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Caramel 24 Carat

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ローズマリーの薬効と高田薬園と小石川植物園と池袋の由来




今日は春のような暖かい日~☀



ローズマリーの薄紫の小さな花が咲いて
枝を折るといい香りがさらに広がる~


ローズマリーの薬効と高田薬園と小石川植物園と池袋の由来_b0209886_13391717.jpg



ローズマリーは薬草でもあるといいますが

むかし
ヨーロッパってアチコチでペストが大流行したらしく
からくり時計を観に行ったそばの
ウィーンの街のド真ん中に終焉の記念碑が建っていて
驚いたことがありました


ローズマリーのwikiみますと
なんと
17世紀 トゥールーズでやっぱり大流行し
セージ、タイム、ローズマリー、ラベンダー等を
酢に浸して作った薬を塗った人が感染しなかったという
このお酢は「4人の泥棒の酢英語版」と呼ばれる
いわくつきのものらしいですが

ガンはストレスからくるといわれますが
イスラエルではすでにがん治療薬が完成している
という情報もあったりします





前回 知りました高田薬園ですが

JR山手線の高田馬場駅の由来らしい

徳川家康の6男松平忠輝の越後高田藩の江戸屋敷が
高田薬園に建っていたという

高田薬園は
後に綱吉の母お玉こと桂昌院が護国寺を建てたとこ

越後高田藩江戸屋敷(高田御殿)→高田薬園→護国寺

江戸幕府は厚生医療に力を入れ
御薬園で
様々な植物を栽培し
薬になるような薬草の発見と研究をしていたようです



近所の梅もたくさん咲いてました

ローズマリーの薬効と高田薬園と小石川植物園と池袋の由来_b0209886_13383414.jpg



生類憐みの令を出した5代将軍綱吉の母であった
桂昌院が
1681年2月7日その高田薬園の地に護国寺を創建する

この江戸の17世紀後半と言えば
当時大流行していた
フランスルイ王朝やハプスブルク家からも
ペスト大流行のうわさはきっと入って来てたかも知れません

江戸の町が
1657年の振袖大火をきっかけに再開発に乗り出したのも
江戸の町の衛生面のことも考えていたのかも知れません

なんといっても
平和はストレスのない清潔な街が一番

広大な高田薬園のあった後に建った護国寺の住所は
文京区大塚5丁目40-1

1636年、幕府は北と南に御薬園を造った
北は大塚、南は麻布

1681年に北の大塚にあった御薬園は廃止し
1684年、南の麻布にあった御薬園も
綱吉の別邸のあった小石川に引越し統合した

現在の小石川植物園
東京都文京区白山3丁目7番1号



八代将軍吉宗の時に

江戸の貧病人のための「施薬院」もできた

黒沢明監督の『赤ひげ』はここが舞台なんですね

それから

鹿児島の芋焼酎の森伊蔵の原料であるサツマイモも

1735年(享保20年)
将軍吉宗の時の江戸町奉行大岡忠相が庇護し
青木昆陽
飢饉対策の作物として甘藷(サツマイモ)の試験栽培を行ったという

wikiより小石川植物園

Bunkyou Koishikawa Botanical Japanese Garden 1 (1).JPG

園内にはオモシロイ木も植えられているのですね

  • ケントの花ニュートンのリンゴ)
  • メンデルの葡萄


    1636年に江戸幕府は直轄の南北御薬園を造園

    北の御薬園の地に護国寺が建ったワケですが
    別名『高田薬園』と呼ばれる前は
    高田御殿が建っていた、という

    高田御殿というのは越後高田藩の下屋敷のことで

    徳川家康の6男の松平忠輝の屋敷だった

    松平忠輝の母は家康の正室付きの侍女(茶阿の壺)だったためか
    家康の子でありながら生まれた時から
    鬼っ子として嫌われていたというが

    しかし越後高田藩主としては立派だったらしい
    語学も達者でポルトガル語も話したという

    松平忠輝は伊達政宗の娘五郎八姫(いろはひめ)と結婚

    五郎八姫=いろはひめ

    伊達政宗といえばローマへ
    支倉常長を派遣しましたね

    当初伊達政宗は
    義理の息子忠輝も参加させるつもりだったという
    キリシタンの噂もあったらしい

    1646年
    薬草園の責任者が隠れキリシタンと発覚し
    切支丹屋敷で処刑されたという事件があった
    文京区は
    隠れ切支丹屋敷の郷だったらしい

    この辺の歴史興味深いですね

    護国寺のあたりに弦巻川が流れていて
    池袋の湧き水が注ぎ込んでいた

    JR池袋駅の西口広場あたりに
    湧き水からできた巾着型の形の池があって
    それが池袋の由来とは
    おもしろいですね

    池袋から弦巻川が流れ雑司ヶ谷、護国寺の脇を通って
    神田川に流れていた~

    川淵に楮(コウゾ)が植えられていた
    コウゾは和紙の原料の木

    それで

    あたりには紙漉き小屋ができて
    その紙を刷る印刷屋ができ

    今の講談社や光文堂などの出版社ができたという
    神田の古書街のルーツは

    池袋の湧き水だった!


    天正遣欧少年使節団が
    印刷機を持って帰りましたが

    1586年
    ローマ教皇との会見のニュースが
    ドイツのアウグスブルクの新聞にのりましたね


    文京区キリシタン坂でマンション開発で
    土地を掘っていたら

    トスカーナ出身のイタリア人宣教師の人骨が
    発見されたことがあったそうです
    @DNA鑑定で判明
    キリシタン禁制下に来日した
    小日向の切支丹屋敷にいた最後の宣教師と呼ばれた
    ジョバンニ・バチスタ・シドッチ(47才没)

    尋問をしたのは新井白石だったという







  • by caramel24carat | 2019-02-20 16:26 | 街と風景 | Comments(0)
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