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Caramel 24 Carat

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ケプラーのルドルフ表



ヨハネス・ケプラーのルドルフ表について



@今朝は、冷え込みましたが、昼間は、窓越しの太陽の光も眩しい~☼


神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(1552年ー1612年)ですが、帝都ウィーンからプラハ城に移り、とりわけ熱心で研究に余念がなかったのが、天文学や錬金術や占星術や魔術だったそうです。プラハ城に呼んで、その天文学&占星術を研究させた人物に、あの「ケプラーの法則」のヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler、1571年12月27日 - 1630年11月15日)がいたそうです!
ケプラーの法則は、天動説から地動説への優位性を決定したらしい。ルドルフ2世は1612年に亡くなりますが、ケプラーは城を去ったあと、生前に出された勅命によって、ウルムにて(この地はアインシュタインの出生地だとか)、1627年に、天文学者であるヨハネス・ケプラーは天文表を作成する。その天文表のことを、王さまの名前をつけて「ルドルフ表」と呼ぶそうだ。ルドルフ表というのは、惑星の運動表のようなものらしい~
当時は、主として占星術における出生天宮図の作成のために利用されたとか。wikiによれば、ケプラーのお母さんが、なんと魔女裁判にかけられたと書いてあります。ケプラーは闘って無罪を勝ち取ったようです。
ワケのわからない中世において、ルドルフ様の道楽?も、科学の進歩に実にタイミングよく貢献していたことをつくづく思います。

この絵は、過去の天文学者達が描かれている<ルドルフ表・The Rudolphine Tables>の口絵だそうです。ルドルフィン。。
ケプラーのルドルフ表_b0209886_1014130.jpg

<ルドルフ表>に準拠して描かれた世界地図。日本は。。
ケプラーのルドルフ表_b0209886_10374898.jpg

@以下翻訳コンニャクが訳したものです~

<ルドルフ表>について

ウルムで1627年にケプラーから発行され、ティコのとケプラー故人の後援者、ルドルフII専用の惑星の位置のRudolphine表の口絵。口絵は、天文学の神殿の寓話描写である。ヒッパルコスとプトレマイオスは上を見ながら、センターステージを取ること、コペルニクスやティコです。ベース上の中央パネルはHveenの島の地図です。左側のパネルには、ろうそくで労苦、ケプラー、自分自身を示しています。

Rudolphineテーブルが惑星運動に関するケプラーの新たに策定法則を利用するために最初にあったが、正確な惑星の観測のティコのストアを使用して校正。ケプラーによって予測されるようにフランスの哲学者、時には天文学者ピエール·ガッサンディ(1592-1655 )は、太陽のディスク全体に水星の通過を観察したとき、彼らは、 1631年11月7日に壮大な検証を受けた。このイベントのケプラーの予測ははるかに正確コペルニクス表に基づくものよりも長かった。この成功は惑星運動のケプラーの3法則、 Rudolphineテーブルのではなく、拡張子によるものだけ、一般に受け入れられるための道を開いた

The Rudolphine Tables

Frontispiece of the Rudolphine Tables of planetary positions, published by Kepler in 1627 in Ulm and dedicated to Tycho's and Kepler's deceased patron, Rudolph II. The frontispiece is an allegoric depiction of the Temple of Astronomy. Taking center stage are Copernicus and Tycho, while Hipparchus and Ptolemy look on. The central panel on the base is a map of the island of Hveen. The panel to the left shows Kepler, himself, laboring by candlelight.

The Rudolphine Tables were the first to make use of Kepler's newly formulated Laws on planetary motions, calibrated using Tycho's store of accurate planetary observations. They received a spectacular validation on November 7, 1631, when the French philosopher and sometimes astronomer Pierre Gassendi (1592–1655) observed a transit of Mercury across the solar disk, as predicted by Kepler. Kepler's prediction of this event was far more accurate than those based on the Copernican Tables. This success paved the way for the general acceptance, not only of the Rudolphine Tables, but also by extension, of Kepler's three Laws of planetary motions.
by caramel24carat | 2014-01-22 11:30 | 歴史・人物 | Comments(0)
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