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Caramel 24 Carat

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ゴッホの≪ひまわり≫と上海租界からペルリンへと




なんだかムシムシと暑苦しい~⛅



夏の花と言えばひまわりですが
この夏はところによっては日照不足でパッとしなかった
というような情報もありました

🌻

ひまわりと言えば
ゴッホさん☀

NY

メトロポリタン美術館には

ゴッホの≪ヒマワリ≫がありました
例の何本か花瓶に挿されたあの≪ヒマワリ≫とは違って

夏の終わりによく見かける
種がビッシリの花ガラ~

ゴッホ≪ヒマワリ≫
1887年

ゴッホの≪ひまわり≫と上海租界からペルリンへと_b0209886_14260603.jpg


NY メトロポリタン美術館にて 2017.2

ゴッホの≪ひまわり≫と上海租界からペルリンへと_b0209886_14293080.jpg


ゴッホさんですが
≪ヒマワリ≫と並んでとても馴染みのある作品と言えば
アルル時代の≪アルルの跳ね橋≫だけれど


ところで
ほんと個人的な連想なんですが
アルルといえばヒロシです~


そう
アルルのヒロシさん

ブロガーさんですが
数年前によくブログを読んでました
副島道場とセットだったような記憶があります

なぜ
いきなり
アルルのヒロシとか副島さんとか思い出したのかと言えば

前回の記事で

正田富美子(皇后のお母さま)について
ちょっと検索しましたならば
旧姓が副島富美子と知ったからなんだけど

某アルルのヒロシという方と
副島〇×氏は
唐津の副島家と何か関係があるのでしょうか?




(これはちょっと書いていいのかためらいましたが
ネット時代で情報公開されていますので)

なんと
「正田富美子」の中国版Wikiが上のほうにありまして
ビックリしました

Google翻訳で中国語もなんとか読める
でその内容なんですが

(ちょっと関心を持ったのは
以前、五反田から歩いて
正田家のチューダー様式の屋敷のあとの
「ねむの木公園」に
行ったことがあったもんで)


🌻

正田富美子は上海生まれで
19歳で正田英三郎と結婚した、という

父親は副島綱雄というが
上海に赴任していたことがあった

佐賀の名士副島綱雄は「国策会社」の理事として
上海にいたことがあった
「国策会社」の後は「江商」上海支店長だった
「江商」というのは「兼松江商」の合併前の会社名らしい

1923年9月
東京に戻って双葉女子高に入る
教会の集会で英三郎の母と出会う

正田富美子(舊名副島富美子,1909年~1988年)

副島富美子が正田英三郎と19歳で結婚ということは
1928年頃かしら?

なんと驚きなんですが
その前後ごろ
副島富美子と正田英三郎は
ベルリンへ行っていたんですね!

長男正田厳はベルリン生まれ、という
正田巌
1931年 誕生
日本銀行国債局長
1985年 日本銀行監事


1930年頃のベルリンと言えば
ヒトラーのナチ党が大躍進だったらしい


1930年9月14日に選挙がおこなわれ、選挙の結果、
ナチ党が12議席から107議席に大躍進し、社民党に次ぐ第2党となった。
この背景は世界恐慌による不況で国民が急激な変化を求めており、
左右両極が伸びやすい状態になっていたことがある。
共産党よりもナチ党が顕著に躍進したのは、
ナチ党のヤング案アメリカ合衆国が提案したドイツ賠償方式)
反対運動が国民の共感を集めたことが大きい

1933年2月には
ベルリンの連邦国会議事堂は謎の火事で焼失



その後の1936年に日独防共協定が調印された、らしい

ここで面白い写真がありました
ナチと言えばヒトラー

なんと
ヒトラーの紋付羽織袴姿があったんですね!


ゴッホの≪ひまわり≫と上海租界からペルリンへと_b0209886_16252470.jpg
以前にも見たことがあったのですが
コラージュでしょうか!?

家紋が凝ってます!

「卍」と「ワシ」でしょうか!
ゴッホの≪ひまわり≫と上海租界からペルリンへと_b0209886_16265523.jpg
(この画像は拾いました)

特別誂えの紋付羽織ですね



”ヒトラーの和装姿は、
1936年に大日本帝国とナチス・ドイツの間で
調印された日独防共協定(のちに枢軸体制へと発展)
を記念して撮影されたと考えられている”




维基百科,自由的百科全书より引用


早年生活

出生於中國上海,在滬生活十六年,通中文
父親副島纲雄是日本「國策會社」理事,也是「江商」上海支店店長。
1923年9月歸國,居東京,就讀麴町雙葉女子高等學校
在雙葉高女的「禮拜」集會中、
為正田英三郎的母親相中,19歲完婚。

婚姻生活

富美子與英三郎婚後曾旅居德國兩年,在柏林生下長子,
返日後又陸續添了一男兩女。美智子皇后是她的長女。
她曾被社交圈譽為「有明治時代古雅端莊氣質的貴夫人」,
但卻因為女兒美智子入宮而飽受精神折磨。
在美智子婚事發佈後,就有旁系皇族與舊華族群起攻擊她在上海生活的經歷,
又不斷有消息傳來美智子在宮中受到欺壓,身心重創。
為了杜絕莫須有的抹黑,富美子幾乎未再涉足社交圈。

かつての上海租界は
共同租界(イギリス・アメリカ)と
フランス租界に分けられていたらしい

共同租界は金融
フランス租界は高級住宅地らしい

かつて

上海租界には
ロシア革命(1917年)の後
国を離れた
ロシアの貴族やなんかも流れていたらしい
約半分はロシアからの移民だったとは
意外です

アジアの純真って
ベルリン~バラライカって変な歌詞なんですが
上海租界のことなの?



上海へは一度も行ったことがないのですが
う~んちょっと行ってみ
たいかな











by caramel24carat | 2017-08-22 16:40 | 旅行・建築・アート | Comments(0)
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