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Caramel 24 Carat

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カテゴリ:歴史・人物( 104 )

キャンディタムとチェルシーオーナーのロマン・アブラモヴィッチあれこれ



真っ白い雲が流れ青空が見え隠れする~☀


外は強烈な日差し

昨日はJR名古屋駅のデパートに用事があって出かけましたが
アッチコッチ人~人~人の海でした
人の波もランダムウォークで。。


見かけた白いアガパンサス?
と涼しげな葉っぱのカラジューム・キャンディダム(Camdidam)

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ところで

現在
ロシアW杯のサッカーが巷では話題になっているようですが
かつて
イングランドのプレミアリーグの名門チェルシ―を
買収したことで一躍有名になった
ロシアの新興財閥(オリガルヒ)の大富豪
ロシア人のロマン・アブラモヴィッチ
(1966年10月24日~)

石油やアルミで財を成したというが
新興財閥(オリガルヒ)で
1966年生まれの51歳
ココ・シャネルのように孤児だったという
(1歳で母を亡くし3歳で父を亡くした)

きっと大きなバックボーンがあったのでしょうか

2003年にチェルシ―を買収しクラブの160億の借金を返済とは
ゼロ歳から40歳弱で数千億の資産を築いたことになる
それにしても
ソ連崩壊後にニョキニョキ現れたオリガルヒ
一体どんなマジックを使ったのかしら?

この時のブログには3番目の奥さまと
サンクトペテルブルグに美術館を建てていたが

ちょっと念のため
ググってみますと

ナント3番目の奥さまダシャ・ズコバさんとも
ちょうど一年程前の2017年8月7日に離婚発表している

ですが
美術館の運営は共同らしい
雑誌『Forbes』によれば
”チェルシーのオーナーでもあり
ロシア一の富豪アブラモヴィッチの資産は
約92億ドル(約1兆188億円)だという”

奥さま情報
ダシャ・ズコバ(ダリア
・スコワ)は
モスクワで「モダン アート ガレージ センター」という
アートギャラリーを運営しており
「Kova & T」という衣料品ブランドの共同オーナー

アメリカのトランプ大統領の娘イヴァンカさんと
元アブラモビッチの奥さまダシャ・ズコバさんとは
10年来の交友関係があるという情報も

またクシュナー一家とアブラモビッチも交友関係にあり
クシュナーの弟とダシャ・ズコバさんの交際もありとか
巷に噂が流れているようです??

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クシュナー一家とイヴァンカさんと
ダシャ・ズコバさんや
マードックの元妻ウェンディさんの姿も見えます




雲の上の人たちでしょうか








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by caramel24carat | 2018-07-01 14:55 | 歴史・人物

冷やしたスイカと欲しいのは秋色アジサイ




今日はジワジワとあっついです~☀



冷やしてたスイカが美味しい~


暑い季節だからこそのスイカ


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前回もアップした
モスクワの赤の広場に面したグム百貨店でも
スイカが仰山積まれていました!

(アッ、左側の木の葉っぱはフェイクって今気が付いたわ)

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このスイカは
モスクワっ子にとってどうなんでしょうね!?


9月の初めでしたが
輸入物かしら


ところで


グム百貨店を出たところにオープンカフェがあって
アジサイがコンテナに飾られてました


(当時の撮った写真を見てたのですが)

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ピンクの他にもう一種グリーンっぽいのが
右側に写ってます

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このアジサイって
秋色アジサイって言うのだと
つい最近知りました



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この秋色アジサイが欲しいのですが
来年のお楽しみってことで
お預けかな


しかし
もうかれこれ4年前から
アジサイのこと意識してたのか無意識か
ハッキリ覚えてませんが

取り合えずフォーカスしていたのね

今になってやっと秋色アジサイを知ったけど
来年こそ植えること









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by caramel24carat | 2018-06-25 16:07 | 歴史・人物

意外だったキララと吉良とトゥールネル城の雲母の屋根とブルボン朝初代のアンリ4世の絹工場



今日は雨降りです~☔

梅雨入りしたのでしょうか


昨日、サントリーのミニトマトと胡瓜の苗を植えたので
ちょうどよかったわ

可愛いブラッシュ・ノアゼットがまた咲きました

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ところで

前回、パリのパレ・ロワイヤルことヴォージュ広場が
トゥール・ダルジャン(銀の塔)の名前の由来にもなった
元トゥールネル城の銀色に輝く屋根からだった
と知りましたが

屋根には雲母が使われ葺かれていたようだ
鉱物の特徴として6角形で
薄くはがれる

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アイロンの絶縁体に使用されているとは
昔習いましたが

仏、英語では「Mica(マイカ)」
ラテン語で「micare(輝くの意)」が由来らしい

wiki眺めてますと

なんと歌手ユーミンの事務所が「雲母社(きららしゃ)」という!
「マイカ・ミュージックラボラトリー」

○○マイカ工業という会社は雲母と関係のある電気屋かな

さらに
wiki眺めてますと
なんと
吉良姓雲母ことを云うキララが由来らしい!


赤穂浪士の吉良邸に討ち入りのきっかけをつくった
松の廊下で赤穂藩の浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかった事件
本能寺の変と同様に超有名ですが

高家旗本だった吉良上野介の領地であった
愛知県幡豆郡吉良町(現在はお抹茶が特産の西尾市に編入)には
八つ面山(きらら山)があって雲母が採掘されたらしい


ちなみに吉良氏は足利氏の子孫がこの地へ来たとき
吉良姓に変えたという
下野国足利庄(今の栃木県足利市)がルーツらしい

そんなこんなでひょっこりと

パリのトゥール・ダルジャンから
雲母の屋根のトゥールネル城を知り
そして雲母の産地でもあった八ツ面山のある吉良町を知り
赤穂浪士の討った吉良上野介の
吉良姓のルーツと知りました

キララ!

なんだかジズソーパズルの1片が見つかったような気がします





出雲って、ひょっとして雲母も採れたのかしら?


ところで

赤穂藩の藩主は森蘭丸の子孫が転封され幕末まで納めていたようです

森氏の鶴丸紋は
ベルサイユ宮殿の鏡の間の天井に甲冑の絵に描かれていましたが

!?

トゥールネル城でアンリ2世は
馬上槍試合で亡くなり
その後、その息子3人がフランス国王を継いでいきますが

アンリ3世フランソワ2世シャルル9世
マルグリット・ド・ヴァロワ
(3人の王の妹でアンリ4世の最初の王妃になったマルゴ王妃


アンリ3世も暗殺されヴァロア朝が終わり

ポー生まれの
アンリ4世のブルボン朝が始まりました


アンリ4世の時

広大なトゥールネル城の領地では
ブドウ園でワインを造ったり
(ワインセラーはずっとあったらしい)
野菜栽培を行っていたが
さらに
絹の工場をつくった!という
(絹といえば皇后の蚕の小石丸。。)

ふと思って調べると
足利って絹織物の産地で有名だったのですね!

桐生の絹

フランス国王は
アンリ4世→ルイ13世→ルイ14世→ルイ15世→ルイ16世
とブルボン王朝が続きますが

Bourbon(ブルボン)
って
英語読みだとバーボンだって!

あのトウモロコシのお酒のバーボンウイスキー!

トウモロコシといえばメキシコ
以前、ウッカリ見てしまった映画の中で
「メキシコのトウモロコシ畑にタチアオイの花が咲いているよ」
というセリフがあってホントびっくりし
ひっくり返りそうになったのですが

誇大妄想なのですが
徳川の葵の紋て
銀のとれたメキシコのトウモロコシ畑に咲いていた
タチアオイが由来とか!?

マサカネ==!?

@最近タイトルが長いのは自分の検索用の対策デス




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by caramel24carat | 2018-06-06 12:41 | 歴史・人物

3年目のブルーエレガンスとシーボルトのオタクサと青山家のルーツ その1



うす曇りがちょうどよい~



いくつかあるアジサイの一つが咲いてきました
大きなブルーの花びらが涼し気でスキなんです

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鉢植えにしていたということは
たぶんアレかな~と

マイブログを検索し名まえを確認しました

2015月6月2日の過去記事に
早咲きアジサイの鉢植え
スプリングエンジェルのブルーエレガンスを

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半額で買ったとあるわ~アハハ


そして1年目の2016年5月2日の記事では
大事を取って箱入り娘状態で冬の間室内で管理していたが
確かに5月2日には咲いてる
早咲きかと云えば、若干早咲きですね

2年目2017年は見当たらず

そして3年目の2018年には
もう戸外で放置してましたが
無事咲き嬉しい

ところでこの早咲きアジサイとして
「トキワアジサイ」×「セイヨウアジサイ」を交配して育成された
スプリングエンジェルシリーズのブルーエレガンスは
群馬県産なのですが

なんと
群馬のアジサイは有名で
オランダへの花の品評会で金賞をとったこともあり

お魚が築地ならお花は大田市場
その東京中央卸売市場(太田市場)への
群馬のアジサイの出荷量は1,2位を争うらしい

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アジサイと云えばシーボルトのアジサイが有名ですよね

オタクサというのはシーボルトの日本人妻
「お滝さん」に因んだ名前というから驚きです

otaksa

Hydrangea otaksa, French hydrangea

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数年前、大江戸博物館でシーボルト展で見ましたが

シーボルト展は本当に興味深いものが沢山展示されていました

ところで

前回、赤坂、青山通りに面したカナダ大使館が
青山忠俊子爵の元土地であった
(カナダ大使館HPによれば)
と知りましたが

この青山忠俊子爵について
ちょっと調べてみますと

なんと
徳川家康の時まで遡る

徳川家康に仕えていた青山忠成の子として誕生した

青山忠俊

慶長5年(1600年)より伯耆守(ほうきのかみ)を称していた

2代将軍徳川秀忠の時より側近として仕えていたようです

年譜見ますと徳川秀忠と青山忠俊は
です一つ違いですから
遊び相手のような存在だったのかもしれない

青山忠俊:1578年3月18日~1643年6月1日
徳川秀忠:1579年5月2日~1632年3月14日

やがて慶長12年(1607年)には
のちの3代将軍徳川家光の
傅役(お守り役)となった

@傅役(ふやく)とは、高貴な立場の者の養育係の責任者

徳川家光:1604年8月12日~1651年6月8日

1623年7月
2代将軍徳川秀忠から3代将軍徳川家光に移ったとき

これまでも傅役(養育者)としての立場上
次期将軍になる家光には諫言した
(諫言かんげん=いさめること)

養育係として
口うるさくアーダコーダと厳しく叱りすぎたため
家光はカンシャクをおこして
忠俊を首にして江戸城を去らせたらしい

元和九年(1623年)10月19日

そんなわけで青山忠俊は
老中を免職

元和9年(1623)に大多喜2万石に厳封された
下総国網戸・相模国溝郷・遠江小林を経て相模今泉で蟄居する)

やがて
2代将軍徳川秀忠が亡くなると
3代将軍徳川家光は青山忠俊を許し江戸に戻ることを要請した

が、しかし忠俊は断り

一緒に蟄居していた長男の青山宗俊のみが出仕して
御書院番頭・大番頭をつとめ
旗本3千石に復帰
正保5年(1648)には信濃国小諸2万7千石の大名にまでなった



第1代目青山宗家ー父親青山忠成
第2代目青山宗家ー青山忠俊
第3代目青山宗家ー長男青山宗俊

この後、大坂城代等をへて子孫は
丹後篠山に落ち着いたようですが


以上3代目まで
ザっと見ましたが

その後も青山宗家は養子縁組などを経て
明治まで脈々と続くのですね!




因みに
青山家の名前の由来をちょっと調べてみると

時代はもう少し遡り南北朝時代のころ

青山氏は

南朝方の新田一族征伐の功績で
上野国吾妻郡(群馬県中之条町)
を与えられ住み着いたらしい

その吾妻郡(我妻郡とも)の青山郷
標高747mの「青山」という山があり

その青山に由来するらしいとか
(標高747mとはジャンボ機と同じか)

アジサイの生産高が一番の
群馬
青山氏のルーツでもあったということかしら













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by caramel24carat | 2018-05-16 12:49 | 歴史・人物

八つ手とウィーン・ハプスブルク家の宮廷で細川ガラシャのオペラが上演(1698年)されていた



快晴のお出かけ日和の気持ちのいいお天気~☀




隣家との境界にツヤッツヤのヤツデと共棲するかのように
勢いよく茂っているのは名前の分からない木

何でしょうか?

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大きなヤツデの葉っぱも繁茂しツヤツヤと見事ですが
この八つ手あまり好きじゃないんです

きっと小鳥が種を落としたのが育ったのだと思う
(上の木もそうだと思う)

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八つ手の葉っぱと言えば

加古 里子(かこさとし)作の絵本の
『だるまちゃんとてんぐちゃん』を思い出します
だるまちゃんがてんぐちゃんのうちわを羨ましくなって
家から八つ手の葉っぱ持って来るとお話。。
(主人公がだるまと天狗とはちょっと思いつかないと思っていました)

ヤツデの葉っぱは実際
奇数の7つか9つに分けれているという
数えてみると確かに9つでした

そもそも鼻の高い天狗というのは
異人さんのことを言っているんじゃないかと。。

また
昨今賑やかな「加計」という名まえは
分解して

カトリックのとローマバチカンのとキリストの教えをうと十字架の
即ちローマカトリック教に何らかの関係があるのじゃないかといううわさも。。

「アッそう~」財務大臣も
洗礼名「フランシスコ」と言い先祖代々のカトリック教徒らしい

意外とローマバチカンのカトリックと縁が深いのかも知れない




ところで

ツルニチニチソウの青紫の五弁のお花が
明智光秀の家紋桔梗紋に似てると前に書きましたが

本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の娘がいました
15歳の時に織田信長の勧めで
熊本のお殿様の細川忠興に嫁いだ細川玉は

(京都長岡京の勝竜寺で結婚し住んでいたそうです)

白百合の花を持つ細川ガラシャ

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細川忠興とガラシャ像(勝竜寺城公園内)





その後本能寺の変からは逆臣の娘として凄惨な半生を送りますが
キリスト大名の高山右近やイエズス会士のオルガンティノ神父
の勧めで洗礼を受けている

細川ガラシャ(Gratia)
[1563~1600]


「Gratia」は自動翻訳によれば「優美」という意味だけどラテン語?
女性雑誌にもあった「Grazia」はイタリア語の「優美」でしたか


美人の誉れ高い細川ガラシャの絶世の句

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

まさに美しい女性として気高い最後を終えた時
素晴らしい句を残していたのですね!


そんな細川ガラシャを讃えたオペラがあったと知り

驚きました!


1698年
オーストリア・ハプスブルク家で上演されたという

タイトルは
キリスト教徒として凄絶な最後を遂げた細川ガラシャを讃えた

オペラ≪勇敢な婦人ー細川ガラシャ≫



1698年に制作されているということは
没後98年経っているが
日本では江戸時代の元禄のころ将軍綱吉
やっぱり綱吉手強いわ

そのオペラの戯曲本は
ウィーンの国立図書館で見つかったらしい

1698年に発表された殉教劇のタイトルはラテン語で

『強き女、またの名を丹後王国の女王グラツィア』
Mulier fortis,
cuius pretium de ultimis finibus,
sive Gratia regni Tango Regina


神聖ローマ帝国のエレオノーレ・マグダレーネ皇后の聖名祝日(7月26日)の祝いとして、1698年7月31日にヴィーンのイエズス会教育施設において、音楽つき戯曲の形で初演された。脚本は当時ハプスブルク家が信仰していたイエズス会の校長ヨハン・バプティスト・アドルフが書き、音楽はヨハン・ベルンハルト・シュタウトが作曲


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神聖ローマ帝国レオポルド1世の三番目の皇后
エレオノーレ・マグダレーネ皇后の肖像画


オーストリア・ハプスブルク家と
スペイン・ハプスブルク家は姻戚関係にあったことですし

織田信長や明智光秀や細川ガラシャの
生涯を詳細に記録していた
イエズス会の宣教師の存在にも驚くが

やっぱり
美貌の明智光秀とその娘細川ガラシャは
スペイン・ハプスブルク家の血筋を引く人物だったのかしら

🌼






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by caramel24carat | 2018-04-21 12:08 | 歴史・人物

藤にクマバチと三島由紀夫の盾の会の制服はパリで修業した五十嵐九十九が制作



アメ模様の空も上がってきました~☁


昨日は春爛漫ないいお天気でした

満開を迎えている藤の花に
ブーン~ブーン~と
羽音が大きな黒い体に黄色いベストを着た

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クマバチが忙しなく飛び回ってました~

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ところで

前回、以前のマイブログの加藤和彦のこと読み直していて
チラッと三島由紀夫にも触れていたので

衝撃的な
三島由紀夫の割腹自決事件を思い出してました

1970年(昭和45年)11月25日
午前10時58分頃 – 午後0時20分頃

市ヶ谷の自衛隊の総監室を占拠した後
バルコニーで檄を飛ばし
その後
三島由紀夫が組織した民兵(大学生ら)100人で結成された
盾の会(私設の軍隊)のメンバーが
割腹した三島を介錯したと云う
驚愕の事件でした

@追記youtubeで三島の檄の肉声があったので




事件の起こる2年前の
1968年10月17日
三島由紀夫と師弟関係でもあった川端康成が
ノーベル文学賞を受賞している
三島も候補に上がっていたが残念なことに
受賞したのは川端康成だった

文豪川端康成もその2年後の1972年4月17日
逗子マリーナのマンションで突然ガス自殺している

ネット情報によれば
川端康成は不眠症に陥っていて
睡眠薬を常用していたらしい

(また師弟関係にあった三島には仕事を振る意味もあって
代筆を頼むこともあったらしい)

と、驚愕の凄惨な事件でしたが
なにがどうしてそこまでいってしまったのでしょうね?


三島と言えば完璧な美学を貫いた
類まれなる天才だったのでしょうか
その最後の死まで日本武士道の究極の美で終わらせたのですね


旧盾の会のサイトより引用


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そこでふと気になったのが
三島由紀夫私設の≪盾の会≫の制服がなかなかカッコいい!

どうだったのかな?とちょっと調べて見ましたら



なんと
フランスのド・ゴール将軍の制服が一番お気に入りで
同じデザイナーで作ってもらいたい、と
当時の西武デパートへ電話したそうです

西武の紳士服のオーダーサロンでは
フランスのパリで有名なピエール・カルダンやポール・ボークレー
の元で修行して
帰国し自らのブランドを立ち上げ活躍していた

五十嵐九十九氏がいた

五十嵐九十九氏はパリではシャルル・ド・ゴールの軍服のズボンを
縫ったりしたことがあったそうです

シャルル・ド・ゴールと言えば
身長2mもある大将軍ですよね



その頃の西武デパートの社長は堤清二で
ペンネーム辻井喬の名前をもった作家でもあった

文壇で交友のあった三島から堤清二へ相談の電話があったという

堤清二の文の転載引用

〝三島さんから私のところに電話があり、
「今度おもちゃの軍隊を作ることになったんだが、制服はうんと格好良くなくちゃいけない。
僕が調べたところド・ゴール将軍の軍服が一番いい。
あれを作ったデザイナーを調べてくれないか」と依頼されたのです。
調査の結果、そのデザイナーは五十嵐九十九という日本人で、
おまけになんと当時西武デパートに勤めていたということがわかりました。
さっそく電話でそう伝えると三島さんは大変喜んで、
「君のところで作って請求書と一緒に納めてくれ。費用はすべて僕が払う。
だだしできるだけ安くしておけよ」ということになり、
すぐに本人がデザインイメージを描いたものを送ってこられました。
徽章のデザインまで詳細に指示してあり、
文章だけでなく絵も上手いんだなと感心したものです。
言うまでもなく三島さんの指示通りにできるだけ安くして納めました。”

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”楯の会の軍服は1着1万円、夏用・冬用を101人分注文した。
ボタン・徽章も楯の会のマークが入ったものを特注している。
軍帽は作ってくれる帽子屋が見つからず、三島本人が下町の職人を探し出して作らせた。
これにも夏用・冬用がある。さらに軍靴・戦闘服・隊旗、自衛隊体験入隊費用、
月1回の定例会の会場費・通信費・・・。楯の会学生長持丸博の記憶によると、
この2年間で三島が楯の会につぎ込んだ金額は1,500万円以上になったという。
三島は貯金が1/10になってしまったと女友達の湯浅あつ子にも愚痴っている。”

さらにググっていて分かったのですが
表向きは「五十嵐九十九」のデザインですということでしたが
五十嵐九十九の師匠のポール・ボークレーのデザインだったらしい
「西武百貨店」のロゴがついてて
101着の制服は堤氏の提供だったらしい

西武と言えば軽井沢プリンスホテルもそうでした
(西武の堤康次郎)


1970年代の後半の西武デパートはパルコがあったり
先端のファッション性の高いデパートで
内外の有名どころのブランドも揃ってましたよね

当時は「メイド イン ジャパン」の
丁寧な縫製が当たり前の時代


そんなわけで

三島由紀夫の盾の会の制服は
五十嵐九十九氏制作で師匠でもあった
フランス人で親日家のポール・ボークレーのデザインだったらしい
(といってもポール・ボークレー全く知りません)

最近では泰明小学校のアルマーニの制服話もありましたが

カッコいい制服ってイイですね!















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by caramel24carat | 2018-04-11 12:20 | 歴史・人物

藤の花とロシアへ嫁いだヴィクトリア女王のドイツの孫娘たち




今日はうす曇り、肌寒いですね~☁



日ごとに咲き進んでいる藤の花ですが
薄紫色に霞がかって綺麗です

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藤の花は一本の木から
たくさんの花を咲かせとても華やかですし
とても生命力も強いし
そして縁起のいいフジという名にも
とても惹かれます

藤はマメ科の植物なのですね




ところで

帝政ロシア末期のロマノフ家へ嫁いだ
ドイツのヘッセン大公国の
ルードヴィッヒ4世とアリス大公妃の娘に
ヴィクトリア・アリックスがいました

帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世と
結婚(1894年)された方です

1890年
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ヴィクトリエ・アリックス・ヘレーネ・ルイーゼ・ベアトリーツェ
(1872年 - 1918年)
- 1894年、ロシア皇帝ニコライ2世と結婚

ロシアへ嫁いでロシア名に変えたわけですね
アレクサンドラ・フョードロヴナ(Alexandra Feodrovna)

1908年
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衣装が大変豪華

この方がラスプーチンに傾倒し
またラスプーチンは皇后に取り入り政治介入もしていたところを

第一次世界大戦も勃発して政情不安定な中
ラスプーチンの存在を危惧した

ドミトリー・パヴロヴィッチ・ロマノフと
フェリックス・ユスポフ等が共謀し
モイカ宮殿に誘い込み暗殺に至ったという

ドミトリーはパーヴェル大公(アレクサンドル2世の第6皇子)の
長男として誕生すると同時に事故で母親を亡くしている

その後ドミトリーの父親パーヴェル大公は貴賤結婚し
皇室を追放されている


そんなわけで父母のいないドミトリーと一才上のマリア(姉)は
アレクサンドル2世の第5皇子であった
すぐ上の兄のロシア大公セルゲイ夫妻に引き取られ養育された

セルゲイ大公の妃が

ニコライ2世に嫁いだアリックスの姉エリザヴェータである

エリーザベト・アレクサンドラ・ルイーゼ・アリーツェ(1864年 - 1918年)
- 1884年、ロシア大公セルゲイ・アレクサンドロヴィチと結婚


1885年
左から3番目の姉イレーネ、一番上の姉ヴィクトリア
2番目の姉エリザヴェータ、アレクサンドラ

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ドイツのヘッセン大公国で
ルードヴィッヒ4世とヴィクトリア女王の次女アリスの間に
生まれた姉妹のうち
エリザヴェータ(次女)とアレクサンドラ(四女)は
帝政ロシアへ嫁いだわけなんですね
そして
姉妹たちは大英帝国ヴィクトリア女王の孫なんですね


ロシアのセルゲイ大公と結婚したエリザヴェータ大公妃は
アレクサンドラとともにひと際美人の誉れが高かったという

セルゲイとエリザヴェータ夫妻
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エリザヴェータ・フョードロヴナЕлизавета Фёдоровна)
(1864年11月1日ー1918年7月18日)

セルゲイ大公というのは
ロシア 皇帝アレクサンドル2世の五男セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公


1905年
セルゲイ大公は革命家によって暗殺された

その後
マリアは1908年にスウェーデンのヴィルヘルム王子と結婚して
エリザヴェータの元を離れたため

エリザヴェータは
ドミトリーとマリアの養育を終えたこともあって

1909年
修道院を創立し、自らその院長となって奉仕活動などに力を入れたという


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エリーザベト・アレクサンドラElisabeth Alexandra Luise Alice
ヘッセン大公ルートヴィヒ4世とその妃でヴィクトリア女王の王女アリスの次女
正教会聖人新致命者

このころから
妹アレクサンドラがラスプーチンにのめり込む様子を心配して
忠告していたらしい

そのうち第一次世界大戦が勃発し
連合国として参戦していたロシアは
アレクサンドラ皇后がドイツ出身ということもあって
世論の矛先が皇后や側近のラスプーチンに向けられたという


ニコライ2世が戦場へ出かけている留守中に
いつの間にか政治介入していた
ラスプーチンの存在を危惧していたのが

ドミトリー・パヴロヴィッチ・ロマノフや
フェリックス・ユスポフだった

ドミトリーは1909年にロシア帝国陸軍に入隊し
騎兵将校として優秀だったのですね
1912年のストックホルムオリンピックで乗馬で参加している

ラスプーチン暗殺計画した
もう一人のフェリックス・ユスポフですが
サンクトペテルブルグのモイカ宮殿に住むロシア貴族

フェリックス・フェリクソヴィッチ・ユスポフ公Феликс Феликсович Юсупов,)
Prince Felix Feliksovich Youssoupov
(1887年3月23日 ー1967年9月27日)

Wikiによれば

ロシア屈指の名門であり
サンクトペテルブルクに4つの宮殿、モスクワに3つの宮殿、
クルスクヴォロネジポルタヴァカスピ海に合わせて37の鉱山・工場・油田を所有しており
ロマノフ家よりも金持ちだったと言われている

さらに

1909年から1913年にかけてオックスフォード大学に留学して美術を学び
同時に同大学内にオックスフォード大学ロシア協会英語版を設立した
留学中はキング・エドワード・ストリート英語版14番街地のアパートに住み
料理人、運転手、ボーイ、家政婦を雇い頻繁にパーティーを開いていた
アパートでは3羽のコンゴウインコと「パンチ」と名付けられたブルドックを飼っていた
また、美術商アルバート・ストップフォード英語版
後にイギリス秘密情報部工作員となるオズワルド・レイナー英語版と交流し
ハムステッドに住んでいたバレリーナのアンナ・パヴロワとも数回会っている


1917年の二月革命によりニコライ2世が退位し、ロマノフ朝は崩壊した。革命後、ユスポフはモイカ宮殿に戻り宝石や絵画を持ち出し、妻イリナたちが幽閉されているクリミアに向かい、家族と共にイギリス軍艦「マールバラ」に乗り込みロシアから脱出した。乗艦中、ユスポフは乗員たちにラスプーチンを暗殺したことを自慢していたという。
マルタに到着したユスポフ一家はイタリアに向かい、そこから列車でパリに向かい、イギリスに亡命した


以上Wiki転載

なるほど
フェリックス・ユスポフ
なかなか興味深い人物ですね





  • 驚いたのですが

    検索していると
    タカラズカ歌劇団の公演に

    ラスプーチンとドミトリーとユスポフが登場する
    演目があってビックリ

    オソルベシタカラズカだわ!






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    by caramel24carat | 2018-04-07 11:50 | 歴史・人物

    紅いモミジの花とアンダイエの海岸のチャーチル夫妻とピエール・ロティ



    穏やかないいお天気~☀




    モミジの紅い可愛い花が咲いてます
    b0209886_10585678.jpeg
    (iPadで)

    いいお天気だとどこか飛んで行きたいですけどね

    🛫


    ところで

    元スパイ暗殺事件で
    ロシアとイギリスの対立がおおごとになっているようですね

    ひょっとして
    どこかで戦争が起きるのかしら?
    と一応心配してみる。。


    チャーチルの映画が3月30日に公開されますね

    トランプ政権の補佐官に就任するボルトン氏が
    ゲイリー・オールドマンに似てると前に書きましたが

    日本人メイクアップアーチストで変身した
    ゲイリー・オールドマンのチャーチルちょっと見てみたい

    チャーチルはダンケルクでは33万5000人の兵士を
    本土に帰還させたという

    その映画は以前ブログにも書きましたが
    クリストファー・ノーラン監督の≪ダンケルク≫で見ました

    今度の映画のタイトルは
    ≪ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男≫という

    チャーチルはヒトラーと第二次大戦で戦ったわけですが

    チャーチルとヒトラーが訪れた街があったと知り驚き

    フランスとスペインの国境にある
    アンダイユという街
    b0209886_12160138.jpg
    1940年
    ヒトラーとフランコが会談したという

    ドイツ占領下のアンダイエ駅でスペインの枢軸国としての
    第二次世界大戦参戦を議論する為に会談した
    しかし、スペイン戦争後すぐに戦争を行う事を
    心配するフランコは確信していなかった
    ヒトラーは意見を押し付けない事を決めた
    スペインは5年間の戦争中、公式には中立の立場を取った

    アンダイユ(Hendaye)

    リゾート地として知られるアンダイユの海岸を散歩する
    チャーチルとクレモンティーヌ夫人
    b0209886_12041575.jpg
    金髪のクレモンティーヌ夫人は
    気難しく頑固なチャーチルにとって
    長年連れ添った最愛の人だったという

    マールバラ公爵
    スペンサー=チャーチル家といえば
    ダイアナ妃と親戚でした



    なんと

    日本にやって来ていた
    フランス人作家ピエール・ロティ
    アンダイユに住んでいたらしい

    ピエール・ロティは
    お菊さんも著した有名な作家で
    マイブログでも何回か取り上げていましたので
    ほんと驚きました!







    バスク地方国境にあるアンダイユは
    スペインのビルバオにも近い

    なんとビルバオには
    サー・ウィンストン・チャーチルという名前の付いた
    お店(バー)がヒットしたので
    これまた驚き!

    ビルバオといえば
    これまた何度かマイブログでも書いてました

    グッケンハイムビルバオやママン(巨大なクモのオブジェ)がありましたね


    『伯爵夫人はスパイ』の中で
    ヒトラーの工作員らが
    スペインののビルバオ港から南米へ
    隠匿美術品を運んだという情報も知りました

    国境の街
    アンダイユ
    そして近郊のビルバオに登場する

    ヒトラーとかチャーチルとかピエール・ロティとか
    なかなか興味深々だわ

    時代は前後しますが





    チャーチルは立派なブレナム宮殿で生まれた貴族でしたよね



    Wikiより引用

    1987年に世界遺産に登録された
    オックスフォード郊外のウッドストックにあるブレナム宮殿
    イギリスを代表するバロック様式の宮殿です

    スペイン継承戦争の1704年に
    将軍ジョン・チャーチルが宿敵フランス軍を破った功績を讃えて
    アン王女から贈呈されました

    戦場となったブレンハイム(英語名ブレナム)より宮殿の名前が付けられた

    その後チャーチル家の居城となり
    1873年に首相ウィストン・チャーチルが誕生した場所としても知らてれています




    チャーチル家は
    財政的には傾いていたらしく
    ロスチャイルド家にいろいろ売り払っていたらしい



    wiki引用

    曾祖父の第4代マールバラ公爵
    収集した宝石類、先祖伝来の文庫などを次々と売却することで家計の改善に尽力した
    また多くの領地をロスチャイルド家に売却している
    それでも3万5000ポンドの年収がある2万5000エーカーの土地は残った




    チャーチルって3枚舌だったらしい


    それにしても

    映画≪ダンケルク≫に続き≪チャーチル≫とは














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    by caramel24carat | 2018-03-28 13:05 | 歴史・人物

    意外だったフランス風の洋館とロシアへ留学した西郷ジュウリ




    今日は晴れました~⛅
    昨日は雨風が強く大荒れのお天気でしたが



    晴れるとホッとしますね

    沼津駅の北口を降りると
    リコー通りというのがありましたが
    調べてみてもハッキリと沼津との因果関係が分からない

    ちょうど少し前に
    リコー(光学機器メーカー)が数千人規模のリストラをするという
    ニュース見たばかりだったので
    ちょっと気になったのですが


    また
    昨日は現沼津市長(58)の訃報も流れていて
    ほんと驚きました!


    前々回
    沼津御用邸のこと書いてました時に
    西郷隆盛に弟がいること知り意外でした

    あまりにも隆盛が有名過ぎて
    15歳年下の弟西郷従道の名前は初めて知りました

    その西郷従道(ジュウドウ)の長男に従理(ジュウリ)がいて
    なんと
    ロシアへ7歳で留学していたというから驚きました!


    西郷従理(1874年10月9日 - 1884年12月10日) は
    1881年(明治14年)~1884年(明治17年)に
    駐日ロシア公使シャール・ド・スツルヴェと一緒に
    ロシアやアメリカへ渡ったという
    ロシアではアレクサンドル3世の皇后マリア・フョードロヴナ
    アレクサンドル3世の弟アレキシス親王に可愛がられたという

    ほんと驚きです!

    ロシア皇帝アレクサンドル3世皇后
    マリア・フョードロヴナ

    戴冠式のマリア

    1883年5月27日にモスクワのクレムリンで戴冠式が行われ
    夫アレクサンドルがロシア皇帝
    アレクサンドル3世として即位し
    マリアは皇后となった
    戴冠式にはアレクサンドラとアルバート夫妻も招待され
    3000人もの王侯貴族が訪れた


    👑

    西郷従道の長男西郷従理は7歳で
    ロシアに渡ったわけですが

    皇弟と皇后を代父母として正教会の洗礼まで受けた(聖名:アレキセイ)

    その後、スツルヴェが駐米公使に転任したのに伴い
    ワシントンに移ったが、腸チフスに感染し
    明治17年(1884年)12月10日、ワシントンで死去した(10歳2ヶ月)
    死去の前日、従叔父の大山巌が欧米視察の途中に見舞いに駆け付けた

    それにしても7歳でロシアまで行かねばならなかったとは
    胸が痛みます



    明治政府の中枢で大臣を幾つも務めていたという
    西郷従道は沼津に別邸がありましたが

    本邸は目黒区上目黒の
    現西郷山公園界隈にあったという

    和風造りの本邸(焼失)以外にも敷地内には
    内外の要人を接待する
    フランス人建築家レスカスが設計した洋館が建っていた
    耐震構造建築だったレスカスの洋館は
    震災後も無事残り

    現在、愛知県犬山の明治村に移され
    公開されている、という

    浴衣を着た西郷さんの銅像からは
    かけ離れた瀟洒な洋館にビックリ!




    旧所在地 東京都目黒区上目黒
    建設年代 明治10年(1877)代



    15歳年下の弟従道が兄隆盛のために
    建てたらしい

    明治村サイトより引用


    木造総二階建銅板葺のこの洋館は、明治10年代(1877~1886)のはじめ西郷隆盛の弟西郷從道が東京上目黒の自邸内に建てたものである。西郷從道は、明治初年から度々海外に視察に出掛け、国内では陸・海軍、農商務、内務等の大臣を歴任、維新政府の中枢に居た人物で、在日外交官との接触も多かった。そのため「西郷山」と呼ばれる程の広い敷地内に、和風の本館と少し隔てて本格的な洋館を接客の場として設けたのである。


    レスカスは明治5年(1872)には生野鉱山の建設に従事、同6年には皇居の地盤調査にも参加している。また、ドイツ公使館や三菱郵船会社の建物を設計し、明治20年頃まで建築事務所を開業していたが、その傍ら、日本建築の耐震性についての論文をまとめ、自国の学会誌に寄せている。
    二階各室には丈の高い窓が開けられている。フランス窓と呼ばれるもので、内開きのガラス戸に加えて外開きの鎧戸が備えられ、窓台が低いため、間に鉄製の手摺が付けられている。
    窓上のカーテンボックス、手摺、扉金具、天井に張られた押し出し模様の鉄板、そして流れるような曲線の廻り階段等、内部を飾る部品は殆ど舶来品と思われる。特にこの廻り階段は、姿が美しいだけでなく、昇り降りが大変楽な優れたものである。

    目黒区サイトより

    青葉台二丁目周辺は、別名西郷山(目黒区青葉台二丁目10番28号)とも呼ばれている。それは、明治の初めに西郷隆盛の弟従道(じゅうどう)が付近の地形を生かした広い庭園を造り、立派な建物を構えていたからである。

    兄隆盛のために購入。従道とは15歳離れている。

    このあたりは、江戸時代、「荒城の月」で知られる豊後(今の大分県)の岡(竹田)城主、中川修理大夫しゅりだいぶかかえ屋敷であった。樹木がうっそうと茂り、池に三田用水から水を引くなど、林泉の美しさは近郊随一とうたわれた。その後、2万坪に及ぶこの屋敷は、明治維新のとき征韓論を主張して破れ、下野した兄隆盛のために、従道じゅうどうが手に入れたのである。

    西郷従道じゅうどう(1843年から1902年)は、明治2年に山県有朋やまがたありともらと欧州を視察後、わが国の兵制や警察制度の制定、殖産興業政策の推進に尽力した。兄の下野にもかかわらず、英明な従道じゅうどうは新政府の要職につき、文部卿・陸軍卿・農商務卿・内務卿・海相などを歴任した。

    明治天皇も来邸

    洋館・書院造りの和館などを配置した回遊式の庭園は、東京一の名庭園といわれ、名士が訪れることも多かった。特に、従道が海軍大臣であった明治22年には、明治天皇の行幸や、皇后・皇太后の行啓があった。天皇は、庭園での大相撲や薩摩踊りを、また皇后は、当時従道が後援していた養蚕技術の改良成果の展示を熱心に観覧したと伝えられる。

    邸内には、養蚕所のほか農園・果樹園もあり、機織りやトマトソースの製造・缶詰加工も行われていたという

    耐震性を考えた西洋館

    広々とした芝生や、大王松だいおうまつ・ヒマラヤ杉・落羽松らくうしょうなどが茂る樹林に囲まれ、清浄な池に面した西洋館の建築には、フランスの建築家レスカースと棟梁とうりょう鈴木孝太郎が携わった。
    建具類はほとんどフランス直輸入の品を使用した。また、屋根は垂木たるきを省いたり、金属板を葺くなどの軽量化が図られた。さらに、建物の四隅には通し柱を配置、壁の中にはれんがを積み建物の浮き上がりを防ぐなど、当時では、他に類例の見られない耐震設計がなされていた。

    跡地は公共施設に

    従道じゅうどうの死後は、二男従徳じゅうとくが昭和16年に渋谷に移転するまで、本邸として使用していた。その後、同邸の所有は箱根鉄道・国鉄と移ったが、空襲で和館が焼失したり名木が枯れるなど、往時の面影はほとんど失せてしまった。わずかに残された西洋館は、国鉄官舎や当時のプロ野球国鉄スワローズの合宿などに利用されていたが、昭和38年、愛知県犬山市の「明治村」に移され、後、国の重要文化財に指定された。

    現在は西郷山公園・菅刈公園として整備され、新たな憩いの場となっている。

    以上転載引用






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    by caramel24carat | 2018-03-22 11:43 | 歴史・人物

    天才空海と「ヤーレンソーラン」とダビテの星と赤穂の大避(おおさけ)神社



    風が吹いているがいつもの青空が広がっている~☀


    デューラーの≪メランコリア≫
    1514
    メトロポリタン美術館にて
    2017,2

    b0209886_13143231.jpg


    デューラーのサインは鳥居の中にD


    ところで

    天才空海は
    遣唐使として留学する前に
    四国や富士山へ修行の旅に出かけていたんですね

    なんと富士山では噴火に遭遇していたようで驚きなんですが
    「富士山噴火史」によれば

    804年に唐へ留学する前の
    802年に噴火しているのでその時のことかしら?

    807年には唐より帰国した後、甲州側より登山している

    以下引用抜粋

    800頃桓武天皇登山。大宮口より登ったという。
    800 噴火。日本紀略に「山頂の大噴火が荒れ狂い川の水を紅色とした」とある。
    802 噴火。山頂より火山弾・火山灰。東斜面の小富士誕生(?)。
    807空海(弘法大師)登山。甲州側より登り、石仏を勧進したという。



    空海の天才ぶりはレオナルド・ダ・ヴィンチをも超えると称賛する学者も
    いらっしゃるようですが

    単なる修行というよりもっと目的があったようです
    鉱脈を探して険しい山々を訪ね歩いたのかも知れません

    日本で古墳時代以来使われているメッキ法で
    「消鍍金(けしめっき)がある
    水銀アマルガム法という精錬法は
    金や銀を含んだ岩石を砕いて水銀を加えて練り
    灰皿に入れて熱すると金や銀が抽出される、という

    空海は讃岐の豪族佐伯家に生まれたが
    おそらく古来からの大和民族の
    伝承も聞いていたのかしら


    灌漑土木工事では地元讃岐に灌漑用のため池満濃池を短期間に造り
    日照りや洪水で荒れ困っていたお百姓さんを救った、という

    ヘブライ語が
    身近な日本の文化にも溶け込んでいるというのは
    時々聞いてましたが

    例えばカタカナ言葉で多くみられる

    ヨイショ(神が助けてくださる) ワッショイ!=ワッショイ(神が来た)
    ハッケ ヨイ ノコッタ=ハッケ(撃て)ヨイ(やっつけろ)ノコッタ(打ち破れ)
    ジャンケンポン!=ジャン(隠して)ケン(準備)ポン(来い)
    ヤマト(大和)=ヤゥマト(神の民)


    「ヤーレンソーラン節」という民謡がありますが
    北海道余市には”ニシン小屋”があって

    ニシン魚の時期になると小屋に据えたハシゴを登って
    高窓から海を眺めニシンがやって来たことを知った、という

    ヘブライ語で
    「ヤーレン」とは「歌を歌う」という意味があり
    驚きですが「ソーレン」とは「梯子」のことをいう、という


    イスラエルの国旗にも使われている「ダビテの星」ですが

    ヘブライ語でダビデ王の名を表しているという説がある
    ダビデ(David)」はアルファベットに置き換えて表すと「DVD(母音抜き)」なる
    (ヘブライ語には母音を表す文字がない)
    「D」に相当する文字は、古代は「△」
    「V(ヴァヴ)」はヘブライ語で「~と」「&」を意味し
    「ダビデ=DVD=△と△(▽)」となったという
    (yahoo知恵袋から引用)

    なるほど、そーだったのか~~

    さらに今回驚きましたのが

    なんと

    赤穂にダビテ神社(と呼ばれる)があるという!?

    大避神社(おおさけじんじゃ)という古い神社があって
    木のお面が保存されている

    天狗のお面に似たもので
    日本人特有の「おかめ」や「ひょっとこ」のような平面顔ではなく
    明らかに西洋人顔あるいはアラブ系の凹凸のある鼻の高い顔のお面である

    そういうお面がコッソリ赤穂の神社に保存されているとは!
    赤穂と言えば、赤穂のお塩、赤穂浪士の赤穂
    ほんと驚きです!


    あの「いろは歌」空海がつくったらしい

    また
    驚くことに

    「さくらさくら」(作者不詳)も
    ヘブライ語に訳されるちゃんとした意味のことが歌われている、という

    それが本当なら

    小さい時から「君が代」だの「さくらさくら」と
    私たちは何にも知らないで歌っていたことになるのですね!

    空海に戻りますが

    四国のお遍路で有名な
    四国八十八ヶ所」も
    なんと空海が開いたお寺だった

    四国八十八ヶ所霊場第一番『霊山寺』には
    なんと
    モーゼの十戒のような十善戒がある
    という

    そんなこんなな不思議だらけの
    天才空海や四国やヘブライ語ですが

    前回ヘブライ語と日本語の対比言葉表見てて
    驚きました!

    ヘブライ語で
    מורה(moreh)モリッ」
    「先生」
    ですって!

    (あのね、歌手昌子が「せんせい」を歌っていたのね)








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    by caramel24carat | 2018-03-02 13:10 | 歴史・人物