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Caramel 24 Carat

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ロマネ・コンティとシトー会修道院と明治神宮


鈴虫や一雨ごとの涼しさや~
ハイクのつもりデス




きっと、思うに、ワインも飲むほどに、お料理と一緒にいただくと
さらに味わい深くなる、ちょっと大変な飲み物なのかも知れない

ところで、バスで走った思い出のボーヌからディジョンへの
グラン・クリュ街道沿いに、お城が見えてたんですね
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ちょと気になってて、地図をみると、
シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョChâteau du Clos de Vougeotという
元シトー会修道院の古いアベーでした

シトー会とはキリスト教の一派みたいです
ロマネ・コンティとシトー会修道院と明治神宮_b0209886_1733710.jpg

そもそもワインは修道士たちによってつくられ
生活の糧にしていたのでしょうか

“12世紀初頭、シトー会の修道士たちによってこの地に修道院がたてられ、ブドウ栽培及びワインの醸造が始められたことに遡ります。12世紀に建てられた修道院は、フランス革命がおこるまでシトー会修道士が所有していました。革命後には、修道院は国財となり、その後、何度も所有者が変わり、1944年、ドメーヌの持ち主だったエティエンヌ・カミュゼが、建物の所有権を利き酒騎士団(Confrérie des Chevaliers du Tastevin)に譲渡したことで、クロ・ド・ヴージョは現在、ワイン関連の博物館になっています”

一時、ソムリエさんが人気だったですが
日本からも、ソムリエの試験に合格すると
このシャトーに行かれ利き酒騎士団から
叙任されるのですね

春に、明治神宮に行った時、参道に
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ブルゴーニュ・ワインのたくさんの樽が
並んでいて、驚いたことがあります
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明治神宮は、なにかブルゴーニュと深い関係が
あるいは、シトー会と何か繋がりがあるのでしょうか?
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まあ、単に、結婚式のお祝いの席でワインが飲まれるからですかね

ヴォーヌ=ロマネ (Vosne-Romanée)村あたりの
地図を眺めながら、ワイナリーの畑の位置をみますと
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ボーヌ城をワインセラーにしているブシャール・ペール・エ・フィス社の
Bouchard Père et Fils≪La Romanée≫が採れる畑は
かの有名なRomanée-Contiの同じグラン・クリュ=特級畑と
“隣同士”なんですね、かつて分割された畑だったらしい
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@ロマネ・コンティの畑は1.8haの一ヶ所のみで、
画像の濃いピンクの一ヶ所だけのようです

所有者が売却のため分割したのかもしれない

ブルゴーニュ・ワインの代表、ロマネ・コンティの
名まえの由来をみてみますと、なんと、2000年前に遡る

Romanée-Contiの、「Romanée=ロマネ」の由来は

ローマ人がこの地で、ブドウ栽培をしていたという
2000年に遡る歴史があり、
ボーヌ・ロマネ村に広がる極上のブドウ畑に
感謝をこめて「Romanée ロマネ」とぃう名を贈ったらしい

ひょっとしたら、初代ローマ皇帝アウグストスも
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ボーヌ・ロマネ村のワインを飲んだのかも知れない
まあ、ロマンチックだわ~

それにしても、2000年来のブドウ畑とは凄いです!
日本なら、きっと宅地に分譲されていたり
へんな工場が建っていたりしてます

豊かな国土に恵まれているからこそとは思いますが
フランス人は、恐れ多いほどの
カタクナな美学をもった人たちかしら

「Romanée ロマネ」の方はローマ人由来で
「Conti コンティ」の方は?

ルイ15世の時のフランス・ブルボン朝期の軍人・貴族コンデ公に由来するらしい
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ルイ・フランソワ1世・ド・ブルボン
(Louis François I de Bourbon, 1717年8月13日 - 1776年8月2日)
ルイ・アルマン2世の息子でコンティ公(prince de Conti)(在位:1727年 - 1776年)

コンデ公ルイ・フランソワ1世は、売りに出されていたブドウ畑を
ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人と争奪戦の末
1760年、競り合い8万ルーブルで手に入れたらしい

ルイ15世の軍人だったコンデ公とポンパドール夫人とは
愛妾だったにも関わらず、政界にポンパドール派を形成し
なにかと干渉し権勢をふるったので
あまり仲が良くなかったらしい

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ポンパドゥール夫人Madame de Pompadour
1721年12月29日 - 1764年4月15日


コンデ公が勝って手に入れたボーヌ・ロマネ村(Vosne-Romanée)に
ある自分の畑に、石の十字架を建て
“ブルゴニューの首飾りの中心の真珠”
と呼んだらしい
今もドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)の指標として
残っているようです


ポンパドール夫人のサロンには、プロイセンのフリードリヒ大王や
ロシアのエカテリーナ2世とも交流のあった
あの啓蒙作家ヴォルテールも集い啓蒙思想を広めている

コンデ公が勝って買った畑は、その後のフランス革命には国有財産として
没収され、革命後、ブシャール家などに払い下げられた、というわけですね
ロマネ・コンティの畑は、当主の祖先であるヴィレーヌ氏が
当時の価格で33万フラン金貨で買い取ったのだそうだ


さて、コンデ公といえば、シャンティイ城に柿右衛門の写しの陶磁器をつくっていましたが
ポンパドール夫人も、負けないで、セーヴルに王立磁器製作所を設立

ルイ15世の息子の妃は、ドレスデンでマイセンを開発したアウグスト強王の息子
アウグスト3世の娘でした

シャンティイ城もルイ15世もドレスデンも日本と繋がっていたんですね
日本に運ばれたワインの樽は、有田焼きや柿右衛門など陶器等の
運搬にちょうど良かったのかもしれない
妄想ですが。。アラ?オチが樽とは。。


@追記

ちょっとヒット。。
伊万里に、シトー会の修道院があるらしい
“祈り、働け”がモットーらしい
衣服は染めの要らない白!

ブルゴーニュのワインのラベルは
白地に文字だけのシンプルなもの
修道女のシルエットのように、瓶も、なで肩です

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“伊万里の聖母トラピスチヌ修道院の創立は
1089年のフランス シトー修道院創立までさかのぼります”
by caramel24carat | 2015-08-29 18:09 | Comments(0)
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