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Caramel 24 Carat

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カテゴリ:建物・アート( 183 )

鞍馬寺の御紋は聖ヤコブのシンボルのホタテ貝では!?と更科=蕎麦


今日は爽やかな空が広がっている~☀

湿度が60%ほどで室温28℃と涼しい
風も吹いていて心地いい~

確かに太陽が遠ざかっているのね。。

いきなりですが
京都に鞍馬寺というのがあって
その紋を見てビックリ仰天しました!

なんと

鞍馬天狗ちゃんとホタテ貝ではありませんか!

鞍馬寺の奥の院の魔王殿
白い布に御紋のホタテ貝が確認できます

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wikiより引用

これは聖ヤコブのシンボルのホタテ貝と一目見て分かりました

赤ら顔に鼻の高い鞍馬天狗というのは明らかに異人
イスラエル人(ユダヤ人)かも知れない

鞍馬寺の奥の院の魔王殿の由来は
魔王尊
650万年前に金星からこの地球に降り立った、という

聖ヤコブはイエス・キリストの使徒の一人

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wikiより引用

シンボルのホタテ貝は

コキーユ・サン・ジャック(仏 coquille St.-Jacques
イタヤカイで 聖ヤコブの貝です
画像はこちらからお借りしました

鞍馬寺の御紋にも貝の根元には十字が描かれている
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聖人ヤコブがエルサレムで斬首され
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへ弟子たちが
その亡骸を船で運んだ時
船底に貝殻が付いていたところから
聖ヤコブのシンボルとなったようです
巡礼の目印にもなっています

パワースポットでもあるらしい
鞍馬寺
古代イスラエルとの関係を連想するもの
かなり多くみられるようです

ちょっと訪れてみたい気もします


ところで

前回のブドウ(マスカット)でちょっと思い出したのですが

フランス革命歴のこと書いてた時
「サラザン=Sarrasin「蕎麦」と知りました

で「サラザン」が「蕎麦」なら「サラシナ蕎麦」だわと
「更科蕎麦」を連想して
いろいろブログに書いたのですが





そんな中知ったのですが

金細工師が作業中散った金粉を再び集めるときに
蕎麦団子を転がして集めたそうです
って、オモシロイでしょ










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by caramel24carat | 2018-08-17 11:13 | 建物・アート

ネジレバナとデューラーの≪梨の聖母子≫とシンクレア・ハウスとシューホフ・タワー


湿度が高くムシムシしますが風が吹いている~⛅



ピンクの可愛いネジレバナが咲いている
小さいし風に揺られていたがやっと撮れました

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ところで

前回
アイザック・ダドリー・フレッチャーが
メトロポリタンに寄贈した
デューラーの≪メランコリアⅠ≫について書いてた時

以前観た
映画
リドリー・スコット監督の≪ゲティ家の身代金≫の
最後のシーンで絵画≪聖母子≫が登場したのですが

ジャン・ポール・ゲティが抱きながら息を引き取るのですが
誰の作品か思い出せないでいましたが
うつむき加減のマリアが印象的で
そうだデューラーの≪梨の聖母子≫じゃないかと気づきました

デューラーの≪梨の聖母子≫ 1512年

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幼子イエスが梨の切れ端(愛のシンボル)を持っている

しかし
この作品はゲティミュージアムじゃなくて
ウィーンの美術史美術館の所蔵

まあ、映画ですから真相は。。
取り合えずメモ

≪ゲティ家の身代金≫を撮ったリドリー・スコット監督
なんと
BBCでドラマやドキュメンタリーをやったあと
独立してCF制作会社を立ち上げ
1970年代から80年代の
CHANEL
のコマーシャルフィルムも撮っていたというから
オドロキました!

と前回、知ったのですが、何か繋がっていて面白い
ちょっと見てみたいですが

アイザック・ダドリー・フレッチャーは
実業家(銃器)やバンカーとして大富豪になり
1898年、ニューヨークの五番街に豪邸を建てた

2 East 79th Street at Fifth Avenue

メトロポリタンの南端の対面の角です

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五番街をGoogleマップで散歩

EUの旗とロシア国旗が飾られている

1917年、アイザック亡くなると
その後、ハリー・フォード・シンクレアが
屋敷を買い 1930年まで所有していたようだ

シンクレアハウスと呼ばれている
The Harry F. Sinclair House

現在、ウクライナ協会らしい
ウクライナ国旗と合衆国の国旗が飾られている

79丁目通りからの外観(wikiより)

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ウクライナと言えばロシアとクリミアで揉めていたところですね

ハリー・フォード・シンクレアは石油王


石油と言えばパイプライン


前にモスクワのグム百貨店のこと書きましたが
グム百貨店のガラスと鉄骨の天井モールドを設計したのが
ウラジーミル・シューホフ

ウラジミール・シューホフ



この人物は凄いですね!
wiki引用

サンクトペテルブルグの学校を出て
モスクワの工業学校で学び
アメリカのフィラデルフィアへ行き
滞在中にロシアの技術会社の「ルコイル」(Lukoil)を経営していた
アレクサンドル・バリと知り合いとなり、ルコイルに勤務

その後、ロシアに戻り
アゼルバイジャンのバクーにあった石油施設の設計に従事する
ここでロシア初の石油パイプライン(全長約10km)の設計にも参加する
バクーでの仕事を認められ、ルコイルの首席技術者になった
その後も河川用の石油タンカーの設計
1886年から1889年には
シューホフの同僚と共にモスクワの新しい水道システムの設計に参加した

1879年には、連続接触分解に関する発明で特許を出願
(1891年に成立しロシア帝国特許、番号12926)を取得した
後にこの特許はアメリカのスタンダード・オイルとの特許係争に発展した

バリの事業が鉄道事業におよぶと
シューホフも1892年に初めて鉄道橋の設計する
シューホフは設計する鉄道橋に鉄材の不足を克服
さらに工期を短縮する工夫を施していった
これ以後、417の鉄橋の設計を行った

シューホフは鉄橋の設計と平行して
大規模建築物の屋根の架構方法の考案を依頼されていた
1893年に完成したグム百貨店(1890年~1893年、モスクワ)の
アーケードの屋根として採用した
鉄とガラスを組み合わせたヴォールトとして結実した

ロシア革命後、バリの会社は国有化され
シューホフにはディレクターの地位を与えられた
革命政府から
シャーボロフスカヤのラジオ塔(1922年、モスクワ)
の設計を命じられた
当初高さを350mで設計したが
鉄不足のため150mに短縮して1922年に完成した
それでもこの塔の独特のスタイルは
ソヴィエトという新時代の幕開けを告げる印象を与えた

フランスパリのエッフェル塔の鉄の使用量が8800トンであったのに対し
シューホフの塔の設計では
高さ350m設計時の鉄の使用量が2200トンと軽量であった

シュ―ホフ・タワー


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シューホフ設計の双曲面構造の塔は
シューホフ・タワーと呼ばれる

魚釣り用の網でよく似たの見たことありますね

19世紀末~20世紀初頭に活躍した
実業家アイザックと、石油王ゲティやシンクレアと
いろいろな人物を知りましたが
建築家ウラジミール・シューホフ
凄いですね!






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by caramel24carat | 2018-06-29 14:07 | 建物・アート

レースのような銀色の葉の黄色の花と金閣寺とフッガー時代のアウグスブルク市庁舎の類似点





今日は湿度70%で蒸し暑いお天気です~☀


もう金曜日ですね


イエローのお花とシルバーの葉っぱのコントラストが美しい
白妙菊が咲きました

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草丈が60㎝ほどあって
実物はもっとハッとするような印象的なお花です


シルバーのレースのような葉っぱが幾重にも重なってほんと美しい
シルバーリーフと呼ばれるよく似た植物もあるようです

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ところで

金と銀と言えば

当然誰もが知っている
京都にある金閣寺銀閣寺ですよね!

室町幕府3代将軍足利義満の舎利殿
3層建築で一階は質素な禅寺風
2、3階は内外に金箔張りの豪華もの
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京都行きたいわ~
でもきっと観光客で超賑わっているのでしょうね
それに盆地だから結構ムシムシするのよね

そんな足利義満の金閣寺は600年ほど前の
1397年に建てられた

なんと
開山は夢窓疎石だという

夢窓疎石といえば
この間訪れた国宝の永保寺も夢窓疎石でした!


足利義満の時代には金がたくさん採れたのですね!

ところで

足利将軍家のルーツは
栃木県の足利
因みに「栃の木」は「マロニエ」らしい

栃木に日本最古の足利学校があって
イエズス会フランシスコ・ザビエル
素晴らしいと称賛したという伝説があるらしい

また栃木の佐野には龍江院に
ヤン・ヨーステンウィリアム・アダムスが航海してきた船
≪リーフデ号≫こと≪エラスムス号≫の木像エラスムス
かつて保存されていたらしい
(現在国立博物館蔵)

とkろで
天正遣欧少年使節団のニュースが載ったところ
アウクスブルグですが

ミュンヘンやニュルンベルグのあるバイエルン州の都市
アウクスブルグの街の起源は

初代ローマ皇帝アウグストゥスに因むらしい
(BC63年9月23日~BC14年8月19日)

初代ローマ皇帝アウグストゥスは
シーザーの養子でした


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そんな歴史あるアウクスブルクに
ハプスブルク家や神聖ローマ皇帝やローマ教皇庁に
お金を貸していたのが
銀行業もやっていたフッガー家

元々フッガー家は
チロル地方を治めていた領主に戦争への資金提供などをやっていたが
負けると担保にしていた金・銀等の鉱山を物にして
大富豪への道と歩んだようだ
しかし1560年には
スペイン・ハプスブルク家とともに没落したというが
現在も富豪相手のフッガー銀行が存在するという!?

アウクスブルクはマルティン・ルターが宗教改革を始めたところ
ローマ教皇庁等は免罪符を売って借金の返済に充てていたので
ルターはソレオカシイ!とご意見したらしい

フッガー家繁栄の時代をフッガー時代というらしい

そのフッガー家黄金の時代の建物!?で
(整合性がイマイチ確認出来てませんが)
1615年~1620年代に建築された
アウクスブルグ市庁舎の3階には
黄金の間(Goldener Saal)
があるという

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1.2階はそれほどでもないが
3階に上がると
フレスコ画の描かれた木造天井を27の鎖で吊るした
豪華絢爛な黄金の間が現れるという

この3階に豪華絢爛な黄金の間を造った!
というところが

ちょっと金閣寺に似ているかな
と、ふと思ったわけです

ちなみに
アウグスブルクは鉄砲の産地だった長浜と姉妹都市
後年、ディーゼルエンジンのヤンマーの創立者の出身地かららしい

と、いろいろメモ

そう、気になるのはチロルチョコ












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by caramel24carat | 2018-06-08 13:52 | 建物・アート

トゥールネル城はパレ・ロワイヤル(ヴォージュ広場)だった



爽やかな快晴です~☀


緑陰に枝を伸ばしている
斑入りのガクアジサイが咲きだしました


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湿度がないとホント爽やかで過ごしやすいですね



ところで

ニューオオタニにもあるという
鴨にナンバリングする鴨料理で有名な

トゥール・ダルジャン



Googleでバーチャル散歩

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もと旅籠であったが440年ほど前の1582年からの歴史があり
トゥール・ダルジャン(銀の塔)の名前は
その旅籠のあったセーヌ河畔から
銀色に輝いて見えたという

トゥ-ルネル城
由来だと知りました

そんなわけで
トゥ-ルネル城を探してみました


トゥールネル橋を渡ります(バーチャル)
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調べてみますと

アンリ3世から許可を得て使用したという
紋章の元であったお城は


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パリに立ち寄った時の王の館だった
Hôtel des Tournelles 

まさに
トゥール・ダルジャンのマークのような
四角いお城でした
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The Hôtel des Tournelles in the 14th century

場所は

現在のあの有名なヴォージュ広場に当たるらしい
つまりパレ・ロワイヤルだったのですね!

この挿絵よくながめますと
中心から左寄りに四角い広場が見えます
馬に乗った人達が描かれています
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The district around the Hôtel des Tournelles in 1550

(この絵は年代が合わないがカトリーヌが取り壊した後のようにもみえる)


アンリ3世の父親アンリ2世の時
馬上槍試合が行われた場所だったのですね





カトー・カンブレジ条約に関連し
アンリ2世の妹マルグリットとサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルト
アンリ2世の娘エリザベートとスペイン王フェリペ2世が
それぞれ結婚することが定められた

1559年6月30日

その祝宴の一環で行われた
アンリ2世とモンゴムリ伯との馬上槍試合において
アンリ2世の右目にモンゴムリ伯の槍が刺さるという
偶発的な出来事が起きた
アンリ2世は
医者の手当ての甲斐なく7月10日に亡くなった

なんとこのことは
ノストラダムスは預言していたとか!
いや、いなかったとか?


アンリ2世(Henri II de France)
(1519年3月31日 - 1559年7月10日)は
ヴァロワ朝第10代フランス王(在位:1547年 - 1559年)

この後

アンリ2世の死後
妃だったメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスは
この忌まわしい出来事の起こった
トゥールネル城を解体してしまったという


後にルイ13世の宰相だったリシュリューの館になるが

ルイ14世の時にパレ・ロワイヤル(王宮)と呼ばれたらしい


“ルイ13世の死後、1643年に当時5歳のルイ14世がルーヴル宮殿から移り住んだことで、パレ・ロワイヤル(王宮)と呼ばれるようになった。それから、オルレアン家の手に渡り、ルイ14世の弟オルレアン公フィリップ1世が住むようになる。当時は、建物の中には貴族や金持ちしか入れなかったが、一般公開されていた庭園で庶民は散歩を楽しむことができた。その後、リシュリュー時代の建物は取り壊された。”


文豪ヴィクトル・ユーゴーも住んでましたね




「ノストラダムスの予言」は
日本でも話題になったことがありましたが

預言者ノストラダムスは
アンリ2世の妃カトリーヌのお抱え占い師だったという

因みに、ノストラダムスの生誕地
サン=レミ=ド=プロヴァンスSaint-Rémy-de-Provence)は
時代は下るがゴッホが≪星月夜≫など描いたところ


そんなわけで


トゥールネル城は16世紀中ごろには解体され

ヴォージュ広場と呼ばれるようになったのね
その後ルイ14世が住みパレ・ロワイヤルと呼ばれたのね

偶発的にしろ
アンリ2世は娘の結婚のお祝いの最中に
不慮の事故で40歳で亡くなってしまったわけですが

アンリ2世と言えば
家庭教師でもあり愛妾でもあった
ディアーヌ・ド・ポワチェがましたね!
年を取らない究極の美貌の女性

なんと
死の原因は金中毒





金のエリクサーという不老薬を飲んでいたことが
最近になって解明された、という












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by caramel24carat | 2018-06-04 14:40 | 建物・アート

夏椿と松江とトゥール・ダルジャンとニューオオタニの歴史




今日は昨日の雨も上がり晴れて爽やか~☀

6月1日ということは
半年が過ぎました

もう。。なのか
まだ半年~なのか

夏椿のお花が高いところから咲きだしました
(今朝は落ちていた一日花で気付きました)


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夏椿とか沙羅の樹と呼ばれるようです
白いジョーゼットのような花びらが涼し気です


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ところで

前回の記事で気になった
加茂荘花菖蒲園のカモグループが運営していたという
神戸と松江についてですが
神戸は京コンピュータ前駅のすぐ側でしたのでビックリしましたが
松江の松江フォーゲルパークについて
地図を眺めますと

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すぐ近くに原発がありますね
ほんとすぐそばですね


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松江といえば

かつては石見銀山の銀やたたら製鉄の鉄が採れた産地ですよね




本能寺の変後の信長亡き後
秀吉そして家康と
石見銀山は引き継がれ17世紀の間に
石見銀は貨幣(石州銀)として4100トンほど海外へ流出してしまったらしい

徳川家の天領直轄地として管理されていたようです

忍者ハットリ半蔵は
〝服部石見守”として石見銀山の監視役をやっていたという




森蘭丸の森家の鶴丸紋がベルサイユ宮殿の謁見の間に描かれているのも
徳川時代に金や銀が交易されていたのでしょうか


バラバラに話が進みますが

掛川にも10キロ圏内の御前崎市に原発があります

原発と言えば原子力大国のフランス
ラ・ファージュとかアレバとか
関連会社のあそう財務相のセメント会社もありました


そんなわけで
カモでフランスと言えば
鴨料理のトゥール・ダルジャンを連想しました~
(特に好きとかお店に行ったとかはなしデス)

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パリの本店はサン・ルイ島の対岸のセーヌ河畔にあり
400年ほど前の1582年からの歴史があるそうです

1582年といえば日本でも織田信長が
1582年6月21日(天正10年6月2日)に暗殺された年

そして
天正遣欧使節団の4人の少年の絵が
アウグスブルクの活版印刷のニュースに載りました!

アウグスブルクにはスペイン・ハプスブルク家の金庫番だった
銀行業を営んでいたフッガー家(鉱山、金融業)
ハプスブルク家に貸したお金が回収できず没落しました

銀行業もしていた加茂家と掛川藩との関係に似てますね


トゥール・ダルジャンとういう名まえになったころ
1582年は
フランスではアンリ3世のころ

アンリ3世が鹿狩りの帰途にパリのトゥールネル城に寄り
セーヌ河畔にあった旅籠で
食事をとったというのが縁で
塔の紋章を使用する許可をもらったという

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La Tour d'Argent(ラ・トゥール・ダルジャン)は
「銀の塔」
という意味ですが

その旅籠の目の前には

太陽の光に反射して銀色に輝く雲母で飾られた
トゥールネル城の塔がよく見えたところから
王にお願いし許可を得たという

La Tour d'Argent(ラ・トゥール・ダルジャン)
(トゥルネル河岸通り15-17番地)


なんと
トゥール・ダルジャンは
日本のニューオオタニにもあるという

店内は王か貴族の邸宅のような素晴らしい内装ですね!



ニューオオタニの歴史を見ますと
豊臣秀吉の時、朝鮮出兵で活躍した
加藤清正
江戸の下屋敷だった、という

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秀吉は朝鮮出兵のこの時、兵士に銀などをバラまいたのですね

加藤清正の江戸の下屋敷はその後

彦根藩の井伊家のものとなり
幕末、桜田門外の変で接収され

明治維新後は伏見宮邸

4万㎡の滝もある名庭園のある広大な敷地ですが
戦後は大谷米次郎のものとなったらしい

聞きなれない大谷米太郎って人物は?

なんとお相撲さんの出身とは!

その後紆余曲折のあと
満州で鉄鋼で大成功したようです

鉄鋼王!
満州で鉄鋼と言えば満鉄なんかも関係があるのかしら



フランスで鉄の象徴と言えばエッフェル塔
エッフェルはディジョンの出身
ディジョンといえばフクロウ



アンリ3世の次のフランス王は
アンリ4世でしたが

武田信玄の甲府と関係は?


アンリ4世のまれたポーには
金のとれた武田信玄の甲府の名前の付いた
甲府庭園がありました



なんだか
あっちこっち飛び越えて思いつくままメモ

📝




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by caramel24carat | 2018-06-01 12:55 | 建物・アート

篠山城と丹波篠山のアールデコ風な木造小学校と超モダンな隈研吾の青山のお寺




今日はもう夏のようです~☀


昨日、早々に扇風機を出しました~



今、粉雪が降ったようなシルバープリペットのお花が
満開で涼し気です

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ところで

前回、青山家のルーツをちょっと調べていて知ったのですが

青山宗家(本家)3代目の青山宗俊(青山忠俊の息子)以降の
子孫をたどっていきますと

丹波篠山に移封されている
「移封(いほう)」大名などを他の領地へ移すこと
転封 (てんぽう)

丹波篠山と云えば

最初に思い浮かぶのが丹波栗です!
大粒の丹波クリはほんと美味しい
栗大好き
ケーキのモンブランも大好きです
(大粒の丹波の黒豆も有名ですね)
ウィーンのラントマンで食べたモンブラン美味しかった

パリの屋台の焼き栗とか

青山家はウィーンとかフランスとか
接点がありそうな気がするんだけどもね

つい話がタイトルから逸れましたが

丹波篠山の位置をGoogleマップで確認していましたら

なんと

八上小学校というレトロな風情のある
アールデコ調の木造の建物がヒットしました

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画像は篠山市より借用

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丹波新聞より借用

昭和初期の木造校舎ですが美しいですね


丹波篠山を散策された方の動画をみますと
小京都と云われるようなとても静かで風情のある街ですね

篠山城は
1609年、大坂城を包囲する城の一つとして
徳川家康の命令により築かれたという
築城は天下普請によって20大名が動員され、半年余りで完成

大書院の雄大な屋根は御所の二条城のような優雅さがありますね

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1606年に
徳川家康の命令(天下普請)で築城された篠山城ができたので

もともとあった八上城は廃城になったという

波多野氏ゆかりの八上城の歴史

”天正3年(1575年)に織田信長の命を受けた明智光秀による攻略が開始され
毛利氏赤井氏の支援があったものの兵糧攻めにより
天正7年(1579年)に落城し波多野氏は滅亡した
この合戦で、明智光秀の母(伯母とも)が磔になった城としても知られる
(後世の創作という説もある)”

なんと
八上城は織田信長が明智光秀に攻めさせたのですね!

そして
波多野氏の出身の石見といえば銀山ですよね

青山氏が丹波亀山藩から丹波篠山藩に転封されたのは
寛延元年(1748年)8月3日
7代青山宗家青山 の忠朝(あおやま ただとも)の時

初代青山忠成の4男(青山忠俊の弟)に
青山 幸成(あおやま よしなり/ゆきなり)がいましたが
忠俊の北青山に対して南青山と呼ぶ、らしい

幸成は分家にあたり郡上八幡初代藩主

青山通り(国道246号)にある
元青山分家の郡上八幡藩主の下屋敷には
菩提寺の梅窓院があり

なんと

2005年には隈研吾設計の超モダンなお寺に建て替わっている

青山梅窓院

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”また、面積約27万k㎡の敷地内に10万余人が眠る青山霊園
1872年明治5年)に南青山家下屋敷跡地の南側を墓地としたもので
1889年明治22年)に当時の東京市に移管された”

そういえば西城秀樹さんが急逝されましたが
この前、バーモント州のストウへ行く映画のこと書いてた時
真っ先に
はちみつとリンゴのバーモントカレーを
連想してたばかりなんで
ほんと驚きました

因みにリンゴ酢とハチミツを使った健康法が
バーモント州にありそこから由来しているという






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by caramel24carat | 2018-05-18 12:22 | 建物・アート

ホタルブクロとダ・ヴィンチとカナダ大使館界隈のODENスタジオ



青空が広がって爽やかな日~☀



土曜日のお出かけ日和から一転
昨日は大雨でした~


今朝は涼し気なホタルブクロが咲いてます


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そろそろ暑くなっていくのでしょうか

中輪のレオナルド・ダ・ヴィンチも
いくつか咲いてきました


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天才ダ・ヴィンチに捧げられたバラとは言え
ごく普通のバラだと思うのですが?
遠目には濃いグリーンに映えてピンクのバラが印象的

ところで

前回、ウィーンの特派員だった塚本哲也が
奥さま塚本ルリ子と結婚し塚本家の養子だったと知りましたが
義父にあたる塚本憲甫は
築地にある国立がんセンターの総長を務められた
放射線の医学者でした

wiki読んでましたら
築地市場にはビキニ環礁で水爆実験で被ばくしたという
第五福竜丸のマグロの記念プレートが掲げられているという
ホント驚きです!

築地市場にある第五福竜丸の
原爆マグロのプレート

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塚本憲甫は放射線医者として
ガンの放射線治療の世界的な権威であり
ガン征圧に果敢に立ち向かう“臨床の鬼”とも呼ばれた

因みに塚本憲甫(三男)の長兄の塚本玄門は
満州の奉天工業大学等で教鞭をとった教育者

(塚本家はもともと代々黒田藩の藩医だったらしい)

第五福竜丸の絵本の表紙には
ベン・シャーンの絵が装丁されているとは
以前知りました

ベン・シャーンの3色アイスクリーム

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オデンではなくアイスクリームです~


塚本憲甫の親友に
大蔵事務次官の長沼弘毅がいましたが

退官後、投資目的で所有していた土地が
赤坂のカナダ大使館の裏手にあり
国際ラジオセンターという貸しスタジオをつくったという
また日本コロンビアの社長になったりした

ちょっと好奇心を持って場所を調べてみますと

現在
≪ODEN STUDIO≫の場所かと思われます
「ODEN」は何の略なんでしょうか


地図の緑の所は赤坂御苑
青山通りを挟んでカナダ大使館と高橋是清記念公園
その下の方の赤いマークが
元国際ラジオセンターで現在の≪ODEN STUDIO≫
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驚いたのは
地図上には草月会館の隣に
高橋是清記念公園があります

日露戦争の外債募集に成功したという
高橋是清の娘が
ニューヨークのFiFTHアベニューのシフの家で
ホームステイしてたと以前知り驚きましたが

お隣が広大なカナダ大使館の敷地ですね

向かい側の迎賓館も建つ赤坂御苑は
もともと紀州(紀伊)徳川家の上屋敷のあったところらしい

それでは
カナダ大使館はどこだったのかしら?
と調べてみますと

青山忠俊子爵の所有地だったらしいが

初代の駐日外交代表ハーバート・マーラー氏が
自己資金も出して買い取ったという
別称マーラー・ハウス
なんでも幽霊が出るから安く買ったというエピソードには
笑っちゃいましたが。。

もと青山子爵の所有地というのは
クーデンホフ・カレルギー光子(青山光子)の実家でしょうか?

カナダ大使館はフランクロイド・ライトの弟子
アントニン・レインドが建設の総指揮した

幽霊といえば
帝国ホテルで有名なフランクロイド・ライトの建てた
アメリカのデパート「カウフマンズ」のオーナーの別荘でも
夫人にまつわるそんな話がありましたね


バラにジャック・カルティエがあります
以前うちの庭でも咲いていたのですが
ジャック・カルティエ過去記事
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フランスの探検家ジャック・カルティエに
捧げられたバラでした

かつて
”レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンでもあった
フランソワ1世の命令で
ジャック・カルティエは1534年
国王フランソワ1世の命を受けてフランス出発し
カナダのニューファンドランド島より上陸内陸部 へ探検し
赤毛のアンの舞台となったプリンス・エドワード島やセント・ローレンス湾を発見した

先住民の「カン ナータ」という言葉からカナダという名前を使い始めた
等のエピソードがある”

450年ほど前にはすでに青山家も歴史に名を残していますね







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by caramel24carat | 2018-05-14 13:14 | 建物・アート

グスタフ・クリムトの≪人生は戦いなり(黄金の騎士)≫



今日の空はライトグレー降るのかな?~☁



鳩が飛んできてクックーククーと鳴いてます


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ところで

先日訪れた豊田市美術館には



ブリューゲル展の他に

グスタフ・クリムトの作品も2点展示されてました

その一枚

グスタフ・クリムト作
≪人生は戦いなり(黄金の騎士)≫

1903年


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クリムト1903年の作品ですが

技法に金箔を使った蒔絵風の日本の伝統工芸の影響が
みられると思うのですが

黒馬に乗った直立不動の黄金の騎士は
クリムト自身の姿でしょうか

当時、ウィーン大学の講堂の天井画を飾る
哲学、法学、医学をテーマとした作品を
依頼されて制作していたが

クリムトが彼の信念と情熱を魂を込めて制作した画風が
大学側の意図するいわゆる真っ当な趣旨とは正反対の
依頼者側にとっては皮肉とも思える作風だったため
不評で拒絶された

クリムトは前払い金の返却と同時に
作品をすべて引きとったという事件があった、という

ウイーン世紀末に活動していたクリムトは
ウィーン分離派(ゼセッション)を結成したが

ウィーン大学で不評かつ拒絶された

そのワケは

「哲学」では光ではなく闇の勝利を!
「法学」では正義ではなく悪の勝利を!
「医学」では健康ではなく死の勝利を!


というようなウィーン大学側の要求する本来の趣旨とは裏腹の
要するにクリムトにとっては
それが真の姿を描いたのかも知れませんが
皮肉に満ちたものだったらしい

この時
同じようにウィーン大学より依頼を受けていた
フランツ・マッチュの作品は講堂を飾ったようだ

@追記
実際どんな天井画だったのかと
画像検索してみましたが
現物を撮ったモノクロの写真が残っていて

確かに不気味な絵で
もともとクリムトはあまり好きじゃなかったのを
思い出しましたわ





それはさておき

数年前の話になりますが
ウィーンの市庁舎からウィーン大学の方へ
前の通りだけは歩いたことがありましたが

その向かい側に建つ
ブルグ劇場にはクリムト兄弟の
≪ロミオとジュリエット≫の見事な天井画がありました

そして
そのブルグ劇場の屋根裏部屋へ
古いエレベーターにコトコトと乗ってたどり着くと
その下絵の大きな試作品のデッサンが保管されていて
見学したこと思い出しました

鳥肌が立つほど素晴らしかったです



≪人生は戦いなり(黄金の騎士)≫

誰もが経験することだけど
そんなこんなで世の中思いどうりに行かないと悟った
クリムト自身の姿であって

世間がどうあろうと
我が信じる道を行く~
人生は戦いでもあり
しかし自分を譲るまいという
新たなる決意を表明したかのような
作品なのでしょうね



この作品は豊田市美術館のものではなく
愛知県美術館が所蔵していて
借りてきたようです

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ウィーンオペラ座を見学したことがあったのですが
何気なく寄りかかった一階ロビーの壁に

なんと

トヨタの高級車「LEXUS」レクサス
銘板が飾られていて
びっくりしたことがあったのですが

ウィーンオペラ座のスポンサーなのでしょうか!


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クリムトの≪黄金の騎士≫は
どうも
ドン・キホーテみたいに見えてしまう










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by caramel24carat | 2018-05-02 14:14 | 建物・アート

お茶室で新緑を愛でながらお抹茶を一服




爽やかな薫風が心地よいGW2日目~☀


ちょっとお出かけして
豊田市美術館に隣接している
童子苑でお抹茶を頂いてきました


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モミジの鮮やかな新緑が目に染みる
素晴らしい和の空間

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立礼茶席でお抹茶を頂きました

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和菓子はカキツバタ

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手入れの行き届いたお庭の新緑を眺めながらの一服は
とても癒されました

水琴窟から微かに澄んだ音も聴こえました

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ここ木造数寄屋造りの童子苑は

なんと

NY近代美術館(MoMA)と同じ谷口吉生氏の設計でした


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隣の豊田市美術館も
谷口吉生氏の設計というのは知ってましたが

モダンな建築だけでなく
木造数寄屋造りの建築も設計されていたんですね


美術館の方は何度か訪れたことがありますが
素晴らしい大らかな建築です

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これからの時期は
涼感が素晴らしい広大な人工池


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カラフルなオブジェやミラーが映し出す不思議な空間を
散歩するのも楽しい



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この後
ブリューゲル展を観ました








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by caramel24carat | 2018-04-29 20:27 | 建物・アート

花が咲いたアジサイの挿し木と細川ガラシャの手紙と御室の仁和寺



うす曇りのちょうどいいお天気~⛅



日ごとにグリーンが濃くなってきました


そんな中
昨秋定植した挿し木のアジサイの花が咲きました

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うまくいって超嬉しい


ウッカリ名まえが。。

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今、斑入りのガクアジサイも仕込んでます

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上手くいきますように~

🍂

ところで

前回、南禅寺界隈別荘群の旧細川家別邸怡園(いえん)が
現在、オムロンのゲストハウスらしいと知りましたが

熊本肥後の初代藩主細川忠興の正室だった
明智光秀の娘細川ガラシャは
ウィーン・ハプスブルク家でオペラが上演されたほどの
美しくも気高い壮絶な最後でした

そんな美貌でドラマチックな生涯を送った
細川ガラシャ直筆の手紙がありました!

ものすごく美しい流麗な筆運びの手紙です

かな散らしという書き方で
その頃流行ったオシャレな書き方という

腕を大きく構えたのびやかな筆運びは
アールヌーボーたっち
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文字の強弱、大小、墨の濃淡、行間の変化が素晴らしい
気になる文
なんて書いてあるのでしょうか?

因みに
ガラシャの小侍従に宛てた手紙で

紙は中心に折れ線があって二つに折って書かれている


国立国会図書館蔵
〔細川忠興同夫人等書状〕. 第3軸 細川忠興夫人消息

そうそう
細川忠興と明智玉が結婚し当初住んだお寺
長岡京市の勝龍寺は
なんと
806年 空海が開祖したお寺でした

空海は前に映画観てましたが
空海と言えば
四国八十八ヵ所のお寺巡りですよね



南禅寺界隈別荘群の旧細川家別邸のいえんが
オムロンのゲストハウスと知りましたが
立石一真が創業したオムロン(前身立石電機)の社名が

京都の御室(おむろ)に由来し
立石一真は熊本のお殿さまと同郷と知りました

御室の桜で有名ですが
御室のこと
ちょっと調べてみますと

そもそもは宇多天皇退位後の
お住まいであった御所のことを云うらしい

第59代宇多天皇は
888年(仁和4年)仁和寺を創建
その後、897年(寛平9年)に譲位

醍醐天皇にバトンタッチし出家し
仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となった

以降、皇室出身者が仁和寺の代々住職(門跡)を務めた

その後、応仁の乱(1467年~)でほとんどを焼失するが

160年後の徳川家光の時再建される

その時 建物の一部は
御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など
多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了

なるほど
天皇家ゆかりのお寺だったのですね

この仁和寺の裏山では
なんと
四国八十八ヶ所の写しである札所を約2時間の行程で全て巡ることができるらしい

空海と四国八十八ヵ所との接点がありますが?

御室とは名前だけは知っていたのですが
御室=仁和寺だったのですね
皇族や貴族とのゆかりが深かったため広大な「仁和寺御殿」は
御室のサクラでも有名なところらしいので
いつか行ってみたいです



しかし
オムロン(前身立石電機)の創業者立石一真氏は
熊本から京都御室にいらして創業したわけですが
何か御室とご縁があったのでしょうか?




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by caramel24carat | 2018-04-27 12:01 | 建物・アート