うす曇り~⛅
白花の玉スダレが咲いてます
ところで
前回、玉の輿に乗った京都生まれの
モルガンお雪のこと書きましたが
1901年(明治34年)当時30歳の金融王JPモルガンの甥っ子
ジョージ・デニソン・モルガン(George Denison Morgan)と出会い
1904年(明治37年)横浜にて結婚し渡米するが
居心地があまり良くなかったらしく
(そもそも1904年といえば、日露戦争のころじゃないでしょうか?
高橋是清がクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフから戦費を調達できた
そんなころですよね)
1905年(明治38年)京都に戻り
2年ほど
京都南禅寺橋のモルガンの別荘
に住んでいたという情報があり
どんなところかしら?とちょっと関心を以って調べてみると
なんと驚くことに
明治新政府になって廃仏毀釈令なんかが出され
南禅寺の広大な敷地は明治政府に没収されたらしい
その没収したお寺の敷地を分割して
琵琶湖疎水から水を引き
日本庭園をもつ立派な数寄屋造りの別荘が15戸建てられた、という
たぶんその一戸がモルガンの京都の別荘だったようだ
それにしても気になるのが
お雪の身請け金当時の4万円(数億円とも)の行方?
日露戦争の戦費に消えたとか
どうなんでしょうね?
Wikiより引用
南禅寺界隈別荘(なんぜんじかいわいべっそう)は
明治新政府が召し上げた臨済宗南禅寺の敷地を開発した後に建つ
15邸の広大な別荘。
旧寺村助右衛門邸(現 料理旅館菊水)
”近江出身の実業家、
塚本与三次(つかもと・よさじ、京都商事社長)が
構想したのが高級別荘地への転用(分譲)でした”
塚本姓でふと思い出すのが
高級鮨のすきやばし次郎の入っている
塚本総業ビル?
そうそうワコールかな
(女性なら知ってますよね)
創業者塚本幸一
明治の大物政治家山形有朋や住友や三菱や
また実業家の野村や松下等に払い下げられたようですね
稲畑勝太郎所有であった5000坪の何有荘は
明治の社交場で ヘレンケラーや渋沢栄一なども訪れた
時代とともに所有者が変わっている
5000坪とか1800坪と広大だから維持費もそれなりに
★対龍山荘は、谷崎潤一郎→市田→現在ニトリの保養所らしい
★流響院は、塚本与三次、三菱財閥、米軍(宿舎)、
龍村美術織物、宗教団体の真如苑と変わった
イブモンタン・ヒッチコック・ピーエルカルダン・チャップリンなどが
訪れたことがあったらしい
(非公開らしい)
モルガン邸はどこだったのでしょうか?
♡