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Caramel 24 Carat

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藤にクマバチと三島由紀夫の盾の会の制服はパリで修業した五十嵐九十九が制作



アメ模様の空も上がってきました~☁


昨日は春爛漫ないいお天気でした

満開を迎えている藤の花に
ブーン~ブーン~と
羽音が大きな黒い体に黄色いベストを着た

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クマバチが忙しなく飛び回ってました~

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ところで

前回、以前のマイブログの加藤和彦のこと読み直していて
チラッと三島由紀夫にも触れていたので

衝撃的な
三島由紀夫の割腹自決事件を思い出してました

1970年(昭和45年)11月25日
午前10時58分頃 – 午後0時20分頃

市ヶ谷の自衛隊の総監室を占拠した後
バルコニーで檄を飛ばし
その後
三島由紀夫が組織した民兵(大学生ら)100人で結成された
盾の会(私設の軍隊)のメンバーが
割腹した三島を介錯したと云う
驚愕の事件でした

@追記youtubeで三島の檄の肉声があったので




事件の起こる2年前の
1968年10月17日
三島由紀夫と師弟関係でもあった川端康成が
ノーベル文学賞を受賞している
三島も候補に上がっていたが残念なことに
受賞したのは川端康成だった

文豪川端康成もその2年後の1972年4月17日
逗子マリーナのマンションで突然ガス自殺している

ネット情報によれば
川端康成は不眠症に陥っていて
睡眠薬を常用していたらしい

(また師弟関係にあった三島には仕事を振る意味もあって
代筆を頼むこともあったらしい)

と、驚愕の凄惨な事件でしたが
なにがどうしてそこまでいってしまったのでしょうね?


三島と言えば完璧な美学を貫いた
類まれなる天才だったのでしょうか
その最後の死まで日本武士道の究極の美で終わらせたのですね


旧盾の会のサイトより引用


藤にクマバチと三島由紀夫の盾の会の制服はパリで修業した五十嵐九十九が制作_b0209886_12084223.jpg



そこでふと気になったのが
三島由紀夫私設の≪盾の会≫の制服がなかなかカッコいい!

どうだったのかな?とちょっと調べて見ましたら



なんと
フランスのド・ゴール将軍の制服が一番お気に入りで
同じデザイナーで作ってもらいたい、と
当時の西武デパートへ電話したそうです

西武の紳士服のオーダーサロンでは
フランスのパリで有名なピエール・カルダンやポール・ボークレー
の元で修行して
帰国し自らのブランドを立ち上げ活躍していた

五十嵐九十九氏がいた

五十嵐九十九氏はパリではシャルル・ド・ゴールの軍服のズボンを
縫ったりしたことがあったそうです

シャルル・ド・ゴールと言えば
身長2mもある大将軍ですよね



その頃の西武デパートの社長は堤清二で
ペンネーム辻井喬の名前をもった作家でもあった

文壇で交友のあった三島から堤清二へ相談の電話があったという

堤清二の文の転載引用

〝三島さんから私のところに電話があり、
「今度おもちゃの軍隊を作ることになったんだが、制服はうんと格好良くなくちゃいけない。
僕が調べたところド・ゴール将軍の軍服が一番いい。
あれを作ったデザイナーを調べてくれないか」と依頼されたのです。
調査の結果、そのデザイナーは五十嵐九十九という日本人で、
おまけになんと当時西武デパートに勤めていたということがわかりました。
さっそく電話でそう伝えると三島さんは大変喜んで、
「君のところで作って請求書と一緒に納めてくれ。費用はすべて僕が払う。
だだしできるだけ安くしておけよ」ということになり、
すぐに本人がデザインイメージを描いたものを送ってこられました。
徽章のデザインまで詳細に指示してあり、
文章だけでなく絵も上手いんだなと感心したものです。
言うまでもなく三島さんの指示通りにできるだけ安くして納めました。”

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”楯の会の軍服は1着1万円、夏用・冬用を101人分注文した。
ボタン・徽章も楯の会のマークが入ったものを特注している。
軍帽は作ってくれる帽子屋が見つからず、三島本人が下町の職人を探し出して作らせた。
これにも夏用・冬用がある。さらに軍靴・戦闘服・隊旗、自衛隊体験入隊費用、
月1回の定例会の会場費・通信費・・・。楯の会学生長持丸博の記憶によると、
この2年間で三島が楯の会につぎ込んだ金額は1,500万円以上になったという。
三島は貯金が1/10になってしまったと女友達の湯浅あつ子にも愚痴っている。”

さらにググっていて分かったのですが
表向きは「五十嵐九十九」のデザインですということでしたが
五十嵐九十九の師匠のポール・ボークレーのデザインだったらしい
「西武百貨店」のロゴがついてて
101着の制服は堤氏の提供だったらしい

西武と言えば軽井沢プリンスホテルもそうでした
(西武の堤康次郎)


1970年代の後半の西武デパートはパルコがあったり
先端のファッション性の高いデパートで
内外の有名どころのブランドも揃ってましたよね

当時は「メイド イン ジャパン」の
丁寧な縫製が当たり前の時代


そんなわけで

三島由紀夫の盾の会の制服は
五十嵐九十九氏制作で師匠でもあった
フランス人で親日家のポール・ボークレーのデザインだったらしい
(といってもポール・ボークレー全く知りません)

最近では泰明小学校のアルマーニの制服話もありましたが

カッコいい制服ってイイですね!















by caramel24carat | 2018-04-11 12:20 | 歴史・人物 | Comments(0)
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