もう3年前にもなりましたが
月日の経つのは早いわ~
ちょっと思い出しお蔵入りしていた写真から
シャンティイ城のコンデ美術館にある
特別の部屋に展示されていた
ラファエロの3枚の中の一枚
1506年制作とは、23歳ころの作品!
ラファエロの≪オルレアンの聖母≫
RAPHAEL 1483-1520
la vierge de la maison d'orléans 1506-1507
29x21cm
この聖母の作品はサヴォイ家から買い取り
オルレアン家のコレクションに入ったところから
≪オルレアンの聖母≫と呼ばれる
八角形のトリビューンは素晴らしい名画の宝庫
先祖代々からの珠玉の名品やオマール公のコレクションが
壁面に隙間なく展示されてました
@コンデ美術館は現在はフランスの学士院の管理下にあるようです
その中で、ちょっと珍しいかなと思った
モノクロのステンドグラス
2012.7 コンデ美術館
シャンティイ城の中には礼拝堂もあって
その入り口にはパレ・ロワイヤルと同じ造りの階段がありました
アンリ・ドルレアン (オマール公)は、あのパリのパレ・ロワイヤルで誕生したんだそうです
以下Wiki参照
“アンリ・ウジェーヌ・フィリップ・ルイ・ドルレアン(Henri Eugène Philippe Louis d'Orléans, prince du sang, duc d'Aumale, 1822年1月16日 - 1897年5月7日)は、フランスの王族。オマール公。フランス王ルイ・フィリップと妃マリー・アメリーの5男として、パレ・ロワイヤルで誕生した。
両親によって簡素に育てられ、リセー・アンリ・カトルで学んだ。8歳の時、名付け親であったコンデ公ルイ6世アンリ(大叔母バティルドの夫でもあった)が嫡子のないまま亡くなったため、有名なシャンティイ城を含む膨大な資産を相続した(当時の価格で6億6千万リーヴル)。
17歳で陸軍に入隊、1847年にはフランス領アルジェリアへ従軍しており、1年ほどアルジェリア総督を務めた。1848年に2月革命でイギリスへ亡命後、軍事と歴史の執筆に没頭した。
普仏戦争が始まるとフランス陸軍入隊を志願するが、退けられた。その後、オワーズ県選出議員となってフランスへ帰国した。
1884年、シャンティイ城を含むシャンティイの所領及び収集した美術品などをことごとくフランス学士院へ寄贈し、これらを集めてコンデ美術館とした。1897年、シチリア島ジャルディネッロで死去した。”
オマール公の奥さまは、ハプスブルク家のウィーンで誕生している
まさにロココなブルボン家の妃
“マリー・カロリーヌ・オギュスト・ド・ブルボン=シシル(フランス語:Marie-Caroline Auguste de Bourbon-Siciles、1822年4月26日 - 1869年12月6日)は、フランス王子・オマール公アンリの妻。両シチリア王女(Principessa delle Due Sicilie)。イタリア語名マリーア・カロリーナ(Maria Carolina di Borbone-Due Sicilie)。
両シチリア王子・サレルノ公レオポルドと、妃マリーア・クレメンティーナの娘として、ウィーンで生まれた”
シャンティイ城内にて 音楽の部屋
たまたまオデオンのあたりで撮っていた
コンデ通りのプレート
2012.7 Paris