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メイド・イン京都の≪マザラン・チェスト≫と≪初音の調度≫






メイド・イン京都の≪マザラン・チェスト≫と≪初音の調度≫について



@いよいよ明日は3月、ウグイスの鳴き声が高い~☼



前に、グレゴリオ暦から「グリニッジと明石」についてググっている時に、ビッグな驚きのニュースにヒットしました。


『源氏物語』の帖「初音」に登場する光源氏の明石時代の愛人“明石の御方”とその2人の間の娘“明石の姫君”のワード「初音」と「明石」にヒットしたようです。

2013年6月9日の日曜日、フランス、ルイラック競売会社のオークションで、フランス国王ルイ14世の宰相ジュール・マザランの持ち物だった江戸時代の京都で制作された≪マザラン・チェスト≫が、フランス、ロワールのシュヴェルニー城にてオークションに出品され、なんと7,311,000ユーロ(当時9億6千万円)で、アムステルダム国立美術館が落札した!といものでした。驚き!

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ロワールに住む50代女性から、2013年1月、ルイラック(www.rouillac.com)競売会社に「家を売るので、家具などを処分したい」と一本の電話が入った。フィリップ・ルイラック社長ら(Maître Philippe et Aymeric Rouillac)が家具などの査定を終え帰り際に、女性が「ワインを一杯どうぞ」とワイン瓶の入った箱に被せていた布を取り払ったところ、素晴らしいタダものならぬ雰囲気を醸し出しているチェストが現れ、競売人のフィリップはアッと目を見張ったという。
フィリップさんの胸の高まりは如何ほどだったでしょうね!?

@ここで、もしマダムの「ワインをいかが」の一言がなかったら、お宝≪マザラン・チェスト≫の運命はどうなっていたのでしょうか?

V&A博物館前にて  2012.7
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1970年ころ、ヴァル・ド・ロワールに住む女性の父親が、ロンドン、V&A博物館のすぐ目と鼻の先に住む元石油エンジニアからわずかの金額で買って以来、“パパのバー”として使用されていたらしい。そのシミも残っていたという。

フィリップ氏はロンドンV&A(ヴィクトリア&アルバート)博物館で、以前同じようなものを見た記憶がありすぐ帰ってV&Aのサイトで調べ、その後V&A博物館から鑑定人がやってきて、同館にある≪マザラン・チェスト≫と同じものと判明する。

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査定の結果、1640年ごろ、徳川3代将軍家光のころ、京都の将軍家御用達の漆芸工房幸阿弥家10代長重らが制作したものであることが判った。

1639年(寛永16年)9月22日、徳川3代将軍家光の娘千代姫がわずか3歳で徳川光友へ降嫁したときの婚礼調度、『源氏物語』の「初音」の帖をテーマに意匠された≪初音の調度≫も同じ漆芸工房幸阿弥家で作られて国宝になっている。

その「初音」の帖には、明石の御方が、光源氏の正妻紫の上に養女にだした娘に会いたい気持ちを詠んだ和歌があり

「年月を 松にひかれて ふる人に 今日鴬の 初音きかせよ」

≪初音の調度≫と呼ばれる由来のようです。
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婚礼調度は、お姫さま誕生と同時に発注され、まずミニチュアが制作され、それらはお嫁入り先で幼い姫のおままごとや、雛飾りにもなったらしい。
徳川のお雛さまが豪華なのはその辺の流れがあったのですね。

ちなみに天海が千代姫と命名している。
千代姫には3人の弟(家綱、綱重、綱吉)いた。あの5代将軍綱吉は千代姫の弟だったんですね。

ここで、シュヴェルニー城を検索しているとワンコが沢山でてくるんですね。綱吉といえば中野にお犬さまを15万匹も飼っていたという話もあり、なんかワンコの接点は意味深のようにも。。でも、たまたま女性が住んでいたところの近所だったわけのようですから。。

さて、千代姫の婚礼家具を制作し終えた京都の漆芸工房幸阿弥家は、ここで次に制作したのが、源氏物語(全面パネル)や曽我兄弟(フタの内側)や近江八景(フタの上部)をテーマにした≪マザリン・チェスト≫だったのかも知れない。制作年は1640年ごろとなっている。

rouillacのサイトに詳細画像が載ってますが、木製の櫃には黒漆塗りされ、彫金、蒔絵、象嵌などなど最高の緻密な洗練された職人技が結集している。
毎年江戸詣でしていたオランダ東インド会社のカピタンは≪初音の調度≫を目にして感動して漆芸工房幸阿弥家に発注したのかもしれない。テーマはこれこれと注文をしていたことも考えられる。

さて、1643年10月、京都で輸出用に制作された≪櫃≫を、カピタン率いるオランダ東インド会社が購入、船倉に積まれ出港し、あるいはオランダ東インド会社の領地を経てオランダに運ばれた。

その後、1658年、当時ルイ14世の宰相、事実上フランスの権力のトップの座にいたジュール・マザランは、オランダ東インド会社のオークションに出ていた≪櫃≫を4コ購入し、フランスの軍艦に積んでパリのマザラン邸宅に運びコレクションに加える。ちょうど不動産を購入した時期だったらしく、2箱は、パネルに解体し内装に使用したらしい。
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ジュール・マザラン(Jules Mazarin, 1602年7月14日 - 1661年3月9日)

残る2箱のその後の運命ですが、一つは1882年、スコットランドのハミルトン・パレスの競売カタログに登場しV&A博物館が682ギニーで購入している。このハミルトン・パレスの競売カタログに載った時にもう一つと別々な運命をたどったらしい。

その一つは、1941年に、ロンドンが空襲で被害を受けたあと行方不明になっていたらしい。
1970年、今回の女性のパパがロンドンで購入という流れようです。。

◆スコットランドのハミルトン・パレスの競売以前について

1823年、フォントヒル・アビーの競売カタログに登場。

21才のウィリアム・ベックフォード、サー・ジョシュア・レイノルズの絵画から起こした銅版画、1835年
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1800年、ゴシック小説家で日本漆器のコレクター、ウィリアム・ベックフォード(1760~1844)がウィルトシャーのフォントヒル・アビー邸に購入し置く。ベックフォードはブイヨン候の所有していたものを多くコレクションしていたという。

あのスープのブイヨンなのか?ブイヨン公爵ジャック・レオポルド(1742~1802)は、美術品の大コレクターだった。

ちょうど、ブイヨン公爵の時、1789年、フランス革命が起きている。共和国家は貴族から財産を没収したが、ブイヨン公爵のコレクションはイギリスにうまく避難していたのでしょうか。

1661年、聖職者だった子どものいないマザラン枢機卿の膨大な家具や絵画コレクションは、姪のオルタンスが相続している。

マザラン・チェストの鉄製の鍵
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フランス製の鉄鍵にあしらわれたマザラン・ラ・メイエレー家の紋章から、同家が一時所有していたことを明らかにしている。

後のチャールズ2世やサヴォア公からも求婚されたオルタンスは、15歳になるとすぐ、当時の富豪の1人であるアルマン=シャルル・ド・ラ・メイエレーと結婚している。≪マザラン・チェスト≫の鍵の紋章の名まえの人物。結婚と同時にアルマン=シャルル(1631-1713)はマザラン公となる。その結婚したすぐ後にマザラン枢機卿は亡くなっている。

オルタンス・マンチーニ(Hortense Mancini, 1646年 - 1699年11月9日)
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マザラン枢機卿には聖職者で子どもはいなかったが、生まれ故郷のイタリアからパリの宮廷に呼び寄せたマザリネット(Mazarinettes)と呼ばれる7人の美しい姪がいた。
彼女たちはマザランの政略でそれぞれ結婚している。

その中で美貌で人気者だった最年長の姪オルタンスが、1661年、マザランが死亡すると膨大な遺産を相続したわけですが、そのマザラン枢機卿のコレクションの中に≪マザラン・チェスト≫があったらしい。
が、すぐオルタンスの結婚生活は破たんしている。相続した遺産はその後に売りに出されたのかも知れない。

オルタンスの断ったチャールズ2世は、内乱状態のイングランドでクロムウェルが死ぬと国王につく。
オランダ総督・オラニエ公ウィレム2世はルイ14世の母方の従弟にあたる。

結婚生活が破たんしたオルタンスがチャールズ2世の愛妾でもあったと同時に、男装の趣味があったと知りビックリですが、ワタクシのよく理解できないものの一つに、「ベルばら」で有名な宝塚歌劇団がありますが、ひょっとして、そのルーツはオルタンスなのでしょうか??
マザランが宰相を務めたルイ14世といえばヴェルサイユ宮殿を1682年い建てていますが。。

ヴェルサイユ宮殿が建つ前。マザリネットと呼ばれた姪たちはパリ宮廷に来ると、ルイ14世の母親アンヌ・ドートリッシュが住まう翼に引き取られて養育されている。
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アンヌ・ドートリッシュ(Anne d'Autriche, 1601年9月22日 - 1666年1月20日)は、フランス王ルイ13世の王妃で、ルイ14世の母。父はスペイン王フェリペ3世、母は同族でオーストリア大公カール2世の娘(神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の妹)マルガレーテ。フェリペ4世、枢機卿フェルナンドは弟、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の皇后マリア・アナは妹である。
ルイ14世の妃には、自らの姪(フェリペ4世の王女)であるマリー・テレーズ・ドートリッシュと結婚させた。
ルイ14世の弟はフィリップ(1640年 - 1701年) 。 オルレアン公フィリップ1世。

スペイン・ハプスブルグ家が実家のアンヌ王太后は何人かの娘たちに、あのルイ13世の宰相リシュリューのパレ・ロワイヤルでルイ14世やその弟のオルレアン公と一緒に勉強することを許した。アンヌは寵愛の証として、マザランの姪たちを「プランセス・デュ・サン(Princesse du sang, フランス王族の娘たち)」と同じように扱ったという。
モナコ大公レーニエ3世はオルタンスの子孫に当たるらしい。

@以前に、尾形光琳の杜若屏風について書いている時に、ルイ14世の食卓には“お醤油がのっていた”と知り驚きましたが、今回、「明石」がキッカケで意外なメイド・イン京都の≪マザリン・チェスト≫の存在をしり、改めて日本人の職人魂と高度な工芸の素晴らしさ物造りの素晴らしさを再認識しました。
意外な徳川幕府とルイ王朝の接点、興味深いです~。落札価格にもビックリでしたが。

by caramel24carat | 2015-02-28 15:00 | 建物・アート | Comments(0)
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