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Caramel 24 Carat

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ジャック・カルティエとヌーベルフランス



なんだかツカレッチャッタ~☼

昨日は拘束高速渋滞で
高速なのに縦列パーキング状態地帯を
どうにか抜けてやっとスイスイでしたが
ICの出口でビックリ!
ETCゲートはガラガラなのに
一般ゲートが行列でした!
(人気の行楽地最寄りのICではもっと凄かったかも
ひょっとしたら、これが、渋滞の一因だったのか?)

庭で一年中元気なローズマリー
薄紫のお花がいっぱい咲いた
ジャック・カルティエとヌーベルフランス_b0209886_10365950.jpg


う~ん~そうなのか~
3連休でパパさん日ごろ走らない高速へ
家族サービスで行楽地へ行ったのね

ところで、アメリカ大陸発見というとコロンブスとか
アメリゴ・ベスプッチという人物が思い浮かぶのですが
(最近みた“ダ・ヴィンチ”のドラマで若かりし頃(25.6歳)の
ダ・ヴィンチがペルーのインカ帝国までベスプッチの船で行っていて
ドラマ(フィクション)とは言え、びっくり仰天でした)

前にアイオワ州からヌーベルフランスを知り、大航海時代に
フランスの探検家も北米大陸を目指していたことにビックリ

そのフランス人探検家で航海者にジャック・カルティエがいました
ほんと知らなかったわ

でもね、ジャック・カルティエという名の薔薇は
ウチの庭にもありました
特徴として首が短く細かいトゲがビッシリで
ちょっと扱いにくかった印象がありました
(今は消えてしまいました)

4年ほど前のありし日のジャック・カルティエ(たぶん)
ジャック・カルティエとヌーベルフランス_b0209886_11355323.jpg

キティのマウスパッドは100均で
(可愛いの使っていたのね あはは)

オールドローズ(OR) ポートランド系 1868年 フランス
花径8cm、ピンクの花びらはクシュクシュのロゼット咲き、
中心にボタン・アイを持ちステムが短く
葉っぱの上に花が咲く 姿が特徴、オールドローズ香強香

フランスの探検家ジャック・カルティエに捧げられたバラ


ピンクの中輪の薔薇で、ルイーズ・オディエとよく似てるけれど
ジャック・カルティエが、探検家の名まえだったとは知りませんでした
(カルティエというからには宝飾品の方かと)

こちらの方がフランス、サン・マロ出身の探検家
ジャック・カルティエ(Jacques Cartier)
ジャック・カルティエとヌーベルフランス_b0209886_11434095.jpg


”ジャック・カルティエ(Jacques Cartier)は
(1491年12月31日 - 1557年9月1日)
フランス・ブルターニュ地方サン・マロ出身のブルトン人探検家・北米への侵略者。1534年、ジャックはフランス国王フランソワ1世の命を受けてフランス出発し、セントローレンス湾とセントローレンス川岸にヨーロッパ出身者として初めて到達、「領土宣言」し、そのイロコイ族の「カン ナータ」という言葉からその周辺の土地を「カナダ」と名付け記述したことで知られる”

“北米大陸へ3度の探検を行い、プリンス・エドワード島やセントローレンス河口に到達、現在のケベックに上陸し、後のフランスによるカナダ領有の基礎を築いた”


前にアメリカのアイオワ州が元フランスの植民地であった
ヌーベルフランスに属していたことを知ったことは
冒頭にも述べましたが

ヌーベルフランスで調べると、ビックリ仰天!
アメリカの広大な面積を占めている

Wikiより

1750年の北アメリカ地図
青の部分がヌーベルフランス(Nouvelle-France)
ジャック・カルティエとヌーベルフランス_b0209886_10483069.png

“これは七年戦争(1756年-1763年)と呼ばれる世界的な紛争の一部であるフレンチ・インディアン戦争前のものである。ピンクはイギリス、青はフランス、橙はスペイン領を示す。”

ヌーベルフランスについて  (コピペ)

1534年、ジャック・カルティエがガスペ半島に十字架を建て、この土地が国王フランソワ1世のものであることを宣言した。これがヌーベルフランスの始まりになった。しかし、この地域への入植の試みは当初失敗した。その後はフランスの漁業船隊が大西洋岸からセントローレンス川への航海を続け、先住民との同盟を作っていった。これは一旦フランスが土地を占有するようになると重要なことになった。フランスの商人はヨーロッパで希少になっていた貴重な毛皮動物、特にビーバーがセントローレンス川地域では豊富に獲れることに気付いた。最後はフランス国王がそこを植民地化し、アメリカにおける影響力を拡大する決断をした。

ヌーベルフランス(フランス語: Nouvelle-France、英語: New France)は、1534年にジャック・カルティエがセントローレンス川を探検した時期から、1763年のパリ条約により、スペインとイギリスにヌーベルフランスを移譲した時まで、フランスが北アメリカに植民を行った地域である。その頂点にあった1712年(ユトレヒト条約の前)、領土は東はニューファンドランド島から西のロッキー山脈まで、北はハドソン湾から南のメキシコ湾までに拡大した。この領土はカナダ、アカディア、ハドソン湾、ニューファンドランド(プレサンス[1])およびルイジアナの5植民地に分割され、それぞれに管理政体が置かれた。ユトレヒト条約の結果、本土のアカディア、ハドソン湾およびニューファンドランド植民地に対するフランスの領有権が消え、アカディアの後継地としてイル・ロワイヤル(ケープ・ブレトン島)の植民地が設立された[2][3]。

@もとは毛皮商人かな
by caramel24carat | 2016-03-21 12:01 | 歴史・人物 | Comments(0)
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