今日も青空が広がりいいお天気~☀
日がホントに短くなりました
昨日はスーパー内の薬局の前に健康診断器具が並んでいて
血管年齢計、血圧計を測ってみました
血圧普通、血管年齢は偏差値54でした(若干年齢より若い)
一安心です
ところで驚きなんですが
昨日知ったばかりなのですが
あのシャネルが
真っ赤なシャネル5番を
限定版で出しているようです
シャネル N°5 ロー オードゥ トワレット(Chanel より)
衝撃のシャネルルージュのサイト
上のシャネルNo5のフォト
なにかめらめらと燃えるようなイメージで
衝撃なんですが
シャネル5番といえば
JFKの誕生日に歌ったハリウッド女優のマリリン・モンロー
そういえば
カリフォルニアの火事大変な惨事になっているようですね
ちょうどクイーンの≪ボヘミアン・ラプソディ≫(75)のころ
イーグルスの≪ホテル・カリフォルニア≫(76)
が流行っていました
この曲好きでした
ですがイーグルスの楽曲のタイトルの
ホテル・カリフォルニアという実在のホテルはなくて
ジャケットのホテルはピンク宮殿と呼ばれた
ザ・ビバリーヒルズ・ホテル(The Beverly Hills Hotel)
だったようです
そしてなんとその
ザ・ビバリーヒルズ・ホテルには
ハリウッドの大スターであったマリリン・モンローが
住んでいたという
(この情報は今知ったばかりで驚きました)
JFKの愛人でもあったというモンローですが
前に
アメリカの中間選挙前に
Q-Anonというなぞの人物が
トランプを応援している
その謎の人物は死んだはずのケネディジュニアで
生きていたんだ
とビックリしたことがありました
ケネディといえばモンローでシャネル5番
そもそも
香水シャネル五番の誕生のいきさつは
フランス系ロシア人の調香化学者エルネスト・ポー
にシャネルが香水の試作品を依頼
その24点できた中から最もお気に入りだった香りの
試験官に貼られていたラベルが
No5
だったからと
前に知ったことがありました
そもそもそんなロシア系フランス人が調香した
今回の真っ赤なシャネル5番ですが
なんと
つい先日まで
東京、京都、広島の宮島で
シャネル祭りが開催されていたらしい
なんと
広島の宮島ですと!
「CHANEL MATSURI in 宮島」
2018.11.1~11.11まで開催され予約制で
試供品ももらえたようです
欲しかったですよね
宮島は海に建つ赤い鳥居で有名だけれども
まえまえから何故海の中に建っているのかしら?
と疑問に思っていました
がっ!
このごろ旧約聖書の≪ダニエルの書≫を知り
ユーフラテス川に建っていた
バビロンの神殿からなのではと
さらに
バプティスマのヨハネを知りながら
全身浸かる浸礼に由来しているんじゃないかと
妄想したわけです
ユダ王国のダニエルが
バビロンに連れて行かれネブカドネザルに重用され
さらに
バビロンを討ったペルシャのキュロス王にも重用されたと知りました
ペルシャはゾロアスター教
ユダヤ王国のダニエルが仕えた
バビロン王のネブカドネザル王の宮殿は
現在のイランの
ユーフラテス川を挟んで両側に巨大なものが建っていたようです
あの有名な青い釉薬の綺麗なタイルが貼られた
イシュタル門は正門で
中央のユーフラテス川から王宮へ入る場所にあったらしい
バビロンがやがてペルシャに征服された時
ネブカドネザル王は我が世を謳歌しながらちょうど宴会中で
そこをキュロス王はあっという間に攻め込んだという
前に書いた≪デラウェア川を渡るワシントン≫みたいですね
(対岸にはドイツのヘッセンの傭兵がいました)
キュロス王の電光石火の巧妙な作戦は
普段は川の水面下にあって攻め込められないが
う回路を造って川の水を抜き
イシュタル門の正面から堂々入ったという
安芸の宮島の赤い鳥居・宮殿が
水の中に建っているのは
このバビロンの宮殿と似ているんじゃないでしょうか
うかつにもネブカドネザル王は
ペルシャのキュロス王にバビロン宮殿を攻められた
その時ダニエルはジッと様子を見ていたという
そのあと賢者・知恵者の預言者だったダニエルは
ペルシャのキュロス王にも仕えたという
このあたりで
前にも書いた
ライオンの穴の中に放り込まれた刑が出て来て
ガブリエルに助けられます
(この時のダニエルはそれなりの老人であり
ルーベンスの絵のように若い青年ではない)
さらには
火の刑もでてきます
(ここんとこが重要なのに失念。。)
@
追記:ダニエル書の3章「燃えさかる火の試練」
この火の刑にあたるのが
東大寺二月堂のお水取りの火の松明を振り回す儀式
じゃないかと妄想
ペルシャというのはゾロアスター教
ゾロアスター教は拝火教で
その名の通り火を祀るらしい
ゾロアスター教のペルシャは
その後
一時ギリシャのマケドニアの
アレクサンダー大王に征服されるが
またその後はローマ帝国
そしてその後は最強のオスマン帝国が征服する
(要確認。。)
その時に
ペルシャ時代からのゾロアスター教徒は
イスラム教徒に強引に改宗を迫られた
その中でイスラム教は断固としてイヤだと拒否した
ゾロアスター教徒は東へと逃避し
インドの西の方へ移った歴史がある、という
パールシー
Pārsī
について
以下コトバンクより引用転載
8世紀にイランのパールス地方からインドへ移住したゾロアスター教徒の子孫
インド在住のゾロアスター教の信者。イランのゾロアスター教徒の一部が,8世紀に新興のイスラム教徒に追われてインドに逃れ,現在のグジャラート州海岸部に移住した。その中心地はスラト南郊のナウサリで,有名な寺院が現存する。17世紀スラトにイギリス東インド会社の商館が置かれると,多数のパールシーが商業や貿易業に従事するようになった。18世紀イギリス東インド会社の商館がボンベイに移ると,多くもボンベイに移住した。19世紀になると,ボンベイを中心に商工業経営を拡張,綿紡績業などを興し,インド民族資本の代表的な存在となった。最も有名な人物はジャムセトジ・ナサルワンジ・タタで,タタ財閥は今日もインドを代表する財閥である。
以上転載
クイーンのフレディ・マーキュリーが
ムンバイ出身の両親を持つゾロアスター教徒と知りましたが
インドのムンバイはパールシーという
ゾロアスター教徒の信者が多くいるらしい
東大寺の正倉院には
ペルシャ文様のお宝の御物が所蔵されているという
以前にふと思って
東大寺の二月堂の火の松明を振り回すお水取りは
辿れば
ダニエル書に由来しているじゃなかろうかとチラッと
メモしたのですが
東大寺の二月堂の修二会(お水取り)を調べていると
建物は斜面に建ち
その二月堂の前には鉄のお風呂の建物があるらしい
大湯殿
これは旧約聖書からの儀式ダニエル書の浸礼
やゾロアスター教の
全身をお風呂に浸かる儀式に由来するように思えます
「大湯屋」にある鉄風呂直径2m
そもそも
東大寺開山はインドからきた
菩提僊那(ぼだいせんな)僧だったようです
つまり
火葬する日本と
ゾロアスター教(拝火教)は兄弟のような関係かも知れません
と
あれこれ妄想するのですが
インドと言えばカレーです
CoCo壱番のオーナーが宣教師のような雰囲気のある方でしたのも
すごく納得です
また
クイーンのフレディ・マーキュリーが
親日家で骨董品の青い火鉢を買い
お風呂も大好きだったというのも
それもゾロアスター教徒なら凄ーく納得です
バビロンの遺跡の青いイシュタル門が
ベルリンのペルガモン博物館に何故かありますが
数年前ベルリンに行った時は修復中で見れませんでした
残念でした。。
で、隣のネフェルティティと胸像を見学したのでした
そこにも
壁のニッチにヴォルテールがいて
びっくりしたことがありました
ダニエルをライオンの穴から助けたのが
ガブリエルでしたが。。
ガブリエル・ココ・シャネル
ロマン・アブラモヴィッチ
CoCo壱番のオーナー
韓国生まれのフランス元文化相のフルール・ペルラン等
これまでたまたま知った
偉業を成し遂げた人物について
調べたことなど書いてましたが
共通するのは
孤児から超一流の大富豪になったという点です
事実は小説より奇なり
♡