白い大理石の堂々としたエンタシスの円柱列が素敵
今年は、日本橋架橋100年にあたるらしい。
ーーこのまままっすぐ進めば日本橋を渡るけれど、覆い被さった高速道路の下を潜るのが鬱陶しいので少し手前で角を曲がるーー
@この建物の華麗な白い大理石の円柱列はコリント式かな
“西洋建築の原点”でもあるパルテノン神殿を彷彿させる重厚な建物は三井本館
三井本館は、もと越後屋の跡地に1902年に竣工、その後関東大震災で被災し、1929年に耐震強度を増して建て替えられたものだそうだ
現代のスチールとガラスのビルと違って荘厳な雰囲気がステキだ。
国の重要文化財に指定されてる
この三井本館をググっていると、この通りは“団琢磨暗殺事件”の現場であったことが判明。。といってもよく知りませんのでもっぱら検索
★団琢磨暗殺事件 1932年3月5日 血盟団事件2
以下wikiより抜粋
昭和金融恐慌の時、三井がドルを買い占めたことを批判され、三井財閥総帥であった団琢磨は、財閥に対する非難の矢面に立つことになり、昭和7年(1932年)3月5日、東京・日本橋の三越本店寄り三井本館入り口で、右翼団体血盟団の菱沼五郎に狙撃され、暗殺された(血盟団事件)
@この時代、血盟団を結成した青年将校達の憂国に比べて、政治家や財閥はわが身のことばかりで腐敗を極めていたらしい。
同じ年の約1ヶ月前、1932年2月9日、 前蔵相井上準之助が東京本郷で血盟団員小沼正に暗殺されている(血盟団事件1)
★井上準之助の金解禁による経済政策の失敗
もと日銀総裁も務めたその時の蔵相であった井上準之助は、日本が中止していた円の金本位制を復帰させ、1930年1月11日、金解禁が実施された。この金本位制の復帰によりイギリスとアメリカ中心の世界経済と日本経済をリンクさせ市場原理を国内経済に貫徹させようとした。しかし、1931年のイギリスの金本位制の離脱、同年9月の満州事変勃発で、井上の経済路線は国内経済にさらなる打撃を与えていく一方で、財閥系の大企業は合同をはかり益々独占の度合いを強めた。農村の貧困は悲惨で、1932年の血盟団事件が起こる原因にもなった。
“大学は出たけれど、職場がない。。”
金解禁から、わずか10ヵ月後。恐慌を招いた浜口内閣に、非難は集中し、1930年11月14日、東京駅で浜口雄幸首相が狙撃される。
1932年、団琢磨暗殺事件のあった約2ヶ月後、5月15日、 五・一五事件で、犬養毅首相が殺害されている
このへんでとりあえず止めておこう。。重い
@三井本館から思わぬ方向へいってしまいましたが、1932年(昭和7年)はなんともおどろおどろしい激動の時代だったのですね
今、連日TPPに参加するかどうかの議論が行われているが、時代背景として何か似たものが感じられますがどうなるのだろうか??