最初に土台の石を並べ建設した人物という

    1177年、日食(eclipse)時
    べネゼは羊飼いの少年だったが
    天から〝橋を建設せよ”と啓示があったという
    それで
    最初誰の助けも借りずひとりで石を運んだという

    wikiより引用
    Saint Bénézet 1163年-1184年
    大きな石を肩にしょっている

    Saint Bénézet, Notre Dame des Doms, Avignon.jpg


    そんなアヴィニョンは半壊した橋で有名ですが
    演劇の街としても有名らしい

    b0209886_10393701.jpg



    訪れた時は7月の中旬でしたが
    観光客で街中ごった返してまして

    それにしてもなんだろう?と思ったのですが
    アヴィニョン恒例の演劇関係のお祭り週間だったようです


    b0209886_10442332.jpg
    この時は演劇関係の出し物がたくさん上演され名物らしい


    b0209886_10473915.jpg
    ところで

    個人的には演劇とかお芝居は苦手なのですが
    どちらかといえば映画の方
    そういえばリヨンは元祖映画のリュミエール兄弟の出身地

    それで

    演劇や大道芸人繋がりで
    アビニョンのこと思い出したのですが

    一昨日
    ネットニュースで
    朝日新聞の北海道版で連載記事が
    地元北海道のs出版物の盗用だったという記事を目にし
    読んでみますと

    超驚きました!

    なんと

    ギリヤーク尼ケ崎
    という人物の名前があったからです

    これにはちょっとした思い出があって

    むかし、東京の地下鉄に乗っていた時
    前に異様な風貌の髪の長い
    よく言えば
    キリストが荒野を彷徨っていたかのような
    そんな何とも言えない風貌の
    ヘンなおじさんがドアの横あたりに座っていたのです

    たまたま後から乗ってその前に立つことに
    なったのですが

    ところが
    突然、その異様なキリストが
    地下鉄の中で私に名刺を差し出したのです!

    ギョッとしましたが
    手にしますと
    舞踏家 ギリヤーク尼ケ崎
    と書かれていました

    不思議な名前なので憶えていましたし
    また
    たまたま乗った地下鉄の車内で
    いくら何でも見ず知らずのおじさんから
    いきなり名刺を差し出されたというのは
    今だに不可解な出来事でしたから。。


    その印象的な名前を
    一昨日
    何十年ぶりかで見てホント驚きました!

    いや~まだご健在だったのですね
    そしていまだに現役の大道芸人らしい

    そこでふと思って
    その名前のことちょっと調べてみましたら
    さらにビックリ!

    ギリヤークとは
    ロシア語らしく

    芸名の由来は自身の風貌がサハリンの先住民族である
    ギリヤークに由来するらしい

    ギリヤーク【(ロシア)Gilyak】とは⇒ニブヒ
    サハリン(樺太(からふと))北部とアムール川下流域の
    少数民族


    アムール川鉄橋(ハバロフスク橋)

    アムール川

    wikiより


    ロシアのハバロフスクやサハリンに居住
    ロシア語やニブフ語を話す

    以下wiki抜粋

    ロシア革命前はギリヤーク(гиляк)と呼ばれていたが
    現在では彼らの自称に基づいてニヴフ(нивх)と呼ばれている
    「ギリヤーク」という名称はロシア語風に訛ったものであり
    もともとは「ギリミ(吉里迷)」といった
    その語源についてはギリャミ(гилями)「漕ぐ」
    に由来するとされ
    ウリチ語のギラミ(гилaми)「大きな舟に乗る人々」
    がその意であるとされる”

    以上転載

    思うに
    キリストのお墓が青森にあるというそんな話があるそうですが
    このギリヤークという言葉は
    なんだか
    キリストを連想する


    いや、それにしても不思議な世界がまだまだあるのですね








    # by caramel24carat | 2019-02-02 11:32 | 旅行・建築・アート

    スワスティカ卍とクリュニー修道院とモンテ・カッシーナ修道院




    今日は小雨が降っている~☔
    そんなに冷え込んではいない


    昨日は美味しい甘平の剥いた皮で
    ふと思ってオレンジピールを初めて作ってみましたが
    🍊
    甘酸っぱい香りがいっぱいに広がり
    なかなかいい感じで作業し
    最後にはカカオ72%のチョコをかけて仕上げ
    つまんでみるとほろ苦くなかなか美味しいですが
    見かけが残念なことに。。

    しかし、デパ地下で見かけますが
    材料費を考えたら?メッチャ高いですね


    ところで

    今回は思い出のリヨンに戻って

    太陽王ルイ14世の騎馬像がたっていた
    ベルクール広場ですが

    リヨン、ベルクール広場にて
    2015,7

    b0209886_10540875.jpg


    遠くにフルヴィエールの丘が見えますが
    この広場は赤土のグランドで
    テニスコートだったら何面もとれるほど広々としている

    b0209886_10461501.jpg

    “赤い絨毯”とも呼ばれるという美しい庭(Bellecour)には
    なんと
    1715年以前は
    リヨンのカトリック大司教の所有するブドウ畑だったらしい
    やっぱりワインを造っていたんですね

    その赤い土のベルクールには
    オヤッと目を引いた
    看板が並んでいました

    アレです!お寺の卍、Japan の文字も見えました
    ナチの鈎十字でもありますからギョッとしました

    b0209886_10410479.jpg


    何でしょうか?

    ≪Journee de Rehabilitation du Swastika≫

    b0209886_10430057.jpg


    Journee de Rehabilitation du Swastika

    今、ググってみますと
    「Swastika」はサンスクリット語で
    幸運や縁起の良いことをあらわし
    卍は幸福のシンボルらしい



    もともと古代の昔から見られたシンボルという
    インド、ギリシャ、バリ、日本などの名まえが見られますが

    ちょうど訪れたのは7月の中旬でしたが
    このころ毎年に行われる行事らしい

    MOUVEMENT RAÉLIEN FRANÇAIS


    Logo
  • Le Mouvement Raélien, religion athée, diffuse à travers le monde le Message remis à Raël, le Dernier des Prophètes, sur l’origine de la Vie sur Terre. Ce Message explique que les Elohim ont créé scientifiquement toute forme de vie...
    En savoir plus

  • 世の中にはいろいろと不思議な世界があるのですね!

    ラエリアン・ムーブメント




    で、卍の看板が並んでた
    リヨンの赤い絨毯と呼ばれるベルクールは
    ルイ14世の時に
    ブドウの木は抜いて広々とした広場に変えたらしい

    そう、ワインで思い出しましたが
    前回書いてました
    ブルゴーニュ産のワインのロマネ・コンティですが
    クリュニー会修道院が所有し管理していたらしい

    ロマネ・コンティってトンデモないお値段でビックリします

    そもそもロマネは古代ローマ人が開墾したブドウ畑に
    由来すると知りましたが
    ベルクールの向こうの丘にも古代ローマ劇場がありました


    厳律シトー会(1098年)の創立者モレームのロベールは
    初めはクリュニー修道院に入ったが
    華美で寄進も多い世俗的な組織に嫌気がさし独立したようです

    ちなみに、前回書いたブドウ畑の中の修道院
    シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョは
    (Château du Clos de Vougeot)
    元シトー会の修道院でした


    クリュニー修道院は
    910年9月11日に、封建貴族のアキテーヌ公ギヨームによって
    ブルゴーニュの自身の所有するマコンの荘園に建てられた

    @クリュニー会の創建年、910年、9月11日とはおぼえやすい!?

    その後には、モレームのロベールは独立し
    1098年シトー会を創建されたというわけですが

    華美で荘厳な儀式を重んじたという
    クリュニー会修道院は各地に勢いよく広まり
    後のフランス革命まで活動が続いた

    あのパリのカルチェ・ラタンのサン・ミッシェル大通りに面した
    クリュニー中世美術館は
    パリ支部の司祭の住居だったという
    司祭ながら大変豪華な住まいは
    元ローマ浴場跡に建てられたのですね

    有名なのはお馴染み
    一角獣と貴婦人のタペストリー

    b0209886_14542025.jpg




    このクリュニー中世美術館の近くには
    リヨンのサン・ジャン大聖堂でアンリ4世と結婚式を挙げた
    マリー・ド・メディシスの住まいだった
    ルクサンブルグ宮殿がありますね


    シトー会もクリュニー会も元は
    ナポリ近郊のモンテ・カッシーナ(カッシーナ山 519m)に建てられた
    ベネディクトス派の総本山のモンテ・カッシーナ修道院らしい

    wikiより
    モンテ・カッシーナ修道院

    b0209886_14144887.jpg


    ここモンテ・カッシーノ修道院は

    モンテ・カッシーノMonte Cassino)は標高519mの岩山の上に建っているが
    もとはアポロ神殿が建っていてそれを破壊して
    529年頃、ヌルシアのベネディクトゥスが
    洗礼者ヨハネに捧げ修道院を築いた

    ここはローマ街道も通り
    戦略的に重要地点だったとかで

    歴史上何度も破壊されたらしい

    1799年にはナポレオンも破壊し

    1944年には
    ドイツ軍があたりを占拠していたため
    連合軍によってまたしても破壊されたという



    第二次大戦後のモンテ・カッシーナ修道院
    1944年後

    この連合軍による
    モンテ・カッシーノの戦いの前に
    一つドイツ卍軍の几帳面さで良かった点は
    様々な貴重な資料や写本や美術品が
    バチカンに移されていたことだったという

    こんな写真もありましたが
    連合軍vs独伊
    大変な激戦区だったのですね

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    # by caramel24carat | 2019-01-31 15:33 | 旅行・建築・アート

    めちゃ美味しい甘平と厳律シトー会





    今日も快晴ですが風が冷たい~☀




    先日から頂き物の

    甘平
    を食べてますが

    めちゃ美味しい!

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    果肉がプリっと甘酸っぱく果汁もたっぷり

    これまで食べた柑橘類のなかで一番おいしい

    名まえは「カンペイ」と読むそうですが

    可笑しいね

    @JA愛媛南


    ところで

    伊万里に厳律シトー会の修道院があるそうですが
    (佐賀県の伊万里港の街)

    本家本元は
    ディジョンの近郊のシトーに建てられた
    厳律シトー会の分院らしい


    b0209886_13280443.png

    厳律シトー会は

    「祈り、働け」をモットー



    💦


    デイジョンのシトー会の
    修道士による手作り品にはキャラメルや蜂蜜入りのキャンディや
    チーズ等が販売されていますが
    HP参照

    真っ白の聖母子像が
    伊万里の白い肌の磁器を連想する

    ちなみに
    修道士の衣服は真っ白(染のない)
    また
    ブルゴーニュ産のワイン瓶は
    なで肩でラベルも白地らしい

    (ボルドーのビンは肩が角ばっている)

    b0209886_16164325.jpg



    1098年に初めて建てられた
    厳律シトー会は

    12世紀~13世紀には修道院建設ラッシュだった、という

    日本でも
    19世紀に建てられた
    バター飴の函館のトラピスト修道院や
    那須の天使のトラピスト修道院があるようです

    明治神宮には何故か
    ブルゴーニュ産のロマネ・コンティなどのワイン樽が
    たくさん並んでいましたね













    # by caramel24carat | 2019-01-29 16:47 | 暮らし・ハイ句

    からし蓮根の断面は九曜紋と細川ガラシャの≪丹後王国の女王グラツィア≫



    今日も真っ青の快晴~☀

    戸外はさすがに冷たい
    水場には薄氷が張っていました


    今日の眩しい太陽
    レンズのせいで八方に模様が~

    ちょっと偶然にしては
    前回書いたからし蓮根の断面にちょっと似てません!?

    b0209886_11374032.jpg




    インドの占星術に九曜というのがあるらしい

    サンスクリット語でナヴァグラハ (नवग्रह, navagraha)

    この意味は

    「九つの惑星」といい
    9つの天体とそれらを神格化した神のことをいう、らしい


    b0209886_12200175.jpg


    とにわか仕込みの知識ですが

    このインドの≪ナヴァグラハ≫の図って
    からし蓮根の断面みたいでしょ!?

    日本では妙見信仰と云われるらしい

    b0209886_13093249.png



    前回

    熊本名産のからし蓮根の元祖が400年前からの
    老舗の森家と知り
    俄然興味津々でちょっと調べますと

    b0209886_11562628.png



    なんと
    森家の初代平五郎がからし蓮根を献上したのは
    小倉藩主、熊本藩の細川忠興の三男
    細川忠利が病弱だったためだったらしい

    平五郎は殿様の賄係だったらしく

    からし蓮根のおかげで元気になった息子忠利のことを喜んで
    平五郎に苗字「森」を与えたという

    この熊本の細川家はあの細川護熙元首相の
    ご先祖らしい

    熊本というと小泉八雲や夏目漱石が熊本大学で教鞭をとったと
    以前に知りましたが

    小さいころのてまり歌を思い出します
    (これってなんかすごい昔の人に自分が思える。。)
    歌だけど
    ”あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ
    熊本どこさ せんばさ せんば山にはタヌキがおってさ 
    それを猟師が鉄砲で撃ってさ 
    煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいと隠(かぶ)せ”

    このてまり遊びは敏捷性を鍛えとてもいいと思う
    手軽でどこでもあそべるしね

    いや、この歌にタヌキを鉄砲で撃つという
    歌詞があって今更ながら驚くということ言いたかったのですが

    その熊本のお殿さま細川家の家紋が九曜紋だという

    b0209886_12192936.png


    見たことあります

    でもインドの占星術からきているというのは
    初めて知りました

    wiki抜粋

    ”土曜(聖観音)、水曜(弥勒)、木曜(薬師)、
    火曜(虚空蔵)、金曜(阿弥陀)、月曜(勢至)、
    日曜(千手観音)、計都(釈迦)、羅睺(不動明王)の
    9つの星を「九曜曼荼羅」として信仰した。”


    というわけで
    からし蓮根(断面)は細川家の家紋≪九曜紋≫を
    象っていたので門外不出だったとも

    そのからし蓮根で元気になったという
    細川家の三男忠利の母上は
    細川忠興と15才で結婚した
    細川ガラシャだった

    なんと

    母上が細川ガラシャといえば
    織田信長を討った明智光秀の娘でした!

    忠興と結婚した時は
    細川玉子でしたが後に洗礼を受けて
    細川ガラシャと呼ばれる

    美人の誉れ高い細川ガラシャの生涯を讃えた
    戯曲がウィーンのハプスブルク家で上演されたというから
    ほんと驚きなんですが

    前にマイブログで書いてましたこと思い出しました

    美人の誉れ高かった細川ガラシャは
    やっぱりハプスブルク家の血統だったのかしら。。

    神聖ローマ帝国のエレオノーレ・マグダレーネ皇后の
    聖名祝日(7月26日)の祝いとして
    1698年7月31日にヴィーンのイエズス会教育施設において
    音楽つき戯曲の形で初演
    された
    脚本は当時ハプスブルク家が信仰していた
    イエズス会の校長ヨハン・バプティスト・アドルフが書き
    音楽はヨハン・ベルンハルト・シュタウトが作曲





    @@

    織田信長のデスマスクがありますが
    だいたい日本文化風習にはありませんね

    イエズス会の宣教師がすべてを眺め記録していたのですね

    驚くことに
    細川忠利はワインをたしなみ
    輸入するだけではなく
    家臣に命じて自らの領地であった豊前小倉藩(現在の北九州市等)で
    日本初の国産ワインを造っていた!

    ワインと辛子はディジョンの名物!
    ワインどころのボーヌにはシトー会がありますね

    モネの蓮の花は
    ひょっとして蓮根とかんけいあるのかしら













    # by caramel24carat | 2019-01-27 12:53 | 歴史・人物・出来事

    ディジョンのマスタードとシャルル突進公とレモンイエローのダイヤ≪フローレンティン≫



    今日も快晴でいいお天気~☀



    いきなりですが、辛いのお好きですか?


    マイユのカラフルなマスタードの棚

    b0209886_13265999.jpg



    おでんにチラッとカラシ、ホットドックにはマスタード
    おなじみ芥子ですが

    穴の開いた蓮根と芥子を使った独創的な一品のからし蓮根
    驚いたのは熊本名産(だったのね)の芥子蓮根は
    歴史がとても古いのですね!
    400年前の老舗で元祖からし蓮根の森家がある
    なんと森家とは驚き!
    @森蘭丸を連想します

    からしはマスタードですが
    フランスのブルゴーニュのディジョンは
    13世紀からの伝統あるマスタードの街らしい

    思い出のディジョン 2015.7

    ダルシー広場に建つ凱旋門(ギョーム門)
    旧市街へと続く

    b0209886_13342501.jpg
    かつてのブルゴーニュ公国の首都だった
    ディジョンは
    ローマ街道沿いにあり歴史ある街、という

    マケドニアのアレキサンダー大王由来か
    ギリシャ人がエジプトにもたらし
    さらにローマ人へと受け継がれ
    ローマ人からディジョンの修道士に伝えられたという
    医薬品でもあったマスタードは
    ワインとともに古来からの貴重な食品なんですね

    そのディジョンには
    マイユ≪Maille≫という有名なお店のマスタードがあって
    とてもまいうなんですってね!
    ということでちょっと寄ってみました

    マイユは1747年と看板にもあるので
    270年ほど前
    ということは森家の方がさらに歴史がありますね
    b0209886_13301298.jpg
    にぎわっていたディジョンのマイユのお店にて
    b0209886_13210895.jpg


    そんな歴史あるディジョンは
    かつて
    ブルゴーニュ公国のころは
    シャルル突進公(在位:1467年 - 1477年)が納めていた
    シャルル(Charles de Valois-Bourgogne)
    (1433年11月10日 - 1477年1月5日)
    今年はイノシシですが
    シャルルは猪突猛進型の王様だったようです

    あのルーベンスの描いたシャルル突進公

    b0209886_14083779.jpg



    かつてブルゴーニュ公国はアントワープをも含む大国だった

    b0209886_14130800.gif




    そのブルゴーニュ公国の最後の王だった
    シャルルは
    (1477年1月5日ナンシーの戦いで戦死)
    権力の象徴として
    ダイヤモンドを身に付けていたんですね!

    前にも書きました
    ダイヤ・Sancy(サンシー)55.23カラット
    一時持ってましたね

    さらに驚くことに
    レモンのようなイエローダイヤモンドも持っていたようです

    ≪フローレンティン(Florentine)≫
    137.27カラット


    b0209886_14271607.jpg


    レモン型のレモンイエローの魅力的な大きなダイヤですね!

    Florentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)137.27カラットは
    インド産というから、同じくゴルゴンダ産かしら

    しかしシャルルがナンシー戦い(1477年)で負けると
    当然のごとく敵国フランスのスイス人傭兵に盗られてしまい
    以前書いたサンシーは
    あのスイス人傭兵部隊を指揮していた
    サンシー領の伯爵二コラ・ド・アルレーの
    手に渡ったというわけらしい
    @この時ボーサンシーもシャルル突進公が

    持っていたような記述もあり。。

    ハッキリしない

    カットはシャルルが頼んだというが。。
    💎

    このカットされた美しい輝きを持つダイヤモンドは
    当時のブルゴーニュ公国の街だったアントワープの
    ダイヤ研磨職人ベルケムによって研磨されたらしい

    ≪ボーサンシー≫も≪サンシー≫も同様にベルケムが研磨したという
    アントワープの研磨職人ベルケムは
    ダイヤモンドをダイヤモンドの粉で磨くことを
    試行錯誤の上初めて発見した人物という

    ルドヴィック・ヴァン・ベルケム
    (Lodewyk van Berken)

     
    さて
    一番大きかったレモンイエローの
    フローレンティンダイヤモンド(Florentine Diamond)は
    その後はどうなったのでしょうか?

    一説には
    あまりに大きいのでスイス人兵士は
    ガラスだと思ってどっかに売り払ったらしい

    1665年
    フランスの宝石商のタベルニエが
    フローレンス(フィレンツェ)のメディチ家を訪れた時
    トスカーナ大公がタベルニエに黄色の大きくてきれいなダイヤモンドを見せた
    という記述があるらしい

    そしてそれを見たタベルニエが
    「トスカナ大公が持っていたダイヤモンドは
    137カラットあり、色はシトロンの色に近い」と言ったという
    そのことから後に
    このダイヤモンドのことを
    Florentine Diamond(フローレンティンダイヤモンド)
    と呼ばれるようです

    その後1737年フレンツェのメディチ家が滅亡し
    ロレーヌ公爵にダイヤも移った

    そうだったんですね。。

    ハプスブルク家のマリア・テレジアと結婚した
    ロレーヌ公の手に渡ったのですね

    👑

    1737年ポーランド継承戦争の結果
    ハプスブルク家の女主マリア・テレジアの夫であった
    ロレーヌ公フランソワ3世エティエンヌ
    (後の神聖ローマ皇帝フランツ1世)は
    フランス王ルイ15世の岳父で
    元ポーランド王のスタニスワフ・レシチニスキ(スタニスラス)に
    ロレーヌ公位を譲った
    1766年にスタニスワフが死去すると
    ロレーヌ公国はフランスに併合されて消滅した ”

    1918年
    ハプスブルク家の最後の時、皇帝一族が
    スイスへ亡命した時に持っていたらしい
    しかし
    召使の盗難に遭いその後の行方がわからないようです~

    この王家に伝わった伝説の行方不明の
    ダイヤモンド・フローレンティン137.27カラットですが


    先日

    偶然見た映画≪ラスト・ダイヤモンド≫が
    この
    ダイヤ≪フローレンティン≫にまつわる映画でした

    見ている途中で
    あれ~~!?
    黄色い大きなダイヤだけど。。

    とうことでフローレンティンのことだわ
    と気づきました
    映画にもなるような
    とっても有名なダイヤだったのですね!

    映画はまあまあでした





    # by caramel24carat | 2019-01-25 15:25 | 旅行・建築・アート