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Caramel 24 Carat

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ソルベーとマグリット「ピレネーの城」から




マグリット『ピレネーの城』からの妄想についてなど



@今日も秋晴れのとってもいいお天気で少し暑いくらいですが、風が心地よい~



今朝の、シュール?な写真  引っ掛かりそうになりました~
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蜘蛛クモって、ひと晩でネット網を張ってしまう、ほんと驚異の生き物ですね!


前回の記事で思い出した、ベルギーといえばシュルレアリストのマグリット!マグリットといえば青い空と雲クモですが。。


マグリット美術館の建物前面に描かれた『光の帝国』
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ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット (René François Ghislain Magritte, 1898年11月21日 -1967年8月15日) はベルギーのシュルレアリスムの画家

❀Wikiより引用 2009年6月に王立美術館の別館としてオープンしたらしい。


マグリット『ピレネーの城』 1959年の作品。
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❀ニューヨークで弁護士をしていたベルギー生まれのハリー・トーシュナーからの依頼を受けて制作されたものらしいですが、依頼主は事務所の窓を塞ぐためだったという。彼の「石の時代」シリーズの作品。
マグリットの生まれ故郷レシーヌは、採石を地場産業としていたというが、1948年頃から描かれた“石”シリーズの、その制作背景には、単なる採石現場の故郷の心象風景というより、第二次大戦で核の恐怖を知り、その強迫観念からうまれたという見方もある。

@なんと、この『ピレネーの城』シリーズの作品は、聖墳墓教会がある聖地、エルサレム、イスラエル美術館も所蔵している!イスラエル博物館に寄贈されたということですが、その理由はどこに?と妄想するのですが。。

@ところで、1911年にベルギーのブリュッセルにて第一回ソルベー会議が開催された、と前回記事で知りました。「放射理論と量子」をテーマにアインシュタインやキュリー夫人ら物理学者が参加した会議で、その名前の「ソルべー」は、エルネスト・ソルベー(Ernest Solvay, 1838年4月16日 – 1922年5月26日)に由来すると言う。彼はベルギーの上院議員を2回務め、晩年には国務大臣にもなった、「ソルベー法」で成功し財をなした化学者、実業家、慈善家であったらしい。

何故、彼ソルベーはブリュッセルにアインシュタインやキュリー夫人を招集したのでしょうか?
ソルベーがスポンサーになった核爆弾(兵器)開発への会議だったのでしょうか?



@このソルべー家は、おソルべーし一家だったようです!



The Prepared Bouquet 1957 163 x 130.5 cm
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画像はwikipaintingsより  初めてみる作品なのでUP

あまり、縁のないベルギーの歴史ですが、1830年にオランダから独立したばかりのフランスやイギリスから見れば新興国。今年、7月に、第6代ベルギー国王(在位:1993年8月9日 - 2013年7月21日)アルベール2世(Albert II、1934年6月6日 - )が、退位したとニュースになりました。

第2代ベルギー国王(在位:1865年 - 1909年)レオポルド2世( Léopold II、1835年4月9日 - 1909年12月17日)ですが、イギリス女王ヴィクトリアとその王配アルバートとはザクセン・コブルク・ゴータ一族で従姉弟(従兄弟)の関係。1884年のベルリン会議においてコンゴを私有地として統治することを列強から認められた(コンゴ自由国)。

そして、レオポルド2世は、アフリカのコンゴ自由国で、無数の大規模ゴム農園を経営し巨額の富を得るが、ゴム農園では黒人を奴隷として酷い強制労働させたという恐ろしい隠蔽された歴史がある。

1872年、ソルベー法によるガラスの原料である炭酸ナトリウムの製造工場がイギリスに建設されて以降、急速にソルベー法が世界中に広まった。コンゴは、ゴムだけでなくウランの最大の生産国。そのウラン採掘を担当したのがソルベー社であったという。即ち、コンゴでのウラン採掘と世界への販売を担当してきたのだった。



❀ユネスコ世界遺産 ソルベー邸
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彼の息子アルマン・ソルヴェー (Armand Solvay)が、建築家ヴィクトル・オルタに依頼した屋敷(1895年-1900年)は、オルタが建築家としてその力量を遺憾なく発揮したアール・ヌーボー様式の粋を極め、家具、階段、照明器具、カーペット、食器類など、建物全体すべてのディティールにこだわった素晴らしいもの(情報によれば)で、当時ベルギーの植民地であったコンゴから取り寄せた熱帯樹木や石がふんだん使われた豪邸は、世界遺産に登録されている!
所在地、ブリュッセル、ルイーズ大通り224番地 (avenue Louise 224)


❀オルセー美術館に美しいアールヌーボー様式の家具などが展示されていたのが思い出されました~

@で、マグリットに戻りますが、彼の年譜をみますと、共産党から立候補したことがあり意外でした!
彼は、1932年、ベルギー共産党に入党している。1946年には、反政府活動のビラ編集をし、そのビラが警察に差し押さえられた、という経歴もあるとか。。

青空なのに、暗い夜の街「光の帝国」の意味が、今、分かるような気がします。ウランとともにある街

マグリットは、そのシュールでインパクトのある画風とは正反対な、規則正しい生活を送った一市民であったという。


@青空に浮かぶ巨大な『ピレネーの城』を解釈するなら、核戦争に反対する、もっと言えば、大きな石は、コンゴでウランを採掘していたソルべー社そのものであり、当然、社会的思想が創作背景にあると思うが、それとともに彼自身の胸の内に秘められた鬱屈した大きな後悔の塊りのようにも感じられる?

現在、マグリット美術館は堂々とした王宮美術館別館ですもの。
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それにしても、山高帽をかぶった彼の自画像は、ヒッチコックかエルキュール・ポワロを連想してしまいます!?
by caramel24carat | 2013-10-03 16:03 | 建物・アート | Comments(0)
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