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Caramel 24 Carat

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ハッピ姿の英国のプリンスとザクセン=コーブルグ=ゴータ家



今日もアッツいです~☀


リオオリンピックもメダルラッシュでアッツいですね
ヤッパリ、スポーツの世界は
オンリーワンよりナンバーワンですよね

今日、ブログ記事を書こうとしましたら
Exciteさん、ちゃんと下書きを自動更新される
ありがたいフォームに改良されてました

嬉しいわ~♡

アジサイのスプリングエンジェルの挿し木ですが
根がいっぱい

ハッピ姿の英国のプリンスとザクセン=コーブルグ=ゴータ家_b0209886_12402619.jpg

前回、近江商人の伊藤忠兵衛や薩摩治兵衛の出身地が
近江の現豊郷町だと知りましたが


近江といえば、ロシア帝国ロマノフ朝のニコライ2世(当時は皇太子)が
同行していたギリシャ王国の王子ゲオルギウスと一緒に

1891年、5月11日、琵琶湖遊覧を終え、京都へ戻る途中
大津で、滋賀県警の巡査津田三蔵にサーベルで切り付けられた事件があった


なんだか、よくわからない、不思議な事件という印象がしますが
後年の第一次世界大戦勃発のキッカケになった

サラエボ事件(1914年6月28日)とよく似てます~

この事件の仕掛け人は誰なんでしょうか?と
なぞは残りますが

この対ロシア国家非常事態に、これはイカンと明治天皇は
即行動し、新橋駅を早朝発ち夜遅くには京都駅に到着し
翌日には、ロシア皇太子をお見舞いされたそうで
事態はうまく収まったらしい

あわやロシアと戦争か?ロシアが攻めてくる?と
巷ではオソロシイ噂が流れた~というからさもありなんだわ

ところで、なんで、琵琶湖遊覧だったのかしら?
と、素朴な疑問がチラッと脳裏をかすめるのですが

そういえば、加藤登紀子の『琵琶湖周遊の歌』
ってありました!

暑気払いに聴こうかしら
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つい、それてしまいましたが

その、ニコライ2世が琵琶湖に来る前
長崎で、刺青を入れたことが

この大津事件で発覚したと
前に、書いたことがあったのですが

その長崎で、人力車に乗った写真がありました


ハッピ姿の英国のプリンスとザクセン=コーブルグ=ゴータ家_b0209886_13101558.jpg
大津で、事件に合ったときは
人力車に乗っての移動中だったらしく

人力車夫のとっさの行動で、大事に至らなかった
ことを、感謝され、その時の2人の人力車夫が

ロシア帝国より感謝されている

ハッピ姿の英国のプリンスとザクセン=コーブルグ=ゴータ家_b0209886_10504252.jpg
で、その後、ニコライ皇太子は
ロシア艦隊(7隻?)を引き連れてシベリア鉄道の
極東起工式に出席するためウラジオストクへと発った、らしい

前に、『月の沙漠』が1923年に作曲されたと知りましたが
その前後の年譜を眺めてましたら

前年の、1922年には、なんと、アインシュタインが訪日してる
各地で、講演し、熱狂的な歓迎を受けたらしい

@ここで密かに、妄想しているのですが
翌年の、1923年、8月6日、徳島の鳴門で
最高気温42,6℃を記録したとあるのですが
ひょっとして、なんか実験をしていたのではなかろうか?
(1923年、9月1日には関東大震災もありました)

”徳島の鳴門”といえば、大塚~いえ妄想ですから


そして、1922年には、なんと、英国の皇太子も訪日してます
エドワード8世(ウィンザー公)は随行員とともに
日本各地を観光していらっしゃいます

その時、ハッピ(法被)をきて人力車夫の格好した
オチャメな姿が撮影されてます

(昨日消した記事を応急処置でプリントしたもの)
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この、ハッピ姿のエドワード8世についてですが

ニコライ2世が、大津事件で人力車夫に助けられたことを
英国王室でもニコライ2世とともに伝えられていたからこその
コスプレなのではないかしら?とふと思ったのです

英国皇太子の随行員とともに


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エドワード8世(在位:1936年1月20日 - 1936年12月11日)は、
父親ジョージ5世(在位:1910年5月6日 – 1936年1月20日)崩御のあと
英国王の座にほんの少しの間就きましたが

「英国王より愛」を選択した方で
アメリカ人のシンプソン夫人との結婚を選んで
弟のジョージ6世(在位:1936年12月11日 - 1952年2月6日)
(エリザベス2世の父親)に譲った
すごい方なんですね


@ウィンザー公とシンプソン夫人のパリでの生活は
以前書いたことがあった『伯爵夫人はスパイ』に
登場してました




エドワード8世の父親ジョージ5世(ジョルジュサンク)と
大津事件のロシア皇帝ニコライ2世はいとこ同士で
とてもよく似ていらっしゃいます

母親同士がデンマークの王女で仲の良い姉妹
二人は、よく連れ立って、パリでお買い物をしたらしいわ

@ちょっと、ここでメモ

英国王室の現在のウィンザー朝は、そもそも
ドイツのザクセン=コーブルグ=ゴータ家が

ドイツっぽい名まえを避けて、居城のウィンザー城にちなんで
ウィンザー朝にしたらしい

ヴィクトリア女王の夫君アルバートがザクセン=コーブルグ=ゴータ家の出身で
その長男エドワード7世(1901~1910)のあと

その長男ジョージ5世(1910年5月6日– 1936年1月20日)がウィンザー朝の初代君主


@ちょっと「八」の連想&妄想で、並べてしまいました



ニコライ2世
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薩摩治郎八

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エドワード8世は、日本にやって来たときには
鹿児島の島津家も訪問しているというから
驚きです!

鎧兜の衣装は、ウィリアム王子の訪日を思い出します

島津家って、英国王室とは密接な関係にあるのですね


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@島津家の家紋は「丸に十の字」


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以上メモ








by caramel24carat | 2016-08-18 13:47 | 歴史・人物 | Comments(0)
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