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Caramel 24 Carat

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シシィ




ライオン・獅子から思い出したシシィこと美貌のエリザベート皇妃について



@青空が広がっていいお天気でしたが、さすが寒いです~☼


今年・龍年も、残すところあと半月になってしまいました。来年は馬年ですか

もう、今年のことだったのかと記憶も薄れていく、2月のウィーンへの旅ですが、なぜか、書きそびれていた“シシィミュージアム”へ行った時のことを備忘録として写真だけでもUPしておこう。

ホーフブルク王宮、ミヒャエル門から入る。入った時は晴れていたのですが、見学後は冷たい雨が降っていて、うなだれた馬車のお馬さんが可哀そうでした
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[王宮銀器コレクション+シシー博物館+皇帝の部屋]の共通チケットを購入し3か所を見学。
先に、銀器コレクションを見学の後に、シシィ・ミュージアムへ

ハプスブルク家最後の皇妃エリザベートのすべてがわかるのかしら!?
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展示室へ登る階段に置かれた飾り壺
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展示室入り口に掲げられた「シシィの一生」に(写真なのか肖像画なのか?)に圧倒される
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ヨーロッパ随一の美貌のエリザベート皇妃ことシシィは、いつまでもお美しかったのが一目瞭然です。


まあ、ある意味異常とも思える、ブレない彼女の若さと美貌を保持しようとする自分自身の美への追求は、ひょっとしたら、類稀なる美貌の持ち主であるがゆえに、おのれの肉体と精神が、宮廷生活の反動として、その美貌の奴隷になってしまったのかも知れない~

ブレてますが、写真の中央の係の方に、この先の展示室はカメラは禁止と注意されました~
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エリザベート皇妃は、若くして自殺したルドルフ皇太子亡き後は、黒ずくめの衣装で、美貌の衰えを隠すように
人前では、扇で顔を覆っていたという驚きのエピソードにビックリしました~

バイエルンの名門ヴィッテルスバッハ家出身のシシィは、父親マクシミリアンの影響大で、あたかもハイジ(展示室に高い天井からブランコがぶら下がっているのには驚きました)のように明るく自由奔放、天真爛漫に育った少女でしたから、たった16歳でフランツ・ヨーゼフ皇帝と結婚するも、長い伝統を背負った宮廷の堅苦しい儀礼や作法を楽しめるはずもなかったのは当然かもしれない。伯母であるオーストリア大公妃ゾフィとの確執も、窮屈な宮廷生活に全く馴染めなかった故のものでしょうか。

時は、産業革命のおかげで、鉄道が走り、グランドツアーの盛んな頃。
エリザベートは不眠症、食欲不振、対人恐怖症、肺炎などを患うようになり、半年ほど、大西洋に浮かぶポルトガル領マデイラ島に療養に行ったりする。宮廷から離れると驚くほど回復したものの、戻るとすぐに悪化してしまったため、今度はイオニア海に浮かぶコルフ島で長期療養したりもする。
ドイツ、フランス、イタリア、英国、ギリシア、地中海の島々へと旅に明け暮れ、ヨーロッパ中のありとあらゆる温泉保養地を訪れたそうだ。
展示室には、エリザベート皇妃特別仕様のサロン車両が展示されていて、ビックリしました。旅行三昧の日々は羨ましい限りですが。。
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1898年8月末から、エリザベートはいつもと変わらず保養に出かけていたそうです。最後となった旅先は、スイスのレマン湖畔東端のモントルー付近のテリテTerritetだった。9月9日、ジュネーブ郊外プレニー・シャンベジー Pregny-Chambésyのロスチャイルド男爵の別荘で男爵夫人らと会食した後、レマン湖最南西端のジュネーブの町を女官同伴で観光し、その夜はレマン湖畔のボー・リバージ(Beau Rivage)ホテル119号室と120号室に宿をとった。翌日、9月10日午前中は、レマン湖畔で、お菓子屋さんでお土産などを買ったりする。午後1時40分の船出に間に合うよう桟橋に繋がれた船へ戻ったその時、突然、イタリアのアナーキスト(無政府主義者)ルイジ・ルケーニという男に刺され、1898年9月10日午後2時20分、60才の波乱の生涯を閉じる。
凶器のヤスリ等も展示されてました。当初、ルケーニの暗殺対象は、フランス王位継承候補者のオルレアン公アンリだったが、オルレアン公は予定を変更してジュネーブへの訪問を中止。シシィはホーエネンプス伯爵夫人の名前で宿泊し、皇妃であることを隠したお忍びの旅行であったにもかかわらず、彼は、偶然、新聞記事でエリザベートがジュネーブに滞在していることを知り犯行に至ったそうですが。。
ルケーニの突然の翻意な行動は、エリザベートが、前日に、ロスチャイルド夫人と会っているところが何か陰謀めいてますね。


シシィ・ミュージアムへの階段を登る手前にあるカフェ・ホーフブルクへ
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銀器コレクションの見学の後でしたので、休憩しようと入ったならば、大工さんが椅子の脩繕中でした~
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で、シシィミュージアム見学のあとコーヒーで休憩。
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@ちなみに、1873年に開かれたウィーン万国博覧会では、日本館・日本庭園が造られ、なんと、エリザベートは大工の技術に感銘を受け、鉋屑(かんなくず)を持ち帰ったと伝えられているそうだ。同年、使節団としてウィーンを訪れ皇帝夫妻に謁見した岩倉具視は、なんと、宮廷晩餐会でエリザベートの横に座ったそうです!
いつも旅を繰り返し、人嫌いだったエリザベートに会えたことはきわめて幸運だった、と伝えられているそうです。

1873年は明治6年ですね!岩倉具視がウィーンへ行ってたんですね!

1873年、5月1日 - ウィーン万国博覧会開幕 ( - 10月31日),日本が初めて公式参加
       9月13日 - 岩倉使節団帰朝












by caramel24carat | 2013-12-15 17:33 | 歴史・人物 | Comments(0)
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