外のお仕事の後にはこれ~
ウメッシュ!
ワタクシの作った3年ものの焼酎の梅酒だけど
香りはとってもいいですが
やっぱり焼酎入りはキツイです
相当薄めないと
もっと上品な味のシャンパンがいいわ~
と偉そうなこといってもシャンパンもワインも
サッパリ何がどうなんだか分かりません~
@ところで、ナンシーのことちょっと調べていましたら
なんと、あのロシア皇帝アレキサンダー2世御用達の
シャンパンがあると知り驚きました
ナンシー産ではないんですけれどね
“クリスタル“と名まえが付いていて
なんとも高貴で爽やかそうなシャンパン!?
@お中元はぜひこれをお願いたします!
クリスタル ルイ・ロデレール
CRISTRAL Louis Roderer
シャンパーニュ地方のルイ・ロデレールという
シャンパンメーカーのものです
クリスタル ルイ・ロデレール
CRISTRAL Louis Roderer
Champagne地方で作られたものだけが
シャンパーニュと呼ばれるとか
あのロマノフ朝のロシア皇帝アレキサンダー2世も
シャンパーニュの愛飲家だった!
ということですが。。
先代ニコライ1世はクリミア戦争中に崩御し
アレクサンダー2世としてロシア皇帝の座に就く
1855年 戴冠式
この戴冠式の絵ですが、ナポレオンの戴冠式みたい
この時はまだ“クリスタル”は生まれていないのよね
きっと、盛大なお祝いだったのでしょうね
“1855年、クリミア戦争がセヴァストポリ要塞の激戦を迎えている最中にニコライ1世が崩御したため、皇帝の座についた。戦局は悪化の一途をたどり、翌1856年3月にロシアは敗北を認めパリ条約を結んだ”
壁面の一番手前の大きな肖像画の
赤いズボンがアレキサンダー2世
アレキサンダー2世の最後は、あの「血の上の教会」で
テロリストの爆弾による暗殺で亡くなりました
奥さまのマリア・アレクサンドロヴィナ皇后 1866年
2014.8 サンクトペテルブルグ、プーシキン美術館にて
アレクサンダー2世の奥さまマリア・アレクサンドロヴナ皇后の
母親は初代バーデン大公の長男の娘
ヴィルヘルミーネ・フォン・バーデンで
なんと、カールスルーエで生まれている
またしてもバーデン登場。。
@そう、あのドストエフスキーが、なんと
バーデン・バーデンへ行ったらしく
ルーレットの狂気と、それにより身を滅ぼしていく人々を描いた
『賭博者』を1866年に出版している、と知りビックリ!
実際、賭けてやってみたのでしょうか?
ロシア皇帝御用達シャンパーニュ
「クリスタル ルイ・ロデレール」の特徴は
瓶が透明のクリスタルで
さらに、瓶底が平らなんだそうです
なぜ平らなのかと言えば、窪みに爆弾等の仕掛けが
できないように、との用心から、
また”クリスタル”な瓶は、すぐ皇帝御用達のものであると
見分けるため特別に注文されたもの!ということらしいです
しかしアレクサンダー2世は、1881年3月1日、テロリストの爆弾で
暗殺されましたから、皮肉なもんですね
サンクトペテルブルグの血の上の教会
2014.8
農奴解放を初めとした「大改革」をして「解放皇帝」と呼ばれたそうですが
農奴はイザ開放されても、自分の田畑用の土地が高騰し
高くて持てなかったという予想外の「農奴解放」だったという
彼らは、かえって路頭に迷ったらしい
そう言えば、旧ソ連時代にはコルホーズとかソルホーズってありました
@肝心の、ロマノフ王朝のロシア皇帝とフランスのルイ・ロデレールの
シャンパンの接点はどこにあったんだろうか?
1776年に設立された老舗シャンパーニュメゾン、
ルイ・ロデレール社の歴史を見ますと
なんと、当時、年間250万本を海外に輸出していた!とある 凄い数ですね!
“1868年 - 年間250万本を海外に向け、特にロシアとアメリカ合衆国へ輸出する。”
ロシアの市場は27%位もあったが、ロシア革命勃発で市場は無くなったという
歴史[編集] 以下Wiki参照
ルイ・ロデレール
1776年 - デュボワ親子によりシャンパンメゾンが創設される。後にニコラ・シュレッダーに売却される。
1827年 - ニコラ・シュレッダーの甥っ子であるルイ・ロデレール( 1809年生まれ)が、叔父の会社の共同経営者となる。
1833年 - ルイ・ロデレールがメゾンの経営を譲り受け、自らの名前を会社名とする。
1868年 - 年間250万本を海外に向け、特にロシアとアメリカ合衆国へ輸出する。
1870年 - ルイ・ロデレール父が息子のルイ・ロデレールⅡに経営を任せる。
1873年 - ロシア市場とロシア皇帝ツァーリへの需要が高く、シャンパンの輸出量は70万本にも上り、これはルイ・ロデレールの当時の生産量の約27%を占めていた。
1876年 - ロシア皇帝アレクサンドル2世の要求に応え、ツァーリのためのプレスティージュ・キュヴェ「クリスタル」を生産。
1880年 - ルイ・ロデレールⅡの妹、レオニー・オルリー・ロデレールが家業を継ぎ、続いて息子のレオン・オルリー・ロデレールが経営を継ぐ。
1917年 - ロシアにて十月革命が勃発したために一番の顧客であったロシア市場を無くす。”
クリスタル[編集] 以下Wiki参照
“1833年、ルイ・ロデレールが叔父の会社を受け継ぐとき、自身の名前を会社名にし、次々と新たな市場開拓に乗り込む。最も需要の高かったロシアではツァーリ(皇帝)がルイ・ロデレールのシャンパンの虜となる。ツァーリのソムリエが毎年ランスを訪れ、ロデレールの醸造責任者と共にツァーリのための特別シャンパンを造ったという。
1876年、アレクサンドル2世はお気に入りであるロデレールのシャンパンボトルが並べた時にどれであるか区別をつけるために、底が分厚く、クリスタルで造られたボトルを特注した。これが今でも1世紀以上に渡りロデレールの代表的シャンパンとして、世界のプレステージ・キュヴェとして愛飲されているクリスタルの誕生話である。セパージュ(葡萄品種)は、シャルドネとピノ・ノワールの2種類のブレンドで、ブレンド比率は年毎に変動するが、平均して半々である。ロデレール社の畑から厳選した最良のクリュのみが使用される至高のシャンパンとして絶対なる地位を確立している。アタック(第一印象)は豊かで柔らか。優雅さと純粋さを追求したシャンパン。ルイ・ロデレールのオフィシャルサイトによると、現行品のクリスタルの味わいは、豊潤でパワフル、熟成により整えられたスタイルが繊細、シルクのような滑らかさで、赤い果実、ホワイトチョコレート、キャラメル、バターの風味が広がる。市場に売り出されているクリスタルには特徴的なイエローセロファンが巻かれており、これは透明なボトルを紫外線から守るためであり、商標登録されている。”
グラン・クリュ(grand cru) とは グラン・クリュとは、ワインの世界において「特級畑」を意味する言葉