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Caramel 24 Carat

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アンカー時計






ウィーンの有名な仕掛け時計のアンカー時計について



@本日は、とてもいいお天気です~☼
年の瀬もせまってまいり、何かと気ぜわしい今日この頃ですが。。
今回も、飽きずに、2月のウィーンの記録。



ウィーン最古の広場と言われるホーアーマルクト Hoher Marktですが、ウィーンは元はと言えば、なんと、ローマ帝国時代における北方領土拡大でドナウ川まで進軍してきた“ローマ帝国軍の駐屯地ヴィンドボナ”の廃墟の上に造られたらしい。ローマ時代の将校の家跡も発掘されているとか。。
そう言えば、ホーフブルク王宮ミヒャエル門前に遺跡があったり、国立図書館の階段室の壁にはたくさんのローマ数字等の刻まれた石板が飾られていました。


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見上げると、ちょうど、お人形の頭の数字は、「Ⅹ」のサヴォイア家の血を引くフランス生まれの貴族でもあった軍人オイゲン公と、後ろに、「Ⅺ」の女帝マリア・テレジアと夫君ロードリンゲン夫妻がお出ましでした。


@アンカー時計の12体(ペアもあり)のお人形それぞれについては、ウィーンにゆかりのある高名な歴史的人物が選らばれたようです。
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Ⅰ・ローマ皇帝マルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius Antoninus)
Ⅱ・カール大帝(Karl der Große)
Ⅲ・レオポルド6世(Leopold VI)
Ⅳ・中世オーストリアを代表する宮廷詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(Walther von der Vogelweide)
Ⅴ・ハプスブルク家の皇帝権力の強化と地盤固めに専念した神聖ローマ皇帝ルドルフ1世とその妻ゲルトルード=アンナ(Rudolf I)
Ⅵ・シュテファン寺院建設にも携わった著名な建築家ブクスバウム(Hans Puchsbaum)
Ⅶ・マクシミリアン1世皇帝(Maximilian I)
Ⅷ・17世紀のウィーン市長リーベンベルク(Johann Andreas von Liebenberg )
Ⅸ・シュターレンベルク伯爵(Guido Wald Rüdiger Starhemberg)
Ⅹ・ベルベデーレ宮殿のオイゲン公(Prinz Eugen Franz von Savoyen-Carignan)
Ⅺ・女帝マリアテレジア(Maria Theresia)と夫君フランツ1世ロードリンゲン公(Franz I., Franz Stephan von Lothringen)
Ⅻ・ウィーンに住んでいたこともある偉大な音楽家フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn)

「Ⅻ」については、当初計画では、フランツ・ヨーゼフ1世皇帝でしたが、完成前年の1916年に亡くなったので、同じ名前の音楽家のフランツ・ヨーゼフ・ハイドンに変更されたそうです。

@アンカー時計をズームアップで眺めると、とても凝ったデザインでビックリ!
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“時計の背景中央には、双頭の鷲と十字をあしらったウィーン市民の旗が置かれ、その周囲を取り囲む12のシンボルは、様々な職業や日常生活での仕事を象徴している。
さらに時計上部の左右に立つ像は、幼児が生を、老人が死を意味している。
渡り廊下を下から見上げた部分には、四体のスフィンクスと地球の浮き彫りがほどこしてあり、さらに四隅にはアダムとエヴァ、天使と悪魔の顔も据え付けられている。”

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アンカー時計は、アンカー保険会社の注文で、フランツ・マッチュのデザインにより、1911年から1917年に制作される。


これは、旧アンカー保険会社の2つの建物を結ぶ渡り廊下として、旧市街の通りの上に架かっている。。

現在は、ヘルヴェティアHelvetiaという名前の保険会社のようです。よく見ると、黒いドアにイカリのマークが付いてます。「アンカーanchor」の意味は「錨(いかり)」でした。
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“錨”と言えば、船ですが、中世のころ、ウィーン庶民の中心街であり手工業者の同業組合の建物が立ち並んだり、魚市場もあったりして、栄えたそうですが、ドナウ運河を利用した遠隔貿易の中心地でもあったホーアーマルクトに、海運業を営む船の持ち主相手の保険会社としてアンカー保険ができたのでしょうか。
また、ハプスブルク帝国最盛期には、意外ですが、重要な死刑執行地のひとつであったとか。

以下より参考引用
http://www.vienna-wien.net/JP/hoher-markt.php

ちなみに、現在の保険会社名ヘルヴェティアHelvetiaはスイスのことで、ローマ時代、ヘルベチアHelvetiaというラテン語で呼んだらしいです。
なぜ、ラテン語で呼んだかといえば、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4ヶ国が公用語であったため、公平を期するため、そのいずれでもないラテン語を使ったのだそうです。現在の永世中立国スイスはそのへんからも起因するのでしょうか?

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@上の写真ですが、とても素敵な笑顔ですれ違った、黒い毛皮のコートのマダムを思い出に撮らせてもらった
by caramel24carat | 2013-12-28 12:00 | 建物・アート | Comments(0)
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